唯「――そういえば」


なんとなく、一通り目指すところが決まった私達は会話の余韻に浸っていたんだけど、ふと思い出した事があったので聞いてみることにする。
心地いい沈黙を破るのは少し気が引けたけど、さっきの会話の途中で疑問に思った事だったから早いうちに聞いておきたかった。


唯「みんなの見た、魔物の外見ってどんなのなの?」


……けど、その判断をすぐに私は後悔した。

まず真っ先に、隣の後輩が震えたから。
そして、皆の顔が一斉に曇ったから。

『普通なら魔物なんて怖いだろうし』という考えから、そういえばどんな外見だったんだろう、外見からして怖かったのかな、と思っただけなんだけど。
怖い外見なら思い出したくもないに決まってるし、それに……


梓「……思い出したく、ないです」


梓ちゃんが、震えながらそう言う。他ならぬ梓ちゃんが。その時私の一番近くにいた梓ちゃんが。
それはつまり、魔物の『外見』のこと――だけじゃない、と私は解釈した。

梓ちゃんが誰よりも悔いている『光景』のことも、思い出したくないんだ。

魔物の外見を思い出そうとして、連鎖的に思い出してしまうであろう、その場に私もいたはずの光景。
他ならぬ私の口からそれを思い出させかねない事を尋ねてしまうなんて、無神経にもほどがあった。
周囲を見渡すと澪さんも震えていた。あのしっかりした澪さんまでもが震えていたんだ、やっぱりこれは、聞くべきじゃなかった。


唯「ご、ごめんねみんな。変なこと聞いちゃったね」

律「ん……いや、まー、変なことじゃ……ないんだけど……」

紬「そこに興味を持つのは当然のこと……なんだけど……」

唯「で、でも、いいよ今は。聞かないよ」

律「……そうしてくれると助かる」

紬「唯ちゃんは魔物の事なんて気にしなくていいから。ね?」


記憶を取り戻す事だけに専念してていいよ、と紬さんは優しく言う。




紬「そっちは私達に任せて。ここにいれば安全だから」

律「記憶が戻るまでゆっくり休んでりゃいいさ」


でも、その優しい言い方の中に少しだけ引っかかるものがあったのも、事実。


唯「……任せて、って、何かアテでもあるの?」

澪「……ま、色々と。唯は何も心配しなくていい」

律「お、やっと復活した」

澪「……うるさい。とにかく、大丈夫だから、唯」


相手は怖い『魔物』なのに、ずいぶんと頼もしい言い分だなぁ、と思った。ずいぶんというか、不自然なほどに。
「ここは安全」と言い切るところも。何かしらの根拠があるんだろうか。
あと話の流れ的に、記憶が戻るまで私はここから出られないのかな? 学校の出席とかも大丈夫とは思えないんだけど、そこも気にしなくていいという意味ならこれもまた妙な方向に頼もしい。
でも紬さんはお金持ちらしいし、何かいろいろ出来てもおかしくないのかな。他の皆はわからないけど……


梓「……私が、そばにいますから。何も気にせず、記憶のほうに専念してください」

唯「ん…それは嬉しいけど、でもみんなは大丈夫なの?」

澪「私達の心配より自分の心配を、だ。記憶、ちゃんと戻ってくれないと困るんだぞ?」

紬「私達なら大丈夫。ちゃんと毎日お見舞いにも来るから、ね?」

唯「……うん、わかった」


「毎日顔を出す」ということは、転じて「無茶はしない」と言っているに等しい。
それくらいはわかるから、私は素直に頷く事にした。
『魔物』に対しても、それ以外――例えば私がさっき気にした学校の出席とか――に対しても、私が心配するような事にはならないように立ち回る、と。
頭の良い澪さんと紬さんが言うんだ、それくらいの含みはあるはず。
記憶がないから深くは聞けないけど、信じようと思う。信じて自分の事に専念しようと思う。
記憶が戻れば、聞きたい細かい疑問も思い出せるはず。例えばさっき気になった『魔物』の外見とか。
だからやっぱり、私は自分の事を優先すべきなんだ。

