黒唯「・・・」
黒唯から表情が消えた。
彼女「題:ふわふわ時間・・・? 澪さん、私はかれこれ多くの女の子を演じ、多少なりとも文化を知ってきたつもりですが、現代ではこれを切ないと言うのですか?」
澪「・・・歌詞を見せた瞬間に素に戻られるととてもつらい・・・」
彼女「申し訳ありません。
平沢唯がどんな反応をするか未知数なので、素で反応させてもらいます」
確かに、唯が私の歌詞を気に入ってくれるかと言われればわからないとしか言えない。
今まで歌詞を人に見せた事なんて無かった。せいぜい、律の特訓を受けて全校生徒の前で作文を発表した時くらいだ。
あの時は律の特訓のおかげで全員がパイナップルに見えて、リラックス出来た反面そのせいで皆がどんな反応をしたのかまでは見えなかった。
もっとも、その時は集会という場だったし、目立つような反応なんて誰もしなかったのかもしれない。でも今回は違う。
唯どころか律やムギだってどんな反応をするかわからない。私にわからないのだから、当然彼女にもわからないのだ。素に戻ってしまうのは仕方ないとも言える。
・・・素に戻るくらい私の歌詞が変だったってわけじゃないと思う。きっと。
彼女「私は貴女とも同調――シンクロしているので、この歌詞を変だとは思っていませんよ」
澪「そ、そっか、よかったぁ・・・」
彼女「ただ、『私』として見た場合に少々文化の壁を感じたというだけの話です」
澪「ぶ、文化の壁って・・・」
彼女「いきなり「ハートDOKI☆DOKI」ですよ、私からすれば青天の霹靂です」
澪「冒頭のインパクトってきっと大事だよ!根拠はないけど!」
自分の色を出していくのってきっと大事だと思うんだ! 個性大事!
彼女「・・・では次にいきなりマシュマロが出てくるのは?」
澪「丁度そのタイミングでムギが電話してきて、なんか漠然とマシュマロ食べたいなぁって思って・・・」
彼女「いつもお菓子を持ってきてくれる人だからですか?」
澪「うん」
彼女「彼女の肌の色と肉付きからマシュマロを連想した訳ではないのですね?」
澪「そ、そんなこと考えたこともないよ!!」
彼女「ならいいです」
澪「うぅ・・・私をどういう目で見てるんだ」
彼女「ところで澪さんは日常からインスピレーションを得て歌詞を書くタイプなのですか?」
澪「えっ、どうだろう。そうなのかな?」
自分で意識した事は無かったが、唯の事を考えてハートDOKI☆DOKIを書いて、ムギの電話を受けてマシュマロみたいにふわふわを書くくらいだ、そうなのかもしれない。
少なくとも今回の歌詞についてはその方向で統一したほうがいいかもしれない。
彼女「そしてテーマは切ないラブソング、と。という事は、私が過去の平沢唯を演じ、澪さんに歌詞の糧になるような想いを抱いてもらうのが最良でしょうか」
澪「切ない気持ち、を?」
彼女「はい。例えばこうして、私がギターの練習をする平沢唯を演じます」
立てかけてあるギターを手に取り、彼女は唯の顔を作り、いつもの唯のように楽しそうにギターを弾き始める。
そして私は・・・
澪「・・・そんな唯を部室で眺める私は・・・ベーシストとして隣から眺める私は・・・」
唯の横顔を見る。
楽しそうに、でも頑張ってギターを弾く唯の顔。
澪「・・・」
彼女はあくまで過去の唯を再現しているにすぎない。だから、私がじっと見てても何も言わない。
でも、それは私から見れば、頑張るばかりに私の視線に気づかない唯、という構図になる。
澪「ずっと見てても・・・気付かないよね」
・・・ああ、なんか書けそうな気がする。私の想いを込めた、最高の歌詞が。
どこからともなく紙と鉛筆を取り出し、綴る。
いつもがんばる、キミの横顔――
黒唯「書けそう? 澪ちゃん」
澪「うわっ、びっくりした!」
ちゃんと唯になった彼女が、紙に向かう私を肩越しに覗き込んでくる。いきなりだし、近い。
ちゃんと唯になっている事も含め、なんとも心臓に悪い。
黒唯「えへへー、ごめんごめん。あ、書けそうだね、このやり方で」
澪「う、うん・・・ありがとう、唯」
黒唯「・・・ちゃんと本物の唯にも言ってあげなよ?」
耳元で囁かれ、驚きとは違う方向でちょっとドキッとする。
・・・はぁ。夢の中なら、私達二人の距離はこんなに近いのになあ・・・
**
唯律紬「出来た!?」
澪「あ、ああ」
昨日の夜の時点ではほとんど出来てなかった歌詞だけど、黒唯の協力もあって夢の中で完璧に仕上がってしまったため、今日持ってきた。
だけど・・・
唯「見せて見せてー!」
澪「ええっ、もう!?」
律「いや、「もう」って・・・」
紬「私も見たいなぁ」
澪「で、でもやっぱり恥ずかしい・・・」
うん、冷静になれば皆の前で歌詞を公開するなんてやっぱり恥ずかしいような気がする・・・!
