律「おう、そうだ!体育祭まであと一週間だからな。今日はメンバーを決めるぞ!」
澪「そうか……そういえば今年は五人いるから一人は補欠ってことになるんだな」
唯「あっ!じゃあ私、補欠でいいー!」
紬「唯ちゃんは出た方がいいんじゃないかしら?私が抜けた方が……」
澪「私は出るとしてもアンカーと一走は絶対ヤダ!」
律「去年のリベンジだな!今年は絶対優勝するぞー!!」
私が桜高に入学しておよそ半年。
二学期に入り、もうすぐ初の学園祭ライブだ!と意気込んでいた私は
その前に体育祭というイベントがあることをすっかり忘れていた。
存在を忘れるくらい体育祭に興味がなかった私ですから、
先輩方が話し合っている『部活対抗リレー』という言葉は当然初耳だった。
梓「ちょ、ちょっと待ってください!あの、私よくわかってないんですが………」
唯「そっか、あずにゃんは初めてだもんね」
澪「各部活から四人の代表が出て、3×100m+200mリレーで勝負するんだよ」
梓「3×100m+200m………?」
紬「うん。最初の3人は100mなんだけどアンカーだけは200m、トラック一周走るの」
梓「でもそんなの運動部の圧勝じゃないんですか?」
律「そりゃそうだ。だからちゃんと運動部と文化部は別々になってるんだよ。
私らは文化部部門での優勝を狙うってわけだ!」
梓「………優勝したらなにかいい事あるんですか?」
律「もちろんだ!優勝した部は来年の部費が倍になる………って噂だ!」
澪「ないない。お遊びみたいなものだから気楽に走ればいいぞ、梓」
律「因みに梓は50m何秒ぐらいだ?」
梓「えーっと……たしか8秒4か5ぐらいだったと……」
律「ほぉう……まずまずだな……」
紬「じゃあやっぱり私が抜けて梓ちゃんが入るのがいいと思うわ。それなら優勝できるもの!」
唯「えぇーっ!?私、補欠がいいー!私が抜けるよぉ!」
澪「アンカーと一走はヤダ!二走か三走がいい!アンカーと一走は絶対ヤダッ!」
律「だーーーもう!うるさいお前らっ!アミダだ!今年もアミダで決めるぞ!!」
第一走者 律
第二走者 澪
第三走者 梓
アンカー 唯
補欠 紬
律「けってーい!」
紬「良かった―♪ベストメンバーになったわね」
澪「二走か……無難なとこだな」ホッ
唯「アンカー!?やだーーっ!!」
律「えぇい往生際が悪いぞ唯!アミダ様の決定は絶対だっ!!」
唯「だって200mだよ!?そんなに走ったら死んじゃうよぉ!」
澪「200mなら唯の得意な範囲だろ?」
紬「そうよ唯ちゃん!唯ちゃんがアンカーならきっと優勝出来るわ!」
………さっきから一つ気になっている点がある。
ムギ先輩がやたらと唯先輩をプッシュしているのだ。
梓「唯先輩がアンカーなら優勝出来るんですか?」
澪「そういえば梓は知らなかったか。唯は短距離走は得意なんだよ」
梓「えぇっ!?そうなんですか!?」
出会った頃は不覚にもちょっとカッコいい、なんて感じてしまった
唯先輩ですが、現在の印象はといえば、
天然で、グータラで、鈍くさい人。
失礼ながら運動に関しては全くダメなんだろうと勝手に思っていました。
律「ああ、スタミナは無いし腕力はへにゃへにゃだし、球技のセンスも全く無いけど
なぜか短距離だけは結構速いんだよな」
唯「りっちゃん言いすぎ………」
紬「たしか50m8秒フラットよね?」
へぇ………
まあ飛びぬけて速いというわけでもないんだろうけど
文化部の中ではおそらく上位に入るタイムでしょう。
少なくとも私よりは速いわけですし。
紬「去年はアミダ様が私をアンカーにしたから最後に抜かれちゃって二位だったの……」
ムギ先輩は短距離走は苦手なのかな?
