唯「……よかった」
原因となった身が言うのは凄く自分勝手、身勝手な言い分だけど、それでもよかったと思う。
やっぱり、笑っていて欲しいよ、皆。
◆
――四人で朝食を食べて少しした頃、他の皆もやってきた。
ちなみに、一応皆は梓ちゃんの意思を尊重しているらしく、この行動を前々から知ってはいるものの「ご両親が良いと言えば」と特に責めはしなかった、とこっそり聞いた。
記憶の無い私でもなんとなく予想は出来るから、特に疑問も抱かなかった。
澪「さて、唯」
唯「う、うん」
澪「改めて言うよ。私達に、記憶を取り戻す手伝いをさせてくれ」
唯「…ありがと、みんな。よろしくお願いします」
許可を求める澪さんと、ただお礼を言って頭を下げる私。
これでいいんだと思う。言葉はどちらも本心だけど、それを今告げること自体はただの通過儀礼でしかないはずだから。
紬「ところで、先生」
医者「……うん、今日の荷物は写真ばかりだったね。検閲させてもらったけど問題ないだろう。私は離れるが、何かあったらすぐに呼んでくれ」
澪「はい」
父「ありがとうございます」
写真の入ってるらしい手荷物を紬さんに渡し、お医者さんは病室を後にした。
紬さんは渡された手荷物を大事そうに抱えたままこちらに歩み寄ってきたかと思うと、それを何故か澪さんに手渡した。
受け取った澪さんがいそいそと準備しているのを尻目に、律さんが私にこっそりと近寄ってきて耳打ちする。
律「……お前に見せる写真を選んだの、澪なんだよ」
唯「……そう、なんだ」
律「「私に選ばせてくれ」って、真っ直ぐな眼差しでさ。……あいつなりに、出来る事を全力でやりたかったんだろうな」
幼馴染としての理解と優しさを見せる律さん。
その温かい眼差しが見つめる相手と眼差しの主を私の視線が往復した時、主は「あっ」と何かに気づいた声を小さく上げた。
律「といっても、唯がそれをプレッシャーに感じる必要はないからな?」
唯「…ありがと。大丈夫…って言えるほど友達の気持ちを軽く受け止めるつもりもないけど、無理はしないから」
律「そうか。まー梓がついてるし大丈夫かな? 澪についても熱意が変な方向に向かいそうだったら私が止めるし」
唯「律さんって暴走する側かと思ってたけどそうでもないんだね」
梓「いえ、その認識で大体あってますよ唯先輩」
律「なぁ梓よ、私はお前を信頼してるぜーみたいな事を言ったのになんでお前はそういう感じの事しか言ってくれないんだ」
唯「そもそも耳打ちで会話してたはずなのになんで梓ちゃんが割って入ってくるの」
梓「耳打ちされている唯先輩の反対側の耳から会話を盗み聞きしてたからです」
唯「こんなにピッタリとくっついちゃってまぁ」
律「隠れるつもりの一切無い盗み聞きだな」
梓「えへっ☆」
澪「……なぁ漫才トリオ、本題に入っていいか?」
いつの間にか眼前に立っていた澪さんに律さんが脳天直撃の一撃をもらった後、澪さんはまず、昨日と同じようなクラスメイトの写真を見せてくれた。
律「なんで私だけ……」
だけど、昨日と何も変わらず私の記憶は応えてくれない。
唯「……ごめん」
澪「……慌てなくてもいいって。あ、ちなみにこの子が和だ」
澪さんのスラリと長くて綺麗な左手の人指し指が、赤い眼鏡をかけた女の子を指し示す。
澪さんは左利きなのかな? とか少しだけ思ったけど、それよりもまずはその女の子をよく見ることにする。
紬「和ちゃんは一年の時も唯ちゃんと同じクラスだったんだけど……」
……和さん、か。
私の幼馴染で、一年の時も同じクラスで、今も同じクラス。
そう言われると、何度も言われると、昨日に比べて落ち着いている今なら、なんとなく、
唯「……昨日はわからなかったけど、今はなんとなく、懐かしい感じはする……かな?」
澪「本当か!?」ガバッ
澪さんが興奮気味に私の肩を掴む。そこに込められた力の強さは、私の言葉に澪さんが見た希望の量と比例するのだろう。
つまり、私がそれを痛く感じるなら、さっきの発言は軽率だったということ。
なんとなくじゃダメなんだ、全然ハッキリとはしてないんだから変に期待させる事を言っちゃいけなかったんだ。
唯「あ、で、でもなんとなくだし……同じクラスで何したかとか、そういうのも全然思い出せてないし……その」
