三年前の夏。
五人で行った最後の旅行。旅先は神鍋高原。
二泊三日の最終日、しこたまお酒を飲んで乱痴気騒ぎがひと段落した頃、部屋の片隅に置かれた古い振り子時計の針は、午前二時を指していた。
お酒に強くない澪ちゃんとあずにゃんは早々にリタイアしてとっくに布団の中。
最後の最後まで付き合ってくれてたムギちゃんはお酒に強くても睡魔に弱くって、からっぽの一升瓶を抱いたまま机に突っ伏してしまい、りっちゃんとわたしで担いでベッドに連れて行った。

『りっちゃん、ねむい?』

『いんや。まだまだいけるぜ』

『さっすがりっちゃんだね。じゃあもうちょっと飲む?』

『うーん、それもいいけど…ちょっと散歩でもしねぇ?』

とっくに閉まっていた旅館の玄関の自動ドアをこじ開け、わたし達は外へ出た。
高原の冷たい夜の空気が、酔った肌にきもちいい。
見上げた夜空には、信じられないくらいの星が存在していた。
高三の夏に夏フェスで見た夜空もすごかったけど、ここもぜんっぜん負けてない。
これがもし本当の星空なんだとしたら、わたし達が毎日見てる空はなんなんだろう。
わたし達、見てるつもりで何にも見てない、ってこと?

すっげーっ!、と声をあげたりっちゃんが駆け出した。わたしも慌てて追いかける。

『行こうぜっ』

前を行くりっちゃんが振り向いてわたしに手を伸ばす。その手を掴み、ふたり、走り出した。


わたし達は走った。夢中で走った。さっきまでしこたまアルコールを飲みまくってたことも忘れて走った。
こんなに時間に車が来るわけないし、道は広くてぶつかるものもない。
わたし達を邪魔するものは何もなかった。

走り続けてすっかり息の切れたわたし達は、大の字になって道路に寝転んだ。
360℃見渡す限りの星空。どれが何座?なーんて全く知識はないけれど、そんなことお構いなしに圧倒されるその迫力。
普段は人工の光に隠されて見えない星達も、本当はこんなにたくさん存在してるんだ。
いまのうちに存分に記憶に焼き付けておこう。
あ~、きっと天文に詳しかったらもっと感動したんだろうなぁ~、もっと勉強しときゃよかった。


『ねぇ、りっちゃん。“夏の大三角”ってどこ?』

『ん~~~とだな……。わからんっ! 星座なんてまったくわからんっ! とにかく綺麗! 以上!』

『やっぱりでしたか…りっちゃん隊員。聞いたわたしがバカだったよ…』

『なにィ! じゃあ唯隊員っ、お前はひとつでも知ってる星座あるのかよっ!』

『知ってたら聞いてないよ、おバカだね。りっちゃんだってどーせ知ってる星座なんてひとっつもないんでしょ?』

『あるわい!』

『うっそだぁ~、じゃあ言ってみそ』

『お、おりおんざ……』

『じゃあ、差してみて』

『………』

『ほら、やっぱうそじゃん』

『ち、ちがくて……オリオン座は冬の星座だから……』

『…………ごめん』

『やめろ! 謝られると余計みじめになる!』

そうやってふたり、星空に見とれながらもバカ話。

『………ところでさ。唯、流れ星、って見たことある?』

りっちゃんがぼそっと、わたしに尋ねた。

『んーん。ない』

わたしは星空を眺めたまま左右に首を振った。

『わたしもない。でもさ、こんだけ星あったら今見れそうじゃね?』

『あー、そうだね。じゃあねがいごとしなきゃ!』

左右に視線を泳がせながら、一層集中して星空に見入る。

『流れる切るうちに三回唱えるんだぞ。見つけてからじゃ遅いから、あらかじめ考えておけよ』

『んーとんーと……ねがいごとねがいごと……』

んんんーっ、そう言われてもいざとなるとなかなか出てこない。
そうこうしてるうちに流れ星を見逃したら一大事、と星空に集中すれば、ねがいごとを考えられず、ねがいごとに思考を向ければ、星空への集中がおろそかになる。
あー、もー! どうすればいいのさっ!