まあ格闘ゲームなんかでもパワータイプのキャラは
スピードが遅いというのが常なので仕方のないところでしょうか。
律「因みに私と澪は50m8秒2~3ってとこだ」
なるほど。
律先輩と澪先輩が速いのはイメージどおりです。
自分で言うのもなんですが私もそう遅くはない。
確かにこのメンバーなら文化部内では優勝を狙えるのかもしれません。
しかし、
唯「やだやだ!私、走りたくない!補欠がいいーーー!!」
お一人、延々と駄々をこねている方が。
律「諦めろ唯、メンバーはこれで決定だ!異論は認めーん!」
唯「………ぶー………」
澪「悪いな、唯。でも公平に決めたんだからしょうがないだろ?」
紬「みんな、頑張ってね!」
梓「………………」
唯先輩は不満たらたらの様子でしたがメンバー決めはこれで終了。
『絶対勝つ!!』なんて意気込んでいる律先輩ですがノリで言っているだけで
本番まで特にリレーの練習なんかはしないようです。
澪先輩も言っていたとおり、勝っても特になにもないしお遊び的なものなのでしょう。
リレーの話は終わりいつもどおりにお茶してから僅かばかりの練習。
その間も唯先輩はずっと不機嫌な様子でした。
梓「………そんなに嫌なんですか?アンカー」
その日の帰り道。
他の先輩方とは別れ、唯先輩と二人になったところで
ずっと不機嫌そうに隣を歩いているその人に聞いてみた。
唯「やだ。というかリレーに出ること自体がやだよ………」
足が遅い人が走るのを嫌がるというならわかる。
でも皆さんの話では唯先輩はそれなりに俊足。
この尋常ではない嫌がり方はいったいなんなのでしょうか。
梓「走るの得意なんでしょう?カッコいいところを見せれば唯先輩のファンが増えるかもですよ」
唯「………やだ。走りたくない」
梓「はぁ……なんでそんなに嫌なんですか?」
唯「疲れるから」
梓「………は?」
唯「疲れるからやだ」
いやまあ、疲れるのが好きって人もそうそういないでしょうけど………
梓「それだけですか?」
唯「それだけだよ」
その後も唯先輩は口数少なく、私はなんだかもやもやしたまま家路についたのでした。
―――翌日―――
昨日の唯先輩の様子がどうにも気になったままの私は、
朝のホームルームが始まる前に憂に話を聞いてみることにした。
梓「ねえ憂、昨日唯先輩リレーのことでなんか言ってた?」
憂「うん。ずっと『やだ、走りたくない』って。
拗ねてほっぺた膨らませてるお姉ちゃん、可愛かったなぁ……///」キャッ
梓「………………………」
唯先輩と憂に出会って半年。
この姉妹についてはだいぶ理解できたつもりでいましたが……
いや、可愛い人であるのは認めるけどね。うん。
………まあ、今はそんなことはどうでもいいや。
梓「なんで唯先輩ってあんなに走るの嫌がるの?」
憂「うーん、実は私もよく知らないんだ……昔はそんなことなかったんだけど……」
梓「足は速いんでしょ?」
憂「うん!すっごく速かったよ!小学生の時は運動会で大活躍だったんだから!!」フンスフンス!
憂は目をキラキラと輝かせ、唯先輩の武勇伝を次々と語りだした。
………ん?『速かった』………?
憂「それでね、それでねっ!?ここからがスゴイんだけど五年生の時にお姉ちゃんと同じクラスの人が
足をケガしちゃって急遽リレーにでれないことになったの!!その人も結構速かったみたいだけど
お姉ちゃんには敵わなかったね!それがリレー開始の直前だったから代わりに走る子もいなくてね?
それでどうしたと思う!?梓ちゃん!!まあわからないよね!だって普通ありえないことだもん!!
なんとお姉ちゃんが………
しまった………
完全に地雷を踏んでしまった。
唯先輩の自慢話を始めた憂は止まる気配がない。
純「なになにー?何の話?」
純が突然会話に入ってくる。
憂は話の腰を折られて少し不満げだったけど私としてはありがたい。
グッジョブ純。
純「へぇー、唯先輩ってそんなに足速かったんだ。いがーい」
梓「あれ?純は知らなかったの?小学校一緒だったんじゃ……」
純「私が憂や唯先輩と同じ学校になったのは中学からだよ。
でも中学の時の唯先輩は特別足が速いって印象は無かったけどなぁ?」
純の言うことはもっともだ。
高校生の今現在50m8秒フラットなのだから群を抜いて速いというわけじゃない。
あくまでも『そこそこ速い』という程度で運動会のヒーロー、というレベルではないだろう。
憂の言う小学生の頃の唯先輩の大活躍、というのがいまいちピンとこない。
憂「うん………中学生になってからはそんなに速くはなかったから………」
梓「え?」
中学生になって、遅くなった?
……そんなことがあるのだろうか?
憂「でも小学生の時はお姉ちゃん、ホントにすっごく速かったんだよっ!?
