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りっちゃんの調子がちょっとおかしい。

学園祭の軽音部のライブが終わって数日経って、秋風が身に沁みる様になった頃。
ムギちゃんが給仕してくれたお茶とケーキを部室で頂きながら、私はそう思っていた。

随分前、澪ちゃんと喧嘩していた時みたいに、誰かと険悪な雰囲気を漂わせてるわけじゃなく。
暗い表情を浮かべて、溜息ばかり吐いてるわけでもなく。
一見しただけだと、いつものりっちゃんと変わらない様子に見える。
明るく元気でちょっと騒がしくて、唯ちゃんとふざけ合って、
梓ちゃんと澪ちゃんをからかって、ムギちゃんに変な事を教えたりして……。
傍から見てるだけだと、本当にいつもと変わらないりっちゃんなのよね。

でも、私は何となく気付いてしまった。
りっちゃんの浮かべる笑顔が何処となく寂しそうだって。
その瞳がほんの少し愁いを纏っているんだって。

無理もないかもね、と私は目を細めて考える。
高校三年の学園祭が終わったという事は、残すはいよいよ受験と卒業だけという事になる。
もう半年も経たない内に、りっちゃん達は高校を卒業しちゃうって事になるのよね。
こんなの、寂しさを感じない方が嘘ってものよね。
りっちゃん達だって二度は卒業を経験してるわけだけど、中学生から高校生になるのとは訳が違う。
だって、大学生になるんだもの。
ほとんど大人の仲間入りをしてしまうんだもの。
これまで感じた事が無い期待や不安を胸一杯に感じてるんだと思う。

勿論、そう偉そうに考えてる私だって、
高三のこの時期は期待と不安に溢れていたし、部の仲間と離れ離れになる寂しさも感じていた。
誰だってそうなんじゃないかしらね。
いつも明るく見えるりっちゃんだって、のんびりした唯ちゃんだって。
それに、私もまたそれを感じてる……のかもしれない。
今の私はまた、高校を卒業するという現実に戸惑いを感じてしまっている。
自分自身の卒業と同じ……、ううん、ひょっとするとそれ以上に……。

私は自分の胸の鼓動が少し早くなるのを感じながら、部室に揃った教え子達に視線を向けてみる。


「古文、分っかんねー……!」


ケーキを食べ終わって受験勉強をしていたりっちゃんが、頭を掻きながら小さく叫んでいる。
澪ちゃんが「急に叫ぶな!」とりっちゃんの頭を軽く叩きながら、律儀に古文を教えてあげ始める。
唯ちゃんとムギちゃんが二人の様子を微笑ましそうに見ている。
梓ちゃんが楽譜を確認しながら、チラチラと先輩達の様子を窺っている。
その梓ちゃんの表情は嬉しそうで、同時に寂しそうにも見えた。

梓ちゃんもりっちゃん達の卒業に戸惑ってるのかしら?
それはそうよね、一度高校を卒業してる私だってそうだもの。
残される梓ちゃんの心中は穏やかじゃないはず。
でも、残されるのは梓ちゃんだけじゃなくて、私も……。

そうやって私が梓ちゃんの方に視線を向けていたせいだろう。
りっちゃん達の方を見ていた梓ちゃんが私の視線に気付いて、不思議そうに首を傾げた。


「どうかしたんですか、さわ子先生?」


「えっ? えーっと……」


急には上手い返答が出来ない。
教え子達が自分の卒業に戸惑ってる中、
先生の私が教え子達の卒業に戸惑ってるなんて言えるわけないじゃない。
そんなの、正しい先生の姿じゃないわよね。
どう誤魔化そうかと思って苦笑を浮かべていると、何を勘違いしたのか唯ちゃんが変な事を言い出した。


「あっ、駄目だよ、さわちゃん!
私達がもうすぐ卒業するからって、あずにゃんに歯ギターとか教えようとしちゃー!
あずにゃんには可愛いあずにゃんのままで軽音部を引っ張ってってもらうんだからー!」


少し驚いた。
勿論、歯ギターの事じゃなくて、唯ちゃんが自分の卒業を自覚してる事に。
のんびりしてるように見えるけど、唯ちゃんはちゃんと自分の未来を見据えてる。
自分の後を梓ちゃんに継いでもらう事をもう決めているのね……。
知らない内に成長してるのよね、唯ちゃんも……。

