授業が全部終わって放課後。
私は部室で一人でギー太を弾いています。
十五歳の時に出会って以来、ずっと大切にしてる私のギー太。
重さに文句を言っちゃいたくなる事もあるけど、
たまに弦を錆びさせちゃう事もあるけど、でも、ギー太は私の唯一無二の相方です。
あれ?
相方より相棒って言った方がカッコいいかな?
むー……、まあ、いいか。
とにかく、ピックを柔らかく摘んで、手首をぐにゃぐにゃして、私は演奏を続けます。
弾いているのはつい何となく弾きたくなった『ごはんはおかず』。
前に皆で作詞をしてみた時、りっちゃんに却下されたはずなんだけど、
それからちょっと後の日に、いつの間にか採用されてた曲なんだ。
後でたまたま二人っきりでお茶してる時にりっちゃんから聞いたんだけど、
私の歌詞をムギちゃんが気に入ってくれたみたいで、あっという間にムギちゃんが曲を付けちゃったんだって。
さっすがムギちゃん。
放課後ティータイムの自慢の作曲家だよね。
ちなみに『ごはんはおかず』を演奏してるのは、別に私のお腹が空いてるからではありません。
今日は憂が作ってくれた愛妹弁当(命名、りっちゃん)を早めに食べちゃいましたが、
別にお腹が空いてるわけじゃありません。空いてません。
……ごめんなさい、嘘です。
私、今、すっごくお腹が空いてます。
早くごはんを食べちゃいたいです。
すっごくお腹空いたよう……。
私のお腹がすっごく空いてるのは、いつも食べてるムギちゃんのおやつを今日は食べてないからなんだ。
軽音部で活動してきた三年の間に、ムギちゃんのおやつを当てにするようになっちゃってたみたい。
お弁当をちょっと早めに食べても、ムギちゃんのおやつがあるから大丈夫だと思ってたんだよね……。
いつの間にか私ってムギちゃんのおやつのトリコになってたんだなあ……。
今日、私がムギちゃんのおやつを食べてないのは、別にムギちゃんと喧嘩したからではありません。
ただムギちゃんが部室に顔を出してないだけなんだ。
ううん、ムギちゃんだけじゃなくて、
今日はりっちゃんも澪ちゃんもあずにゃんも部室に顔を出してないんだ。
皆、今日はちょっと予定があって、部室に顔を出す時間が遅れるって言ってたんだよね。
誰かの用事に付き合おうかなあ、とも思ったんだけど、私はそうしなかったんだ。
たまには一人でギー太を弾くのもいいかも、って思ったから。
部室を一人で居られる機会ももうあんまりないなあ、って思ったから。
私は今日は一人でギー太を弾いています。
たまにはこういうのも悪くないかもね。
でも。
「でも、お腹空いたなあ……」
『ごはんはおかず』を演奏し終わった後、私がそう呟いていたのは内緒です。
やっぱり演奏の後はお腹が空いちゃうもんね。
だったら、受験勉強をしてればいいのかもしれないんだけど、
疲れた時に頭を使っちゃうと、もっとお腹が空いちゃうんだよね……。
だから、私はお腹が空くのを気にしないように、次の曲の演奏を始めました。
始めた曲は『ときめきシュガー』。
せめて甘い物の事を考えないと、お腹が空いて力が出なかったのは内緒です。
皆に隠れてムギちゃんの前に持って来てくれたおやつの残りを探しそうになったのも内緒です。
どうか誰にも内緒にしといておくんなせぇ……。
♪
「おいーっす、ゆーいっ!」
「唯ちゃん、おいーっす!」
『ときめきシュガー』の演奏が終わった頃、部室の扉が勢いよく開けられました。
元気な二つの声と一緒に入って来たのはりっちゃんとムギちゃんでした。
肩を並べて楽しそうで、二人ともとても仲良しさんです。
私は何だかそれが嬉しくなっちゃって、二人に笑顔で挨拶してしまいました。
「りっちゃん、ムギちゃん、おいーっす!」
「おいっす、元気そうで何よりじゃ。
しっかし、何だよ、唯。
学祭が終わったってのにギターの練習か?
珍しいじゃんか、ひょっとして今日はそれで一人で部室に行くって言ってたのかよ?」
りっちゃんが悪戯っぽく微笑んだから、私はちょっと口を尖らせて言い返しました。
別に怒ってるわけじゃないんだけどね。
これがりっちゃんと私のお約束……、ってやつなのかな?