六年生の時、50m走6秒8だったんだから!!」
梓純「「えぇぇえっ!!?」」
純「………憂、さすがにそれはないよ」
憂「う、嘘じゃないよっ!」
純「いや、憂が嘘ついてるなんて思ってないよ?多分、記憶違いか計り間違いだね」
憂「そ、そんなことないよ!ホントに………」
純「ないない。小六女子が6秒台なんて………ねぇ、梓」
梓「え?う、うーん………」
憂が嘘をつくとは私も思えない。
でも純の言うように6秒台というのはにわかに信じることはできない。
そもそも昨日先輩方が言っていた話と食い違う。
憂、純、そして先輩方の話を全て総合すると、
唯先輩は小学生の頃は50m6秒台で走るほど速くて、
運動会のヒーローだった。
しかし中学生になると平凡な速さとなり、現在のタイムは8秒フラット。
そして走ることを異様に嫌がっている………
ということになる。
………なんだか憂に話を聞いてよけいに疑問が増えてしまった。
そして唯先輩が走るのを嫌がる理由も憂は知らないと言う。
憂も知らない唯先輩の小学生、中学生の頃を良く知る人物………
一人思い当たるけれど私はあの人とほとんど面識がない。
あちらも私が軽音部だということは知っている、という程度だろう。
突然話を聞きに行くのはちょっと抵抗があるけど……
やっぱり気になる。
確かあの人は生徒会に所属しているんだっけ。
放課後、部室に行く前に生徒会室に寄ってみることにした。
和「あら、確か軽音部の………
中野梓さん、だったかしら?」
梓「はい。あの、真鍋先輩にちょっとお聞きしたいことがあるんですけど……」
和「………唯のリレーに関して、の事かしら?」
梓「!!な、なんでわかったんですかっ!?」
和「あなたと私の共通の話題なんて
平沢姉妹についてしかないでしょう?
体育祭が近い今、私に聞きにくる事といえば唯のリレーの事だろうなという推測よ」
うぐ……なんかやりにくい人だ……
でも、せっかく来たんだから聞きたいことは聞かなきゃ!
梓「……憂が言ってたんですけど、唯先輩50m6秒8だったってホントなんですか?」
和「ああ、そう言えば一度だけ6秒台出してたわね。まあその一回だけで
普段は7秒1~2ぐらいだったから計り間違いかもしれないけどね」
………やっぱり憂の言ったことは本当だった。
6秒8が仮に計り間違いだとしても7秒台前半なら小学校の運動会では大活躍でしょう。
でも、それなら今の唯先輩のタイムはどういうこと?
ケガをして走れなくなった……?
いや、それなら憂が知らないはずがない。
梓「今の唯先輩の50mのタイムは8秒って聞いたんですけど……」
和「そうね。小学校を卒業してからはそんなものね」
梓「なんで中学からは遅くなったんですか?」
和「本気で走ってないからよ」
梓「!!!」
………本気で走ってない………?
唯先輩は走るのを嫌がる理由を『疲れるから』と言った。
まさか疲れるのが嫌だから手を抜いてる?
……にしても小学生の時は本気で走っていたわけだから
やはり中学に上がる頃になにかあったのでしょう。
梓「真鍋先輩は唯先輩が本気で走らない理由を知ってるんですか?」
和「もちろん知ってるわ。唯のことで知らないことなんてないもの」
………むっ。
なんだか少し気に障るもの言いですがまあいい。
和「六年生の時にね、運動会の一ヶ月前くらいから放課後に毎日グランドを走ってる子がいたのよ。
違うクラスで知らない子だったんだけどね。唯も下校の時に何度か見かけて『あの子また走ってるね』
なんて言ってたんだけど………運動会当日、唯とその子が徒競走で同じ組で走る事になったの」
梓「それで結果は……?」
和「唯の圧勝だったわ。一位の旗を持ってみんなに褒められて喜んでたんだけど……
その時に見ちゃったのよ。毎日練習してたその子が泣いてるのを」
梓「………………」
和「その日からね。唯が本気で走らなくなったのは」
梓「負けたその子に同情したってことですか……?」
和「同情っていうか……ショックだったみたいね。『自分が走ることで泣いちゃう人がいるんだ』って。
頑張って練習した人に、なんの努力もしてない自分が勝っちゃったことが納得できなかったのよ。
本当に褒められるべきなのは毎日練習してたあの子の方なのにって」
梓「……じゃあそれ以降、唯先輩は手を抜いたり、わざと負けたりしてるってことですか?」
和「そういうことね。……でもホントはそんなこともしたくないのよ唯は。
だから競走の舞台に立つこと自体を嫌がるのね」
………正直、私も体育祭のリレーの勝敗になんて特に拘りはない。
運動は私の領分ではないからだ。
律先輩のように『やるからには絶対勝つぞ!』なんていうノリの良さも私は持ち合わせていない。
今回の部活対抗リレーだって二位でも三位でも、最下位だって別にいいと思っている。
でも、唯先輩の考え方は納得できない。
誰かが勝てば誰かが負ける。
それは当たり前のことだ。
人生なんてきっとそんな事の繰り返しなんだろう。
他人の気持ちを優先して本気を出さないなんて………
梓「………そんなのおかしいです。唯先輩、間違ってます」
和「そうね。間違ってるのかも知れないけど、私は唯の考え方を否定はしないわ。
あの子らしいと言えばあの子らしいし」
梓「でもっ……!」
和「別に唯だって全てのことにおいて相手に勝ちを譲るってわけじゃないのよ?