澪「…あ……ごめん、急かすつもりはなかったんだけど」
唯「……ううん、私こそごめん。ちゃんと思い出すまで言うべきじゃなかったんだ」
紬「……あまり、私達がいろいろ言うのも良くないのかな。そういうイメージが先に固まっちゃうのかも」
唯「…あ、でも、詳しくは全然思い出せないけど、それでも確かにこの子だけは何か違うような気はするんだ。見ててホッとするっていうか……」
軽率な発言だったけど、そこだけは本当だと思いたい。
そう思いたがっているのは、意外にも私だけじゃなかったようで。
律「幼馴染だからなぁ。たとえ憶えてなくても感じるものがある、とかか?」
澪「そういうものがあると思いたいな」
律「まったくだ」
そう言って微笑みあう幼馴染同士。
紬さんはそれを少し遠巻きに微笑みながら見ていて、私の両親はまた少し違う笑みで私を見ていて、梓ちゃんは……
梓「昨日もお医者さんの先生が言ってましたけど、来週には会えるはずです、和先輩とも」
唯「……うん」
梓「会うことでなにか思い出せるといいですね、唯先輩」
唯「うん、ありがとう」
梓ちゃんはただ、私を心から心配してくれていた。
◆
律「――ここまで、和の件以外特に進展はなし、か」
唯「ごめんね……」
律「いいって。な? そうだろ澪?」
澪「ああ。本命は『こっち』だからな」
そう言って、澪さんがさらに写真を取り出す。
どうやら写真は二つのグループに分けられていたらしい。
先の括りの写真を見てて、確かに疑問に思ってはいたんだ。
それらはどれも集合写真のような、なんというか襟を正して撮るような写真がほとんどだったから。
そうでないものも体育祭とかのような校内イベントの写真。……一言で言ってしまえば、卒業アルバムに載るような写真ばかり。
おそらく今から見せてくれるのは、それよりもっと私的な、個人的な写真。
そしてきっと、校内イベントのはずなのに何故か無かった学園祭の写真もあるんじゃないかな、と思う。
澪「……さ、唯、どうぞ」
唯「…ありがと」
意図的にそうしたのかはわからないけど、先程まで見ていた写真達と同じくらいの量を手渡される。
上から順にめくっていく。さっきの写真もだけど、おそらく澪さんの手によって丁寧に時系列順に並び替えられていてわかりやすい。
登校風景、部活中、どこかのビーチのような場所などなど様々な場所に私と皆が写っている。今この場にいる皆と、枚数は少ないけどさっきも聞いた和さんもいた。
唯「そういえばこの人は?」
先程までの写真でもたまに見かけた、眼鏡をかけた長髪の大人の女性を指差し、尋ねる。
先程の写真でも見かけていたからクラス関係者なのかと思いきや、個人的なはずのこちらの写真にも数枚写り込んでいる。
律「あー、さわちゃんか。説明してなかったっけ?」
唯「さわちゃん?」
紬「
山中さわ子先生。軽音部の顧問で、今年の私達の担任でもあるの」
澪「ちなみに担当教科は音楽」
唯「へー、どうりでどっちにも写ってるんだね」
父「何度か話した感じでは、とてもいい先生のようだったよ」
基本的に傍観の構えだったはずの両親が、さわ子先生の話に珍しく口を挟んだ。
同じ大人同士、何か思うところがあるのかな……と思っていたけど、少し考えて思い直す。
「何度か話した」に含まれるシチュエーションは、当然、私の件に関する時も含まれるはずだから。
担任として、顧問として、私の身を預かっていた立場であるさわ子先生は、私の両親に対する事情説明の義務があるはず。
事情説明というか、簡単に言えば頭を下げる責任が。下校途中の出来事だったから学校側の責任は少なくなると思いたいけど、詳しい事はわかるはずもなく。
そもそも両親から見れば「娘が学校から帰ってこない」に尽きるんだ。学校側にぶつけたい言葉は多々あるだろう。
そんな中に頭を下げに行き、両親を納得させるどころか「いい先生」とまで思わせる。
そんな事が出来るさわ子先生というのは、とても凄い人なんじゃないだろうか。原因が『魔物』という理不尽なものであるというのを差し置いても。
律「騙されちゃいけませんよー。あの人、猫被りですから」
……え、そうなの?