……と、ここまでが私なりに皆の事を見て考えて出した結論だけど、でも少し不安もある。

頭の良い(と聞いた)澪さんと紬さんは、多分大丈夫。
律さんは幼馴染(と聞いた)の澪さんが目を配っておくだろう。
問題は……


梓「……?」


問題は、この子。
学年が違うからここにいる誰かが常に目を光らせておくことも出来ない、それでいて厄介な事に誰よりも自分を責めている、梓ちゃん。
誰よりも自分を責めているから、誰よりも私の力になりたがるであろう、梓ちゃん。
「そばにいる」と言ってくれた、梓ちゃん。
それ自体はとても嬉しくて、とても安心できるものなんだけど……


唯「……梓ちゃん、学校とかちゃんと行くよね?」

梓「行きますよ。大丈夫です、心配しなくても」

唯「……本当に?」

梓「………」

唯「…………」

梓「……さ、最低限」


……ふ、不安だ……




――それから少しだけお父さんお母さんとも他愛のない話をしたけど、思い出せた事は無かった。
でもなんとなく落ち着くのは、やっぱり家族だからかな、とは思えた。
両親とも寂しそうではあったけど、それでも皆と同じように笑ってくれた。それだけで私の決意を後押ししてくれているような気がしたんだ。

……そうして一通りの会話が落ち着いた頃、再びお医者さんが口を開いた。


医者「……そろそろ休憩するといい、平沢さん。記憶を取り戻すためとはいえ、あまり急いでも良いことはないよ」

唯「あ……はい」


「休憩」とは言うけど、要は「そろそろ解散しろ」という事だろう。
お医者さんという立場上、一人の患者につきっきりというわけにもいかないだろうし、そもそも時間も普通に押してきている。
皆もそれをわかっているのだろう、荷物をまとめて帰り支度を始め始めた。


梓「………」


……この子以外は。


律「……ほら梓、帰るぞ。また明日だ、な?」

梓「……私は、残ります」

律「まーそんなこと言うだろうって気はしてたよ」

梓「そうですか、すごいですね」

律「……そーじゃないだろーがぁぁぁぁー」ギリギリ

梓「ぐえぇ」


おお、チョークスリーパー。
格闘技の記憶もちゃんとあるんだなぁ、私――じゃなくて! そんな乱暴なことしちゃ可哀想!

……と、少しだけ思ったけど。行動にも言葉にも、多分顔にも出てなかったと思う。
梓ちゃんが言うほど苦しそうじゃなかったのとか、むしろ多少嬉しそうだったのとか、律さんも本気じゃなさそうだったのとか、他の皆もなんとなく微笑ましそうな顔をしていた気がしたとか。
そんないろんな理由があって、ほんの一瞬で私も真に受けるのをやめた。むしろ安心した。

……もしかしたら、前にも何度かこんな光景を見たのかもしれない。そんな感じの安堵感があった。


唯「…でも、やっぱり家には帰らないと梓ちゃんのお母さん達も心配するんじゃない?」

梓「それは大丈夫です」

唯「……なんで?」

梓「家に帰らなかった事も、一度や二度じゃないですから。ちゃんと連絡さえすればわかってくれます」


うわー、梓ちゃん不良だったんだ。
……なんて意味じゃないのはわかってる。梓ちゃんと一緒にいた時間も多いだろう私の両親に顔を向けると、困ったように笑いながら頷いた。


唯「……ありがとう、梓ちゃん。ずっと心配してくれて」

梓「いいんです。私が自分で望んだ事ですから」


その心配は、とても嬉しい。嬉しいし、ありがたいこと。甘えたくなるほどに。
でも、そのまま甘えて梓ちゃんの意見を通していいかと言われるとわからない。

目が覚めたのにも関わらず以前と同じように心配をかけ続けるなんて、梓ちゃんのご両親にも申し訳ない。
私自身としても、私の両親としても、きっと。
それに、梓ちゃん自身はああ言ったけど子供を心配しない親はいないと思う。記憶はなくても、それは言い切れる。