「珍しいって何さー、りっちゃん。
私はいっつもちゃんと練習してるもんね。
りっちゃんこそ、今日は部室に来ないで何やってるのー?」
「教室でさっき話しただろ……。
部の予算や部員の来年度への引き継ぎとか何とかで色々忙しいんだよ。
部長はいつでも大変なのだよ、唯くん。
まあ、私だけじゃ何か難しそうだから、ムギに付き合ってもらってるわけだけどな。
受験勉強もあるのにごめんな、ムギ」
「ううん、気にしないで、りっちゃん。
りっちゃんは部長として私達のためにずっと頑張っててくれたんだもん。
私もたまにはりっちゃんのために何かしてあげたかったの。
だから、りっちゃんが私を頼ってくれてすっごく嬉しいな」
ムギちゃんが優しい笑顔ではにかむと、りっちゃんはほっぺを赤く染めました。
可愛いムギちゃんの笑顔に照れちゃってるみたい。
照れてるりっちゃんきも……、じゃなくて、可愛いね。
最近、りっちゃんとムギちゃんはとても仲良しさんです。
この前の夏休み、二人きりで遊びに行ってから、二人とも今まで以上に仲良くなれたみたい。
仲の良い二人を見るのは、私もすっごく嬉しいです。
でも、いいなー、私もムギちゃん達と遊びたかったなー。
その日は和ちゃんと二人で家で勉強してたんだけどね。
「ギターの練習もいいけどさ、唯」
ほっぺが赤く染まってるのを誤魔化すためなのかな?
りっちゃんが一回咳払いをしてから、そう言いました。
「受験勉強はちゃんとやってんのかよ?
皆で同じ大学に行くんだろ?
大丈夫なのか?」
「りっちゃんに言われたくないってばー……。
りっちゃん、部室じゃ澪ちゃんやあずにゃんをからかってばっかりじゃんかー。
りっちゃんこそ皆と同じ大学に行けそうなの?」
「私を甘く見るなよ、唯。
私には勉強を教えてくれるいい先生が居るからな!
な、ムギ!」
妙に自信たっぷりに言ってから、りっちゃんがムギちゃんの肩に手を回しました。
今度はムギちゃんがほっぺを赤く染める番でした。
でも、すぐに少し困ったような笑顔になって、自信無さそうにムギちゃんが呟きます。
「私、りっちゃんのいい先生になれてるかな……?
そんな重大な役回り、私に出来てる?
出来てたら……、いいんだけど……」
とても自信の無さそうなムギちゃんの言葉。
ムギちゃんは自信が無いみたいだったけど、私はもっと自信を持ってほしいなって思いました。
だって、今までもテスト週間の時、ムギちゃんは何度も私達に上手に勉強を教えてくれたんだもん。
ムギちゃんのおかげでいい点が取れた事も多かったんだもん。
だから、ムギちゃんにはもっと自信を持ってほしいな……。
私が口を開いてそれを言葉にする前に、いつの間にかりっちゃんがムギちゃんとほっぺを重ねていました。
たまにしか見れない優しい顔で、りっちゃんが続けます。
「十分だよ、ムギ。
ううん、私には勿体無さ過ぎるくらいだ。
ムギのおかげでこれでも結構問題が解けるようになって来たんだぜ?
だから、自信を持って私に勉強を教えてくれよな?
先生が自信持ってくれなきゃ、私だって不安になっちゃうじゃん?」
「……うん!
ありがと、りっちゃん!
私、頑張るね! 皆で同じ大学に行こうね!」
「こっちこそありがとな、ムギ!
まっ、お礼を言うのも頑張るのも私の方なんだけどな!」
りっちゃんが照れ臭そうに笑うと、ムギちゃんもほっぺを染めたまま笑顔になりました。
とっても素敵なコンビだなあ、と私は思いました。
何となくだけどね、ムギちゃんはりっちゃんに憧れてる気がするんだ。
りっちゃんの楽しそうな生き方って言うのかなあ?
ムギちゃんはりっちゃんと一緒に居ると、すっごく楽しそう。
ムギちゃんもりっちゃんみたいに、色んな事を楽しみたいんだと思うな。
りっちゃんもそれが分かってて、ムギちゃんに色んな事を教えてあげるんじゃないかなあ。
うん、本当にとっても素敵なコンビだよね。
「という事で……」
りっちゃんがムギちゃんからほっぺを離して、また咳払いをして続けました。
私に見られてる事を思い出して、恥ずかしくなってきたみたい。
照れてるりっちゃんきもー……、可愛い。
「私にはムギって先生が居るから大丈夫なわけだ!
一応、澪もたまに私の勉強を見てくれるしな。
だからさ、おまえの受験勉強が気になっちゃうわけだよ。
折角、同じ部活で頑張ってきた仲なわけだし、離れるのも勿体無いじゃん?
受験……、大丈夫そうか?」
「むー……、大丈夫だよー。
私だって和ちゃんや憂に勉強教えてもらってるもん!