凄い先生なのかなぁと思いかけてたのに……
父「知ってるよ。唯から少し聞いたことがあるからね」
律「ありゃ、そうなんですか」
父「うん。ただ、あまり猫の被り方が上手い方ではないね」
澪「まあ、成り行きとはいえ私達にあっさり素を見せてしまうくらいだしなぁ……」
律「おじさん達くらいになると、そういうのは簡単に見抜けてしまう、とかですか?」
父「それもあるかもしれないけど、今回の件に関してはそうじゃないね」
紬「と言いますと?」
父「……猫の被り方も忘れるくらい、唯の事を心配していたということさ」
母「もちろん、それだけで終われば「いい人」止まりなのだけど」
紬「……なるほど」
納得した様子の紬さんと澪さんに対し、律さんは頭の上にハテナマークを浮かべていた。たぶん澪さんがフォローするだろうとは思うけど。
一方、ずっと静かな梓ちゃんは今の話が耳に入っているのか怪しいほどに真剣に、さっきまで私が見ていた写真をじっと見ていた。個人的でないほうの写真を。
梓ちゃんが写ってない、私達の学年がメインの写真を。
喋ってない間ずっと見ていたのだろうか。全部の写真を順番に見ていっていたとして、今は何周目なんだろうか。そもそもそんなに食い入って見るような何かがあっただろうか。
私の方からはわからない事だらけ。でも、梓ちゃんのほうは私の視線を『わかった』ようで、
梓「……何か、思い出しましたか?」
そう私に優しく問いかける声を合図に、皆の視線が集中するのを感じた。
でも……残念だけど、全ての写真を見ても、両親まで含む皆の話を聞いても、その視線の無言の訴えに応えてあげることはできそうにない。
唯「……ごめん」
◆
律「…そう気を落とすなよ、澪。想定の範囲内なんだろ? 昨日私に自信満々にいろいろ語ってくれたじゃないか」
澪「……大丈夫、わかってるよ。まだまだ手はある。でも」
律「でも?」
澪「少し、方向性を変えたほうがいいかもしれないな。急いでも良い事は何もないのはよくわかった」
律「急いでたつもりだったのか?」
澪「いいや。急いでたなら律が止めてくれるはずだし」
律「……ん……じゃあ、どういうことだ?」
澪「……急がない、じゃなく、むしろ意図的にゆっくりやろうと思う」
澪さんのその発言は、ちょっと意外だった。
失礼かもしれないけど、和さんの件もあるし、一番急ぎたがるのは澪さんだと思ってたから。
もちろん周りの人――主に律さん――が気を配るから、危ないほどに急ぐ事はないと思ってたけど、それでも心の中に焦りがあるんじゃないかって気はしてた。原因の私がこんな事を思っているのは失礼かもしれないけど……
でも、そんな失礼な私が想像していたより、澪さんはずっと冷静で、周囲が見える人だった。
……重ね重ね、失礼だと思う。
澪「今のところ一番可能性があるのは、和だ」
律「幼馴染だしな。今日の反応を見る限りでもそれは確かだ」
澪「だから、和と唯が会える日まで私達は何も大きな動きはしないようにする。全てを順調に運んで、万が一にも和との面会が延びない様にするんだ」
梓「……そりゃ、私達だって焦って全てを台無しにするような事はするつもりはないですけど」
律「いや、「焦るな」じゃなくて「全てを計算した上でゆっくりやろう」と言ってるんだ、澪は」
澪「……和との顔合わせをスタートラインくらいに考えたほうが良さそうだ、と思って。和に全部任せるみたいで気が引けるけど、今日の反応を見た限りではそれがいいんじゃないかな……と思ったんだけど、どうかな?」
紬「……私は、澪ちゃんに賛成。ずっと昔から一緒にいた人だもん、本来私達より先に会うべきだとさえ思う……会えるなら……」
梓「………」
ずっと昔から、一緒にいた人。つまり、幼馴染。
高校からの友達である自分がそんな人を差し置いてこの場にいる事に、後ろめたい思いがあるんだろうか……?
