◆-01


 風は強く、道歩く私の行く手を阻むかのように、
 木の葉が目の前で渦を巻く。
 私は立ち止まって空を見上げた。

 秋晴れ。実に清々しい空だ。

 私、中野梓は友人の平沢憂の家へ向かっていた。
 右手には家から持ってきた、
 お菓子が提げられている。

 見上げた空から射す光が眩しく、
 私は視線を前に戻した。
 携帯で時計を確認すると、
 約束の時間を既に五分ほど過ぎていた。


  *  *  *


 「梓ちゃん、いらっしゃい」


 家につくと、憂が快く迎えてくれた。
 私が遅れたことを意に介しないようだった。


 「おっそーい!」


 こいつは違った。
 先に着ていた来客、鈴木純
 リビングに我が物顔で寝そべっていた。

 テーブルの中に足を入れている体制から、
 そこに座っていたんだろうな、と見当がついた。

 私はテーブルを挟んで、
 純と差し向かいになる位置に腰をおろした。
 自分の持ってきたお菓子を
 置こうと卓上に目をやる。


 「あれ、もうこんなに」

 「私も、ドーナツ買ってきたんだよね」


 純はむくりと身体を起こし、得意げに語った。


 「しかもこの季節限定ドーナツ。絶対美味しいと思うよ。
  あまりに美味しいから、売り切れそうだったんだろうし」



 確かに純の言葉の通り、
 三個ずつ買われたドーナツの中に、
 二個しかないドーナツがある。
 これが売切れそうになった、秋限定のドーナツか。

 しかし不可解な出来事が起きていた。
 二個しかないドーナツのうちの一個が、
 何故か純の皿の上に乗せられていたのである。


 「純、それ」

 「これは購入者権限なんだよね~」


 なるほど、純は丸々一個このドーナツが欲しいのだ。
 残りの一つを私と憂で半分にして食べろと、
 そういうことなのだろう。

 しかし、二つの意味でお菓子にうるさい私だ。
 簡単に黙ってはいられない。


 「よし、純。交渉しよう」



 純がいる方へ身体を乗り出す。


 「私もドーナツのお金払うから、
  そのドーナツを食べる権利を買わせてよ」

 「ふふっ、実は払ったお金を覚えていないのだー」

 「えっ、本当に?」

 「本当なのだー」

 「レシートは?」

 「貰い忘れたのだー」


 うざ。

 純のうざい口調は置いておくとして、
 レシートを貰わなかったとなると本格的に困る。
 お金が払えない。イコール、あのドーナツを
 得る権利を買うことが出来ない。


 「なんとかして、純からドーナツを奪還しなければ」

 「こらこら。そういうこと言っちゃダメなのだー」

 「純“だけ”には取られちゃいけない」

 「……梓、そういうことはオフレコね」



 今の私は悪態でも口にしなければ、
 不満を吐き出すことが出来ない。
 更なる悪態を吐こうした時だった。


 「ん……?」


 不意に、違和感を覚えた。

 三分の二にカットされたのが嫌だからといって。
 丸々一つのドーナツを手にしたいからといって。

 “純は合計八つのドーナツの代金を奢るだろうか?”

 それほど純は寛大ではない、と思う。
 例えばそのドーナツ店が私たちの間で定番で、
 商品名を言っただけで私たちに値段がわかるならば、
 話は別かもしれない。しかし、そうではない。

 いや、一応仮定してみよう。
 純が実は寛大な一面があったという、
 現実には到底有り得ない、
 天地がひっくり返りそうな仮定をしたとしよう。

 しかし純は、私がお金を払うという提案に対し、
 払ったお金を覚えていない、レシートを貰っていない
 という旨の返答をした。

 初めから奢るつもりならば、
 払ったお金がわからないとは言わず、
 私に払わせることを制するようなことを言うはずだ。
 どう考えても、純は奢るつもりがない。

 結果、この仮定は見事に否定された。
 純が純でちょっと安心した。



 「……」


 では、どういうことになるのか。
 つまり。

 “純は他の理由から、故意にレシートを貰っていない。”

 ……可能性が高い。
 ないし、純はレシートを隠し持っている。
 だとすれば、その理由はどこにある。


 「どうしたの、梓ちゃん?」


 憂がティーセットをキッチンから持ってきて、
 私の右斜め前に腰を下ろす。
 中身は紅茶か。いや、今そんなことはどうでもいいけど。


 「いや、純がドーナツを多く持っていくのに、不満を覚えてね」

 「純ちゃんはわざわざ買ってきてくれたんだから、
  それぐらい許してあげようよ~」


 また、そうやって憂は。
 だから憂の周りの人は、憂に甘えちゃうんだよ。


 「あっ、今、私のこと冷ややかな視線でみたでしょ」


 純の戯言はさておき、
 なんとかして純の裏を知りたい。

 というか純に出し抜かれるのは癪だ。
 なんとしても理由を暴かなくてはならない。
 重ねて言うが、純に出し抜かれるのは癪だ。


 卓上に視線を走らせる。

 まずは平沢家のティーセット。
 今、私の目の前にカップが置かれ、
 そこにホットの紅茶が注がれる。
 この香り、軽音部の紅茶ではないか。

 また憂と純の目の前には麦茶の入ったグラスがある。
 私が来る前にはこれを飲んでいたということか。
 恐らく、淹れたての紅茶を私に飲ませるため。

 次に、純の持ってきたドーナツの箱。
 中には三種類のドーナツ。
 二種のドーナツは三個ずつあり、
 残り一種のドーナツは一個のみ。
 ただしもう一個、純の皿の上にある。
 紙に包まれている。ピンチ。

