学園祭が終わってからしばらく経つ桜が丘。
そろそろ冬休みも見えてくるこの学校には、今日も最終下校時間がやって来ていた。
これから静寂が訪れようとしている校舎の中……そこに、生徒会長・曽我部恵の姿があった。
「あっ、生徒会長だ」
「会長、さようなら」
恵「さようなら」
この二人も恵と同じくこれから帰るのだろう。挨拶をして来た後輩たちに、恵は穏やかな笑顔でそう返す。
涼しげな瞳が美しい、クールな容姿。しかしそれに相反する、どことなく優しく穏やかな雰囲気……
特に成績などを確認しなくても、彼女の放つ空気だけで大抵の者は悟るだろう。
『彼女は有能な人物なのだ』と。
恵(でも、参ったわね)
廊下の窓越しから、暗くなって来た空を見て恵は少し足を早めた。
いつもなら、帰るのが下校時間ギリギリになる事はそうそう無いのだが、この日は生徒会の仕事で遅くなってしまった。
窓の外には少数の生徒の姿がポツポツと見えるが、校内にはほとんど人の気配は無い。
もう大多数の生徒が帰ってしまったようだ。
スタスタスタ……
恵は歩を進めて玄関まで来たが、やはりそこにも誰も居な……
いや、
恵(……!)
居た。一人だけ。
それを確認すると、恵はサッと柱の影に隠れた。
恵(澪たん!)
澪はこの学校の軽音部に所属するベーシストで、美しい顔立ち、長い黒髪にスタイルの良い身体を持つ美少女だ。
そして、以前あった学園祭の大々活躍で、
学校内にファンクラブが出来たほどの人気者であるのだが……
恵(よかった! よかったわっ! 今日も澪たんの下校する姿を見れるなんて!)
先程こっそり軽音部の部室を覗いてみたのだが、誰も居なかった。
『さすがに帰りが遅くなったから、今日は無理ね』と諦めていた中彼女を発見出来、
恵のテンションは上がっていた。
そう。恵もまた、澪のファン……いや、超絶大ファンの一人だった。
なんと言っても、前述のファンクラブの会長を勤めているほどなのだから。
恵(あああっ可愛い可愛いわ! でも一人でどうしたのかしら?
これから真っ直ぐ帰るのかしら? それともどこか寄るのかしら?
よし、今日もちょっとだけ後ろをついて行ってみましょう!)
──あれだけ素敵な澪たんが、変な人に声をかけられたり襲われたりしたらいけないものね──
と(彼女にとって)物凄く納得のいく理由を胸に、恵は澪の後ろをこっそりついて行く。
恵(それに、こんな偶然は他に無いもの。
これは今日は絶対に澪たんを見守りなさいと言う神様の思し召しっ!)
内心大歓喜しつつも、澪に気付かれないよう冷静かつ素早い動きで靴を履き、彼女について外に出る。
外も、先程恵に挨拶をしてくれた後輩達が遠くに見えるだけで、校舎内や玄関と同じくひと気が無かった。
眩い夕日が二人の立つ地面を照らし、恵の胸にどこかセンチメンタルな思いを生まれさせる。
恵(綺麗……
まるで、今この世界には私と澪たんしか居ないみたい……)
それは切なく寂しい世界だろうが、それ以上に甘美なものを感じさせた。
恵(貴女と二人きりになれたら、どれだけ幸せかしら)
恵がそっと妄想の輪を広げ……ようとしたその時、彼女の視界の端に何かが映った。
恵(?)
それは黒い影のような『何か』で、遠い遠い空の向こうにある。
しかしその『何か』は、猛スピードでこちらへと飛んできていた。
恵(……えっ? このままのコースだと……)
前を歩く澪に直撃する。
だが、澪は黒い影? の存在に気付いていないようだ。
タッ!
考えるより早く、恵の体は動いていた。
『あれ』は異質だ。
このまま放っておけばとんでもない事になる──恵は直感でそう悟ったのだ。
恵が駆け出した時の、彼女と澪との距離は数メートル。対して澪から黒い影までは数百メートルと言ったところか。
しかし……
恵(嘘っ!?)
恵が澪に追い付いた時、黒い影はすでに十メートルを切る距離まで来ていた。
恵「澪たんっ!」
澪「えっ?」
バッ!
恵が叫び、澪に飛びかかって二人で地面を転がったのと、
ゴウッ!
黒い影が、直前まで澪が居た場所を通過して地面にぶつかったのは同時だった。
しかし、もつれるように地面を転がっていた二人はその瞬間を見ていない。
恵(痛った……
──!?)
黒い影がどうなったのかを確認しようとした恵は、喜びに目を見開く。
澪「う……
──んむっ!?」
どうやら、一拍遅れて澪も気付いたようだ。
地面で抱き合いながら、二人はキスをしていた。
澪「む、むーーーーっ!?///」
恵「むふ///」
もちろんこれは狙ってやったのではない。偶然が生んだ産物と言うやつだ。
恵(偶然さん、ありがとうっ!)
