◆◆


――その日目覚めた私が真っ先に目にしたのは、真っ白い天井だった。


「ん……?」


自分が寝ているんだという事はすぐにわかったので、上半身を起こす。
直後から目に入ってくる白を基調とした部屋の色は病室を思わせる。
周囲を見渡してみると、実際私の寝ていたベッドは柵があったりしていつかどこかで見た病室のものと酷似していたし、そのベッドの隣の小さな棚には花瓶が置いてあった。
どうやらここは確かに病室で、私は見舞われる側の存在。それは間違いないらしい。

次に、さっきから目に入っていた別のものに意識を向ける。
別のもの、という言い方は少し酷いかもしれない。私が身体を起こした時から、ずっと心配そうな驚いたような顔で私を見ている、二人の人。


「ゆ、い……?」


メガネをかけた短髪の男性が、私に向かって呆然と口を開く。
その隣で、長めの茶髪の女性が感極まったかのように涙を溢れさせて口元を押さえる。

そして、もう一人。


「んっ……」


私の足元あたりに、うつ伏せて眠っている女の子。
長い黒髪を頭の左右でまとめた、可愛らしい髪形をした女の子。


「あ、梓ちゃん! 梓ちゃん! 起きて!」

「んぅ……へ……?」


茶髪の女性に揺さぶられ、その子が目を覚ます。



「………………」


その子はしばらく眠そうな瞳で私を見つめ続けたけど、数秒か数十秒か経った後に瞳に涙を滲ませ、抱きついてきた。


「良かった…良かった…! 目が覚めたんですね、唯先輩…!!」

「………」


私はその子を愛しく思いつつも、それに返す言葉を持たなかった。
その理由は、とても簡単で単純なこと。

わからなかったから。


「……? ゆい、せんぱい…?」


どうして、私はここにいるのか。
どうして、この子はここにいるのか。
そして――


「……あなたは、誰ですか?」

「……え、っ…?」


キミが誰なのか、私が誰なのか。あの人達は誰なのか。

……全部、わからなかった。




――短髪の男性がお医者さんを呼んできて、長髪の女性がどこかに電話をかけて、私の周囲にはあっという間に人が増えた。


医者「……少し様子を見てみよう。調子が悪くなったらすぐに言いなさい。それまでは皆と話しているといい」

唯「はい……」

梓「………」


私の名前が『唯』であることは、さっきのやりとりで察していた。
あと、私の傍らに寄り添って離れないこの小さな女の子の名前が『梓ちゃん』であることも。

……もっとも、それはわかったところで私にとっては誰も彼も皆『見知らぬ人』であって、怖い相手ではある。
ずっとくっついてるこの子はなんとなく妹のように見えて可愛いけれど、それでも素性がわからない以上、「どうしてくっつくの?」とかは聞けなかった。
周囲の人達にも何を言えばいいのかわからない。私には、この人達が何者なのか予想すらつかない。自分とどの程度の関係なのかさえも。

だから私は、この人達を警戒せざるをえなかった。悪い人には見えない、けど、何もわからない。だからしょうがないと思う。
そんな私に対して、周囲の皆は戸惑いのような寂しがるような表情を見せながらそれぞれ名前だけ自己紹介をしてくれた。
そしてその後、


律「記憶がない、って? 大変だな、唯」


カチューシャをつけた女の子が私に顔を寄せながら軽く言う。
田井中 律さん。この軽いノリだけじゃなくて真っ先に私に話しかけてきたあたりを見ても、ムードメーカー的な存在なのだろうか。


澪「軽く言うなよ……唯本人の不安もわかってやれ、律」


その隣に遅れて並ぶ、端正な顔立ちの黒髪長髪の女の子。
秋山 澪さん。大人びて見えて、ムードメーカーの人につきもののブレーキ役なのかな、と思った。


紬「……唯ちゃん、困った事があったらなんでも言ってね?」


ふわっとした雰囲気を放ちながらも、どこか芯のある優しさを向けてきてくれる金髪気味の上品な長髪の女の子。
琴吹 紬さん。私を案じてくれているのがまっすぐ伝わってきて、どことなく「育ちがいいのかな」なんて思ってしまった。