『あっ、流れた』

『ええっ! どこどこ!?』

『あそこらへん。もう流れちゃった』

『そんなぁ~……わたしねがいごとしてないよぉ』

『へへーん! わたしはしたぞっ、三回ちゃんと唱えたっ』

『うそじゃん。黙ってたじゃん!』

『バーカ。心の中で唱えればいいの』

『じゃあなにおねがいしたの?』

『ナイショ』

『いいじゃん教えてくれても。りっちゃんのケーチ』

『あのなぁ、言うだろ? ねがいごとは口に出しちゃ…って』

『知らないよそんなの。あれでしょ? どーせ、彼氏できますように。とかでしょ』

『ち、ちがわい!』

『はーいはい。ステキなカレシできるといいね。ま、できてもまたすぐ別れちゃうだろーけど』

『うっせー! お前だって人のこと言えねーだろがっ!』

わたし達の中で一番はじめに彼氏ができたのは…何を隠そうこのわたしだ。
でも一番はじめに失恋したのもわたしだった。

男の子ってわかんない。
付き合ってくれ、って向こうから言ってきたから、まぁいっか別にキライじゃないし、仕方なしOKすると飛び上がるくらい喜ぶくせに、
数ヶ月もすれば「ごめん、好きな人ができた。キミはひとりでも大丈夫だと思うから」って言ってくる。
なぁ~にが「ひとりでも大丈夫」だ。ちょっぴり恋愛ごっこしたくらいでわたしのことわかったふりするんじゃないよ。まぁ彼氏なんていなくても平気なのはその通りだけどさ。


わたしにはじめて恋人と言える存在ができた一週間後、追いかけて来るように恋人を作ったのはりっちゃんだ。
元気で明るくて楽しいりっちゃんは意外にモテた。意外、にね。りっちゃんのクセにモテるとかナマイキだ。


それでりっちゃんの恋の行き先はというと…それがわたしと同じなのだ。モテて告白されて、一応は付き合うも長続きしない。
わたしと違うのは、りっちゃんの場合フラれるんじゃなくて自分からフっていることが多い、ということだった。
フラれたフラれたって言ってるからそうなのかと思いきや、実は自分でフってた、なんて。


理由を聞いても曖昧にごまかすばっかりで、いつだって別れた理由を教えてくれない。
そのくせわたしに新しく彼氏ができると、りっちゃんも対抗するようにすぐ彼氏を作る。
わたしが別れれば、りっちゃんも別れる。

なに? りっちゃん、わたしと勝負してるつもり?
はぁ~~?? そんなわけあるかっ!
じゃあわたしの真似しないでよ。
真似なんかしてねーっつーの!
なぁんだ。たんにフラれただけかぁ。
フラれたのは唯もだろーが。
わたしはいーの。別に彼氏なんかいなくったって。
わたしだって、別に彼氏なんかいらねーし。
ほんとぉ?
ほんと!

あ、そ。
イミわかんない。りっちゃんさぁ、一体何がしたいわけ?

そんなわけでわたし達は恋人がいたりいなかったりで渡り鳥みたいなところがあった。
だから、恋バナはそれなりに盛り上がるけれど今ひとつパッとせず、どっかにいい男いないかねぇーとか、発泡酒を飲みながら叫びつつ、実際のところ本気ではなくてお酒のつまみにしてるだけ。
だって別に男なんていなくて毎日楽しいし。まぁいいか、と思って暮らしていた。


その頃は恋愛と将来を結びつくなんて、想像もできなかった。
結婚なんて遥か未来の話だと思っていたし、いつか自分にもそういう人生の決断を迫られる日が来るとしてもそれはずっと先の話だし、そのときはそのときでどうにかなるだろうとぼんやり思っていた。

そういうメンタリティは30歳に手が届く今になってもあんまり変わっていない。
いつか、そのうち、なんとかなるでしょ。まぁいいか。気持ちは未だ、女子大生。

『で、なにをおねがいしたの? おしえてよ。別にいーじゃん、減るもんじゃないでしょ』

そう言ってわたしはりっちゃんに覆いかぶさった。
わたし達はずっと星空を眺めたまま話していたから、このときはじめて目と目が合った。次の瞬間、りっちゃんが目を瞑る。
なにがそんな恥ずかしいのか、大抵のこっぱずかしい恋バナもつまびらかに語り尽くしてきた間柄で何を恥ずかしがる必要があると言うのか。

