人生はゲームみたいなものだ。
学校生活は、同じことをひたすら繰り返す作業ゲーム。
『勉強』してステータスを高めたり、『部活』に入って能力を取得したり、
仲間を作って、評価を上げて、与えられた課題をクリアして、経験値を獲得して。
会話は、相手に良い印象を与えられるような選択肢の繰り返し。
選択を間違いさえしなければ、『親密度』が上がって、イベントが発生したり。
間違ってしまったら、『好感度』が下がったり、ダメージを受けたりする。
ありふれたゲームの中に書き込まれたプログラムも、
現実世界のコミュニケーションも、何も変わらない。
そんなことばかり考えていた、中学生のころ。
ただでさえ狭い自分の世界の中を、窮屈に過ごしていた。
その軽音部を選んだのも、単なる気まぐれだった。
唯『じゃあ、あだ名はあずにゃんで決定だね!』
梓「あずにゃん!?」
唯『だめ?』
梓「ちょっと待ってください、いろいろ心の整理が追い付かなくて」
梓「急にあだ名までつけられるとは……」
唯『だってそのネコ耳が似合いそうだったから……』
梓「そうじゃなくて、どういうことなのかわからなくて」
さわ子『だから、ネコ耳よ』
梓「ネコ耳ですけども」
紬『そこにたまたま置いてあったから』
梓「たまたま置いてましたけども」
律『大丈夫、入部の儀式みたいなもんだから』
梓「会話が成立してるようなしてないような……」
澪『……まあとにかく、入部してくれるってことでいいんだよね?』
律『よかったな唯、初めての後輩だぞ』
紬『梓ちゃん、先輩って呼んであげて』
梓「……唯先輩」
唯(唯先輩……)
唯(唯先輩……!)
唯(先輩……!!)
さわ子『アレはもうほっといて、はやくネコ耳のほうを』
梓「えぇ……もう……」
スチャッ
律『おぉ、似合う似合う』
紬『軽音部へようこそ!!』
梓「ここで!?」
唯『あだ名はやっぱりあずにゃんだね!』
梓「なにやってんだろう私……」
唯『そのギター、かわいいね』
澪『パートは唯と一緒かな』
梓「ギターですか?」
唯『じゃあなんか弾いてみせて!』
梓「えっ、いま?ここでですか?」
律『いいからいいから』
梓「ここで?」
律『ここで』
梓「ええ……じゃあ、まだ初心者なので下手ですけど……」
唯『大丈夫、先輩が教えてあげるから!』
梓「……どうでしょう?」
唯『私にギターを教えてください』
律『おい』
唯『……あずにゃんっていつからギター始めたの?』
梓「親がジャズバンドやってた影響で、小学校の頃から……」
律『ぜんぜん初心者じゃないじゃん』
梓「ちょっとバンド演奏に興味があって」
紬『それでここに来てみたの?』
梓「来てみたというか、なんとなくだったんですけど……」
澪『どう?続けていけそう?』
梓「思ってたのとイメージが違いましたけど……」
唯『すぐ慣れるよ』
梓(慣れたくない……)
なんとなく、で選んだのはやっぱりよくなかった気がする。
どうせならもっと別の環境を探したほうがいいのだろうか。
あののんびりした空気に溶け込んでしまって、いいのだろうか。
少し時間を置いて、距離をとって、自分の状況を整理してみる。
あんな中身のない雑談を延々と続けるより、
黙々とギターを弾いてるだけのほうが私に合っているはずなのに。
そう考えながら、あの軽音部に心を惹かれてしまった自分も否定できない。
漠然とイメージしていた『軽音部』の雰囲気に違和感があった時点で、
やめておいたほうが良かったのかも知れない。
こんな気持ちが芽生えてしまう前に。
紬『梓ちゃん?』
澪『梓!』
律『なんで最近こなかったんだよ?ここんとこ毎日練習してたんだぞ!』
唯『あずにゃん、待ってたよぉ~』
澪『……どうしたんだ?』
律『まさか……やめるって言いにきたのか?』
梓「わからなくなって……」