朝は歌詞が出来上がった嬉しさと、その夢の中で作った歌詞を現実に書き起こす為の早起きからくる寝不足テンションで嬉々としてカバンに突っ込んで持ってきたけど。
一日授業を受けて頭の冷えた今となっては、やっぱり恥ずかしさが先んじてしまう。
そんなわけで、歌詞を見せたくない私とお預けを食っている皆との間でしばらく攻防が続いた。
唯「だーいじょうぶだよぉ、笑ったりしないしー」
律「そーそー」
澪「でも・・・ああっ待って!」
律「待てない!持ってきたってことは見せるってことだろ!?」
紬「澪ちゃんおねがい!」
唯「ちょちょーっとだけ、こそーっと私にぃ」
律「あっずりぃ、見せるなら私が先だろ?」
唯「ええっなんでー?」
律「何故なら!私が部長だから!」
唯「ぬっ、ならば私は澪ちゃんの心の友だから!」
紬「じゃあ私は澪ちゃんの心の友その2だから」
律「こしゃくな!私なんか澪の心のふるさとだぞ!」
澪「いつからそうなった」
唯「あー、田舎のおばあちゃん元気かなあ」
律「いや、今関係ないから」
澪「あ、去年年賀状出したっけ」
律「話を逸らすなー!」
・・・そして、その攻防に終止符を打ったのは昨日顧問になってくれたさわ子先生。ある意味、顧問らしい事をしてくれたと思う。
さわ子「早く見せんかーい!!!」
澪「ああっ!」
さわ子先生の手によって奪われ、強制的に公開される歌詞。
それを見て、律と先生がイマイチのような反応をしたから落ち込みかけたけど・・・唯だけは私の手を取り、表情を輝かせながら褒めてくれた。
予想以上のキラキラっぷりには驚いたけど、正直、とても嬉しかった。たとえこれが唯の事を想い、唯と相談して書いた歌詞だという事を唯が知らなくとも。
・・・そしてそのまま、いつの間にか私の歌詞は採用されていた。
唯「よかったねぇ澪ちゃん」
澪「あっ・・・うん」
良かったというか、すべては間違いなく唯のおかげだろう。私の方からお礼を言うべきだ。なのに唯に先に褒められた私は気の利いた言葉を返せないでいる。
もっと何か言わないと、と唯の顔を見たまま悩んでいた時、正面に立つ律がとんでもない事を言い出した。
律「じゃあ澪がボーカルってことで」
澪「へぇっ!?」
な、何言ってるんだ律!? ボーカル!? 無理!絶対無理!
学園祭で皆の前で歌うなんて時点で絶対無理だけど、この歌詞だとそれに輪をかけて無理!
だって実在の人物を想って書いたラブソングだよ!? 目の前で唯を再現してもらってまでして私の想いを詰め込んだ歌詞だよ!?