それでも、隣にいてくれるなら嬉しい私もいる。
記憶が無いからだと思うけど、こうやって自分に甘え、慕い、心配してくれる人がいると、なんというか……前を向ける。
この子のために頑張ろうって思えるし、頑張っていいんだって思える。
何も覚えてないのに、私はここにいていいんだっていう根拠が1つ出来るんだ。



唯「でも、ね」


でも。
やっぱり過剰に甘えてはいけないんだと思う。
この子がそういう気持ちを持ってくれている、それだけで充分なはずなんだ、本当は。
ずっと心配をかけてきたのに、突き放すような事を言うのは心苦しいけど、それでも、この子の時間をこれ以上私が奪っていい理由はどこにもないんだ。
たとえ梓ちゃんが自ら捧げたがっていたとしても、少なくとも私はまだ、それを受け入れちゃいけないはずなんだ。
今まで計り知れないほどに心配をかけ、時間を奪ってきた私だからこそ……


唯「やっぱり最初くらいは、自分で頑張ってみるよ。梓ちゃんも、今日くらいはゆっくり休んで欲しいな」

梓「……そう、ですか……」


私自身の力でどうにもならない時には、素直に甘え、頼ろう。
どうしようもない時にまでこの子の気持ちを無碍にする理由は、さすがにどこにも全くない。
……そういう意味を込めての「最初くらい」「今日くらい」だったんだけど……


梓「じゃあ、明日は泊まっていきますね」

唯「えっ」

梓「唯先輩は知らないかもしれませんが、明後日は週末、休日です。学校もないので帰る理由もありません」

唯「いや、えっと、だからお母さん達が心配するって」

梓「それを今日一日でなんとか説得してこい、という意味ですよね?」

唯「絶対違うよ!?」

紬「唯ちゃんがツッコんだ……」


紬さんが目を丸くしていたけど、私の方こそ梓ちゃんの意外な強引さに目を丸くしたいくらいだよ。


律「いいじゃんか唯。明日の事は明日考えようぜ」

唯「律さん……さっきは梓ちゃんを止めてくれたのに……」

律「こいつ、前から変に頑固なところはあったからなー。特に唯に対しては」

紬「でも、さっきまでみたいな俯きながらの頑固さじゃなくて、ちゃんと前を見ての頑固さならそこまで否定はしたくない。ってことでしょ? りっちゃん」

律「ん、まあ、そんな感じ……」

唯「………」


律さんが少し、照れたように視線を逸らす。
なるほど。今にこだわらず、明日という前を向いた発言を梓ちゃんが出来たのは律さんのおかげ、って事なんだね、紬さん。
もっと言えば、私の言葉を梓ちゃんが素直に受け入れてくれたのも、直前に律さんが作った空気のおかげ、ということ。
さすがは部長さんだね、律さん。


澪「……あぁそうだ、その梓の話にも繋がるけど、週末は私達以外にもお見舞いに来てくれる人がいると思うから」

唯「…さっきの写真の人達?」


クラスメートとか幼馴染とか、いろんな人が写ってた写真。
誰一人として思い出せなかったけど、実際に会ってみれば少しは違うかもしれない。
記憶を取り戻したい、そう強く願い始めた私にとって、澪さんの言葉は非常に嬉しいものだった。

でも。


医者「あー、すまないが、しばらくは経過を見ないといけないからあまり多くの情報を与えるのは止めてもらえると助かる」

澪「えっ……そんなっ!」

唯「………」

医者「前例のない事なんだ、わかって欲しい。『ただの記憶喪失』とは違うんだ」

澪「…でも…」


梓「……念には念を入れて、ゆっくりやろう、ということですか」

医者「……記憶喪失で日常生活に支障をきたす人もいるんだ。そうならなかった不幸中の幸いを、手放すような事はあってはならない」

紬「…慎重にならざるを得ない、というのは、わかります。ね、澪ちゃん?」

澪「……うん」

律「記憶を取り戻したいのは唯だって一緒なんだ、しっかりしろ」

澪「……そうだな。ごめん、唯」

唯「い、いいよ、私は大丈夫だから」


自分の言った事が否定された悔しさ、みたいなのもあったんだろう。
私や梓ちゃん以上に食ってかかって、否定されて落ち込んだ、そんな澪さんの姿は見ているほうが心苦しくなるようなものだった。