「今後の軽音部のためにも、私も梓に歯ギターを教えられるのはちょっと……」


「歯ギターってどうやるの? 私、やってみたいかも!」


「何言ってんだよ、ムギ!」


澪ちゃんとムギちゃんが妙な掛け合いを見せる。
変な掛け合いだけれど、この子達も自分達の卒業をちゃんと自覚しているみたい。
ムギちゃんは新しい事をどんどん楽しんで吸収していく子だから、卒業も節目に過ぎないのかもね。
澪ちゃんは多分、卒業式で泣いてしまうだろう。
それくらい澪ちゃんは感受性に長けた子だもの。
でも、澪ちゃんならすぐに立ち直る事が出来るはずだと思う。
ここぞという時、澪ちゃんはしっかりと立ち向かえる子だって事は私にも分かってるから。

だからこそ、私は気になってしまうのかもしれない。
いつも明るいりっちゃんの事を。
この軽音部を部長として引っ張ってきたりっちゃんの事を。
多分、ううん、絶対、この軽音部の中で私と一番波長が近いのは、りっちゃんだと思う。
りっちゃんが居たから、私は最初予定していたそれとは全く違う教師生活を過ごす事になった。
大人しくて優しい先生で通すつもりだったのに、その予定はあっという間に崩されてしまった。

でも、それでよかったと今は思う。
りっちゃんに予定を崩されたおかげで、私は素の自分を見せられる相手が出来た。
大変な教師生活だけれど、気を抜く場所が出来たおかげで、何とか勤め上げる事が出来た。
凄く、楽しかった。
りっちゃんと、軽音部の子達のおかげで、私は楽しく教師が出来たのよね。


「さわちゃーん、来年、私達が居ない間に梓に変な事教えんなよー?」


りっちゃんが古文のテキストから顔を上げて、いつもみたいな軽口を叩く。
楽しそうに、でも、やっぱり何処か寂しそうに。
澪ちゃん達もそれには気付いているみたいで、少し心配そうな表情をりっちゃんに向けた。
私以上にりっちゃんと付き合いの長い澪ちゃん達だもの。
りっちゃんの異変には気付くのは当然よね。
気付いてないのは多分、りっちゃん本人だけ。
自分自身でもはっきりとは分からない戸惑いを抱えてるりっちゃん本人だけ。

皆、力になってあげたいとは思ってるみたい。
でも、その方法が思い付かないみたいね。
勿論、私だって思い付かない。
私自身が戸惑っているわけだし、私もこの子達より少し長く生きてるってだけだもの。
私はこの子達に卒業までの時間、何をしてあげられるんだう……。
そうして私が押し黙ってしまうと、部の皆も声を上げる事無く沈黙してしまった。


「何だ何だ?
急に皆、黙り込んじゃってさ。
ひょっとして、受験勉強で疲れちゃってるんじゃないかー?
あ、さわちゃんは違うか……、つっても、授業が大変ってのもあるのかな?
でも、とにかく、受験勉強ばっかりやってるのも疲れるよなー。
何か気張らししたいよなー」


りっちゃん、そんなに熱心に受験勉強してないじゃない……。
私はそう言おうとして、すぐに止めた。
それよ、と思った。
思った時には、口に出していた。


「それよ! りっちゃん!」


「それってどれだよ、さわちゃん……」


「だから、それよそれ、気晴らし。
貴方達、これまで演劇とライブの準備で忙しかったじゃない?
学園祭が終わったからって、すぐに受験勉強に取り掛かる気力も出ないってものでしょ?
私も学園祭が終わって気が抜けちゃってたのよねー。
それでどう?
次の日曜日にでも、皆で何処かに遊びに行くのは?
次の日曜日なら丁度私も空いてるのよね」


「それって自分のためじゃんかよ、さわちゃん……。
それに教師が受験生を遊びに誘っちゃっていいのかよ?」


りっちゃんが呆れた表情で呟いてから、
「なあ、皆?」と同意を求めて皆に視線を向けた。
澪ちゃんも居るし、意外と真面目な子も多いし、皆が同意してくれると思っていたんでしょうね。
でも、その後の皆の反応は、多分、りっちゃんが想像もしてないものだったと思う。


「いいじゃん、りっちゃん!
受験勉強を始めるにはまず気晴らしが大切だよー。
今度の日曜、皆でどっかに遊びに行こうよー?
先生のさわちゃんがこう言ってくれてるわけだしー」


「唯ちゃんはそうでちゅよねー……。
でもさ、唯、おまえがよくても他の皆が……」


「私も気晴らし行きたい!」


「ムギもかよ……」


唯ちゃん、ムギちゃんの乗り気な様子に押されながらも、りっちゃんはまだ余裕のある表情を見せていた。
確かに真面目な幼馴染みの澪ちゃんなら、流石に受験勉強を優先しそうだものね。
だけど、今回ばかりは真面目な澪ちゃんも私の味方をしてくれるみたいだった。
澪ちゃんは私の方に軽く視線を向けて頷くと、真剣な表情をりっちゃんに向け直した。