……皆が皆、口々に私を唯と呼ぶ。身に覚えの無いその名前を、何度も、何度も。


唯「……ありがとうございます。よく思い出せませんけど……心配かけたんですよね? 私」


少なくとも、皆がそれぞれに私を心配してくれていたのは確かだと思ったからお礼を言う。
何も思い出せないけど、この人達は多分、いや、ほぼ間違いなく悪い人達じゃない。
私との関係は、まだわからないけど……



律「……敬語なんてやめろよな。同級生だろ、私達」

澪「記憶がないって言ってるだろ……」

紬「じゃあ、次は唯ちゃん――あなたの事と、そこの梓ちゃんの事、でいい?」


尋ねたのは、その話をしていいか、という意味だろう。
私自身の事も当然気になるし、この梓ちゃんの事も気になるから私はすぐに頷いた。
特に梓ちゃんは、ずっと私の隣にいるのにあれから一言も言葉を発さない。ずっと隣にいてくれる程度には、私に対して何か思うところがあるはずなのに。

私が目覚めた時も、そばにいてくれたのに。
私が目覚めた事を喜んで、抱きしめてくれたのに。

だから私は先にこの子の説明のほうを求めた。澪さんが軽く頷き、言う。


澪「その子は中野 梓。私達の1つ下の後輩で、唯のことを慕っていたよ」

梓「………」

梓ちゃんは俯き、私に顔を見せないようにしながらも私の服の袖を摘んだ。
そういえば私のこの服は病院着…って言っていいのかな、とかどうでもいいことを考えながらも、その行動を可愛いと思った。
年下らしいし、どこか放っておけない子なんだろうか、とさえ思った。けど、


律「……慕ってる、なんて言われたら素直じゃない言葉の一つや二つや三つ、飛ばす奴だったんだけどなぁ」


どうやら実際は真逆の子だったらしい。
それほどまでにこの子が変わってしまったのは……私のせい、なんだろうか。


紬「……そして、あなたは平沢 唯。私たちの、大事な大事な仲間」

唯「仲間……」


そう言われると、記憶はなくても嬉しくなる。真っ先にそう言ってもらえたから余計に。
そして言ってもらえたからというわけではないけど、私のために親身になってくれるこの人達を、私は信じたいと思い始めていた。
早計かな? でも、この人達は疑いたくない。なぜかそんな気持ちばかりが溢れてくる。


澪「私たちは、五人でバンドをしてたんだ。つまり正確に言えばこの五人は軽音楽部の仲間、だ」

唯「軽音楽部…?」

律「そ。軽い音楽って書いてさ、ちょっと略して軽音部。軽ーくお茶飲んでお菓子食べてバンドする。そんな部活の一員だったんだ、お前は。あ、ちなみに部長は私な!」

澪「……いろいろ言いたいけど、今言ってもしょうがないか」


澪さんが不服そうに嘆息する。それを見て紬さんが苦笑する。
なんとなく、こんな空気が日常だったのかな、って思う。この人達の、そして、私の。
でも、記憶の無い私は確かめておかないといけない。一つ一つ、気になった事を。納得できない事を。
決して疑うわけじゃなくて、ハッキリさせておきたいだけ。ついでに何かいろいろ思い出すかもしれないし。


唯「……それ、本当ですか?」

紬「うん」

律「嘘を言うわけないだろ。みんな唯のこと、大事な仲間だって思ってる」

澪「そうだ。そこだけは絶対に――」

唯「あ、いえ、そこじゃなくて」

澪「……ん?」


唯「そんないい加減な部活が、本当にあるんですか?」




――あるらしい。あったらしい。私もしっかり堪能していたらしい。
というか、私はそのお茶とお菓子に釣られて入部したようなものらしい。

とりあえず、私のさっきの言葉にたいそうショックを受けたらしい三人から私とその周囲のことについては1から100までを熱く教えてもらった。
先程から紹介のない、目覚めて最初に私が目にした三人のうちの二人、一回りほど年上の男性と女性。彼らが両親であることも聞いた。病人につきっきりの大人、ということでなんとなく察してはいたけど。
しかし、それ以外の話となると本当に知らない事――いや、忘れた事ばかりだった。


澪「私達は桜が丘女子高等学校の三年生だ」


例えば、私が高校三年生である事。
今はどうも春のようだから受験を控えた学年といっても慌てる必要はなさそうだ。
けど、こうして会話もできて普通に頭も回っているはずなのに自分の年齢に思い至らなかったことは多少ショックだった。