そう邪推したくなるほど紬さんの表情は沈んでいて、隣の梓ちゃんの空気も沈んでいた。
発案者の澪さんもその言葉の重みを改めて噛み締めているように見えた。幼馴染というせいか、私の両親までも……
唯「………――」
空気を変えるのも兼ねて、和さんがどんな人だったかをお母さんに尋ねようとした、その時。
律「じゃあ私も乗ろうかな。澪の腹黒い作戦に」
澪「……いや、腹黒いは言い過ぎだろ」
律「じゃあ、名付けて『和に全部投げっぱなし作戦』?」
澪「印象悪いな! 確かにそうなんだけども!」
紬「ま、まあまあまあまあ」
澪「っ、さ、最低限の事はするよ! 自分に出来る範囲で、和の負担が大きくなりすぎないように!」
律「期待してますわよ、澪ちゃん♪」
梓「あっ、この人何もしない気だ」
澪「こいつ……!」
……澪さんが今にも左手を振り上げようとした、丁度その瞬間だった。
父「……ふふっ」
母「仲いいのね、本当に」
澪「ぁ……///」
大人に見られて気恥ずかしくなったのか、気まずくなったのか、それとも笑われて怒る気も萎えたのか。
とりあえず、澪さんの左手に込められた力は自然と霧散してしまったようだ。
……もちろん、さっきまでの重い空気も一緒に。見てることしか出来なかったけど、正直、ホッとした。
父「とりあえず、君達は『ゆっくりやろう作戦』で行くって事でいいかい?」
澪「は、はい…///」
律「……///」
梓「……///」
子供のノリに大人が割って入ってくると全員がなんとなく気恥ずかしくなるの、あると思います。
紬「♪」
……なんで紬さんは嬉しそうなんだろう。
◆
その後、そろそろお昼ご飯の時間だから、ということで梓ちゃんが席を立ってコンビニに行った。
他の皆は持参したお弁当箱を取り出して待ち、梓ちゃんが帰ってきて、私の食事も運ばれてきたところで皆で昼食となった。
……よく考えたら皆は学校があるからこうしてお昼を一緒に食べれるのは土日だけになるのかな。しっかり楽しんでおかないと。
……も、もちろん記憶を取り戻す事もちゃんとしないといけないけどね。
唯「……こうやって、みんなで一緒にお昼を食べた事もあるんだよね、私」
紬「……うん、あるよ」
梓「私は学年が違うから他のみなさんより少ないはずですけど」
律「それでも、唯の家とかでみんなで食べた事も結構あったぞ」
澪「そうだな、みんなで、な」
律「………」
紬「………」
梓「………」
唯「……ごめん」
正直なところ、これだけのヒントを貰えばそんな光景は普通に想像できるし、実際そんな事もあったのだろう、とくらいは思える。
そこに私がいる光景を写真のように容易に思い描けるし、そういう関係が自然だって心から思える。
記憶のない今の私だって、この人達といつだって一緒にいたいと、そう思えるんだから。記憶のある私がそうしない理由なんてない。
それでも「ごめん」なんだ。思い出したわけじゃないから、取り戻したわけじゃないから、「ごめん」としか言えないんだ。
こんな光景は確かにあったような気がする、けど頭の中のどこかにモヤがかかったような違和感が拭えないんだ。
その違和感が正しいのか、ただの勘違いなのか。正しいなら違和感の正体は何なのか。勘違いなら何故勘違いしたのか。
そこまでハッキリするくらいじゃないと、思い出したとは言えないはずだから。
だから、申し訳ないけど……
澪「大丈夫だよ、唯」
紬「慌てない、慌てない。ね?」
律「『ゆっくりやろう作戦』らしいからな。唯も焦らないでくれ」
唯「私が……?」
