それに加えて、これ以上この話を続けると梓ちゃんが泣き出しそうな、そんな気がした。何故かそう感じた。
両親と同じく、あれだけ私の身を案じてくれる梓ちゃんのことを、私が泣かせていいはずはないよね。
私の抱いた違和感が梓ちゃんを泣かせるほどのものだったとすると、それはそれで気にはなるけど……きっと記憶が戻ればわかるだろうし、今は胸の奥に閉まっておこう。


唯「……何か、私の部屋に持って行く物はある?」

母「……そうね、あんまりないけど……ギターと、後はこのあたりかしら」

唯「じゃあ持ってくよ」

父「……唯の部屋は階段を上がって右側だからね」

唯「うん」

梓「……ついて行きます」

唯「……そう? ありがと」


実はさっき家の中を歩き回った時に、自分の部屋も確認してあるから大丈夫なんだけど。でも梓ちゃんの申し出を断る理由もないよね。
……それにしても、同じく三階にある、『物置』と書かれて鍵のしてある部屋が、何故かさっきも今も少し気になってしょうがない。




自室に入って腰を下ろしてみると、懐かしさと勝手の悪さを同時に感じる。
勝手の悪さはやはり記憶が無いせいから来るのだろう。でもそこまで嫌な気分にはならない。
部屋から漂う懐かしさと、身体が覚えている部分に助けられているみたいだ。


唯「あっ、ギー太のポジションはここかなー?」


腰を下ろして部屋を見回していたら、ギタースタンドらしきものが置いてあるのを見つけた。
せっかくなので立てかけておこう。……ふふっ、かわいい。


唯「……来週はみんなで演奏できるといいねぇ」

梓「……そうですね」

唯「そういえば梓ちゃんは今日楽器持ってきてなかったよね。本当に学校休む気マンマンだったんだねぇ……」

梓「……すいません」

唯「ううん、いろいろ助かったのは本当だからもう責めたりはしないよ。ただ……」


ただ、私はまだ梓ちゃんに何も返せていない。
梓ちゃんの行動の理由は聞かないって決めたから、当面の問題はそこだけだ。


梓「ただ?」

唯「……ただ飯食らい」

梓「……はい?」


いいこと思いついた。


唯「あのさ、私って病院ではご飯作ってもらってたじゃん」

梓「まあ、それは病人ですからね。タダ飯ではないと思いますけど」

唯「でも私はこの家に一人でいることも多かった。ということは少しは料理も出来るんじゃないかな?」

梓「えっ……どうでしょうかそれは。唯先輩が料理できるって話は聞いたことないですし……コンビニご飯だったかもしれませんよ?」

唯「まあ、モノは試しだよ。何か思い出すかもしれないし、やってみるよ」

梓「だ、ダメです、せめてレシピを! ちゃんとしたレシピを調べて、その通りに作ってください! できるだけ簡単な料理で!」

唯「し、信用ないなぁ……」


それだけ料理の話とかはしてこなかったのだろう、以前の私は。
とりあえずは梓ちゃんに従おう。けど、先輩として何かしてあげたいから、梓ちゃんの事を想って絶対美味しく作ってやる!




唯「……結構な数の食材が痛んでた……」

梓「まあしばらく入院してましたからね……」




というわけで皆でスーパーにやってきた。
もちろん目的は食材の買出し。メニューはお父さんが一人暮らしの頃によく作っていたということでチャーハンに決まった。
四人分一気に作れそうだし、レシピを調べた上で出来そうな気もしたし、文句なしだ。