「いや、気晴らしも大切だよ、律。
大体、最初に気晴らししたいって言い出したのはおまえじゃないか。
だったら、今の内に行っておいた方がいいんじゃないか?」


「うっ……、生真面目な澪しゃんらしくない発言……」


「それに今の内に気晴らししておいてもらった方が私としても楽なんだよ、律。
どうせこれから先、何度も気晴らし気晴らしって言い出すんだろうしな。
だったら、まだそんなに切羽詰ってない今の時期に気晴らしに行っておいた方が気が楽だよ。
そうすれば、少なくともしばらくの間は律も気晴らしを求めないはずだからな」


「そういう狙いだったのかよー……」


りっちゃんが肩を落として呟いたけれど、その顔は少し嬉しそうに見えた。
自分が気晴らしと言ったせいで、皆を巻き込んじゃったんじゃないか、と思ってたんでしょうね。
大切な時期に誰かを自分の都合に巻き込めるほど、りっちゃんは無神経じゃない。
皆が気晴らしに乗り気で安心出来たし、皆も同じ気持ちで嬉しいといった所かしら。
勿論、私も嬉しかった。
これでりっちゃんと少し話す機会が出来たんだものね。


「いいですね、気晴らし。
皆さんで楽しんで来て下さいね」


梓ちゃんが少し微笑みを見せて訊ねる。
梓ちゃんも元気の無さそうなりっちゃんを心配していたのかもしれないわね。
先輩達と居られる残り少ない時間、皆に元気で居てほしいって願ってるはずだもの。
普段、唯ちゃんやりっちゃんに素っ気無い態度を取ってる梓ちゃんだけど、それだけは間違いないわ。


「何を言ってるの、あずにゃん!」


唯ちゃんが座っていた椅子から立ち上がると、梓ちゃんの背中から抱き着いて頬を寄せた。
ちょっと寂しそうな声色で続ける。


「あずにゃんも一緒に気晴らしに行くんだよー。
さわちゃんが皆で何処かに行くって言ったでしょー?
あずにゃんも一緒に気晴らしに行こうよー」


「え、いいんですか?
皆さんの気晴らしに私が付き合ってしまって……」


「勿論だよー、あずにゃんだって私達の大切な仲間だもんね!
ねー、皆!」


唯ちゃんが笑顔で訊ねると、澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃんも微笑んで頷く。
私も皆の笑顔に釣られて、微笑みながら頷いていた。
これで全員参加の気晴らしが出来るようになったわけね。
単なる思い付きだったけれど、それが私もとても嬉しい。


「ところでさわ子先生?」


不意に澪ちゃんが首を傾げて私に訊ねた。
私は緩む口元を引き締めて、澪ちゃんに視線を向けて訊ね返す。


「どうしたの、澪ちゃん?」


「気晴らしって何処に行くんですか?
ショッピングとかカラオケとかですか?」


「そうねえ……」


私は口元に手を当ててじっくり思案してみる。
そう言えば、気晴らしの事ばかり考えてたから、何処に行くかは全然考えてなかったわね……。
皆と一緒に外に出れば、それだけで十分に気晴らしになるとは思うけど、それじゃ勿体無いわよね。
折角だし、思い切ってちょっとだけ遠出をしてみるのもいいかもしれない。
私は軽く頷いてから、人差し指を立てて皆に宣言するみたいに言ってみる。


「ピクニックとかどう?
そろそろ紅葉も色づいて来る頃だし、結構綺麗な景色が見られると思うわよ。
貴方達が、前に梓ちゃんと遊びに行った、って言ってた山があったわよね?
あの山、秋にはかなり見事に色付くのよ。
それなりの遠出だから、色んな事を忘れて楽しいピクニックに出来ると思うわよ?」


「ピクニックかあ……。
うん、いい! それ凄くいいよ、さわちゃん!
予定は次の日曜だよね?
楽しみだなあ……。憂に美味しいお弁当作ってもらおっと!」


唯ちゃんが嬉しそうに言うと、皆も次々と嬉しそうに頷いてくれた。
うん、これで決まりね。
この先、どれだけ私達で遊べるかは分からないけど、
このピクニックも私や皆の大切な思い出に出来れば嬉しいわね……。
と思っていたら、急にりっちゃんが「ああっ!」と大きな声を上げて顔の前で手を合わせた。
「どうしたの、りっちゃん?」と私が訊くと、りっちゃんがとても悲しそうな表情を浮かべて答えた。


