マンドリル2号「まさかわたしまで本当にマンドリルになっちゃうなんて思ってもみなくて…」

マンドリル2号「澪のやつそれですっかり怒っちゃって…」

マンドリル2号「『この…バカりつ!そんなことしてどうなるんだよ!』…って」

マンドリル2号「でもさー、澪ひとりだけこんな姿させとくわけにはいかないじゃん。元は言えばわたしのせいなんだし」

マンドリル2号「だからわたしも…って思ったのによー…澪ったらひどいと思わないか?



      あれ?ムギ、聞いてる?……」

こくりと頷く。




わたしがこんな姿になったせいで澪と大げんか。そのまま家を飛び出した。

マンドリル2号「それにしてもムギ、よくわたしのことがわかったなー…つーかマンドリルには見えてるのね」

ムギはまた黙ったまま頷いた。

試しに途中で寄ったコンビニ。店員も立ち読み客も、ずぶ濡れのわたしにギョッとした反応は見せたけれどそれっきり。
たぶん人間に見えてたんだろう。マンドリルが深夜のコンビニに入ってきたら、大騒ぎだろうから。



マンドリル2号「とりあえず澪とムギと…ああわたし自身もだけど…それ以外の連中には普通の人間に見えてるみたいだし、大して問題もないっちゃないな」

紬「元に戻りたいと思わないの?」

はじめてムギが口を開いた。

マンドリル2号「ん。まぁ戻れるならな。さすがにこの顔を毎日鏡で見るのはキツそうだ。…ただでもこれ、罰みたいなもんだと思うんだよ。だからしょーがねーなーって思ってる」

紬「カッコつけたがりだね。りっちゃんは」

マンドリル2号「…うっ」

紬「澪ちゃんの言うとおりよ。それでなにか解決した?してないよね?」

マンドリル2号「…」

紬「でもいい気味。醜い姿になっちゃって。ざまーみろって思っちゃった」

マンドリル2号「…はは」

紬「…けど、ズルい」

マンドリル2号「…ん。何が?」

紬「こんなときでも澪ちゃんと一緒なんだもん」

マンドリル2号「一緒ならなんでもいいわけじゃないだろ」

紬「りっちゃんのバカ。アホ。マヌケ。カッコつけ!リューネン!!マンドリル!!!………キライよ」

マンドリル2号「そんなこと言われてもなぁ…戻り方わかんないし」

紬「じゃあわたしも…」

マンドリル2号「待て!カンタンに口にするな!何が起こるかわかんねーぞ!」

ムギは不満そうに頬を膨らませた。



紬「りっちゃんと一緒がいい」

紬「罰って言うならわたしも同じよ。だってわたしもりっちゃんを苦しめたんだもの」

マンドリル2号「ムギはなんにもわるくないよ」

紬「うそ。わたしわかってたもん。わたしがりっちゃんの側にいると、りっちゃん苦しいんだろうなってこと、わかってた。けど…どうしても離れたくなかったの」

紬「どうしても一緒にいたかったの…わたしのワガママでりっちゃんを苦しめちゃってた。……ごめんね」

マンドリル2号「謝ることじゃないよ」

紬「ううん、謝らせて。わたし、ズルいの。言わなきゃいけないことがある、ってこともわかってたの。けど…言えなかった。……嫌われるのが、こわくて」

紬「でもね。そうやって色々考えたりもするんだけど……それでもやっぱりりっちゃんと一緒にいたい、って思っちゃう。だからわたしも罰を受ける」

マンドリル2号「バカ。いいわけないだろ……マンドリルだぞ?今のわたしの顔、見てみろよ。ヘンだろ、気持ちワルイだろ、なに考えてるかわかんないだろ」

紬「気持ち悪くないよ。それにりっちゃんの考えてること、なんとなくわかる気がするし。


  …たしかに顔はヘンだね。でもね、好き。大好き。りっちゃんとずっと一緒なら、わたしどんな姿になってもかまわないわ。だって……」



紬「どんな姿でもりっちゃんはりっちゃんだし、わたしはわたしだもん」



マンドリル2号「ムギ…」



紬「もう一度聞くよ。人間に戻れるなら戻りたいの?」

マンドリル2号「…いや、いい。わたしにはそんな資格なんてない」

紬「…まーたカッコつけちゃって」

マンドリル2号「うっせ」

雨は降りやまない。
部屋の中を見渡す。久々の我が家は思った以上に変わりない。
家具の配置も何一つ変わらない。
住人が変わっても特別装飾が変わったところは見られない。



