「明日はすごく寒くなり……」
テレビから喋りかけてくる天気予報がうるさい。
頭の中では、天気予報を貼りつけたCDが回ってる。
あめ、あめだよ……じいいいぃぃ……あめ。
ノイズ混じりの。
「降水確率は10%。東北の方では雪……雪が」
明日の天気なんて別に知りたくなかった。
でも、テレビを消してしまうわけにもいかなかったんだ。
もしそうしたなら、この部屋でわたしはほんとに一人になる。
この部屋にはテレビ以外のものは何もない。
少なくとも、お喋りできるものは。
あとのものははみんな空っぽの味方だった。
薄暗い部屋でそれが膨らんでいくのが見える。
テレビのノイズが消えたなら、きっとわたしはその空っぽに押しつぶされて。
くしゃり。
だから、テレビは消さない。
傘を、傘を……わす…………ね。
ぶれぶれの、懐かしい声。
懐かしい……?
どこで、どこで聞いたんだっけ。
ざああああ……紅葉が全国に広がって……。
そうだ、紅葉を見に行かなくちゃ、と思う。
よくわからないけどそう思う。
サンドイッチ作って、ピクニックに。
カーテンの外の世界からはすでに色が消えてしまったのは知ってるけれど、それでも。
そういえば、散った葉っぱを誰が片付けるのか昔から疑問に思っていた。
例えば、隣のおばあさんはいつも箒で道を掃いていたけれどたぶんそれだけじゃぜんぜん足りないから、葉っぱ喰い虫なんかがいてみんな食べてしまうのかもしれないな。
でもまあ、とにかくそんなふうにして秋は終わったんだ。
なのに頭の中では録音の天気予報が……今日の紅葉狩りには傘を、ね、忘れちゃだめだよ。
誰かが部屋の戸をノックする。
がつんがつんっ。
わたしは震えてる?
震えてることに驚く。
できる限りのことを思い出そうとする。
思い出喰い虫がわたしの頭の中を這いずりまわったせいで、ぽっかりの穴が空いてる。
そこをのぞく。
空っぽ。
空っぽ。
でも何か思い出せそうで、頭の中でまた回す。
思い出を焼きつけたCD。
秋が来て……ざああああ……紅葉が全国に広がって……
秋……?
秋の話。
紅葉。
※
思い出はタイム・マシンだった。
あらゆる時代に戻って、やり直しができる。
でもそれで、未来を変えられただろうか?
※
唯「残念、雨だよっ」
唯先輩の声で目を覚ました。
ぼやけた視界の隅で、ベットに腰掛けた唯先輩がわたしを見下ろしていた。
ひぃあああ。
唯先輩はあくびをした。
言うことを聞きたがらない体を無理やり起こして、カーテンを開く。
外はわかりやすいくらい大雨だった。
傘を持った誰かが急いで通り過ぎる。
唯「あーあ。せっかく紅葉見に行こうと計画してたのになあ。雨が降ると秋も溶けちゃうね」
梓「ていうか、なんでゆいせんぱいいるんですか?」
唯「ひどいっ。昨日からお泊りしてたのにっ」
梓「ああ……あとおおごえださないでくださいみみがいたい」
唯「あずにゃんずいぶん眠そうだねえ」
梓「いまなんじですか?」
唯「えと、7時半っ」
梓「もうひとねむりしますね……ふああああ」
唯「だめだよっ。おきろー」
梓「だってまだにじかんしかねてないんですよしんじゃいますよだいいちきのうゆいせんぱいがねかせてくれないからわるんですよわるい」
唯「そっか。あずにゃんはお子様だからいっぱい寝ないとだめなのか」
梓「む。そんなことないです……」
唯「おやすみ、あずにゃん」
梓「もうねむくなりました」
唯「おこさまあずにゃんもかわいいよっ」
唯先輩が抱きついて頭をなででくる。
ふわふわ。
梓「むにゃ……」
唯「眠いとあずにゃんが素直だ……いーこいーこ」