目をつむったままりっちゃんはプイと顔を背けた。

言えないってことは…えっちなおねがい? まさか。奥手な澪ちゃんには話せない、下世話な話だってわたしにはしてきたじゃん。

わたしは左手はアスファルトに押し付けたまま、右手でりっちゃんの頬を掴んで向き直らせると、閉じたままの瞳に息を吹きかけ顔を寄せた。わたしの前髪がりっちゃんの額にかかる。

『わたしに言えないことなの?』

りっちゃんが瞼を開いた。たったそれだけのことなのに、どうしてかわたしは気圧されて思わず顔を上げた。
一瞬の隙を見逃さず、りっちゃんがわたしの両肩を掴み、ごろん、とふたりの身体が転がる。今度はわたしが下になった。

『知りたい?』

りっちゃんの吐息が頬にかかる。さらさらの前髪が揺れる。
わたしはゆっくり頷いた。ほんのりとアルコールの匂いが漂う。りっちゃん、まだ酔ってる?

『でも口に出したら叶わない……んでしょ?』

『口に出さなくても教えられるよ』










そう言って、りっちゃんはわたしにキスをした。








りっちゃんが東京に転勤になったのはそのすぐあとだった。

あれから三年、わたしにも彼氏はいない。
理由なんてない。相変わらずまわりにロクな男がいなかっただけ。
彼氏なんかいなくても、毎日充実してたし、困ることなんてなんにもないだけ。
まぁいいか、作んなくても…って。

わたしが彼氏を作らないんだから、りっちゃんも彼氏を作らなかった。
少なくともそういう話は聞かなかった。それまで通り、何も変わらず。

色恋沙汰に縁遠くなっちゃたもんだからさ、恋バナ、全然しなくなって。
とはいえわたしとりっちゃんの間で気を使うなんてことは一切なかったから、別に話題に困んなかったわけで。変わらずくだらない話で笑いあって…。


ただあの日のことはお互い一切、触れようとしなかった。


近くにいようが遠くに行こうが、会えばいつだってわたし達は相変わらずだったし、それはこれからさきもずっと変わんないと思ってて。
わたしはわたし。りっちゃんはりっちゃん。
何も変わらないと思ってた。

びっくりしたよ。
りっちゃんがわたしより先に彼氏を作るのだって、はじめてのはずなのにさ、いきなりだよ?



結婚、なんて。






ベランダから戻ると、ソファで眠るりっちゃんがブランケットを跳ね飛ばしていた。
仕方ないなぁ、もう。掛け直してあげますよ、と。
大きな窓いっぱいに月明かりが室内に射し込む。
すやすやと眠り続けるりっちゃんが、少女のように微笑んだ。

どんな夢、見ているんだろ。

わたしはあの日と同じようにりっちゃんの頬を掴むと、瞳に息を吹きかけ、顔を寄せた。
前髪がりっちゃんの額にかかる。





……バカみたい。
顔をあげ、りっちゃんの髪を手に取る。
パーマ、似合ってないよ。ヘン。前のほうが、好きだった。

わたしはりっちゃんから距離をとって座り直し、瞳を閉じた。

☆☆彡

りっちゃんのスマホが鳴り出したのは、もたもたしていたわたしがようやく靴紐を結び終えたタイミングだった。

ゆ~い~はぁ~やくしろよぅ~、なんて欠伸混じりの間抜け声を出していたりっちゃんは、ディスプレイを見て顔色を変えると「はい、田井中です」とハリのある声で名乗り、電話に出た。


「後輩ちゃんがミスったらしくて納品先に付いてかなきゃいけなくなったんだって」

「納品先? どこなの?」

「大阪。転勤前にりっちゃんが担当してたとこ」

「そう…大変ね。夜には合流、できるかしら」

高さ150mの展望台から東京の街並みを眺めつつ、ムギちゃんは呟くように言った。

特別行きたいところなんてなかった。

そもそも、りっちゃんムギちゃんがいるから遊びに来たわけで、二人と一緒なら別にどこに行ったってよかったし、極端に言えば一日りっちゃんちに三人集まってダベってゲームやってるだけでも一向に構いやしなかった。
裏を返せば、りっちゃんがいない時点でどこに行っても満たされない。

行き先に選んだのは…東京タワー。ムギちゃんのお気に入り。

りっちゃんがこっちに引っ越してきたとき、はじめて二人で行ったのもね、東京タワーだったの。
ムギちゃんは言った。

スカイツリーも興味あったんだけどな。まぁいいか。人も多そうだし。
むしろ、猫も杓子もスカイツリーなご時世だからこそ、オンコチシンっていうか…これ、意味あってる?