律「ちなみに、クラスにはこんな奴らがいる」


この場にいない周囲の人、クラスメイトとか先生とかの写真も見せてもらいながら説明を受けたけど、誰一人として思い出せなかった。
付き合いの長い短いに関わらず、誰一人として、だ。
これもなかなかにショックだったけれど、どちらかといえば思い出せない事そのものより、縋れる人がいない事にショックを受けていたように思う。
誰か一人でも覚えていれば、その人に助けを求めていたと思うから。それができないという事は、私は一人ぼっちという事だから。
……だから、まずは今周囲にいてくれるこの人達の事を思い出すべきなんだろう。


紬「部活での私達の事も聞く?」


聞く限りでは私は部活ではギターをやっていたらしい。
相変わらず隣にいる梓ちゃんと一緒の楽器を、ベースの澪さんとドラムの律さんとキーボードの紬さんの旋律に乗せて。
ついでに、私はギターに『ギー太』と名づけて可愛がっていたらしい。実感は沸かないけど、名前をつけるのは愛着が沸いていいことなんじゃないかな、とは思う。

さらに――というかこれは完全に余談だけど、そんな説明を受けたり会話したりのうちで何度も律さんに言葉遣いを注意された。
正確には言葉遣いと呼び方、だ。「唯らしくない」とのこと。
言葉遣いは、確かに同級生に敬語はどうかと思うので改めようと思う。でも呼び方はどことなくしっくりこないから「努力する」と答えた。
寂しそうな顔をされたけど、仕方ないと思う。
ここにいる皆が悪い人だとは思わない。けど、私は誰よりも私がわからない。そんな呼び方をする人だったのかなんてわからない。
誰にでもそういう呼び方をする人だったと聞くけど、きっとそれは積み重なった時間が作り上げた『平沢 唯』の人格。
私には――積み重ねたはずの時間を思い出せない私には、『平沢 唯』のような振る舞いは、出来る気がしなかった。


――そして。

語られ通しで時が流れ、カーテンから透ける茜色に染まりつつある白い病室で、もっとも重要な事に私の方から触れる。


唯「――私は……どうしてこんな事になってるの?」


皆が、一斉に口を噤んだ。
さっきまで五月蝿いほどに語り通しだった皆が、一斉に。


澪「………」

律「………」

紬「………ちょっと、待っててね」


しばらくの沈黙の後、紬さんがそっと席を立ち、私の両親の隣に立つ白衣のお医者さんの所へと歩を進めた。
私も他の皆も、それを視線で追うことしか出来なかった。理由は私と皆では違うはずだけど。

二人だけで小声で何かを話し合った後、お医者さんがこちらへと歩み寄ってくる。
少し後ろを歩く紬さんの曇った表情と、そもそも小声で話し合わないといけないような事だという事実が、私の心を重くする。
きっと、かなり言いにくいような事情があるんだろうな。


医者「……平沢さん、君が記憶を失っている理由についてだが」

唯「……はい」

医者「まず先に言っておく。君は信じないだろう。だがこちらとしても言葉を選んだところでどうにもならないのは察して欲しい」


淡々とした大人の男性の物言いが、嫌な予感を倍増させる。
思わず生唾を飲み、しかし次の言葉を黙って待った。
どれほど衝撃的な言葉が発せられるのか、予想すら出来なかったけど――




医者「君は……『魔物』に襲われたんだ」





唯「……は?」


は?


医者「比喩ではなく、『魔物』だ。人は理解の及ばないモノをそう呼ぶ」

唯「え、いや、えっと、そこに疑問を持っての「は?」ではなくですね………つ、紬さん?」

紬「………」

唯「律、さん?」

律「………」

唯「…澪さん」

澪「………」


誰か一人でも「冗談だよ」と言ってくれないかと期待したけど、そんなことはなかった。
皆の沈痛な表情が、固く結ばれた口が、言葉以上に教えてくれている。


唯「……本当、なんですか」

医者「信じられない気持ちはわかる」

唯「………」


もう一度、周囲を見渡す。
でも、誰一人として私の求める顔はしていなかった。


唯「……信じられません。けど、信じないと話は進みそうにないですね」

医者「…そうだな」


「信じられないのも仕方ない」そんな言い方をしてくれるということは、記憶を失って私の価値観までおかしくなってしまった、というわけではないらしい。
少なくとも私の反応は正常で、常識的で、それを承知の上で皆はここにいる。
それなら、信じてみて話の続きを聞くしかない。たとえ『魔物』なんて突拍子の無いものでも。