梓「……私達に負い目を感じるあまりに結論を急ぐような、そんな事をしないでください、ってことです」
唯「……今、私、そんな風に見えた?」
そう聞くと、皆が同時に柔らかく微笑んだ。
つまり、自分から振った話題だったせいか、想像しやすそうな光景だったせいかはわからないけど、私は思い出せない事を皆に申し訳なく思ってしまったということ。
ううん、申し訳なくはずっと思ってるけど、今回はそれが焦りに転じそうだったということ。顔に出るほどいろいろ考えすぎてしまったということ。
それはよくないことだ。梓ちゃんが言ったように、言うように、慎重に、確実にやらないと。
『ゆっくりやろう作戦』には、私も参加しているんだ。
唯「……そっか。ありがと、みんな」
律「よし。じゃあそういうわけだから、普通に食べるか!」
梓「そうですね」
律「というわけで唯、そのデザートらしき蜜柑と私のエビフライを交換してくれ!」
紬「エビフライ差し出しちゃうの!?」
唯「み、魅力的な申し出だけど唯一無二のデザートを差し出すのは……!」
澪「っていうか病院食のバランスを崩すような真似をするな!」ゴチン
律「ごべふ」
紬「ま、まあまあ澪ちゃん。やっぱりみんなでワイワイやるお昼ご飯の定番っていったらおかず交換だし」
梓「でもこの人、おかずじゃなくてデザート狙いでしたよ」
律「いや……だって、正直、他はなんか地味だし……」
……今から食べる人の前でそれはないよ。否定できないけど。
◆
ごちそうさまでした、と皆で手を合わせて声を揃える。
そのすぐ後、綺麗な看護師さんが部屋を訪れて私の食器を持っていった。
唯「……監視カメラでもあるのかな?」
紬「あるんじゃないかな?」
澪「ここは個室だからな。唯の場合はこうしてご両親がいるとはいえ、そうじゃない人の場合を考えると」
唯「…なるほど。それもそうだね」
梓「……それにしても、綺麗な人でしたね」
唯「だねぇ。白衣の天使って、まさにああいう人の事を言うんだろうね」
紬「綺麗な人といえば、唯ちゃん、そのうちさわ子先生が来るかもって言ってたよ」
唯「さわ子先生……写真に写ってた顧問の先生、だっけ」
紬「そうそう。今日か明日か、とにかくそのうちに、だって」
律「……綺麗な人、でさわちゃんを思い出すのか、ムギは」
紬「まあ…綺麗な人には違いないでしょ?」
澪「うん…まあ……」
律「一応……」
……なにこの微妙な空気。
それにしても、顧問の先生、かあ。写真を見た感じでは、確かに美人に分類される整った顔立ちをしてたと思う。
でも同時に、律さんやお父さんから実情(?)も耳にしている。
唯「えっと、猫被りの先生なんだっけ?」
律「そ。さすがに唯のお父さん達もいるこの場でボロを出すとは考えにくいから、裏の顔を想像して楽しんどくといいよ」
唯「陰険な楽しみ方だね」
澪「というか、和達との面会はまだダメなのに先生はいいのかな」
紬「お医者様の先生が止めてくれるかもしれないし、大人だからってことで通すかもしれないし」
澪「どっちかはムギにもわからない、か」
律「というかムギ、そんなのいつ聞いたんだ?」
紬「朝に電話でね。私なら病院自体に話も通しておきやすいだろうし」
律「なるほどね」
――それから、流れでそのさわ子先生という人についての逸話をいくつか聞かせてもらっていると、病室の扉がノックされた。
どうぞ、と応えるとすぐに扉は滑らかに開く。
さわ子「失礼します」
そこにいたのは、写真の中の印象のままの美人の眼鏡教師だった。
……まあ、律さん達からこの人のエピソードは聞かせてもらった後なので、これが表の顔だというのはわかる。