あの子にとって大事な勝負ならもちろん負けたくないって思うでしょうし、真剣に取り組むわ。
走ることは唯にとって得意なことであっても大事なことじゃないのよ」
梓「………………………」
和「部活対抗リレーのアンカーになったらしいわね、唯。リレーなんて唯が一番嫌いな競技よ。
他のチームを負かすのは嫌だし、かと言ってわざと負けたらチームメイトに申し訳ない。
………板挟みね。私の個人的な意見としてはリレーのメンバーから外してあげて欲しいわ」
なるほど。
とりあえず唯先輩が異常なまでにリレーを嫌がっていた理由はわかった。
しかしこれで話はお終い、というわけにはいかない。
梓「……今回のリレーの相手は全員文化部ですよ?
なら、唯先輩が相手の気持ちを考える必要なんてないじゃないですか」
文化部に所属している時点で陸上競技に真剣に取り組んでいる人ではない。
負けて泣く人なんてきっといないだろう。
和「……走るたびに泣いていたあの子の顔が思い浮かぶらしいわ。
きっともうトラウマになっちゃってるんでしょうね。
今の唯は相手が誰であれ本気で走れないのよ」
さっきから真鍋先輩の話を聞いていて一つ思った事がある。
梓「………真鍋先輩は唯先輩を甘やかし過ぎなんじゃないですか?」
和「あら、そうかしら。逆に中野さんはずいぶん厳しいのね。
なんでそんなに唯に拘るのかしら?」
梓「えっ?」
和「あなたって体育祭のリレーに必死になるタイプには見えないし………
唯が頑張ろうが手を抜こうが別にいいんじゃない?」
梓「そ、それは………」
……言われてみれば明確な理由が思い付かない。
私は何故、唯先輩に本気で走って欲しいのか。
梓「その……そ、そう!体育祭の後には学園祭が控えてるんですし、
唯先輩が手抜きするような人では困るんです!!」
和「ライブ演奏では唯は手を抜いたりなんかしないわよ?
軽音部の活動はあの子にとって大事なことだからね」
………そんなこと真鍋先輩に言われなくてもわかってます。
合宿の夜、皆さんが寝た後にもあの人は一人で練習していた。
自分だけが唯先輩のこと知ってると思わないでください。
………じゃなくて!
唯先輩に本気で走って貰いたい理由だ。えーと、えーっと………
梓「えっと、その、ライブ演奏に限らず普段からダラダラした人ですから、
ちょっとしゃきっとして欲しいといいますか………」
和「ふーん……なるほどね」
梓「な、なんですか?」
和「いえ、なんでもないわ。リレーに関して私から一つアドバイスするなら、
唯はバトンを貰った時の順位をキープしようとするってことね。
前の人を抜くことはできないし、チームメイトの事を考えると抜かれるのも嫌だからね」
梓「………じゃあ第三走者の私が一位でバトンを渡せば、唯先輩は全力で走ってくれるんですか?」
和「全力を出すかどうかは分からないけど……一位をキープしようとはするでしょうね」
それじゃあ意味がない。
私は唯先輩に一位になって貰いたいわけじゃない。
本気で走って欲しいのだ。
その結果が何位であってもそれは問題じゃない。
………うーん………
全力を出して貰うにはどうすれば………
………………………………………
和「………考え込んでるところ悪いんだけど、私そろそろ生徒会の仕事に戻るわ」
はっ!
そう言えば私も部活に行かないと。
時計を見ると結構な時間になっている。
梓「す、すいません。長々と話を聞いちゃって………」
和「別に構わないわよ。………ねえ中野さん、あなたの気持ちはよくわかるわ。
でも、唯の気持ちも頭ごなしに否定はしないで欲しいの」
最終更新:2016年09月14日 22:52