……『魔物』。一体どんなものなんだろう。
なんとなく四足歩行で首が多い大きな獣を想像して、襲われてよく無事だったなぁ、とか思ったけど、続く言葉でそれは否定された。


医者「その『魔物』は記憶を食べる。いや、医者として正確に言わせて貰うなら、そいつは相手の記憶を消去するんだ」


……また、ずいぶんと胡散臭い。
もっとも、魔物って時点で相当なんだけど。でもそんな胡散臭い事を大真面目にお医者さんが言う、それ自体が信憑性の裏返しのような気もする。
だって、言い換えればそれは、


医者「……君の脳には、いや、身体全てに何の異常も見られないんだ。どうして記憶がないのか、説明が一切つかない」

唯「……頭を打った、とかは?」

医者「それでもタンコブの1つくらい見当たるはずなんだ。あるいは頭をぶつけた形跡が。君が眠っている間、頭は徹底的に隅から隅まで調べた」


琴吹家の協力でね、と付け加える。
紬さん本人はあまり言いたくなさそうだったけど、家がお金持ちであることはさっき聞いた。
いろんな手段と山のようなお金を私のために使ってくれたのだろう。
紬さんの友達思いな面に感動しつつも、申し訳ないな、と思った。いろいろ手間かけさせてしまったことも、紬さんを思い出せないことも。


医者「だから、目撃者の言う通りなんだろう」

唯「目撃者?」

紬「……私達みんなよ。みんなで一緒に学校から帰ってる時の出来事だったの。特に、一番唯ちゃんの近くに居たのは……」

梓「………」


紬さんが、辛そうに視線を向ける。
いまだ私の服の袖を摘んで離さない、私の隣にいる子に。


梓「……ごめんなさい、唯先輩」

唯「梓ちゃん…?」

梓「私は、あなたを護れませんでした……近くにいたのに、すぐ隣にいたのに…!」

唯「………」


大丈夫だよ、こうして命には別状はなかったんだし。
と言おうとしたけど、思い直す。そんな言葉、梓ちゃんの事をカケラも覚えていない私が言っていい言葉じゃない。
梓ちゃんが、私が何かを失ってしまった事を悔いているなら、それが命だろうと記憶だろうと関係はない。
失ってしまった私にどう慰められたところで、梓ちゃんには逆効果だろう。
だったら、私はそれに触れちゃいけない。


唯「……梓ちゃんは、大丈夫だった?」

梓「えっ…?」

唯「怪我とかしてない? 記憶もなくなってない?」

梓「え……だ、大丈夫ですけど……」

唯「よかった。後輩に何かあったら、先輩としてカッコつかないからね」

梓「……っ、で、でも、先輩自身が…!」

唯「梓ちゃんがそうして私の事を大事に思ってくれてるなら、その時の私も梓ちゃんの事を大事に思ってたはずだよ」


今は、生憎覚えてないけど。
でも、きっとそうだったはずだから。


唯「だったら、こういうのはやっぱり年上の人がなるべきっていうか、受けるべきっていうか。そういうものなんだよ、たぶん」

梓「そんな…そんなの……! ダメですよ、そんなのっ…!」

唯「うーん……」


何もわからない私でも、この理屈は間違ってないと思うんだけど。それでも梓ちゃんは納得しないらしい。
後輩にここまで好かれてる…というか心配されるなんて、『平沢 唯』はどんな人だったんだろう。
梓ちゃんを含めた皆がとても仲間思いなのはよくわかるけど、肝心の自分の事がわからない。
……やっぱり、いろいろ不便だなぁ。


唯「……じゃあ、梓ちゃん」

梓「……何ですか…?」

唯「私、頑張るから。頑張ってちゃんと記憶を取り戻すから。それまでは梓ちゃん達に迷惑かけちゃうと思うけど……」

梓「め、迷惑だなんて、そんなっ――」

唯「だから、ひとまずはそれで安心してくれないかな? 自分を責めるのを、やめてくれないかな?」

梓「っ……」

唯「……ね?」

梓「………はい」


渋々といった感じだけど、梓ちゃんは頷いてくれた。
たとえ納得してなくても頷いてくれたから、私は頑張らなきゃいけない。
皆のためにも、私のためにも。
梓ちゃん達皆を心配させたくないし、何より自分の言葉に嘘はつけないよね。