それを大勢の生徒の前で歌うって!? 想いをさらけ出せって!? しかも想い人の隣で!? 何の問題もなく無理!
せめてラブソングじゃない普通の歌詞ならまだ一考の余地はあったかもしれないけど――
澪「こんな恥ずかしい歌詞なんか歌えないよ!」
律「オイ作者!」
・・・そんなこんなで、最終的にボーカルは唯がやってくれる事になった。
ただ、ギターとボーカルの両立はなかなか難しいらしく、さわ子先生が唯に付きっきりで特訓する、という流れに。
さわ子「じゃあ振り落とされないようについて来なさいよ!」
唯「らじゃー!」
二人とも楽しそうで何よりである。
・・・そして、私は気付いてしまった。私が最初に気付いてしまった。そんな二人に熱い視線を送るムギに。
また、昨夜の想像が頭を掠める。ムギがさわ子先生の事を好きなのではないかという想像が。
早計だ。昨夜はそう判断した。でも、こう二日続けてさわ子先生の方に熱い視線を送っているのを見ると・・・もしかしたら、と思えてくる。
相談してみようか。ふんわりと、あくまで「もしかして」の話である事を前提に、第三者の意見を聞きたい。
幸い、付き合いの長い相談相手が隣にいる。
澪「・・・律。ムギってさ、もしかしてさわ子先生のこと・・・」
だが不幸にも、付き合いの長い相談相手はデリケートな気遣いというのには無縁だった。
律「えっ、マジで!? ムギー、さわ子先生のこと好きなのかー?」
澪「待っ、ちょっ、馬鹿!」
慌てて律の口を押さえても、時既に遅し。
ムギの方を見てみると、鳩が麦鉄砲、じゃなくて豆鉄砲を食らった顔がそこにある。
紬「・・・ふえ?」
澪「・・・へ?」
・・・しばし、沈黙。
紬「・・・あぁいえ、ただ、女の子同士っていいなぁって」
澪「・・・なーんだ、良かった」
そんな言葉が自然と口をついて出てきた。
その時の私の心情の内訳は、結局私の考えは外れていたため、律のストレートすぎる問いにムギが気分を害する事もなく全てが丸く収まった事による安堵が半分。
もう半分は・・・なんとなく自分の恋を応援されたような気がしたから、だと思う。
しかし、続くムギの言葉には少し思考が停止してしまった。
紬「ほ、本人達が良ければいいんじゃないでしょうか」
澪「えっと、あー、うん?」
律「な、何を言っているんだ・・・?」
ど、どういう事だろう?
若干頬を染めている事から察するに、ムギの中では先程のさわ子先生と唯が付き合っているように見えているのか? それを応援するという意味での言葉なのか?
という事は、昨日の場面ではさわ子先生と律が付き合っているように見えていたのか? それで熱い視線を送っていたのか?
さわ子先生が顧問でドキドキするというのは、教師と生徒という禁断のカップルが見られるから・・・なのか?