律『?』
梓「どうして皆さんが私なんかに嬉しそうに話しかけてくれるのか、わからなくって」
梓「しばらく1人で考えてみたけど、やっぱりわからなくてっ……」
唯『あずにゃん……』
紬『梓ちゃん……』
律『よしっ』
律『じゃあ梓のために演奏するか!』
梓「え……」
律『梓に私たちのことを受け入れてもらえるようにさ』
梓「私に……?」
唯『うんっ!』
先輩たちと出会った曲が、私の心をもう一度揺さぶり始める。
この場所を選んだことも、この雰囲気に惹かれてしまったことも、
もしかしたら気まぐれだったかも知れないのに、それなのに……
音楽用語も知らない、まだまだ初心者のギター。
力強いけど、走り気味でリズムキープができないドラム。
繊細だけど、溶け込みきれていないキーボード。
そんな個性がバラバラにならないように、そっと支えるベースのライン。
ひとつに合わさると、どうしてこんなに良い曲になるんだろう。
どうしてこんなに楽しそうに演奏できるんだろう。
澪『梓がイメージしていた軽音部とはイメージが違ったかもしれないけどさ』
澪『私たちだって手探りでバンドを組んで、なんとかやってきたんだ』
澪『でも私はやっぱり、このメンバーでバンドやってるのが楽しいんだと思う』
澪『それはきっとみんなも同じで』
澪『だからいい演奏になるんだと思う』
澪『もう少しだけ、私たちと一緒にいてみてくれないかな』
梓「はい……」
澪『梓にも思うところはいろいろあると思うけどさ』
澪『無駄に見えるようなことも、きっと必要な時間なんだよ』
唯『燃えつきた……』
律『ここんとこ毎日練習してたからなぁ』
梓「軽音部なんだから当たり前ですっ」
律『むこう一週間は練習したくない……』
唯『あずにゃんがネコ耳つけてくれたらがんばれるかも……』
澪『冗談だからな』
梓「本当に……?」
澪『ほら、起きろ!!』
私も、みんなで奏でる音のひとつになれる日がくるのかな。
この状況を素直に受け入れられないまま、
今の気持ちをあらわせるような、辞書にもない言葉を探し続けていた。
澪『合宿をします』
唯『夏だ!』
律『海だ!!』
澪『おいっ!?』
梓「すごい別荘ですね……プライベートビーチ……?」
梓「ムギ先輩ってすごいお嬢様キャラなんですか」
紬『別にキャラってわけじゃないんだけど……』
紬『中学の頃はことあるごとに嫌みったらしいって避けられたこともあっんだけどね』
律『おいムギ!そんな話どうでもいいからこっち!』
唯『ビーチバレーやろうよ!』
梓「そんな話って……」
紬『ふふ、こうやって私を特別扱いしないでくれる場所が、私にとっては特別なの』
律『梓もこっち来いよ!!』
梓「行けるもんなら行ってますよ!!」
澪『練習は!?』
夜中、何となく目が覚めてトイレに行った帰りに、灯りが見えた。
消し忘れかと思って見てみたら……
唯『ごめんね、私の練習に付き合わせて……』
梓「いいんですよ、私も眠れなくって」
唯『ここのフレーズが難しくてさ……』
梓「ゆっくり弾いてみるといいかもです」
唯『でき…た?』
梓「あとは少しづつテンポを速くして、反復ですね」
唯『弾けたぁ!!』
梓「聞いてます?」
唯『あずにゃんに出会えてよかったよぉ!』 バッ
唯『あ……』
梓「………」
唯『ごめん、付き合ってくれてありがとね』
唯『おやすみ』
梓「おやすみなさい……」
何日か一緒に過ごしてみて、
何となく先輩たちのキャラが掴めてきた気がする。
真面目で、頼りがいがあって、でも意外と怖がりだった澪先輩。
いい加減で大雑把だけど、みんなをグイグイ引っ張ってくれる律先輩。
優しくて、思いやりがあって、子供っぽいところもあるムギ先輩。
遊んでばかりだと思っていたら、しっかり練習していた唯先輩。
合宿だからといって、しっかり練習することはなかったけど。