律「……ありがとな、唯」

唯「えっ?」


急に名前を呼ばれ、何の事だろう、と思いながら律さんの方に目を向ける。
律さんは、私のそんな視線を受け止める前も受け止めてからも変わらず、どこかスッキリした笑顔をしていた。


律「梓を助けてくれて、私達を助けてくれて、さ」

唯「助ける…?」

律「……梓が一番だったけど、私達もそれぞれ、どこかで自分の事を責めてたんだと思う。いや、正直今でも責めてるんだろうな」

唯「………」


助けた覚えはない、けど、律さんの言ってる事はわかる。
律さん達も、近くにいながら私を護れなかった事、それを責めてるんだろう。梓ちゃんのように。
そこまで想われているのはやっぱり嬉しいけど、当時の状況のわからない私には当たり障りのない事しか言えない。


唯「しょ、しょうがないよ、『魔物』だなんて。私だったら怖くて動けないだろうし……」


『魔物』がどんな姿形、大きさなのかはわからないけど、要は『見たこともない怖いもの』なんだと思う。
普通ならそんなものを目の前にしたら動けなくなると思う。普通なら。


唯「普通なら……」


――言っていて、違和感を自分で抱いた。

記憶のない私の『普通』とは、何なんだろう。
記憶のない私には、この『普通』という感覚が、本当の意味で普通である確証なんてない。
それにそもそも、記憶がないのに普通を普通と認識できるのもおかしい。
日常生活に支障をきたさない記憶喪失もある、とどこかで聞いたような気もするけど、それがどこかも思い出せないのに。

急に、不安になる。
記憶がないというのは、こんなにも怖いものなんだ。
自分を支える足場がないというのは、こんなにも不安定なものなんだ。
私がどんな過去の上に成り立っているのか、それがわからないっていうのは。

私の『普通』は、この世界においての『異質』である。そんな可能性だってあるんだ。

……そんな不安に溺れてしまった私を、律さんが気遣ってくれた。


律「……何か、思い出したか?」

唯「……ううん。そういうわけじゃないけど……」

律「……記憶がないのが、怖い?」

唯「!?」


心でも読まれたのかと思うくらい、的確に見抜かれた。
この人……適当そうに見えたけど、実は鋭い?


律「ま、怖くても怖くなくてもどっちでもいいんだけどさ」


……やっぱり適当なだけかもしれない。


律「普通なら怖いだろうと思うから言ってみたけど、私達の知る唯なら怖がりそうにはないなーとも思うんだ」

唯「そんなキャラだったんだね、私……」

律「まあまあ。どっちにしろ、私達としては唯に記憶を取り戻してもらいたい。そこは変わらないから」

唯「………」

律「だから、梓を慰めるためとはいえ、唯が自分からそれを言ってくれた時はすごく救われた気分になった」

唯「あ……」

律「私達は、唯の記憶を取り戻す手伝いができる。それがすごく嬉しいんだ」




「最初からそのつもりではあったけど」と付け加え、照れくさそうに頬をかく律さん。
その隣に座る澪さんと、そのまた隣にいる紬さんも、律さんに続いて言葉を発してくれた。


澪「……あと、記憶がなくても唯は梓を大事な後輩と見てる。それも嬉しかったな」

唯「澪さん……」

紬「ちょっとだけ、軽音部が戻ってきた気分になっちゃった」

唯「紬さん……」


「だから、記憶を取り戻す手伝いをさせて欲しい」と、皆はそう言った。
隣の小さな可愛い後輩も、小さく、でも確かに頷いてくれた。

記憶を失ってしまった立場の私としても、それはとても嬉しかった。
記憶を取り戻したい、そんな気持ちを応援されたということだから。
皆の事を覚えてなくて申し訳ない、そんな気持ちが逆に頑張ろうという気持ちに置き換えられていくようだった。
もちろんさっき感じた、記憶がない事に対する恐怖、それはまだ胸の中にある。でもそれもだいぶ薄れた気がした。
皆のおかげで。仲間達のおかげで。


唯「……ありがとう、みんな。私、頑張るよ」


……うん、やっぱりこの人達は、仲間なんだ。私の。とっても大切な。



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最終更新:2015年09月23日 21:30