私と梓ちゃん組、お父さんとお母さん組に分かれて商品を手早くカゴに入れ、レジ前で合流する作戦で望む。


梓「唯先輩、カゴ重くないですか?」

唯「大丈夫大丈夫……これくらい持てないとね……」


カート使えばよかったと後悔しなかったと言えば嘘になる。
でも、梓ちゃんの手前、かっこいい先輩っぷりを見せたかった。


唯「……だって先輩だからねッ!」

梓「は、はあ……」

唯「なんならお金も出すよ!帰りも荷物持ちやるよ! だって先輩だからね!」

梓「いや、そのあたりはおじさんおばさんがやってくれそうですけど……どうしたんですか? なんか変ですよ?」


……うん、いったん落ち着こう。押し付けがましくなっては意味がない。
ごく自然に振舞わないと。せめてご飯を食べてもらうその時までは。




唯「――じゃーん。どう?」


一人で作り上げた大盛りのチャーハンを机に運び、胸を張る。
レシピ見ながらだったから流石に身体が覚えてるような感覚はなかったけど、人並み程度には作れたと思う。
お昼に思いついて調べて買い物に行って、という経緯を辿ったから、だいぶ遅めのお昼ご飯になっちゃったけど。


梓「……見た目は……普通ですね」

父「普通だね」

母「普通ね」

唯「食べてみてよ!」

父「うん、じゃあ……」

母「いただきます」

梓「……いただきます」


皆がそれぞれスプーンを口に運び、食べて……目を丸くした。


梓「……おいしい、です」

父「うん、美味しい」

唯「そ、そっかー。よかったぁ……どんどん食べてね!」

母「……うん、もらうわ」


一応味見はしたんだけど、他の人の反応を待つ間っていうのは緊張するものなんだね。
とにかく、ホッとした。私も食べよう。いただきます。


唯「……うん、食べれる食べれる」


と、そのままどんどんチャーハンを胃に収めていってたんだけど、ある時気がついた。
皆のペースが落ちてきていることに。
いや……違う。


唯「み、みんな、どうしたの!?」


皆、俯いて肩を震わせていた。
何か変なものが入ってたか、と一瞬思ったけど、それもまた違った。

……皆、泣いていた。


父「……大丈夫、なんでもない」

唯「な、なんでもないなんてこと――」

父「親としては、娘がこんな美味しい料理を作ることにいろいろ思うところがあるわけさ。放任していた親としてはね……」


そう言われると、どう返事していいかわからなくなる。
責めるつもりなんてないけれど、言葉が何も出てこない。
言葉が喉にひっかかって、食事の手も止まってしまう。


唯「……あ、梓ちゃんは、どうしたの? 大丈夫?」


辛うじて出てきたのは、矛先を変える意味しか持たない、そんな言葉。
でも、梓ちゃんは両親とは立場が違う。泣く理由がわからないのもまた事実だ。
聞いておかないといけない。


梓「……こうやって……唯先輩の家でみんなで食卓を囲んだ事が……何度かあるんです……」

唯「う、うん……」

梓「懐かしく、なってしまって……みんなで笑ってた、あの頃が……!」

唯「………」


両親以上に、どう返事すればいいかわからなかった。
だって、梓ちゃんが懐かしんでいるのは、懐かしむばかりでどこか諦めたような口ぶりなのは、私の記憶が戻らないせいだから。
梓ちゃんにそんな意図はないのだろうけど、それでも私の記憶が戻っていれば今の梓ちゃんの涙はきっと無かったはず。
私の記憶が戻っていれば、梓ちゃんが懐かしがっているその光景を再現できるはずなんだから。


唯「……ごめんね、梓ちゃん」

梓「っ、す、すいません唯先輩、そんなつもりじゃ――っ!?」


ぎゅっ、と、梓ちゃんを正面から抱きしめる。
私は、この子の一番近くで、ちゃんと言葉にして覚悟を伝えないといけない。


唯「ちゃんと、早く記憶を取り戻せるよう頑張るよ。でも、今までも何度かあったと思うけど、もしかしたらこれからも、梓ちゃんには今みたいに寂しい思いをさせちゃうかもしれない」

