梓「………はい、わかりました。失礼します………」
なんだかもやもやした気分のまま部室に向かう。
だいぶ遅くなってしまったので先輩方は皆さん部室でお茶をしている頃でしょう。
当然、唯先輩も。
真鍋先輩から色々話しを聞いた今、唯先輩になにを言えばいいのか。
廊下を歩きながら考えましたが結論が出る前に音楽準備室にたどり着いてしまった。
………仕方ない。
ガチャッ
梓「すいません、遅くなりました」
律「なにやってたんだよー梓。先にケーキ食べちゃったぞ?」
澪「ごめんな梓。律が待ってられないって……梓の分はちゃんと取ってあるからな?」
紬「こんにちは梓ちゃん。すぐにお茶淹れるわね♪」
唯「あずにゃーん、待ってたよ~♪」ムギュウ
唯先輩はいつものように抱きついてくる。
とりあえず今はリレーのことは忘れているようで機嫌はいい。
ムギ先輩のケーキを食べたことも関係してるんでしょうが。
梓「………………………」
唯「………あずにゃん?」
梓「唯先輩っ!あのっ………!」
唯「なにー?」
『今度のリレー、本気で走ってくださいっ!』
伝えたいことはこれで間違いない。
でもきっとそんなことを言ってもしょうがないんだろう。
私に言われたくらいで、
『うん!私頑張って走るよ!』
なんてことになるわけないし、ヘタをすれば唯先輩の
トラウマを抉ることにもなりかねない。
………………………
梓「………いえ、なんでもないです………」
唯「?」
体育祭まで後六日。まだ時間はある。
当日までに唯先輩に本気で走って貰う方法を考えればいい。
―――体育祭当日―――
結局あの日以降、唯先輩にリレーのことについて話すことはできず、
本気で走って貰う為の良いアイデアも思いつかないまま当日を向かえてしまった。
真鍋先輩のアドバイスによると唯先輩はバトンを貰った時の順位をキープしようとするとのこと。
前を走る人を抜けないのだから、唯先輩にバトンが渡った時点で二位以下ならもう終わりだ。
絶対に本気で走ってはくれないだろう。
それならやっぱり私が一位で唯先輩に繋ぐしかない。
もし二位を走る人が唯先輩より速かったら、
抜かれないようにと全力を出してくれるかもしれない。
………50m6秒8で走っていた唯先輩より速い人が文化部にいる可能性か………
分の悪い賭けだなぁ………
『部活対抗リレーに出場する選手は、入場門にお集まりください……』
いよいよだ。
本番を前にあきらかにテンションの低い唯先輩に声を掛ける。
梓「唯先輩」
唯「ほぇ?」
梓「……私、絶対に一位で唯先輩にバトンを渡しますから」
唯「………………」
梓「後はお願いします。唯先輩も絶対一位でゴールしてください」
唯「………あずにゃん………」
………体育祭なんて私にとってどうでもいいイベントだったはずだ。
リレーの勝ち負けにだって拘りなんてない。
『絶対に一位でバトンを渡します』なんて
なにをこんなに熱くなってるんでしょうか、私は。
………いえ、ホントはわかってます。
真鍋先輩にも言われた。
拘ってるのは唯先輩に対してだ。
『位置について、よーい………』
パァン!
始まった。
第一走者は律先輩。
『絶対優勝!』なんて意気込んでただけあって流石の走りだ。
そこまで大きな差はついてはいませんが一位で澪先輩にバトンを繋ぐ。
律「澪っ!」
澪「うんっ!」
『軽音部が一位で第二走者にバトンパス!しかしまだまだ差は大きくありません』
続く澪先輩も速い。
二位以下を少しずつ引き離しはじめた。
よし。これだけ差がつけば大丈夫そうだ。
ありがとうございます澪先輩。
絶対にこのまま唯先輩に繋いでみせる……!
澪「梓!」
梓「はい!」
澪先輩からバトンを受け取る。
なかなかスムーズにいった。
『トップは変わらず軽音部!しかし二位の合唱部がじわじわと差を詰めてきています!』
アナウンスが聞こえ、私はチラリと後ろを振り返る。
確かに私の後ろを走っている人はなかなか速い。
でも残りは2、30m。
差は詰められるかもしれないけどなんとか逃げ切れそうだ。
このままバトンを渡せば唯先輩は一位をキープしてくれるはず………!