でも、そこにもうひとつ理由があったことを、私はすぐに知る。


澪「……和、会わせてやりたかったんだけどな」

唯「のどか?」

律「あぁ、唯の幼馴染だ。今までは毎日お見舞いに来てたんだけど、よりによって今日だけは都合が悪かったらしくて」

紬「澪ちゃんとは去年同じクラスだったのよ。そのぶん私達が離れちゃったけど」

唯「へー……会いたいな、私も」


幼馴染と聞いては、自然とそう思ってしまうのも仕方ないと思う。
澪さんだって幼馴染を差し置いて自分達だけ会える、という事実に負い目を感じているからこそ、さっき食い下がろうとしたんだろうし。


紬「……先生……」

医者「……大丈夫、そう長い間じゃない。何も異常が無ければ来週頭くらいには会わせてあげられる」

澪「ほ、本当ですか!?」

医者「もちろん。ただしその代わり、それまでは連れてこないこと。平沢さんに見せるために持ってくるであろうものも検閲させてもらう。構わないね?」


『情報』というのは、単に人だけじゃなくって物まで及ぶらしい。
考えれば当然ではあるんだけど、あまりいい気分のするものじゃない。
それに、理屈がわかっても澪さんの感じている負い目が消えるわけでもない。みんな大丈夫かな…?


澪「……和には、私から話しておくよ」

紬「……じゃあ、この条件を呑む、ということ?」

澪「和も会いたがってるとは思うけど、これが唯の身のためだというなら……いいよな? 律」

律「というか、医者の先生の言う事なんだし従うしかない気もするけどな。私は別に異論はないよ」

唯「……ごめんね、みんな」

澪「唯が謝る事じゃないさ。何度も言うけど、記憶を取り戻す事だけに集中してくれ」


……澪さんがかっこよく見える。
多分、実際にいろんな人から慕われる人だったんじゃないかな。そんな気がする。


唯「澪さん頼もしいねー。後輩とかからも人気あったんじゃない?」

澪「なっ……///」


なんとなく確信を持って言ったその言葉に、澪さんは意外にも顔を赤くしていた。
……かわいい。

でもその一方で、その「後輩」である梓ちゃんは、何故かなんともつかない表情をしていた。



唯「……どうしたの? 梓ちゃん」

梓「ん、いえ……」

律「まー、唯は覚えてないんだろうけど同じ軽音部の梓からすれば頷きづらいよ。澪はギャップ萌えタイプだから」

澪「そんな言い方するなよっ!!」

唯「ギャップ萌え?」

紬「パッと見は大人の女性って感じだけど、中身はとっても乙女なの」

澪「ムギ!?」


あー、さっきの赤面みたいな可愛い面を持ってるってことかな。
……もしかして、さっき魔物の外見を尋ねた時に震えていたのも、人一倍怖がりだったってこと?
あまりそういう面が見えてしまうと後輩からは素直に尊敬できない…のかな?


梓「……確かに最初の印象とは随分変わりましたけど、それでも澪先輩は尊敬できる先輩ですよ」

澪「梓……」

梓「澪先輩だけじゃなくて、みなさん、それぞれ最初と印象こそ違えど尊敬できる点を持ってる人達です。……もちろん、唯先輩も」

唯「そ、そうなの? 覚えてないけど……」

梓「そうなんです」

律「……ははっ」

紬「ちゃんと思い出してあげないとね、唯ちゃん」


……うん。責任重大だよね、ホント。




――そうして解散となり、お父さんとお母さんを残して皆は部屋から出ていった。
病室には家族三人だけになったけど、ついさっきお医者さんに釘を刺されたからだろう、家族らしく昔話を……という展開にはならなかった。
でも、私が眠るまでずっとそばにいてくれた。不安なら明日も明後日も、いつまでもいてくれると言ってくれた。
そして、私から伝え聞いていたらしい私の友達の素晴らしさも、私に伝え返してくれた。