梓「い、いいんです私は……それくらい……」

唯「ううん、良くないよ。先輩の私が可愛い後輩の梓ちゃんを泣かせていいはずがない。だから……」

梓「………」

唯「だから、梓ちゃんは泣きたくなったらもっと私を責めて。もっと怒って。もっと私に感情をぶつけて、甘えてほしいな」

梓「甘えて……ですか」

唯「うん。そうじゃないと先輩としての自覚や責任が持てない気がするんだ。梓ちゃんに「唯先輩」って呼ばれる資格がないような」

梓「……先輩としての自覚……それがあれば、記憶が戻りそうですか?」

唯「……わからない。けど、今の私に一番欠けているものは、それだと思うんだ」


今までの私は、いつも一番近くにいてくれるかわいい後輩にいつも甘え、いつも受け身だった。
家族にも友達にも甘えているけど、後輩にまで甘えっぱなしなのはさすがに良くないはずだ。
梓ちゃんに甘え、傷つかせ、悲しみを抱え込ませているままでは良くないはずだ。
先輩にならないと。大人にならないと。そうしないと、自分が戻ってこない気がする。


梓「……唯先輩」

唯「なぁに?」

梓「……もうちょっと、このままで……いいですか……」

唯「うん」

梓「っ、……ありがとう……ございます……っ」


……そのまましばらく、梓ちゃんは私の胸の中で声を殺して泣き続けた。




梓ちゃんが泣き止んでから、半分くらい冷えたチャーハンを皆で食べた。
皆それぞれ胸の奥に何かを抱えながら食べていたので食卓は静かなものだったけど、しょうがない。
……そういう意味では私が料理をしたのは失敗だったのかもしれないけど、その結果、梓ちゃんとの関係を少し変える事は出来た。
その変化が良い方向に作用するように、これから私は頑張らないと。

その後、梓ちゃんと一緒に後片付けをしてからしばらくのんびりしてたら、軽音部の皆が遊びに来てくれた。
お昼が遅かったので気付かなかったけど、もう学校の終わる時間だったらしい。
迎え入れると、「退院祝いよ~」と言って紬さんがどこからともなく豪華なお菓子を取り出した。
さっきお昼ご飯を食べたばかりだから苦しい……と思いきや、普通に入る。やっぱり女の子には別腹が標準装備なんだなあ。

家に戻っても記憶が戻らなかった事についてはさすがに皆の顔色を曇らせてしまったけど、今の私は梓ちゃんとの件もあって非常に前向きだ。
詳細は伏せて今の意気込みを伝えると、皆はまた笑顔に戻ってくれて、明るい話をいろいろしてくれた。
主に学校での話だったけど、律さんがボケて澪さんがツッコんで紬さんが目を輝かせて、という会話の流れは、聞いているだけで面白い。

……楽しい時間だった。けどそんな中で時折、皆がどことなく梓ちゃんに気を遣っているように見えた。
それを見て、私の中で梓ちゃんの今日の行動の原因が皆とのトラブルである可能性が浮上する。
でも、仮にそうだとしても皆がそれを望んでいなかった事は目に見えて明らかだし、その気遣いを受けてか知らずか、梓ちゃんは皆との距離をグイグイ詰めていってた。
その結果、日が落ちる頃にはいつも通り仲良く笑い合っていた。見ている事しか出来なかったけど、ホッとした。




澪「すいません、遅くまで」

父「いやいや、いいんだ。ありがとう。明日も来てくれるんだよね?」

紬「はい、お邪魔でなければ」

律「明日は和も来れると思うので。さわちゃんは難しそうだけど……」

梓「だいぶ仕事溜め込んでるって言ってましたもんね」

母「和ちゃんも生徒会長だもんね、忙しいなら無理はしないでって伝えておいて」

唯「私からもそれお願い!」

澪「わかったわかった、任せて。じゃあ、またな、唯」

紬「お邪魔しましたー」

唯「また明日~」


外へ出て行く皆を見送り、手を振る。
律さん、澪さん、紬さんの順で外に出たけど、最後の梓ちゃんは出る前に振り返り、私に小声で囁いた。


梓「……唯先輩」

唯「ん、どしたの?」

梓「……甘えても、いいですか?」

唯「キュン…! もちろん、さ、どーんとおいでっ!!」バッ

梓「……ありがとうございます。また明日です、唯先輩」

唯「あ、今じゃなかったのね……うん、また明日ね、梓ちゃん」


広げた腕と気持ちのやり場に困りながらも、梓ちゃんを見送った。
まあ、うん、梓ちゃんがああ言ってくれた事自体はいい傾向だよね、きっと……


父「……ぷっ」

唯「笑わないでよ!」




夜ご飯はお母さんが作ってくれた。私と同じようにレシピを見ながらだったけど、味は美味しかった。
お風呂に入り、携帯電話を充電しながら皆と少しメールをして布団に入る。