あっ
『トップを走っていた軽音部、転倒!』
「あずにゃんっ!!」
誰かの悲痛な叫び声が聞こえた。
足がもつれて転んだ私の横を他の部の人達が追い抜いていく。
一人、二人、三人、四人………………
なんとか立ちあがったのは全員が私の横を走り抜けていった後だった。
『ここまでトップをキープしていた軽音部、最下位に転落してしまいました!』
視界が滲む。
馬鹿。
泣いてる場合か。
膝が痛い。
気にしてる場合か。
走らないと。
涙で滲んだ視界のせいで、心配そうな唯先輩の顔が見えたのはバトンを渡す直前だった。
梓「ごめん、なさい………」グスッ
唯「………あずにゃん………」
『軽音部、今アンカーにバトンパス。最後まで諦めずに頑張ってください!』
やってしまった。
何が『絶対に一位でバトンを渡します』だ。
えらそうに大口を叩いておいてこの有様だ。
唯先輩に本気を出して貰う、なんてことばかり考えて
結局自分が軽音部の皆さんに迷惑を掛けてしまった。
悔しくて情けなくて涙が溢れてくる。
律「おーーい、梓ーー!」
律先輩と澪先輩が小走りでこちらにやってきた。
私は慌てて涙を拭う。
澪「梓、大丈夫か!?ひぃっ、血っ!膝から血が………!」クラッ
梓「………ちょっと擦りむいただけです………あの、すいません………転んじゃって………」
律「んなこと気にすんなって!それより保健室に………」
わぁっ!!
大きな歓声に驚き先輩方と私は顔を上げる。
「ちょっと、あの人誰!?陸上部!?」
「いま走ってるのみんな文化部だよ?陸上部のわけないじゃん!!」
「うわっ!また抜いた!」
周りからどよめきの声が聞こえてきた。
慌てて唯先輩の姿を探す。
………いない。
唯先輩がいない。
『速い速い!軽音部のアンカー、あっという間に二人抜いて三位に浮上!』
そう。唯先輩の姿は私が予想した位置より遥か前方にあった。
律「お、おいおい!なんだ唯の奴、めちゃくちゃ速くないかっ!?」
澪「あ、ああ……でも、すごいよ!もしかしたら一位になるかもっ!」
私達が驚いている間にも唯先輩はみるみる前の走者との距離を詰めていく。
そして、二位の走者を………抜いた!
抜いた。唯先輩が。前を走る人を。
『軽音部、いま二位の放送部を抜きました!しかし一位の合唱部との差は
まだ10m以上あります!さすがに厳しいか?』
一位を走る合唱部のアンカーの人もなかなか速い。
そして残りは100mを切っている。
いくら唯先輩でも抜くのは難しいかも………でも!
律「よっしゃー!いけー唯!!」
澪「いいぞ、唯!追いつく!!」
紬「唯ちゃん、ファイト―!!」
憂「お姉ちゃん!お姉ちゃん!!お姉ちゃーーーーーーーーん!!!」
梓「………唯先輩」グッ・・・
最終コーナーをまわったところで唯先輩は一位の人のすぐ後ろにいた。
そしてラストの直線―――
『軽音部、一位の合唱部にいま並びました!………唯!もうちょっとよ!!頑張って!!!』
唯先輩と合唱部のアンカーはほぼ横並びでゴールへと向かってくる。
梓「唯先輩、頑張れーーー!!!」
パァン!
『軽音部、いま一位でゴールイン!!やったわね、唯っ!!』
ゴールの直前、ほんの少しだけ唯先輩が前に出た。
勝った。一位だ。優勝だ。
唯先輩が全員を抜いて。
ゴールテープを切った唯先輩はそのままスピードを落とさず私達の前まで走ってくる。
律「唯!やったな!優勝だぞっ!!」
澪「さすがだな!すごかったぞ唯!」
梓「………唯先輩………」
唯「ハァ、ハァ……あ、あずにゃん、大丈夫?………血っ!血が!!膝から血が!!」
梓「え?ああ、大丈夫です。たいしたケガじゃあ………」
唯「保健室っ!保健室にいかなきゃ!!」ヒョイ
梓「え……えぇえっ!?//////」
キャー! キャァーー!!
ギャラリーが再び騒ぎ出す。
私を抱え上げて走りだした唯先輩を見て。
……こ、これは………お姫様だっこ……!?//////
て言うか腕力はへにゃへにゃなんじゃなかったんですかっ?
火事場の馬鹿力というやつでしょうか!?