りっちゃんの先生に負けない先生が私にも居るんだもんね!」
「和どころか憂ちゃんにもかよ……。
まあ、それならいいか……。
とにかく、お互いに頑張ろうな、受験。
同じ大学に行って、放課後ティータイムの名前を大学中に轟かせてやろうぜ!」
「おーっ!」
私が腕を上げて叫ぶと、りっちゃんが楽しそうに笑ってくれました。
そんな私達の姿を見て、ムギちゃんも嬉しそうに笑っています。
いいなあ、こんなの……。
こんな時間が大学でも続けられたらすっごく素敵だよね。
そのためにも家に帰ったら勉強しなくちゃ!
「あ、和ちゃんと言えば……」
ムギちゃんが口元に手を当てて、名探偵みたいな仕種をしながら急に呟きました。
最近知ったんだけど、ムギちゃんって探偵モノのドラマとか好きみたいなんだよね。
ムギちゃん、色んな好きな物があるんだなあ……。
これからもその色んな物を教えてもらえたら私も嬉しいな。
「私達、和ちゃんに用があってここまで来たんだけど、和ちゃん来てない?
今、色んな部を回ってるって聞いたから、ひょっとしたら軽音部の部室に来てるかもって思ったんだ。
でも、今は居ないみたいだね。
和ちゃんに書類の添削をやってもらいたかったんだけど……」
「うん、和ちゃんはここに顔出してないよ。
多分、何処か違う部を回ってるんだと思うよ」
「そうなんだ……。りっちゃん、どうする?」
ムギちゃんが訊ねると、隣でムギちゃんの真似をして口元に手を当ててたりっちゃんが首を傾げます。
ちょっとだけ唸り声みたいなものを出してから、すぐに苦笑いを浮かべて言いました。
「めんどいけど、もうちょっと和を捜してみるか……。
学校で生徒会長を携帯で呼び出すわけにもいかないしな。
じゃあ唯、私達、和をまた捜しに行くけど、おまえはどうする?
一緒に捜すか?」
「ううん、私、今日は一人で練習してる。
何かね、今日はそういう気分なんだよね」
「そっか……。珍しい事もあるもんだな……。
まあ、部長としては、ぐうたらな部員がやる気になってくれたのは喜ばしい事だけどな。
んじゃ、また後でな、唯。
よーし、行くぞ、ムギ!」
「がってん!
また後でね、唯ちゃん!」
そう言い残して、二人は部室から出て行きました。
とっても仲良しな二人。
大学でもそんな二人の姿を見てられるように、受験勉強を頑張らなきゃね。
私はちょっと笑顔になりながら、また曲を弾き始めます。
次の曲は『Honey Sweet Tea Time』。
りっちゃんがムギちゃんのキーボードを借りて弾いた時、
ムギちゃんのインスピレーションが刺激されて出来た曲です。
言ってみれば、ムギちゃんとりっちゃんの合作の曲になるのかな?
りっちゃんの演奏をきっかけに出来た割にはぽわぽわした曲だけど、
もしかしたら、りっちゃんと一緒に居る時のムギちゃんは、
いつもこんな風にぽわぽわあったかい気持ちになってるって事なのかも。
何だか私もぽわぽわあったかい気持ちになりながら、『Honey Sweet Tea Time』を楽しく弾きました。
でも、私は演奏し終わった時、とても大事な事を忘れていた事に気付いてしまったのです。
ああ、私ったら、どうしてこんな大事な事を忘れてたんだろう……。
折角、丁度ムギちゃんが部室に来てくれたのに……。
私が忘れていた事……、それは――
「ムギちゃんにおやつ貰っておけばよかったよう……。
お腹……、空いたな……」
ぐうぐう鳴るお腹の音だけが私の耳に残りました。
♪
『カレーのちライス』を演奏し終わって、
自分の席に座って一休みしていると、また部室の扉が開きました。
「失礼します」
「お邪魔しまーす」
りっちゃん達の時とは違って、遠慮がちに部室に入って来るその二人。
入って来たのは髪型がモコモコ可愛い純ちゃんと、
小っちゃくて可愛い私の大好きな後輩のあずにゃんでした。
二人で居る所を見た事はあんまり無いけど、あずにゃんは純ちゃんとすっごく仲が良いみたい。
たまにだけど純ちゃんの事を話してくれるあずにゃんの顔はいつも笑顔だったもんね。
大切な友達なんだろうなあ……。
そう思った私は、いつもみたいにあずにゃんに抱き着きたかったけど我慢しました。
あずにゃんには抱き着きたいけど、友達の前じゃあずにゃんもちょっと恥ずかしいかもしれないもんね。
私はあずにゃんの先輩だから、我慢だってちゃんと出来るもんね。
じっと我慢して、私はあずにゃん達に手を振りながら口を開きます。
「やっほー、どうしたの、あずにゃん、純ちゃん?