 三人の前に出された皿。
 シックな白い皿で、どんな場面でも使用できそう。
 純以外の二人の皿には何も乗せられていない。
 これから乗せられるのは美味しいお菓子たち。

 そして、恐らく平沢家のものと思われるお菓子。
 木製の皿に乗せられている。
 紅茶にはあまり似合わない、煎餅など。
 いつも洋菓子に慣れた私にとっては、
 少し興味をそそる内容だ。手はまだつけられていない。

 最後に私の持ってきたお菓子。
 貰い物で、栗饅頭が入っている。
 もし今日中にこのお菓子まで
 全て食べてしまったら……、いわずもがな。


 (不自然な点は無い、か)



 ここに不自然な点は無い。
 そう結論付けた。

 ここは逆から攻めてみよう。
 そうだ、純がレシートを貰わなかった理由を
 状況から推理するのではない。
 逆に理由を仮定してから、状況で証明してみよう。

 例えば、純は実はドーナツを買っていない。
 これは貰い物である。自分が買ったといえば、
 このドーナツは買ってきた自分が食べられる。

 それは無理がある。
 そんなに自分で食べたかったら、
 一人家で食べれば何の問題もない。

 例えば、ドーナツを余計に買ってしまい、
 私たちに多く払わせるのが申し訳なくなった。
 レシートを見せれば私はともかく、
 憂はお金を払いかねない。それが避けたかった。

 これも違う。第一、ドーナツは全てここにある。
 買いすぎたということは無い。


 (……いや、待てよ)


 この仮定、新しい一面を見せていないか。
 どうしてもそのことが気になった私は、
 拳を口に当てて熟考に入る。



 「それじゃ、食べよっか」


 しかし思考を邪魔するように、
 憂がお菓子パーティ開始の合図をする。
 早くしないと純の腹の中に、
 あのドーナツが入ってしまう。

 頭の回転をいつもより早くする。
 いつもより早く回っておりまーす。
 ムギ先輩が頭の中で皿を回す。
 こらこら、先輩危ないですよ。

 何をやっているんだ、自分は。


 「……あっ!」


 くだらない思考が入ったおかげなのか、
 頭が整理された私は、
 ついに一つの可能性に辿り着いた。


 「ど、どうしたの、梓ちゃん」


 突然声を上げた私を、憂は心配そうな目で見てきた。


 「なになに、空にユーフォーでも見つけた?」


 一方、純は適当におちゃらけていた。
 ただ、そのおかげでドーナツを口に運ぶ手は止まり、
 一応食べられることは阻止できた。


 「い、いや、ごめんね。
  ちょっとお手洗い借りていい?」

 「うん、いいよ。梓ちゃんが来るまで待ってるね」


 いつもなら待ってなくていいよ、と言う場面だが、
 今回は有難くその言葉を受け入れる。

 純が舌打ちをした。絶対怪しい。


  *  *  *


 本当にお手洗いに行きたくなったわけではなく、
 当然咄嗟の演技だったわけだけど、
 一応個室に入って鍵をかけるのがマナーかと。
 そう思った私は一人個室にこもって考えを
 まとめることにした。

 私が辿り着いた可能性。それは、


 (“あそこにあるドーナツが全てじゃない可能性”)


 だ。

 あの八つのドーナツが全てという前提が錯覚で、
 実は九つ目、十つ目のドーナツが存在するとしたら。
 それはどこに隠されている。

 答えは一つしかない。“純の腹の中だ。”

 この仮定を現在の状況で照らし合わせてみる。
 レシートを出さない理由とも一致するし、
 卓上の状況は純が隠蔽工作を働いたとすれば、
 何も問題はない。恐らく、これが答えだ。

 だとすれば、私は策を講じる必要がある。
 いくらお手洗いを借りた身とはいえ、
 人を待たせているのだから、
 私に許されている時間はそこまで長くない。

 考える。純の隠蔽工作を破る策。
 または純の口を滑らせる策。
 悪知恵の働きそうな純の一枚上手をいくような策。


 「……いや、違う」



 ここで考え直す。
 いくら悪知恵が働こうと、実行犯は純。
 それ以上でもそれ以下でもない。

 ならば必ず、見落としている穴があるはずだ。
 純はどうしようもない馬鹿とまでは言わないが、
 とても完璧ではない。
 それを追及さえ出来れば決着がつく。


 (だとしたら、穴はどこだ……)


 さっき卓上を調べたときには感じなかった、不自然さ。
 そこに隠されたそれはあると仮定した上で、
 私の頭は再び先程の情景を思い浮かべていた。

 いや、待てよ。

 さっきの情景、確かに不自然な点はなかった。
 ならば発想を逆転させよう。

 “自然な点にこそ、純が見落としている
  大きな穴があるのではないか。”

 言い換えるなら、一見それは対処の必要性が
 無いようなものだが、実はとんでもないものを
 内包しているものがあるのではないか。
 不自然を隠すあまり、見逃していた自然。
 そう思い直して、すぐのこと。



 「あっ」


 私は、探し物を見つけたかもしれない。

 決して確実ではない。確認していないから。
 ただ、今は考える時間がない。
 私が見つけ出したかもしれない穴を、
 純がどうにか見落としていると信じるほかないし、
 確認する暇が殆どない立場上、
 これがリスクの高い勝負だということも重々承知だ。

 ならば確認する前に、行動するのみ。

 私はマナーとして、
 水以外なにも入ってないトイレの水を流した。



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最終更新:2012年12月21日 00:06