さわ子「……唯ちゃん」
唯「はい?……わっ!?」
さわ子先生は、真っ直ぐ私に歩み寄ってきたかと思うと、そのまま私を抱きしめた。
自然と、それでいて優しく、包み込むように。
さわ子「……よかった、目が覚めて」
唯「あっ、あの、はい、迷惑、かけました……」
さわ子「迷惑なんかじゃないわ。心配はしたけれど……決して迷惑なんかじゃない」ギュッ
唯「………」
……繰り返しになるけど、この先生の猫被りエピソードは、いくつか聞かせてもらってる。
そして、それを話す皆の顔は……笑顔だった。苦笑も混じってはいたけど、思い返しながらイヤそうな顔はしていなかった。
それにお父さんも言っていた。猫被りを見抜いた上で言っていた。
「いい先生だ」って。
唯「……ありがとうございます、先生」
さわ子「……ふふっ、かしこまる唯ちゃんは、新鮮ね」
澪「……ムギ、先生は、唯のこと――」
紬「うん、記憶の事については話してあるわ」
澪「そっか」
さわ子「そうよ。生憎今日は何も持ってきてないけど、話し相手くらいにはなれるわ」
唯「……思い出せるかはわかりませんけど、よろしくお願いします、先生」
さわ子「こちらこそ、力になれるかはわからないけど、よろしくね、唯ちゃん」
こうして私はまた一人、頼れる人と出会った。
◆
さわ子「――じゃあね唯ちゃん、また来るわ」
唯「……はい、先生」
残念ながらさわ子先生と話しても思い出せる事は無かった。
ただ、さわ子先生が大人だからなのか、それに関する申し訳なさ等を私が抱かないように話を持っていってくれていた感じがあった。
この人もいい人だから、そんな感情を私が抱いたところで皆と同じように「気にするな」と言ってくれるんだろうけど。
さわ子「みんなもそろそろ帰りなさい。遅くなるとよくないわよ」
紬「……遅い、ってほどの時間でもないと思いますけど」
澪「別に、帰ってもいい時間でもあるけど。でも面会時間はまだありますよ?」
さわ子「……せっかく遠回しに言ってるのに。「さっさと行くわよ」って言わないとダメなのかしら?」
律「へ? 何のこと――」
紬「あっ!!」
紬さんが立ち上がり、何かを三人に耳打ちする。
それを聞いて律さんは勢いよく立ち上がり、澪さんは梓ちゃんに目をやった。梓ちゃんは俯いている。
律「そ、それじゃーな、唯! また明日な!」
唯「えっ、あの…えっ?」
澪「ま、待てよ律! あ、梓はどうする…?」
梓「……残ります」
澪「そうか。行こう、ムギ。……唯、ごめん、また明日」
紬「じゃあね、唯ちゃん、梓ちゃん」
唯「う、うん、またね」
非常に騒がしく出て行った律さんとは対照的に、澪さんはやや急ぎ目に、紬さんはどことなく優雅さを感じさせる足取りで出ていった。
最初に席を立ったさわ子先生も静かに手を振って出て行き、病室は一気に静かになる。
唯「ど、どうしたんだろーね…?」
梓「……あの人達が何も言わないって事は、唯先輩は気にしなくて大丈夫ってことです」
唯「そ、そっか……」
ちょっと他人事みたいな言い方だけど、紬さんの耳打ちを一緒に聞いてた梓ちゃんが事情を知らないわけはない。
だから逆に言えば、ちょっと他人事みたいな言い方をするという事は、私に教えてはくれないということ。
そして多分、梓ちゃん自身も関わりたくないということ…なのかな?
梓「……気になりますか?」
唯「あれ、教えてくれるの?」
梓「…多分、ほぼ毎日この時間に解散になると思うので。気にするなという方が無理な気もするんです」
唯「ふぅん……」
最終更新:2015年09月23日 21:31