憶測ばかりでイマイチはっきりしないけど・・・でもまあ、ムギに恋を応援されたような気がしたのは確かだから、今はそれで良しとしよう、うん。
*
黒唯「――で、お礼は言わなかったんだね?」
澪「言わなかったというか、言えなかったというか・・・」
黒唯「気の利いた言葉も言えなかったんだね?」
澪「・・・はい」
黒唯「あと、心の友って言われて内心嬉しかったんでしょ? りっちゃんにツッコミは入れるのにそっちはスルーってどういうこと?」
澪「いや・・・嬉しい気持ちばかりで、つい。唯のすぐ後にムギも続いてくれたことまで含めて嬉しくて・・・」
黒唯「そんなに嬉しかったなら尚更、なんで言葉にしないの?」
澪「・・・そう言われると返す言葉もありません」
そういう空気じゃなかった、なんて言い訳も出来るけど、言葉にしておけばよかったと後悔する気持ちも確かにある以上、言い訳はするべきじゃないだろう。
黒唯もそれを見越して言っている。さすがは私を映す鏡だ、その言葉は誰よりも私に刺さる。
黒唯「まったく、私の弱みには簡単に付け込んで世話を焼くのに、自分が焼かれたらこの体たらくっていうのはどうかと思うよ?」
澪「確かに・・・唯は素直に喜んでくれて、私もそれが嬉しくて・・・そんな関係だったな」
唯本人は私がそんな間の抜けた反応をしようと気にしていないようだったけど、それに甘えちゃいけないんだろう。
至極シンプルに考えたとしても、私は唯から貰った笑顔を唯に返せていないことになるのだから。
黒唯「それに、気にしてないってことは今までと何も変わらないってことだからね。それじゃ私も困るんだよ、わかる?」
澪「・・・うん」
黒唯「・・・あんまりモタモタしてると、取られちゃうかもよ?」
いつの間にか黒唯は、ムギのキーボードの前に立っていた。
人差し指だけで鍵盤に触れる。間の抜けた音が一つ鳴った。
澪「・・・誰に取られるんだ?」
黒唯「さあ? わかんない」
キーボードを見つめたまま、どうでもよさそうに呟かれる。
という事は実際、相手は誰でもいいのか。いや、全員に可能性があるのか?
そうだ、そのキーボードの持ち主――ムギが昨日は律と先生を、今日は唯と先生を見て目を輝かせていたように、『誰と誰とがいつ付き合おうと不思議じゃない』のかもしれない。
どこかの誰かに唯を取られてしまう可能性も、ゼロだなんて到底言えないのかもしれない。
もしそうなった時、私はどうするのだろうか。わからない。わかりたくない。考えたくない。
考えたくない程度には・・・私は唯の事を好きなのだろう。
澪「・・・同じ失敗は二度としないよ」
黒唯「そうだね、澪ちゃんは頭のいい子なんだから、そうしてもらわないと」
澪「キツい言い方だなあ」
そう言いつつも、私はそのキツい言い方をありがたく思っていた。
**
しかし、そんな私の決意に反して、汚名返上の機会は全く訪れなかった。
さわ子先生との特訓という名目で、唯は放課後は部室に来ずに先生の家へ直行しているからだ。
唯と私はクラスも違うため、部活という接点が無くなると話す時間も機会も激減する。
黒唯にも何も報告できない日が続き、彼女自身もつまらなそうにしていたが・・・学園祭という一世一代の舞台の為だ、仕方ない。
黒唯「そう自分に言い聞かせてるんじゃないの?」
澪「・・・まあ、そんな面もあるかもしれないかもしれない」
黒唯「メールくらいしてみてもいいんじゃない? がんばれー、って」
澪「・・・それもそうか」
そんなアドバイスを受け、私は翌日の夕方、唯にメールを送った。
私の歌詞に唯の歌声が乗るのを楽しみにしてる、とか、そんな感じの文面で。
ほんの少しでもいい、このメールが頑張る唯のやる気の支えになればいいんだけど。
・・・特訓が始まって明日で一週間、か。早いなぁ。
**
さわ子「練習させすぎちゃった☆」
唯「声枯れちゃった☆」ハスキー
律「カワイコぶってもダメだー!」
一週間ぶりに会えた唯は、とんでもないハプニングを持ち込んで(持ち帰って)きた。
唯「いやぁ、澪ちゃんの作詞と期待に応えようとがんばりすぎちゃった☆」
しかも原因の一端は私がメールでやる気出させたせい!?