この人達のしてくれること全てが、私の中の不安を溶かしてくれる。

一番不安なはずの、初めての何もない夜を何事もなく過ごせたのは、確かに『家族』のおかげだった。



◆◆


――翌日。土曜日らしい日の、朝。


梓「おはようございます、唯先輩」

唯「早いよ!」

梓「? ですからおはようございますと言ったじゃないですか」

唯「そういう意味じゃないよ! っていうかまだ朝の7時だよ!? こんな時間から面会できるの!?」

梓「出来てるじゃないですか、こうやって」

唯「………まあ、うん」


……うん、そうだね、そう言われるとその通りだね。

もっとも確かに、昨夜はお父さんお母さんもここに泊まっていってくれたわけだから、そういうところは緩いのかもしれない。
あくまで私の悪いところは頭の中、記憶だけであって。だから伝染とか感染に気を遣って人の流出入を制限することはしないのかな、と思っておくことにした。
素人考えだけど、そう考えると辻褄は合う。
それでもお医者さんは昨日言った通りなら梓ちゃん達の手荷物とかを検閲しなくちゃいけないはずだから、朝も早くから少し気の毒だけど……
一方でお父さんとお母さんはニコニコしながら梓ちゃんにお礼を言ってる。なんとなくだけど、私の両親はのんびりした人なんじゃないかな。
……でも、うん、梓ちゃんが心配してくれるのは、確かに嬉しいんだよね、私自身も。



唯「……おはよう、梓ちゃん」

梓「……はいっ、おはようございます」


言って、二人で顔を見合わせて少し笑った。


唯「……ところで梓ちゃん、その袋は?」

梓「朝ご飯です。コンビニで買ってきました」


袋から取り出したのは確かにコンビニで売ってそうなサンドイッチ。美味しそう。
結構沢山あるけど……誰の分だろう?


梓「唯先輩のじゃないですよ。入院患者にはちゃんと健康を考えられた食事が病院から出るんですから」

唯「わ、わかってるよー。確かにお腹は空いてるけど……」

梓「我慢です。……はい、どうぞお好きなのを取ってください」

父「ああ、ありがとう」

母「明日は私達が持ってくるわね」


……ああ、なるほど。お父さんお母さんの分か。
っていうか、そのやり取りはどういうこと…?


母「三人で唯につきっきりだから、梓ちゃんと私達で一日交代で食事を準備することに決めたの」

梓「そういうことですから私はお昼頃にもまた席を外しますが……でもこの病院、コンビニが中にありますからそう時間はかかりませんよ」

父「本来なら大人が準備するべきなんだろうけどね。梓ちゃんが頼りっぱなしは嫌だ、って」

唯「そっか……」


きっと梓ちゃんはしっかりしているというか、責任感が強い子なんだろう。
私の事に関しても誰よりも思い詰めているように見えたし。

もちろん、他の皆がそんなに責任を感じていない、という意味じゃなくて。
心配してくれていたのは話せばすぐにわかった。でも梓ちゃんは話す前からわかった。それほど目に見えていた、ということ。
事情を知った今にして思えば、だけどね。

私の時は自分を責めすぎているようにも写ったけど、私の両親とは上手い関係を築いているらしい。その責任感で。
……いい子だよね、梓ちゃんは。


唯「……ん? 梓ちゃん、それは?」

梓「……たい焼きです。デザートというか、食後のおやつに、と」

唯「へー。好きなの?」

梓「……はい」


少し、表情を曇らせて。


梓「……やっぱり、思い出しませんか?」

唯「………一緒に食べたりしたのかな、私も」

梓「……はい、一緒にいました」

唯「……ごめん」

梓「いえ、いいんです。期待してなかった……と言えば嘘になりますけど、唯先輩のペースでやってくれればいいんですから」

唯「……うん」



梓ちゃんが正直に吐き出したその言葉の中には、私を責める言葉は一切無い。私が申し訳なさに心を痛める言葉こそあれど、梓ちゃんはそんな意図を一切持っていない。
だから私は頑張らないといけない。痛みに落ち込むのではなく、責められない事に楽観するのでもなく、ただ、自分自身と皆の為に頑張るだけ。
頑張って、何があっても頑張って、記憶を取り戻す。それだけなんだ。