「高いねぇ…」

「そうねぇ…」

「りっちゃんち、ってどっちのほう?」

「えーっとね…あっちね」

「ムギちゃんちは?」

「向こうよ」

「ありゃ? 逆方向?」

「そうね。わたしの住んでるところは、神奈川寄りだから」

「ふぅん。りっちゃんちまで、電車でどのくらい?」

「一時間ちょっとくらいかな」

「結構とおいね」

「そうね。意外と広いのよ。東京も」

「じゃあ、偶然会ったりとか、ないの?」

「会えたら、素敵なんだけどね」

ムギちゃんは残念そうに笑った。
万に一つはそうそうにない。あれば奇跡。それは運命?

そういえば、りっちゃんの彼氏とやらはどこに住んでるのかな。ムギちゃん、知ってるのかな。
気になったけど、聞けなかった。…まぁいいか。


タワーを出た後はムギちゃんにくっついてあちこち巡り、晩ごはんはムギちゃんが予約を入れてくれていたレストランへ。

予約の30分前に、りっちゃんからムギちゃん宛にLINE。
納品した商品を全品検品させられることになり、最終の新幹線に間に合うかどうかもわからない、とのこと。

そんなに時間がかかるならもっと早く連絡してよ、てゆーか、わたしには謝罪はないわけ?と思ってたらわたしにも連絡きてた。またしても返信できず。…ごめんよ、と心の中で頭を下げる。

ムギちゃんのLINEを覗き見すると、ブサイクな顔した猫のスタンプを送っていた。
すぐさまりっちゃんからはブサイクな犬のスタンプが返ってくる。仕事しろっちゅーの。

ムギちゃんはブサイクな犬をいたく気に入った様子で、かわいい、を四度連呼。
わたしも大概だと自覚しているけれど、ムギちゃんの趣味も相当変わっている。

連れてきてもらったのはフレンチレストラン。
はじめて食する耳馴染みのない名前のメニューの数々は、上等すぎたのか、おいしいのかどうなのかよくわかんなかった。

りっちゃん、晩ごはん、ちゃんと食べられたのかな。
たこ焼き? おこのみ焼き? それも悪くないね。チープな味が恋しくなる。

「ここ、りっちゃんと来たこと、ある?」

「二、三回来たかしら?」

「へー、よくふたりで会ったりする?」

「…うん」

お互いの家にお泊まりしたりもしてるよ。
こないだはね、ウチでたこ焼きパーティーしたの!
りっちゃん、たこ焼き作るのうまくって、すごいのよ? くるっくるって!
わたしはね、はじめはうまくひっくり返せなくてぐちゃぐちゃにしちゃってたの。
でもねでもね! りっちゃんに教えてもらったから、最後のほうは上手に作れるようになったのよ!

…と、赤ワイン片手に持ったムギちゃんは、はしゃぐように言った。


ふぅん。仲良いんだね。
よかったじゃん、りっちゃん。

結局りっちゃんは最終の新幹線に間に合わず、ムギちゃんちに泊まらせてもらうことになった。
急な予定変更も、ムギちゃんは嫌な顔ひとつせず…むしろ大喜び。わたしもとても嬉しい。

「ほんとはね、はじめからウチにも遊びにきてほしいって思ってたの!」

眉毛がぴくぴくと跳ねるように動く。
前に東京に遊びに来たときにもムギちゃんちに泊まらせてもらったなぁー。
そのころまだりっちゃんはこっちに来てなかった。


ムギちゃんは東京に来てからずっと同じところに住んでいる。
駅からはマンションまで、歩いて二十分ほどかかる、少し不便だ。
でも近くに商店街があるからなんでも揃うし、緑が多いからお散歩も楽しいし、それに慣れちゃったから引っ越す気になれなくて、ムギちゃんは言った。



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最終更新:2016年11月28日 18:40