◇-01


 さて、秋といえば、なんだろう。

 読書の秋。芸術の秋。スポーツの秋。
 そう、つまりこれを契機に芸術や読書に勤しみ、
 新しい自分を発見したり、今の自分を成長させたり。
 秋というのは、そういう季節ともいえる。

 そんな季節、高校生の私も何か変わるだろうか。
 今年の冬には大人っぽい私と、ご対面出来るのだろうか。
 ……やっぱり、無理かなあ。

 それもそのはず。何故なら、
 こんな変化を求める季節に私は、
 あろうことか大人への道にもとるような行為を
 働いてしまっていたからだ。

 それは、秋風が荒ぶ、そんな日のことだ。


  *  *  *


 「……」


 私、鈴木純は今、
 友人の平沢憂の家に招待されている。
 加えて、後でもう一人の友人の
 中野梓も来ると聞いている。


 「さて、どうしようかな……」


 私は目の前の卓上に視線を走らせた。
 目に留まったのは開け放たれた箱。
 その中には、三種類合計七つのドーナツが入っている。

 ところで、全種のドーナツを二つずつ買えば、
 合計は六つになる。小学生でも出来る計算だ。
 因みに三つずつ買えば、合計九つだ。
 しかし、ドーナツは合計“七つ”なのだ。

 今度は自分の目の前に視線を移す。
 そこにあるのは、ドーナツが包まれていた
 思われる白い紙が一枚。中にドーナツは無い。
 そして、“ドーナツが一つ乗った皿”がある。


 「よし、決めた」


 私はゆっくり深呼吸をしつつ、
 心を落ち着かせた。ここからが正念場だ。


  *  *  *


 ことの始まりは三十分ほど前に遡る。
 憂の家に呼ばれてやって来た私は、
 リビングまで難なく通された。

 憂に、私の腕に提げられた箱について聞かれたので、
 私はこれ見よがしに箱を持ち上げてみせた。


 「ドーナツ買ってきたよ。
  しかも秋期限定の特別なドーナツもね」

 「へえ~」


 憂は大層嬉しそうな表情を浮かべていた。
 にこやかに私に笑いかける。


 「それは楽しみだね!」


 そしてリビングに腰を下ろした私は、
 ドーナツの入った箱を座卓の上に置く。
 しばらくして憂も麦茶を持ってきて、
 一緒に腰を下ろした。


 「あとで温かい紅茶も淹れようと思ってるから、
  とりあえず今はこれで」

 「おっ、ありがと、憂」



 憂が自分の持ってきた麦茶の入ったグラスを
 私の前に置く。有難く、ひと啜りした。

 いやしかし、麦茶が冷たいのは結構なことだけど、
 正直秋ぐらい涼しい季節には
 やはり温かい紅茶と洒落込みたい。今から楽しみだ。


 「因みにその紅茶、お姉ちゃんが
  紬さんから譲ってもらったものなんだよ」


 ほう、あの噂の。軽音部め、羨ましいぞ。

 いくら羨ましがっても紅茶は出ないので、
 もう一度麦茶を啜る。
 憂が何の補足もしないということは、
 この麦茶は普通の麦茶なのだろう。

 ……ムギ先輩の麦茶。

 窓は開いていないのに、突然身体が冷えてきた。
 麦茶の飲みすぎだろうか。

 憂が自分も麦茶を飲もうとグラスを
 持ち上げたその時、電話の呼び出し音が鳴った。
 家の固定電話のものだ。



 「あっ、ちょっと出てくるね」


 憂は小走りで電話を取りに行った。
 なんとも忙しないことだ。

 さて。卓上には、ムギ先輩とは関係のない、
 ただの麦茶が入ったグラス。
 そして、ドーナツ入りの箱。
 さらにその横には、予め憂が用意していたかと
 思われるお菓子たちが入ったお皿がある。

 付け加えて言うと、今の季節は秋。
 俗に“食欲の秋”と言われている季節だ。


 「……ま、仕方ないよね。季節が悪かった」


 と独り言をぼやき、ドーナツの箱に手をつける。

 私が買ってきたドーナツは、
 まず“鈴木純認定書”つきが二種類。

 (この“鈴木純認定書”とは、
  私が頭の中で発行している認定書で、
  私が最高に美味しいと思えた品につけるものだ。

  因みにこの認定書は滅多なことでは発行しない。
  故に、このドーナツたちは歴戦を勝ち抜いてきた、
  史上に刻まれるべきドーナツたちだ)