梓「……やめてくださいよぉ」
いつの間にかまた寝てしまっていた。
次に起きたときにはもう10時くらいになっていて、唯先輩はわたしの横にまだいた。
雨の降る音がすぐに聞こえた。
唯「あ、起きた。あずにゃーん」
梓「やめてくださいっ」
唯「あーあ。いつものあずにゃんだ」
梓「いつものわたしはつまらなくて悪かったですね。ていうか唯先輩、ずっとここにいたんですか」
唯「そうだよ」
梓「……ふうん」
唯「あずにゃんの寝顔見てた。よだれがでて……ほへったひっはらないでよぉ」
梓「でも、紅葉見に行けなくて残念でしたね」
唯「それなんだけど、いいこと考えたんだ」
梓「なんですか?」
唯先輩はテレビのリモコンを拾ってスイッチを入れる。
天気予報。
雨はまだ続く……。
チャンネルが切り替わって、画面がカラフルに染まる。
『うわぁ。すごくきれいですねえ』
それは何かの旅番組のようだった。
秋景色巡りと右上にテロップが出ている。
録画だから、雨は降っていない。
唯「ほら、こうすれば紅葉見えるよ、ね」
梓「ただのテレビ鑑賞じゃないですか」
唯先輩はコンビニの袋からポテチやら何やらお菓子を取り出して、そのうちの一つをびりりと引き裂いて広げた。
どうやら、わたしの寝ている間に準備をしていたらしい。
唯「じゃ、ピクニックにしようっ」
コンビニのお菓子とテレビの紅葉でのピクニックもなかなか悪くなかった。
唯先輩が何か喋って、わたしはときどき笑った。
これじゃあ、あんまりいつもと変わんないな。
テレビには、お決まりの食事風景が映っている。
唯「わたしね、あんまりテレビに料理が映るの好きじゃないんだ」
梓「そうですか?」
唯「だって、ほら、ずるいっ」
梓「ずるい?」
唯「テレビの人はあんなにおいしそうに食べてるのにわたしには食べられないのずるいっ」
梓「そういうものですかね」
唯「えーわかんない?」
梓「あんまり」
唯「じゃあさ……」
唯先輩はさっきまで二人で食べてたポテチを自分の方に引き寄せて、独り占めした。
唯「おおっ、これはカルビー産のポテトチップスですねー。さっそく食べてみましょう……もぐもぐ……おいしい……おいしい。えと、なんていうか、あのー、ぱりぱりしてておいしくておいしいです」
梓「む」
唯「ほら、なんかむかむかしてくるよね」
梓「唯先輩に」
唯「うーんおいしいっ」
唯先輩はわざとばりばり音を出して食べる。
梓「……別にいらないですし」
唯「怒らないで、ほらあげるから」
唯先輩は指でつまんだポテトチップスをさし出してくる。
わたしがそれを食べようとしたら、ひっこめた。
唯「あははっ。あずにゃんかわいい」
梓「むう」
唯「ごめんごめん。次はホントだよ」
また指を出す。
梓「ホントですか?」
唯「うん」
梓「ほんとに?」
唯「うん」
梓「ホントのホント?」
唯「うん」
梓「…………かぷりっ」
唯「わっ」
お返しに思い切り噛み付く。
唯先輩の指に。
紅葉。
※
真っ白な部屋にいた。
すごく真っ白な。
天井の蛍光灯の光がやけに明るく、それが白塗りの壁で照り返すせいで、部屋全体は異様なほど感情のない白で包まれている。
わたしは大きな椅子の上に拘束されていた。
拘束とは言っても別に手枷足枷ついているわけではないのだけど、どうしたものか動くことができない。
あたりを見回してもこれといって気になるものはなかった。
仕方なくしばらくそのままの姿勢でいると、視界に唯先輩の顔がひょっこりと現れた。
1対の瞳がわたしの顔をじっと覗く。
目の前で栗色の髪の毛が揺れる。