今日はクラスの用事があるんじゃなかったっけ?
二人とも部室に何か用なの?」
「あ、はい。
まだクラスの用事は終わってないんですけど、実はですね……」
言いながら、あずにゃんが長椅子に鞄を置いて、私の方に近付いて来ます。
えっ?
もしかして、あずにゃんの方から抱き着いてくれるのかな?
ひょっとしてひょっとすると、今日は私に抱き着かれてないから力が出ないとか?
いやー、照れますなー。
そう思っている間にも、あずにゃんは私の席の方に近付いて来て……。
私の席の机の中に手を突っ込むと、「あ、やっぱりあった」と呆れた顔で呟きました。
あれっ?
私に抱き着きたかった……わけじゃないのかな……?
私が首を傾げていると、あずにゃんが呆れた表情のままで続けます。
「唯先輩、遊ぶのもいいんですけど、
遊び終わった後はちゃんと元の場所に戻しておいて下さいよ。
お昼に見つけられなくて、トンちゃんを待たせちゃったじゃないですか」
そう言ってあずにゃんが私に見せたのは、トンちゃんのごはんの入った袋でした。
あ、そういえば、昨日りっちゃんとトンちゃんのごはんの入った袋でマラカスごっこをして遊んだような……。
遊び終わった後、それを私の机の中に入れたままにしてた気が……。
私のハッとした様子を見て、あずにゃんが苦笑しながらトンちゃんの水槽に向かいました。
トンちゃんに優しい表情を向けながら、ゆっくりとごはんを入れていきます。
「ごめんね、トンちゃん、ごはんが遅くなっちゃって。
ごはんが何処にあるのか分からなくて、お昼にごはんをあげられなかったんだ。
お腹空いてるでしょ?
しっかり食べちゃってね」
そのあずにゃんの顔は私には滅多に見せない優しい顔でした。
むー……、何だか悔しいな……。
たまには私にもその顔を向けてほしいよう……。
でも、私は急に一つの事を思い出しました。
そういえば、トンちゃんはあずにゃんの後輩だったんだって。
後輩が出来なくて寂しがっていたあずにゃんに、私達が後輩としてプレゼントしたトンちゃん。
あずにゃんはきっと本当にトンちゃんを後輩みたいに思ってるんだ……。
だから、トンちゃんの事を大切に思ってるんだよね。
私達があずにゃんの事を大切な後輩だって思ってるみたいに。
だったら……、悔しいけど仕方ないよね。
でも、そっか……。
あずにゃんは来年、一人で新入部員を探さなきゃいけないんだよね。
一人で大丈夫なのかな、あずにゃん。
やっぱり私が留年か浪人して手助けしてあげるべきじゃ……。
私がそう考えて不安に思っていたら、急に純ちゃんと視線が合いました。
純ちゃんがモコモコ可愛い髪を揺らして、私に向けてはにかんでくれました。
その後、あずにゃんとトンちゃんの方に視線を向けて、優しい顔で見つめ始めます。
あずにゃんをとても大切そうに……。
それで私の不安は簡単に吹っ飛んでしまいました。
最後の一年を一緒に居てあげられないのは辛いけど、
最後まで一緒に軽音部で演奏したかったけど、
私達は皆で軽音部はあずにゃんに任せるって決めたんだもんね。
あずにゃんは私達の自慢の後輩なんだもん。
一人でもちゃんとやっていけるって私達が信じてあげなきゃ。
それに、あずにゃんは一人じゃないよ。
純ちゃんもトンちゃんも居るし、憂やさわちゃんもあずにゃんを支えてくれるはずだから。
勿論、私達もあずにゃんの心の傍に居てあげたいしね。
そうなれるように、卒業まで大切な思い出をプレゼントしてあげなきゃね。
それが先輩としてあずにゃんを信じるって事なんだもん。
「……唯先輩?」
あずにゃんが私の方に振り向いて、不思議そうな顔で呟きます。
私は笑顔で首を振ってから、純ちゃんと視線を合わせて、また二人で笑います。
「え、何?
どうしたの、純?
唯先輩もどうしたんですか?」
あずにゃんが不思議そうに私達に訊ねたけど、私達は「何でもないよ」と首を振りました。
でも、もう一度だけ私は純ちゃんとトンちゃんに顔を向けて、小さく頭を下げたんだ。
それは私と、ううん、卒業する軽音部の私達からの二人へのお願い。
――私達の大切なあずにゃんを、これからもよろしくね。
って。
そういうお願いだったんだ。
最終更新:2012年12月21日 00:17