紬「そんな、じゃあボーカルは・・・」
和「変更するなら今日中よ?」
律「えっ、そうなのか!? だとすると・・・」
そんなこんなで代役を立てる訳になったのだが、誰になったんだったっけ。
誰かは知らないが生徒達の前で歌わなくちゃいけないなんて緊張するだろうな。がんばれー。
紬「頑張ってね、澪ちゃん」
唯「ハスキー唯からもお願い~」
・・・あっ、私か。
*
黒唯「でも真っ赤になって倒れながらも引き受けてくれたんだから私は感謝してるよ」
澪「そうかな・・・それなら救われるけど・・・」
現実世界の唯はハスキーボイスだったけど黒唯は普通の声だ。
もっとも、そこまで再現されても困るというか、中の彼女に悪いけど。わざとあんな声を出すのは疲れるだろうし。
黒唯「・・・ごめんね? 『私』の言うことじゃ信用できないよね」
澪「あっ、いや、そういう意味じゃ・・・」
いけない。嫌な事柄が目の前にあると露骨に態度に出てしまう上に周囲が見えなくなるのは私の悪い癖だ。
唯のギターを買う為のバイト探しの時も、そうやって唯を困らせたじゃないか。
・・・同じ失敗は二度としない、なんて言っておいてこれでは格好がつかない。挽回しないと。
澪「唯はいい子だから、きっと責任は感じてるよ。そんな唯の代わりだから引き受けたんだ、私は」
黒唯「・・・そっか。ありがと、澪ちゃん」
・・・ん? あれ? 何かおかしくないか?
何だろう、えっと・・・そうだ、黒唯と私の思考はシンクロしているはずなんだ。
今言った言葉は、私の心からの言葉。なら、それを黒唯が察せないはずはない。
ならどうして、答えのわかりきっている問いをしたのか?
何故か答えを察せなかったのか、あるいは察していてもなお言わなくてはいけなかったのか。どっちだ?
・・・いや、思い出せ。さっきの言葉から察するに、それは・・・
澪「・・・『あなた』も責任を感じている?」
さっきの「私の言うことじゃ信用できないよね」という言葉には、贖罪の意味が含まれていたのでは?
答えを察していてもなお言わなくてはいられない程度に、自分を責めているのでは? 答えよりも、私に伝える事に意味があったのでは?
・・・どうやらその推測は当たりだったらしく、黒唯の雰囲気が消え去り、『彼女』が姿を現した。
彼女「・・・メールをしよう、と提案したのは私です。その結果平沢唯が喉を枯らし、貴女が重荷を背負う羽目になったのですから、責任くらいは感じます」
澪「へぇ・・・」
彼女「何ですか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」
その表現、私と合わせて三度目だよ。
・・・そう、二人合わせて考えていいはずなんだ。その程度には私達は似ている。何故なら・・・
澪「あなたは私の映し身でもあるんだから、あなたの提案も私の中のどこかにあったはずなんだ。どちらが先に気付いたかの問題なんだから、一人で責任なんて感じなくていいよ」
彼女「・・・そう言って貰えると助かりますが」
澪「それよりも「責任」なんて言葉が出てくることが意外だったよ。キューピッドが神か天使かはともかく、どちらにせよ私達人間よりは上の存在だし」
彼女「・・・キューピッドのようなもの、としか言ってませんよ、私は」
少し私から目を逸らしながら、彼女は言う。
彼女「人を導くように振舞ってこそいますが、私は自身を上位の存在だと考えた事はありません」
澪「そう、なの?」
彼女「はい。私は――いえ、我々は、むしろ貴女達を羨ましく思っていますよ」
澪「・・・そっか」
彼女「はい」
何と言えばいいのかわからなかった。
勝手に上位の存在だと決め付けていた私は、彼女の事を何も知らなかったから。
私に協力してくれるのも単なる仕事程度のドライな認識だろうと思っていたから。
羨ましく思われていたなんて知らなかった。彼女がどんな思いで協力してくれていたのかなんて考えた事もなかった。
キューピッドであると言われ、集合意識と言われ、個性を持たないようにしていると言われた程度で、決め付けてしまった。
私は今、後悔している。胸の中にあるこの感情は間違いなく後悔だ。そしてきっと、この感情はすぐにでも彼女にも伝わってしまう。
だったら思うままに言ってしまおう。これ以上、彼女に気を遣わせたくない。
澪「一つ、質問があるんだ」
彼女「何でしょう?」
澪「同じような子が沢山いるって言ってたけど、担当してる子を途中で交代するようなことは無いよね?」
彼女「はい。貴女の恋愛が成就するまでは、貴女の担当は私です」
澪「よかった、嬉しいよ。これからもよろしく」
握手を求める形で手を差し出す。
流石に掌返しが過ぎるかな?と思いつつも、でもこれ以外のやり方なんて思いつかない。
上位の存在である事を否定した彼女と、私は対等な存在として仲良くなりたいと思ってしまったのだから。
助けてもらっている立場ながら図々しいとは思うけど、だからこそ思い切って私から近づいたんだ。
出会った次の日に唯が距離を縮めてくれて、私にいろいろなものを与えてくれたように。
私の方から彼女に近づく事で、何かを与えられたらいいなと思って。
そんな私が差し出した手を、彼女は僅かな間の後、握ってくれた。
彼女「貴女の恋愛が成就するまでの間ですからね」
そう言う彼女の顔は、唯には及ばないとはいえ、確かに笑顔だったように思えた。
彼女「では今日からは学園祭に向けての特訓と行きましょうか」
澪「・・・うん?」
彼女「対等な関係なのでしょう? ならこれからはもっと厳しくいきますよ。振り落とされないようについて来てくださいね?」
・・・あれ、笑顔ってこんなに怖かったっけ?