布団の中で一つ、当面の目標を立てた。厳密には目標と言っていいのかわからないけど、とにかく一つ決めた。
皆の事を、以前呼んでいたように呼ぼう、と。皆の事を覚えてないのにあだ名呼びするのはしっくりこないから、と今まで避けてきたけれど、もうなりふり構ってはいられない。
澪さんは澪ちゃん、紬さんはムギちゃん、律さんはりっちゃん。そして……梓ちゃんは、あずにゃん。……梓ちゃんのだけは本人に確認が必要そうな気もするけど。
うん、そうだね。皆に一言断ってから、呼び方を改めようかな、明日は。
そんな事を考えながら眠りについた。




◆◆


――今日は土曜日。そんな今日もまた、梓ちゃんを早朝から目にした。リビングでお父さんお母さんと向き合っている。
何を話しているのかはわからないけど、梓ちゃんのいる朝、という光景はもう見慣れた。
そしてこれからもこういう日が続くのだろう。そう思い、私は特に何の疑問も抱かず、普通に挨拶した。


唯「みんなおはよう……今日も早いね……」

父「ああ、唯……おはよう。えっと……」


……でも、今日は今までとはまるで訳が違ったんだ。


梓「……あなたが、ゆい、ですか?」

唯「………えっ?」




唯「お母さんはあの病院と梓ちゃんの家に電話して! お父さんは車の準備! もう、みんなして何やってるの!!」

母「だ、だって……」

父「いかんせんついさっきの出来事で……」

唯「早く!!!」

父「はいっ!!」

梓「あ、あの、私……」

唯「ん、大丈夫だからね、梓ちゃん。ちゃんと一緒にいるから、何も怖くないからね」

梓「は、はい、ありがとうございます……」


梓ちゃんの手を握ってあげると、昨日までとは違う弱々しさで握り返してくる。
それを見ていると、非常に胸が締め付けられた。
どうしてこんなことに……

――お父さん達の話では、早朝に家を訪ねてきた時点で梓ちゃんはこんな状態だったらしい。
こんな状態、すなわち……記憶を失ったような状態、だ。
ような、と言ったのは私の記憶喪失とは少し違うような気がしたからだ。なんでも梓ちゃんは『平沢 唯』という人物の事だけは覚えていて、それだけを頼りにここまで辿り着いたらしいから。
言葉とか日常生活の範囲の知識を失っていないのは私と同じのようだけど、詳しく診てみないことにはわからないはず。早く病院に連れて行かないと。
診てくれるならどこの病院でもいいけど、どうせなら私が昨日までいたあの病院がいいよね。

……だって、私と同じように『魔物』に襲われた可能性があるんだから。


母「今から診てくれるって!」

父「よし、急ごう!」




医者「――結論から言いますと、原因不明、です」

梓母「そんな…!」


お医者さんの前に、梓ちゃんのご両親、私の両親が座り、私達は少し離れて話を聞いていた。
お母さんから連絡を受けてすぐ梓ちゃんのご両親は飛んで来て、同じように私の電話で澪さん律さん紬さんと和ちゃんはすぐに来てくれた。皆、息を切らせて。
……検査の終わった梓ちゃんはすぐに私の後ろに隠れてしまい、誰とも話そうとしなかったけど。


律「梓! 記憶がないなんて……嘘だろっ!? なあ!」

梓「ひっ!!」

澪「お、落ち着け律!」

唯「梓ちゃんも、大丈夫だから、ね?」

梓「っ………」


相手が誰でもこんな感じで、本当に私の後ろから出てこない。


梓父「なんで……こんなことに……」

医者「……何か強い心因的ショックを受けた可能性もあります。何か思い当たる節は?」

梓父「いや……昨夜は何事もなく普通にしていました。朝も……」

紬「き、昨日帰る時も普通でした! ね、澪ちゃん?」

澪「あ、ああ」

梓母「そうですね、この方達が家まで送ってくれました……」

唯「……ということは……」


昨日は何もなかった。ということは、今朝何かあったという事だ。
梓ちゃんが家を出て、私の家に来るまでの、その道中に。
私の家に来る途中に……『魔物』に……?