梓「ゆ、唯先輩っ!?私、歩けますからっ!降ろしてくださいっ!!//////」ジタバタ
唯「あずにゃん、大丈夫だからねっ!?ちょっとだけ我慢してねっ!?」ハァハァ
聞いてないっ!?
保健室の先生は飛び込んできた私達を見て驚き、すぐにベッドに寝かせた。
………唯先輩を。
そう、どう見ても唯先輩の方が重症だった。
当たり前だ。200mを全力で走った後、さらに私を抱えて走ったのだから。
保健室にたどり着いた時の唯先輩は完全に酸欠状態でした。
酸素スプレーを口に当てられしばらくすると呼吸は落ち着き、
スースーと可愛らしい寝息を立て始めた。
ホッ………まったく、スタミナ無くて腕力へにゃへにゃのくせに無茶しないでください……
私のケガはやはりたいしたことはなく、消毒した後に絆創膏を貼って貰い治療は終了。
コンコン ガチャッ
和「あら、ヒーローはお休み中かしら?」
保健の先生が用事で席をはずし、眠っている唯先輩と二人きりだった保健室に
真鍋先輩がやってきた。
梓「リレーのアナウンス、真鍋先輩ですよね?」
和「放送部が全員リレーに出場しちゃってたからね。生徒会に仕事が回ってきたのよ」
梓「最後の方ものすごく個人的な実況でしたね。大丈夫だったんですか?」
和「………生徒会長にお説教されたわ」
真鍋先輩がお説教………どちらかというとお説教する側で、されるイメージがない人なので
怒られている真鍋先輩の姿を想像すると笑ってしまう。
和「あらあら、呑気な顔で寝ちゃって」
真鍋先輩が唯先輩のほっぺをツンツンとつつく。
『気安く触らないでください!』
とはさすがに言えなかった。
和「結局、唯は『誰かの為』なのね」
言いながら真鍋先輩はベッドの脇、唯先輩を挟んで私の向こう側の椅子に腰かけた。
和「誰かが泣いちゃうかもしれないから今まで本気で走らなかった。
でも『誰かさん』が泣いちゃったから本気で走ったんだもんね」
梓「な、泣いてませんよ!」
本部テントにいた真鍋先輩から私が泣いていたかどうかなんて見えるはずがない。
だからこれはかまをかけているだけなんだ……引っかかっちゃいけない。
和「あらそうなの?でも、もしあのまま軽音部が最下位になってたら、
中野さんは『自分のせいで負けた』って思っちゃってたでしょう?」
………やっぱりそういうことでしょうか。
唯先輩が本気で走った理由は。
………………私の為?
和「それにしてもカッコよかったわねぇ、今日の唯」
梓「うっ………ソ、ソウデスネ・・・・・・//////」
―――そうか。
やっとわかった。
なぜ私が唯先輩に本気で走って貰いたかったのか。
色々と理由をつけたけどなんのことはない。
私はただ、真剣に走るカッコいい唯先輩を見たかっただけなんだ。
和「まったく………改めて惚れ直しちゃったわ」
梓「えぇっ!!?」
惚れ……直す?そ、それって……!
和「負けないわよ、梓ちゃん。こっちのレースはまだ始まったばかりなんだから」
和先輩はニヤリと笑いながらそう言った。
こ、これは………宣戦布告というやつでしょうか……?
梓「………今日の一件で私の方がリードしたと思いますけど」
和「あら、言うわね。ふふっ、私は唯と違って手加減はしないわよ?」
梓「の、望むところです!私も絶対に負けません!!」
………寝ているとはいえ張本人の目の前でこんな話をするのはどうかと思いますが……
和「でもまあ今日の所はあなたに譲るわ。唯が起きるまで看ててあげて。私は生徒会の仕事があるから」
梓「えっ?あ……はい」
和先輩はそう言って保健室を出る………と、思いきや立ち止まって振り返った。
和「特別に譲ってあげるんだからね?抜け駆けは無しよ。調子に乗って告白とかしないように」
梓「ま、まだしませんよ!//////早く行ってください!」
和「『まだ』ねぇ………まあいいわ。唯のこと頼んだわよ」
バタン
ふう………
唯先輩のこと好きだって気づいたのがついさっきなのに
告白なんかできますかって。
それにしても和先輩も唯先輩のこと好きだったなんて………
考えが読みにくい人だから強力なライバルかもしれない。
唯「ムニャ……うーん……」
あ、起きたのかな?唯先輩の顔を覗き込むと大きな瞳がパチリと開いた。
唯「ふあ………あずにゃんだぁ………」
梓「はい。おはようございます」
唯「………あっ!!あずにゃん、ケガはっ!?大丈夫っ!?」ガバッ
梓「だからたいしたケガじゃないんですってば。ほら」
絆創膏一枚貼られた膝を見せる。
梓「私より唯先輩の方が大変だったんですから。大丈夫ですか?