紬「…あ」

マンドリル2号「…どした?」

紬「…わかっちゃったかも。りっちゃんが元に戻れる方法」

マンドリル2号「…なに?」

紬「わたしじゃダメかもしれないけど…ためしてみても、いい?」

そう言い終わらないうちにムギはぐいっとわたしに近づいて、勢いそのままに押し倒した。

マンドリル2号「………え?」

紬「…あれ?抵抗しないんだ。もしかして、押し倒されたかった?」

ムギの長い髪が顔にかかってくすぐったい。
薄暗い部屋の中でムギの唇がつやつやと光っているのが見えた。



紬「りっちゃん。身体冷たい」

マンドリル2号「雨に………濡れたからだよ」

紬「ううん、りっちゃんの身体、いつも冷たかった。今も変わんないね」

マンドリル2号「脂肪が………少ないからだよ」

紬「あら?こんなときにイヤミ?」

マンドリル2号「…はは。ごめん」

紬「いいよ、わたしがあっためてあげる」

くちびるは、少しづつ近づいてくる。
熱い。ムギの吐息が頬にかかる。

紬「…抵抗、しないんだ。いつも成り行きまかせだね」

マンドリル2号「そんなこと…ねーよ」

わたしはムギの肩を掴んだ。
あと5センチ、というところでムギの唇が止まる。

マンドリル2号「…何する気だ」

紬「…ナニ、したいの?」

マンドリル2号「つまんない冗談はやめろ」

紬「ほら、定番じゃない。お姫様のキッスで……」

マンドリル2号「……バカ」

紬「……試してみる価値くらい、あるんじゃない?もしそれで」



紬「もしそれでりっちゃんが元に戻れば、証明できるわ」

マンドリル2号「何をだよ」



紬「わたしがりっちゃんのお姫様、ってこと」

青い瞳に吸い込まれそうになる。
吸い込まれるのが怖くて、見つめるのをやめた瞳。
一度囚われてしまえば、もう目が離せない。

マンドリル2号「待って」

紬「なに」

マンドリル2号「わたしも証明したい」

紬「なにを?」

律「成り行き任せじゃ、ないってこと。
  ムギと一緒にいて苦しくなんか、ないってこと。




  ムギのことが大好きだって、こと」



紬「…はじめて、好きって言ってくれたね」

律「…ごめん」

紬「…謝らないで」

ひと粒の滴がムギの瞳からこぼれて、わたしの頬に落ちた。



紬「ねぇ、お願いがあるの」

律「…なに?」

紬「…もう一度言って」

律「好きだ。」

言い終わると同時にくちびるを塞いだ。
ミルクティーの、味がした。

大きな音を立てて雷が落ち、灯りが消えた。暗闇が部屋を包む。

身体が熱いのは、蒸し暑さのせいだけじゃない、ってそんなことわかってる。

雨は一層勢いを増して、夜は更けていく。


なぁ。


ーー美女と野獣、ってどんな話か知ってる?
ーーお姫様のキスで王子様が野獣から人間の姿に戻る、って話でしょ。


うーん、間違ってないんだけど、ちょっと違うな。






唯「うーんどうだろう」

梓「いやーどうかと思います」

唯「継続は力なり、って言ったもんだねぇ」

梓「そうですねぇ…サボってたのは隠せないですねぇ…ていうか唯先輩、よく知ってましたねそのことわざ」

唯「まあね〜…あ、でも最後らへんは悪くなかったんじゃない?」

梓「いえ、あれは単にバテてただけだと思います」

唯「厳しいねぇあずにゃん」

梓「ふつうですよ」

唯「じゃあ、ひとことで言うと…?」

梓「じゃあ、ひとことで言えば…」



唯梓「「走り過ぎ」」

うっさい!

久々の演奏でこれだけできたことを褒める、って選択肢はないのかよ。



梓「澪先輩たち、なかなか戻ってきませんね」

唯「女の子同士ってなんで一緒におトイレ行きたがるんだろうね」

梓「先輩も女の子でしょ」

背中にTシャツが張り付くくらい汗をかいたのは、いつ以来だろう。

唯と梓のやりとりは昔と何一つ変わりなくて、まるで高校生の頃に戻ったような気になって、時間の感覚がおかしくなる。

唯「もしかして二人だけでお茶してたんじゃ…お茶飲んだらおトイレ近くなっちゃうもん!ズルい!」

梓「あの二人に限ってそんなことないでしょう。想像が意地汚いですねぇ…そういえば高校の頃、せっかくスタジオ借りたのにお茶飲んでばっかで全然練習できなかった〜、なんてことありましたね」