唯先輩は白衣を着ていて、頭の部分には歯医者さんなんかがよくつけている円盤がついていた。
その姿が滑稽で、わたしは吹き出しそうになってしまう。
梓「あの、動けないんですけど」
唯「だって、こういうのあずにゃん好きじゃなかった?」
梓「こういうのってなんですか」
唯「なんていうか……こう……動けなくていろいろされたり、ね」
梓「それ、唯先輩が好きなんじゃないですかね」
唯「えへへ、バレちゃった」
唯先輩は笑う。
唯先輩が笑ったからわたしは安心した。
唯「じゃあ、テストをします」
そう言うと唯先輩はどこから一枚の板を持ちだした。
板には黒い布がかかっていて、そこに何が書かれているのか見ることはできない。
梓「テスト?」
唯「うん。あずにゃんのびょーきが治ったかどうかの検査だよ」
梓「わたし、何か問題あるんですか?」
唯「うん、今からわたしが見せるものが何に見えるか言ってね」
それはロールシャッハテストのようなものだろうかとわたしは考えた。
唯先輩が板にかかった布を剥がす。
板には、ぐにゃぐにゃがあった。
いろんな色が白い板の上を形を変えながら動いている。
発光。
唯「何に見える?」
梓「えっと、赤、黄色、オレンジ……ぐにゃぐにゃで……あき…………秋に」
唯「そっか」
梓「……これなんの検査なんですか」
唯「秋病のだよ」
梓「……秋病?」
唯「秋に閉じ込めらちゃったんだよあずにゃんは。だからホントはここには何も書いてないのに秋が見える」
唯先輩はとんとんと板を叩く。
その間にも、ぐにゃぐにゃは発色しながら形を変え続けていた。
唯「……ごめんね」
梓「ごめんね?」」
唯「うん」
唯先輩はすごく悲しそうな顔をした。
板を抱えてどこかへ消え、また戻ってきた。
それから、真剣な表情でわたしの瞳を眺めた。
まるでその奥に何かがあってなんとかしてそれを見つけようとしているみたいだった。
わたしはなんだか恥ずかしくなってしまう。
梓「顔ちかいです……」
唯「あずにゃん、これも治療だよ」
それは嘘だとすぐにわかった。
唯先輩はちょっとした笑みを浮かべてそう言ったのだ。
そして、わたしのおでこにキスをした。
梓「あ」
唯「おでこは、せーふだよ」
梓「何がセーフですか」
唯「お口はアウトだね」
梓「はあ」
唯「ほっぺたはどう思う?」
梓「ぜんぜんアウトですよ」
わたしね。
唯先輩が言った。
あずにゃんの病気が治らなければいいなって思ってるんだよ、ほんとは。
ごめんね。
今度はほっぺたにキスをした。
紅葉。
※
少し思い出した。
あの日、とは言ってもそれがいつなのかそもそもそんな日がほんとにあったのかよくわからないのだけれど、とにかくわたしの横で唯先輩が喋っていた。
雨の降った日だった。
あめ……あめだよ、あめ。
それから、いろんな色した電飾を……赤、黄、橙……頭の中に差し込まれて、いつでも脳みその裏側にネオンの光が見えるようになった。
紅葉をずっと……落ちない紅葉を。
花火の灯りが瞼の奥に張り付いて長い間消えないみたいに、秋が、秋の色が張り付いて消えない。
それは赤いレンズで覗いた世界が真っ赤になるのとよく似ていた。
何を見ても秋色に。
だからもう、暗い冬は来ない。
秋で、全部止まっちゃったから。
その代わり、頭の中に秋を押し込んだときの衝撃で春と夏の記憶が歪んでしまったせいで、それをうまく思い出すことができなくなった。
そんなわけで、わたしは秋に閉じ込められたのだ。
紅葉。
※
梓「髪、黒くしたんですね」
唯「さっすがあずにゃん。よくわかったね」
梓「誰でもわかりますって」
唯「えへへ、そっか」