「ごめん、皆!
次の日曜は聡と映画を観に行く約束してたんだった!
日曜は空いてないんだった! すっかり忘れてた!
盛り上がってる所、本当にごめん!」


りっちゃんが私達に何度も頭を下げる。
りっちゃんが私達に本当に申し訳なく思ってくれてる事が、その仕種からよく分かった。
りっちゃんだって、私達と一緒に遊びたかったのよね……。
残念だけど、先約がある以上、私達にはどうしようもない。
確か聡君と言うのは、りっちゃんの弟だったはず。
仲の良い姉弟の邪魔なんて、私にはとても出来ないしね。
私は残念な気持ちで溢れそうな胸をじっと抑えて、
りっちゃんの後ろに回ってから出来る限りの笑顔を浮かべた。
そっと肩を叩き、優しい声色で伝えてみせる。


「いいのよ、りっちゃん。
私が立てた予定が唐突だったわけだし、先約があるならそっちを優先しないとね。
次に私も空いてる日を探しておくから、心配しないで。
えっと……、確か来月くらいなら……」


「ごめん、さわちゃん。
これは私の都合だし、何だったら私抜きで皆で……」


「駄目だよ、りっちゃん!」


悲しそうなりっちゃんの言葉を急に唯ちゃんが止める。
梓ちゃんから離れてりっちゃんの隣にまで駆け寄ると、その手をりっちゃんの手に重ねた。
そのまま真剣な表情でりっちゃんの瞳を真正面から見つめる。


「皆の気晴らしなんだから、皆で行かなきゃ意味無いよ!
次にさわちゃんが空いてる日がいつかは分かんないけど、
もし空いてる日があったら、その日に皆で集まってピクニックしようよ!
絶対絶対、その方が楽しいよ!」


唯ちゃんのその言葉は真剣で真摯で、
その言葉を浴びたりっちゃんは顔を赤く染めた。
照れてるわけじゃないと思う。
きっと嬉しさで顔が紅潮してしまったんじゃないかしら。
それを照れてるというのかもしれないけれど、そんな単純な言葉で片付けられない気もした。
何だか羨ましいわね……。
これはりっちゃんにはいい仲間が居て、いい部長だったって事なのよね。
りっちゃん達はそんな高校生活を過ごせたのよね……。

あ、まずい。
私、今、ちょっと泣き掛けてたわ。
これは駄目よね。教え子達が泣いてないのに、先生の私が泣いちゃうなんて。
もうすぐ終わってしまう私の教え子達の高校生活。
最後まで笑顔で見送ってあげなきゃね。

私は涙をどうにか目蓋の中に隠して、
自分の手をりっちゃんの肩から頭に移動させて笑った。


「そうよ、皆の気晴らしなんだから皆で行かないとね、りっちゃん。
実を言うとね、お恥ずかしながら私のスケジュールは結構ガラガラよ。
だから、またすぐ皆と予定を合わせられると思うわ」


「ごめん、さわちゃん……。
ううん、ありがと、さわちゃん……」


「どういたしまして。
それにしても、次の日曜日に映画って、
またお早い気晴らしの予定だったのね、りっちゃん」


「べ、別に気晴らしの予定じゃなかったってば……。
ずっと聡に構ってやれてなかったから、今の内に家族サービスするつもりだったんだよー……。
それに映画だけなら午前中で終わるし……」


「もう、りっちゃんったら、こんな時だけいいお姉ちゃんなんだから……って。
午前中で終わるっ?
りっちゃん! それを早く言わないと駄目よ!」


「へっ?」


「映画が午前中だけなら、お昼からピクニック出来る時間が十分あるじゃない!」


「で、でも、すぐに皆の所まで追い着ける足が無いって思ったし……」


「それなら大丈夫よ!
りっちゃん忘れちゃった?
私、自家用車持ってるから、すぐに皆と合流出来るわ!」


「でも、それじゃ、さわちゃんが……」


「いいのよ、私も一緒に後から合流するって事で。
皆でピクニックに行くって事が一番大切に事じゃない。
……そうでしょ?」


私が言うと、皆が嬉しそうに頷いて、唯ちゃんがりっちゃんの背中から抱き着いた。
本当に嬉しそうに唯ちゃんが笑顔を見せる。


「やったね、りっちゃん!
これで皆揃ってピクニック行けるね!
りっちゃんも一緒にピクニックが出来る事になって、私、すっごく嬉しいよ!」


「あんまり遅くなるなよ、律。待ってるからさ」


「楽しみにしてるね!」


「それまでは聡君に家族サービスしてあげて下さい!」


唯ちゃんに続いて、皆から喜びの声が上がる。
皆、分かってるんでしょうね。
もうすぐ自分達の高校生活が終わってしまうって事を。
だからこそ、残り少ない期間、少しでも皆と楽しい思い出を作りたいのよね。
それは勿論、私だって同じ。
私も自分のではないけど、もうすぐ卒業を経験しなくちゃいけなくなる。
大好きな教え子達との別れを経験しなくちゃいけなくなる。
だから、それまでは、
皆と笑顔の思い出を重ねたい。


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最終更新:2012年11月20日 22:43