唯「私のせい、なの……?」


私が心配で朝早く家を出た梓ちゃんは、魔物に襲われた……?
私が梓ちゃんに心配をかけたから……?


梓「……ゆい、さん……?」

梓父「……平沢唯さん、だね、君が」

唯「は、はい、すいません……!」

梓母「……謝る必要はないわ。あの子が自分で決めた事よ」

唯「で、でも原因は私でっ!」

梓父「……じゃあ、しばらくその子の面倒を見てあげてくれないか。私達の事は忘れても君の事だけは忘れられないようだから」

唯「そ、そんなの当たり前です!私からお願いします!!」

梓父「今はそれで済ませようよ、お互い。誰かを責めてる暇なんてないはずだ」

唯「……すいません。ありがとうございます」


……あの時の梓ちゃんも、今の私みたいな気持ちだったのかな。




医者「――検査の結果ですが外傷は全くありません。平沢さんの状況と酷似しています、失われた記憶の範囲も含めて」

唯「ということは、原因も私と同じなんじゃ……?」


私の中では、ずっと前から既にそう決まっていたけれど。
自分が同じ目に遭ったからという理由だけでそう決め付けていたけど。お医者さんの判断はどうなんだろう?


澪「で、でも唯、魔物は――」

律「――魔物は倒したッ! 間違いないんだ!!」


律さんが叫んだ。
そんなの認めないと言わんばかりに、大声で。


紬「り、りっちゃん…?」

律「私達が!この手で!みんなも知ってるだろ!?」

澪「う、うん、そうだな……」

唯「で、でも一匹だけじゃなかったんだとしたら……」

律「あんなのがそんなに沢山いてたまるかよ!あんなのが、今度は私達から梓を奪いに来たって言うのかよ!!」


私の後ろに隠れて様子を伺っている梓ちゃんを、律さんが見る。
視線が合ったと思しき瞬間、梓ちゃんは私を盾にするように隠れてしまう。
それを受けて、律さんは……膝をつき、声を震わせ始めた。


律「……嘘だよな……何かの冗談だよな、梓? そう言ってくれよぉ……」

澪「律……」


……何も言えなかった。
記憶がないだけじゃなく魔物退治にも立ち会ってさえいない私が、奪われた人に何を言えようか。
ただ後輩を大事に思っていただけの律さんに、何を言えようか。
私の時もそうやって大事に思ってくれた律さんに、何を……


医者「……平沢さんの時と違って、ここに目撃者はいない。今は原因については断定できません」

梓母「そうですか……」

梓父「………」


痛ましい沈黙が少し流れた後、背後の扉が開いた。
そこにいたのは、さわ子先生。


さわ子「……すいません、遅れました」

梓母「いえ、お忙しいところをわざわざありがとうございます」

父「……先生、大人だけで話をしませんか」

医者「そうですね。すまないけど、子供達はちょっと席を外してくれないか」

紬「わかりました……」

和「いくわよ、唯」

唯「あのっ、梓ちゃんは……?」

梓「………」


相変わらず私の後ろに隠れたまま、服をぎゅっと掴んだまま離れようとしないけど……
でも、梓ちゃんの今後に関わる話をするんだとしたらこっちにいた方が……


梓父「……いや。平沢さん、お願いできるかな」

唯「……はい、わかりました」




診察室を後にし、待合室まで歩き、椅子に腰を下ろす。
診察室で何が話されているのかは当然わからない。盗み聞きしようなんて言い出す人もいなかった。
皆、私から見てもわかるくらい、精神的に打ちのめされている。