はっきり言って合宿という名目の海水浴だったけど。
先輩たちの姿を眺めているだけで、それだけで楽しかった。
この環境に慣れ始めている自分が、ほんの少し不安だった。
学園祭のイベントを数日後に控えたある日。
風邪のせい(?)で、珍しく険悪な雰囲気になっていた澪先輩と律先輩。
ようやく仲直りしたと思ったら、今度は唯先輩が風邪をひいてしまったらしい。
この先輩たちも、風邪ひくんだ……
憂『私が風邪を代わってあげられたらいいのになぁ』
純『代わるって……どうやって?』
憂『口移しとか……』
純『………』
律『こんな時に風邪ひくなんて、たるんでる証拠だ!』
澪『この間の風邪、お前がうつしたんじゃないのか?』
律『へっ、私?』
梓「そうですよ、時期的に考えても」
憂『口移ししたんですか?』
梓「そういえば律先輩、唯先輩に添い寝してもらってたような」
律『いや、してたけど』
澪『口移しは?』
憂『口移しは!?』
律『してないから!』
紬『唯ちゃん、来ないね』
梓「………」
澪『梓、今日からリードの練習もしておいてくれないか』
律『唯が間に合わないかも知れないってことか?』
紬『絶対間に合わせるってメールはきてたけど……』
澪『万が一に備えてさ』
律『唯抜きの演奏も練習しておかないといけないかな』
梓「でも、私は全員で……」
澪『唯は本番までゆっくり休んで風邪を完璧に治してもらう』
澪『全員で本番を迎えられるまで、絶対にあきらめるな』
澪『いま私たちにできる、せいいっぱいのことをやろう!』
和『軽音部、出演者の変更は無しね』
律『和……』
和『夢中になれることがあれば、唯はそれだけしか見えないわ』
和『ちょっと遅刻するかも知れないけど、待っていてあげて』
和『きっと風邪のことなんか忘れて駆けつけてくれるから』
誰かがミスをすれば、全員でカバーする。
誰かが調子を崩したら、自分のことのように心配できる。
きっと、これがバンドなんだ。
仲間なんだ。
いびつな形だけど、私もその中にいるんだ。
ライブしに来たのにギターを忘れたうえ、
きっちり遅れてきて平謝りする唯先輩を眺めていたら、
私の悩みなんて小さなことに思えてきた。
病み上がりとはいえ、ひどい演奏だったなぁ……
季節が変わり、年度も変わり、三年生になった先輩たち。
この人たちは、相変わらず……
唯『あずにゃんあずにゃん』
唯『どう?分け目変えてみたんだけど、三年生っぽい?』
梓「えっ、その質問がすでに……」
唯『イメージ変わった?』
澪『ムチャ言うな』
律『カチューシャ貸すか?』
唯『おでこはちょっと……』
梓「三年生になっても変わらないですね、律先輩」
律『お前に言われたくないわ』
梓「身長のことですよ?」
律『なおさらだよ』
それなりに手ごたえのあった新歓ライブ。
入部勧誘のビラを配っても、ちっとも新入生の気配がしない。
このまま入部希望者がいなかったら、これから……
梓「新入部員、きませんねぇ」
澪『まあ、まだ時間あるから』
梓「軽音部って人気ないんですかねぇ」
紬『そんなことないと思うけど……』
唯『私、しばらくこのままでもいいかなぁ』
唯『こうやって、みんなとあずにゃんとおしゃべりして、練習して、演奏して』
唯『ずっと5人で』
梓「……じゃあ、新入生の代わりに唯先輩をみっちり指導しますね」
唯『うん……え?』
梓「はい、ギター出して」
唯『やっぱりさ、ちゃんと新入部員を探そうよ』
唯『だって私たちがいなくなったら』
梓「大丈夫ですから」
唯『でも』
梓「私は、この5人のままでいいんです」
ずっとこのままでいたい。
いつの間にか、私の中にそんな気持ちが芽生え始めていた。
今は、終わりなんて考えたくなかった。
ずっと、ずっと。
最終更新:2018年12月28日 22:36