梓「でもヘアピンもつけるのやめたみたいですし、髪も少し長くなった気がします。なんだか別人みたいですね」
唯「似合ってる?」
梓「どうでしょう。昔のほうがよかったなんて言ったら怒ります?」
唯「えー」
梓「まあ、似あってますよ。びっくりしました」
唯「大学の友達が黒いほうが似合うって言ったからね、黒にしたんだ」
梓「そうなんですか。その人唯先輩を見る目がありますよ」
唯「好きな人いたらイチコロだって言ってた」
梓「いるんですか?」
唯「どう思う?」
梓「どうでもいいです」
唯「むー」
わたしはグラスを傾けて喉の奥の方にウイスキーを流し込んだ。
アルコールはあんまり得意じゃなかった。
ぴりぴりする。
唯「あずにゃんはどう?」
梓「どうってなんですか」
唯「悩みとかない、へいき?」
梓「なんですかそれ」
唯「だって……」
梓「じゃあ、ちょっと聞いてくれます」
唯「なに、なんでもきくよ」
梓「……ちょっと考えてて」
唯「何を?」
梓「昔、おじいちゃんから聞いたんですよね、人生って前編と後編に分けられると」
唯「どういうこと?」
梓「後編はあれです、思い出」
唯「思い出?」
梓「今まで集めた思い出をこねくり回して生きるんですよ」
唯「それが後編?」
梓「はい」
唯「じゃあ、前編は?」
梓「それは、後編のために思い出を集めるんですよ。できるだけきれいなやつを」
唯「ふうん。今は前かな後ろかな?」
梓「それが問題なんですよねえ」
わたしはまたウイスキーに口をつけた。
からからと氷が揺れた。
梓「ほら、天国ってあるじゃないですか」
唯「うん。死んだあといく?」
梓「そうです。最近はそれが後編なんじゃないかって思ってるんです。つまり、死んだあとの自分の思い出の中を泳ぎまわるというか、それはまあきっと混ぜたりもできるんでしょうけど」
唯「うーん。言われてみればそうかもねえ悪いことした人はあんまいい思い出ないから地獄だもんねえ」
梓「そうです」
唯「で、あずにゃんが悩んでるのは?」
梓「いや、なんていうか、ときどきこわいんですよね」
唯「なにが?」
梓「ぜんぺん終わっちゃったんじゃないかなあって」
唯先輩はしばらくその言葉について考えていた。
わたしは新しくウイスキーをついだ。
唯「あずにゃんさっきからけっこう飲んでるけど、大丈夫?」
梓「はい」
唯「……やっぱり、わたしには難しくてわかんないよ。だって、あずにゃん生きてるよ」
梓「いや、そうじゃなくてですね、しんだあとっていうのはいちれいで……もうすでに、いきてるけどこうへんだってかのうせいもありえるんですよ」
唯「あ、そうだ! 両方いっぺんにするっていうのはだめなの?」
梓「それはダメですよ。なんといってもぜんぺんこうへんですし。にまいぐみのしーでぃーいっぺんにきくことできないじゃないですか」
唯「そっかあ。そうだよね……うーん」
梓「まああんまりきにしなくてもいいですけど」
唯「うん、ねえ」
梓「なんれすか?」
唯「ほんとに黒いの似合ってるかな?」
梓「にはってますよすごく」
唯「……そっか。あのさ、今度の日曜日みんなでどっかいこうよ。最近みんな忙しくて会えなかったから……」
梓「……へんごく」
唯「あずにゃん?」
梓「もう……おわっちゃったのかなぁ???」
唯「あずにゃん、やっぱり酔ってる?」
梓「えへへ、ゆーいせんぱーい」
唯「わわっ」
梓「くろいのすごくかわいいですよかわいいかわいい……かわいい」
唯「あずにゃん顔真っ赤……。でも、わたし酔った相手に手出すほど汚れてないよ、うん」
紅葉。
最終更新:2012年12月17日 01:09