『今度、都合合わせてみんなで集まらないか?久しぶりにドラム叩きたくなってさ』

わたしがメールを送信すると、ものの5分もしないうちに全員から返信がきた。

なんだ。
すっげー簡単だったじゃん。

そうか。
みんな、わたしを待っていたんだ。
わたしがその気になれば、みんなはすぐに集まれたんだ。
肝心のわたしが、わたしだけがそのことに気がついていなかった。

そうだよ、わたしはけいおん部の部長で、放課後ティータイムのリーダーなんだから。



唯「ムギちゃん、やたらと大きなカバン持ってたよね。もしかしてすっごいお菓子持ってきてくれたんじゃ…」

梓「中にスイカが入ってるの、ちらっと見ちゃいました……」

あの頃とは違う。
みんなバラバラで、毎日一緒にいられない。

唯「まさかスタジオでスイカ割り……」

梓「それがわたしの夢だったの〜…なんて」

毎日集まって、
演奏することも、お茶することも、ふざけてじゃれあうことも、できない。


…。

わたしはさ。実はそれほど音楽が好きってわけじゃなさそうなんだ。
毎日ドラムを触っていなくたって生きていける、ってわかっちゃったんだ。
それがなくちゃ生きていけない、ってほど大事なものじゃなかったみたいだ。
うっすらわかっていたことだけど、認めるのはさみしいことだけど、どうしようもない真実なんだ。

こんなわたしがプロになれるわけないじゃん。元からわかってたよ、そんなこと。
そうだよ。本当はプロになりたいわけじゃなかった。

プロになれば、わたしたちの演奏が仕事になる。
バンドで生活していけるようになれば、毎日一緒にいられる。

離れ離れにならずに済む。

ずっとずっと、みんなと一緒だ。
変わらない生活が、そこにあるって思えた。
わたしはずっとこの日常が永遠に続くことを願ってた。

それなのに。

プロになれなくて、
いちばん大事な友達の未来を奪って、
なにより大切にしたかった毎日を自分で壊した。

あのとき、澪に真実を告げなかったとき、わたしは決定的に終わってしまった。
終わっちまったわたしはその罰をずっと背負って生きていかなきゃいけないんだと、
自分で勝手に十字架を背負った気分になって…ああもう、サイテーだ。

カッコつけたわたしがやったことは、澪とムギを傷つけて、放課後ティータイムを壊しただけだ。






あの晩はアパートに泊まって次の日澪のところに戻ると、なぜだか澪は人間の姿に戻ってた。
久しぶりに見る人間の澪はびっくりするくらいキレイで、しばらく唖然としてしまった。

澪『さっぱり理由はわからないんだけど、朝起きたら人間に戻ってたんだ』

………よかった。
身体中の力が抜けて、ヘナヘナと座り込んでしまった。

澪『律も元に戻れたんだな。よかった…よかった…』

泣きながら澪が抱きついてきて、久しぶりに頭を撫でた。

マンドリル2号『ああよかった…よかったよ…』

澪が元に戻れてホントによかった。




いつまでもここにいていい。引越しはやめるから。
澪はそう言ってくれたけれど、わたしはもう心に決めていた。
これからも甘えるわけにはいかないし、それにわたしには帰らなくちゃいけない場所がある。
ずっと待ってくれてる人がいるんだ。

頑張れよ、今度はちゃんと上手くいくよう応援してるから。澪は笑って言った。

なんだ。なにもかもお見通しだった、ってわけかよ。






梓「律先輩、何ぼーっとしてるんですか?ほら、練習再開しますよ」

マンドリル2号「へいへい…でも澪とムギ、まだ戻ってきてないだろ」

澪「なに言ってんだよ。とっくに戻ってきてるよ」

あれ?いつの間に。

マンドリル3号「おまたせ、じゃあはじめよっか」

声が聞こえて振り向くともう一匹のマンドリルが、そこにいた。



ーー美女と野獣、ってどんな話か知ってる?
ーーお姫様のキスで王子様があるべき姿に変わる、って話だよ。





じゃあもし、お姫様が野獣だったら?

どうやらお姫様は、わたしだったみたいだ。

ま、ふたり一緒ならどんな姿だっていいさ。


それにしても暑いな。このスタジオ、冷房効いてるのか?
水筒に入ったムギ特製のミルクティーを口に含む。

よっしゃ、気合十分。それじゃあいくか!

マンドリル2号「ワン、ツー、スリー!」

わたしたちの演奏がまた、はじまった。




おわり。







最終更新:2015年08月21日 22:21