とはいえ、一口に「頑張る」と言っても何をどうすればいいのかはわからないんだけどね。
気持ちだけで記憶が戻るなら、世の中の記憶喪失の人はそんなに苦労なんてしてないはずだし。


唯「……何か、記憶を取り戻すのに効果的な方法とかないのかな」

梓「……お医者さんの先生のほうが詳しいはずですから、そちらに従う他ないと思います。荒療治は出来ません」

唯「……ちょっと意外だなぁ」

梓「はい?」

唯「ううん。大したことじゃないんだけど、昨日の澪さんみたいな必死さは、梓ちゃんはあんまり見せないよね、って思って」


もちろん嫌味みたいな意味じゃないよ、と付け加えておく。
梓ちゃんも澪さんも心配してくれているのはとても伝わってくるし、昨日の澪さんはそれに加えて和さん?という人の件もあったわけだし。
それでも、いつもずっと隣にいて目覚めるのを待ってくれたという梓ちゃんが、こうして朝早くから押しかけてくるほどの梓ちゃんが、頑張ろうとする私を律するような事を言うのが意外だった。


梓「……唯先輩の身にまた何かが起こってからでは遅いんです。もう二度と、あんなことがあってはいけないんです」

唯「あ……」

梓「私の目が届く範囲で、何よりも安全第一でやっていってもらわないと困るんです……」


ああ、そっか。
それほど心配していて、悔いている梓ちゃんだから。責任を感じていて責任感が強い梓ちゃんだから、誰よりも慎重なんだ。
記憶の無い私が昨日と今日だけで見えた範囲で出した答えだけど、多分間違ってないと思う。
梓ちゃんの声が、表情が、何よりも物語っている気がした。
……馬鹿なこと言っちゃったなぁ。記憶を失ってない私だったら、こんな質問はしたりしなかったのかな……

……他の皆とも、もっと話さないといけないよね。
昨日だけでも、澪さんが友達想いな一面を見せたり、意外にもそんな澪さんを嗜めるような律さんの一面を見たり、そんな感情が渦巻く中で話を円滑に進めようと努力をしていた紬さんの面倒見のいい一面が見れたりしたんだ。
もっともっと、皆の事を知らないといけない。私を想ってくれる仲間の事を。
それはきっと、記憶を取り戻す事にも繋がるはずだから。


梓「唯先輩、決して無理はしないでください。唯先輩の身は、唯先輩だけのものじゃないんです」

唯「……そうだね。みんな、すごく心配してくれてるもんね。これ以上心配なんてさせられないよ」

梓「……ありがとうございます」


そんな会話をしていると、ふと視線を感じたので目をやってみる。
というか、そんな大仰な言い方しなくてもこの部屋にはあとはお父さんとお母さんしかいないんだけど。
でも、少し寂しそうにこちらを見て笑っていたのが気になった。


唯「……どうしたの?」

父「……いや。話に聞いていた通り、仲良いんだなぁ、と思ってさ」

母「私達はお仕事であまりかまってあげられなかったけど、それでも唯はいつだって楽しそうだった。あなた達のおかげね、梓ちゃん。ありがとう……」

梓「いえ……私一人が理由じゃないですから、そんな、頭を上げてください」

父「それでも、君もその一人であるのは確かだから」

母「ありがとうね」

梓「っ……あ、ご、ご飯食べましょう、朝ご飯! ほら、丁度唯先輩の分も運ばれてきましたし! みんなで食べましょう! ね?」

唯「……ふふっ」

父「…ははっ」

母「あははっ」


梓ちゃん、すっごい照れてる。可愛い。
お父さんたちの表情のようにどこか寂しい一面を覗かせかねない会話だったけど。照れ隠しの梓ちゃんの反応で、そんなものは吹き飛んでしまった。



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最終更新:2015年09月23日 21:31