 それに加え、秋期限定という言葉に釣られて
 買ってきたドーナツが一種類。
 計三種類を各三つずつ、合計九つだ。



 「……むう、やはり失敗だったかな?」


 顎に手を当て、私は秋期限定ドーナツに
 視線を集中させる。個人的に言えば、
 このドーナツに手を出したのは、
 ちょっと失敗だったと思っている。

 もし、これが酷い出来だったとすれば、
 鈴木純認定書の権威が脅かされることに
 なるからだ。それだけは、避けなくてはならない。

 だからこそ、私は先にこのドーナツを
 食べなければならない。……決して他意はない。


 「そうそう、味見は料理の基本だしー」


 言い訳にならない言い訳を、
 誰もいないリビングで呟く。


 「……限定商品なんて、
  言葉だけに頼った商品かもしれないもんね」


 飲み物なんかで多い例だ。
 飲み物から連想された目の前の麦茶が
 目に留まり、もうひと啜り。



 「さてさて、と……」


 ドーナツの箱を上から覗きこむ。
 認定書発行済みのドーナツが六つと、
 まだ未知のドーナツが三つある。
 それぞれは手で持ちやすいようにと、
 白い紙に包まれていた。

 特に秋期限定の未知のドーナツは
 表面に白い粉がまぶされており、
 持っただけで手に粉がつくことは
 避けられないので、その配慮は有難かった。

 心の中であのドーナツ屋に感謝しつつ、
 手を汚さないよう紙を持ちながら、
 未知のドーナツを一つ自分の皿に運ぶ。

 ではでは、お手並み拝見といこう。
 いただきます。
 まず最初は、端っこから一口。

 ……。
 …………ッ!?


 「……うおお……!」


 ……お、美味しい。なんだこれは。

 口の中に広がる自然な甘みは
 確かな主張を見え隠れさせつつも、
 決してしつこくない。

 そして甘みが退いてきた頃合を見計らって、
 身を潜めていた風味がたちまちに現れる。
 それは口の中にぶわっと広がり、
 食べている人間の不意をつく。

 私は、この見事なダブルパンチを、
 もろに食らってしまった。
 この風味、恐らく栗か。実に秋らしいチョイス。

 迷い無く、鈴木純認定書を発行。


 その後、夢中になってドーナツを食べ進めた私は、
 丸々一つを食べ終えてもなお、その余韻に浸っていた。
 こんな美味しいものを限定メニューにするなど、
 ドーナツ屋も罪なことをしてくれる。

 ただこのドーナツに耽溺しているだけで
 時間が過ぎていくのも感心しないので、
 麦茶を流し込むことで、意識を現実に引き戻す。

 しかしそれにつけても、このドーナツ、だ。
 これほどの出来ならば、あの二人に振舞っても
 恥ずかしくない。そう思い、一安心する。


 「……」


 だが、そのとき私に魔が差した。
 普段の私なら、そんなことはしない。
 それは断言しよう。

 何が悪いのかと聞かれ、
 その問いに強いて答えるというのなら、
 それは“食欲の秋”がいけないのだ。


 「も、もう一個食べないと、
  判断できないかもしれないなあ~」


 誰もいないリビングをきょろきょろと見回し、
 独り言を呟きながら、
 例のドーナツを自分の皿に運んだ。
 判断できない訳が無い。十分な出来だった。

 それにも関わらず、私は二個目に手を出した。



 「……」


 耳を澄ますと、憂の声が聞こえる。
 まだ電話中のようだ。
 話の内容は聞こえてこないが、
 当分戻ってきそうにはない。


 「さて、どうしようかな……」


 私は目の前の卓上に視線を走らせた。
 目に留まったのは開け放たれた箱。
 その中には、三種類合計七つのドーナツが入っている。

 今度は自分の目の前に視線を移す。
 そこにあるのは、ドーナツが包まれていた
 思われる白い紙が一枚。中にドーナツは無い。
 そして、“ドーナツが一つ乗った皿”がある。


 「よし、決めた」


 私はゆっくり深呼吸をしつつ、
 心を落ち着かせた。ここからが正念場だ。

 私は、私自身の犯行を隠蔽することにしたのだ。


  *  *  *


 さて、ここから考えられ、
 私が取ることの出来るパターンは二つ。

 一つ目は今、このドーナツを食べる。
 二つ目は全員が揃ってから、このドーナツを食べる。

 どちらにせよ、買ってきた個数と
 ここにある個数は一致しない。
 それどころか、人数とも一致しない。
 ならば、当然言い訳を考える必要があるわけだ。

 少し考えた私は、その言い訳を
 “限定ドーナツだから売り切れちゃったよ”にした。
 実際、残り個数も本当に少なかったのだから、
 そこまで間違ってもいない。
 そして、この言い訳はどちらのパターンでも使用できる。