律「……さっきはごめん」

澪「気にするな、律」

紬「そうよ、気にしないで」

律「……唯も、ごめん」

唯「私も気にしてないよ。でも……」

和「でも、やっぱり原因は気になるわよね」

唯「……うん」

澪「……症状は唯と似ているけど、私は今のところ、魔物のせいだとは思っていない」

紬「私もそう思う」

律「それはそれで、他に原因があるって事だから辛いけどな……」

澪「……もう、お前はどっちなんだよ、律」

律「……魔物のせいじゃなかったら、私達のせいだよな」

澪「それは……」

紬「………」

唯「……どういうこと? なんでみんなのせいなの? むしろ私のせいじゃ……」

和「……梓ちゃんを一人にしすぎた、って事かしら?」

澪「……そう、だな」


和ちゃんが綺麗に一言でまとめてしまったけど、少し考えてみる。
今朝、梓ちゃんが私の家に一人で来るまでの間に何かあったのは間違いない。とすれば皆は、その時に梓ちゃんの隣にいられなかった事を悔いているのか。
確かに梓ちゃんは皆と離れて一人で私のお見舞いに来る事が多かったから、皆はそれに慣れてしまっていた面もあるのかもしれない。「一人にしすぎた」とはそういう意味だろう。
でもそれは私だって同じだ。いつまでも入院患者の気分で、梓ちゃんが来てくれる事に慣れていた。のうのうと惰眠を貪っていた。その間、梓ちゃんは一人だったのに……!

そんな心を読まれたのか、顔に出ていたのか。紬さんがかけてくれたのは、優しいけどあまり嬉しくない言葉だった。


紬「少なくとも唯ちゃんのせいじゃないわ、安心して?」

唯「安心、って、そんな……それは……」


……それはなんか、蚊帳の外に置かれているような感じがする。しかも無理矢理に。
皆が私を大切にしてくれているのは知っている。だからこうして蚊帳の外に置こうとするんだろう。無理矢理にでも。
でも、だからって梓ちゃんの記憶喪失がそんな優しい皆のせいになるのも私は嫌だ。

……っていうか、そういうのは違う。さっき梓ちゃんのお父さんにも言われた通り、責任の所在を追及したところで何も変わらないはず!


唯「……原因を探すよ、私は」

和「えっ?」

唯「聞き込みしてみる。朝とはいえ、梓ちゃんを見かけた人がいるかもしれない。もし現場を誰かが見てれば……」

和「……そうね、原因がわかればこんな議論もしなくていいし、梓ちゃんの治療方針もある程度は固まるはずよ」

紬「じゃあ、それは私がやる! 唯ちゃんの時もやったし、大体わかってるから」

唯「紬さん、私もやるよ。もう待ってるだけなんて嫌だし、万が一相手が魔物でもやりようはあるんでしょ?」

澪「……いや、ダメだ。唯はダメだ」

唯「なんで!? 私は戦えないの!? 梓ちゃんが言ってた『対処する術』っていうのが私にはないの!?」

澪「そうじゃない。それ以前の問題だ」

唯「……記憶が戻ってないから?」


恐る恐るそう聞いたけど、澪さんはそれには答えず、ただ私の方を指差した。
正確には私ではなく、私の影に隠れている梓ちゃんを。


澪「梓を一人にするつもりか?」

唯「……それは……いや、でも」


「でも梓ちゃんが入院する事になったりしたなら」と反論しようとしたけど、口にする前に私の頭は答えを弾き出していた。
そうなったとしても私はきっとずっと梓ちゃんのそばにいるだろう。梓ちゃんがどこにいてもそばにいるだろう。梓ちゃんが私にそうしてくれたように。
私は梓ちゃんのそばを離れられない。離れたくもない。だから原因を探す事も魔物と戦う事も出来ない。確かに澪さんの言う通り、それ以前の問題だった。


紬「そもそも魔物の仕業と決まったわけでもないし。今日中に原因もわかるかもしれないし。ね?」

律「……そう、だな。パパッと原因をハッキリさせてきてやるさ……魔物だろうと、何だろうと」

和「私も手伝うわ。人手は多いに越したことはないでしょ」

澪「というわけだ、唯。おじさん達が何を話しているのかにもよるけど、ひとまず原因探しは私達に任せてくれないか?」

唯「……でも、またみんなに任せっきりなのは……」



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最終更新:2015年09月23日 21:37