**
まあ、理屈はわかるんだ。共に立つ舞台で格好いい完璧な演奏を見せれば唯の気を引けるかもしれないっていう、その理屈は。
実際、唯ほどではないけど私もベースを演奏しながら歌を歌うのは難しかったから、そこに協力してくれた彼女には感謝している。
でも、それだけじゃ足りない。演奏は皆と一緒にするものだ。皆で合わせて練習する時間が必要なんだ。
そう考え、私は学園祭当日も早めに部室へ向かった。とにかく皆と練習がしたかった。
・・・実際はそれら全て、ただの私の現実逃避だった。
彼女はこれ以上ないくらいに私を仕上げてくれていたし、ムギや律も、唯までも一度のミスもなく演奏出来るようになっていた。
何も足りないものなんてない。私達軽音部は完璧な仕上がりになっていた。
ただ一つ、私の覚悟を除いて、だけど。
結局、いくら彼女と楽器の反復練習をしても、いくら皆と音を合わせても、上がり症で臆病な私の内面だけは変わりようがなかったのだ。
嫌になる。つくづく嫌になる。
律「もうすぐ本番なのに、そんな調子でどうするんだよ・・・」
澪「・・・もうやだ・・・」
さっきから、心臓の動悸が止まらない。嫌な汗もかいているし、胃まで痛くなってきた。
私がこんな性格だってこと、律ならわかってるはずなのに・・・
澪「律ぅ~・・・りづぅ~・・・」
律「はーなーせーってば!」
律はああ見えて面倒見のいい性格として知られている。でもこの件に関してはほとんど助け舟を出してくれない。
確かに、他に方法なんてないのはわかってる。わかってるんだけど・・・
唯「ごめんね澪ちゃん、私のせいで」
わかってるんだけど、せめて背を押す一言くらい欲しい。
そんな甘えた考えを抱いていた私に、頭上から枯れた声が降ってきた。
唯「私がこんな声にならなかったら、澪ちゃんが歌うことなかったのに・・・」
澪「唯・・・」
唯「やっぱ私がボーカルするよ!」ハスキー
律「いやいやいやいや」
澪「ご、ごめん唯、そんなつもりじゃなかったから!」
そうだ、そんなつもりじゃない。ただ単に緊張して嫌になっただけで、律に甘えていただけで、唯に押し付けるつもりなんて毛頭ない。あるわけがない。
どんなに嫌になっても、舞台に立てないほどでも、唯にだけは押し付けない。責任を感じている唯の代わりを務めたいって思ったのは確かなんだから。
こんな私を気遣ってくれる優しい唯の代わりだからこそ、引き受けたんだから。
それを思い出し、立ち上がる。
まだ怖い。まだ緊張する。出来る気なんて全然しない。でも・・・それでも私は・・・
最終更新:2016年09月11日 19:21