気分悪かったりしません?」
唯「えっ?うん、全然大丈夫だよー」ニパー
無邪気に笑う唯先輩。さっきのカッコよさとのギャップがすごい。
カッコよくて可愛いなんてはっきりいって反則です。
梓「唯先輩、憶えてます?部活対抗リレー、優勝ですよ」
唯「………んー………うん………」
唯先輩にとってそれが特に嬉しいことではないのは分かっている。
ごめんなさい、それでも言わせてください。
祝福と、お礼を。
梓「ありがとうございます。唯先輩」
唯「そんな……やめてよあずにゃん。軽音部みんなで頑張ったことなんだから……
もちろん、応援してくれたムギちゃんもね」
梓「それはそうなんですけど、やっぱり私のミスをフォローしてくれた
唯先輩の力が大きかったですよ」
唯「………………………」
梓「あと、その………す、すっごくカッコよかったです………//////」
唯「へっ!?//////」
梓「あっ、そ、そのっ!の、和先輩も言ってましたよ!唯先輩、カッコよかったって!」
唯「えっ、そーなの?そっか、えへへ………和ちゃんが………」
むっ。
余計な事を言ってしまいましたか………
梓「あ、そうだ。唯先輩、憶えてます?体育祭の一週間くらい前、
私が部室にいくのが遅かった日のことなんですけど………」
唯「えー?一週間前………あっ、あずにゃんがなかなか来なくて、先にケーキ食べちゃった日?
そう言えばあの時あずにゃん何か言いかけてたよね?ちょっと気になってたんだよー」
唯先輩は妙なところで記憶力が良かったりする。
私についての事だから憶えててくれてた、なんて自惚れたりはしません。
梓「はい。あの時言おうとしてたことなんですけど、その………唯先輩はそのままでいいです」
唯「………ほぇ?そのままって………?」
梓「まあ、ライブの時なんかはもちろん自分の為に頑張って欲しいですけど……
それは言わなくても大丈夫ですもんね」
唯「???」
梓「だから唯先輩はずっとそのままでいてください」
唯「え?うーん……よくわかんないけど………わかりました」
きっとこの人はずっと『誰かの為』なんだ。
これからも誰かが泣かないように頑張ったり、頑張らなかったりするんだろう。
唯先輩が頑張れない時は私が頑張ればいい。
………今日は失敗しちゃいましたが。
梓「………次は学園祭ですね。風邪とかひかないでくださいよ?」
唯「大丈夫だよ~♪あずにゃんは心配性だねぇ」
窓の外からは生徒たちの歓声が聞こえてくる。
体育祭もそろそろ大詰めなんでしょう。
梓「………そろそろグランドに戻りましょうか?」
私としてはもう少しここで二人でいたい気もしますが……
唯「うーん……そうだね、戻ろっか」
梓「はい」
名残惜しいが唯先輩がそう言うなら仕方ない。
唯「ここにいても今はまだ告白してくれないんだもんね?」
………………………………へ?
唯「えへへー//////」ニコニコ
えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええっ!!??/////////
唯「いこっ!あずにゃん♪」
おしまい
―――その後の話を少し。
翌日、学校に行きますと。
純「おーす、梓姫!おっはよー♪」
梓「!!……なにそれ?『姫』って………」
純「えー?もうみんな言ってるよ?梓のこと『姫』だって」ニヤニヤ
梓「なっ……!?//////」
………リレーの直後。
あのお姫様だっこは全校生徒に見られていたわけで。
なんか色んな人が写真に撮っていたらしくかなり出回っているらしい。
ちなみに唯先輩のあだ名は『王子』。
純「ほら、私の携帯にも入ってるよ。お姫様だっこ写真」ニヤニヤ
純が見せてくれたのは確かに私が唯先輩に抱えられている写真。
……ご丁寧に唯先輩と私の頭には王冠とティアラのようなものが加工されてある。
しかもこの写真、すっごくアップなんだけど………誰がどうやって撮ったの?
………とりあえず後で私の携帯に送ってもらおう………
純「あと『唯王子と梓姫を応援する会』なんてのも出来たとか出来ないとか………」
梓「う、うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!//////////////////」
最終更新:2016年09月14日 22:53