 ならばこの場合考えることは、
 どちらの方がリスクが少ないのかということだ。

 ふと、夏休みに読んだ小説を思い出した。
 それは甘そうなタイトルだったので
 買ったものの、内容は全然甘くなかった。
 しかし読んでみると非常に面白いもので、
 気付けばすっかり夢中になっている自分がいた。

 その小説の中にも、これと似た事件があった。
 事件とは言い切れないかもしれないけれど、
 当事者にとっては事件。
 同様に、これも当事者である
 私にとっては非常に重要な事件だ。

 残念ながら、あの犯人役は敗北してしまったが、
 私は轍を踏まないよう精進しよう。

 小説を思い出しつつ倣いつつ、
 隠蔽に必要な条件を思案する。
 つまり、ここにあっては不自然な点を見つけ出す。
 勉強は並の私だけど、悪知恵は働くのだ。



 「よし、まずはこれ片づけないと」


 私はまず、ドーナツを包んでいた
 紙をポケットにしまった。
 これが見つかれば一発退場だ。

 次に、手についたドーナツのカスを、
 ポケットティッシュで拭き取った。
 口にもついてないかと疑い、同様に拭き取る。


 「ふう」


 あの小説と違い、季節は秋。
 幸いにも隠蔽に必要な条件は極めて少ない。
 何度も卓上に視線を走らせるが、
 不自然な点は一つも見当たらない。

 念のためテーブルをティッシュで拭き、証拠隠滅は完璧。
 皿の上に一個目のドーナツのカスが
 まだ残っているけれど、問題は無い。
 実際今まさに、そのドーナツが乗っている。

 おっと、これを忘れてはいけない。
 最後に、拭き取ることに使用した
 ティッシュを片付けよう。
 が、ここで少し悩んでしまうことになる。


 「ここに捨てて、大丈夫か……?」



 ティッシュを片付けるとすれば当然、
 ゴミ箱に捨てれば良いのだろう。
 ……普通ならば。

 しかしよりによって、ゴミ袋を取り替えた直後なのか、
 一番近くのゴミ箱にはゴミ一つ入っていない。
 ここにティッシュを一つでも捨ててしまえば、
 それだけで目立ってしまう。

 そこから、取り越し苦労かもしれないが、
 私の犯行が看破される恐れがある。
 やはり、無闇にゴミ箱に捨てるのは控えた方が良さそうだ。

 ということで、使用したティッシュは
 ポケットティッシュの取出し口の
 反対側にあるポケットに入れることにした。
 ちょうど広告が入っている部分だ。


 「うっわ」


 しかし、私の普段のだらしなさが祟ったのか、
 その部分には使用済みティッシュが
 既に結構な量が入っていた。


 「入れにく……」



 早く入れないと憂が来てしまうかもしれない。
 だからといって急ぐために、
 直接パンツのポケットに入れるのも躊躇われる。
 付け加えると、今日履いてきた
 このカーゴパンツは私のお気に入りなのだ。

 どうにか入らないかと悪戦苦闘していた、その時。
 恐れていた事態が起きた。

 足音が聞こえる。

 これは紛れもない、憂の足音だ。
 そうすぐに気付いたのと同時に、
 憂が電話を終えて戻ってきているのだと悟った。
 身体中に寒気が走る。

 汚れるのは避けたかったが、止むを得ない。
 気付かれるよりはマシだと思いながら、
 私は使用済みティッシュを乱雑にポケットの中へ、
 ポケットティッシュと一緒に突っ込んだ。

 ……あー、お気に入りだったのに。

 自分の行動を惜しみつつも、
 素早く体制を整える。
 そのすぐ後、憂がリビングに入ってきた。



 「ふう、ごめんね長引いちゃって」


 いやいや。もっと長引いても問題なかったよ。


 「あとね、さっきメールが来たんだけど、
  もう少しで梓ちゃん来るって」


 ふーん、そっか。
 私は素っ気無い返事を返す。

 しばらく経っても憂は何のアクションも見せない。
 どうやら、私になんの疑いも持っていないようだ。
 つまり憂は、私の重罪を知らない。まして梓さえ、だ。

 自分のみが秘密を保持している状況に、
 私は不思議と優越感を覚えた。

 優越感は余裕を生む。
 余裕は自分より他人に視線を向けさせる。

 ……ちょっと完璧に隠蔽しすぎちゃったかもね。
 さてさて、どうするのかな、二人とも。



2
最終更新:2012年12月21日 00:06