心の底から感謝しつつ、恵は最愛の相手の唇の感触と味を堪能する。
澪「むー、むーっ!///」
ぽむぽむっ。
澪から背中をタップされるが、恵は気付いてもいない。
恵(やわらか美味しいもう最高っ!)
澪「むむぅ~~~~っ!///」
ゾワッ。
恵・澪『っ!』
突如、先程影が落ちた地面の方より体の芯から震え上がるような恐怖が生まれ、二人は反射的にそちらを振り向いていた。
恵・澪(……!?)
彼女達の視線の先には、自分達の方へと飛んでくる、今避けたはずの黒い『影』があった。
今度は避けられない──
二人はただ、『影』が迫ってくるのを見つめるだけだった。
……しかし。
ドウンッ!
二人に直撃するギリギリのところで、横から飛んできた輝く何かが『影』を弾き飛ばした。
そのまま『影』は再び地面にぶつかり、溶けるように地中へと吸い込まれて行った。
澪「……えっ?」
『何か』が飛んで来た方を向くと、夕日を背に立つ男と女。
男は右手に白い筒を持っていて、そこからはビームか何かだろうか? 光の刃が伸びている。
恐らく、これで先程の輝く何かを飛ばして『影』を撃退してくれたのだろう。
女の方は、長い髪をお下げにして、腰のベルトがリボンで出来ているロングコートを着ている。
???「危なかったな。大丈夫だったか?」
????「何言ってるのよ。
貴方が二人のキスを眺めたりしなければ余裕で助けられてたじゃない」
???「う、うるせーな。あんな良いモン前にして眺めない野郎はいねえ!」
????「まあわかるけど」
???「だろっ!?
ばーちゃんも言ってたぜ。
『美しいものは、感謝しながらしっかりと見つめなさい』ってな」
などと話しながら、男と女は近付いて来る。
恵と澪はこの一連の出来事に混乱していたが、二人共その事を忘れてあの男女……いや、男の姿に目を奪われていた。
なぜなら男は、それだけを見たら女性でも通ると思われる程整った顔立ちをしている……
と言うのもあるのだが──
澪(マ、マント?)
恵(なぜマント?)
そう。男はなぜか黒いマントを着ていたのである。
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この現代では、明らかに浮いた格好をしている人間を目の当たりにした為に混乱や恐怖を少しだけ興味が上回ったか、
恵が立ち上がって言った。
恵「あ、貴方達は何者です!?
明らかにこの学校の関係者じゃありませんよね!?
そっ、それにそのマント! 怪しすぎます!」
???「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
恵の指摘に、男は明らかにショックを受けた様子を見せた。
???「怪しくなんてねえ! 超カッコ良いじゃねえか!」
恵「どこがですか!」
???「よしっ、ならオレがマントの素晴らしさを語ってやる! とりあえず一週間くらい時間取れるな?
まずは座れる場所へ行こう……」
????「まあまあ。今はそんな話をしている場合じゃないでしょ?」
男が本気である事を察知した女が、両掌を『ぽむっ』と合わせながら割って入って来た。
????「警戒させてゴメンなさいね。
まあ、人には人の趣味があるって事で彼の服装に関しては流して」
と、ウインクをしながら軽く舌を出す。
恵「……は、はあ……」
裏やあざとさ一つ感じない、その余裕のある女の無邪気とも取れる言動に、恵は少しだけ警戒を解いた。
ようやく澪も落ち着いたのか、恵の後ろで立ち上がる。
……こちらは不安そうに視線をキョロキョロとさせているが。
恵「……それで改めて伺いますが、貴方達は何者なんですか?
それにさっきのは一体……」
今度は先程と違い、明瞭に・通る声で問いかける。
澪を庇うように立ちながら。
????「んー……
もうこうなった以上説明は必要だけ
ど……」
???「ああ。信じて貰えるか、だな。
ともあれまずは場所を移すか? 説明ならゆっくり話せる場所が良いし、ここだとまずいだろ」
と、男が周りを見渡す。
恵「…………」
確かに、下校時間も過ぎた人の居ない学校で、部外者(だろう)と悠長に話は出来ない。
いつ教師が来るかわからないと言うのもあるが、恵や澪としては正体のわからない人間とひと気の無い場所に長居はしたくないのだ。
恵「……そうですね。
では、職員室にでも行きましょうか」
???「あー……悪い。それはちょっと無理なんだ」
恵(やっぱり)
思いながらも、恵は問う。
恵「どうしてですか?」
???「いや、オレ達ちょっと事情があって、あまり目立ちたくねえんだ」
恵「まあ、部外者が勝手に入ったのを先生に見つかったら面倒な事になりますからね」
???「なのに職員室へ行こうとしてたのかよっ!」ガーン
恵「ふふふっ、すみません」
まるで漫才のボケのようなノリに、恵もつい同じ感じで答えてしまう。
恵「でも、あの」
澪「!」
と、恵は澪の手を取り、
恵「私たちこれから用があるのを思い出しました。
なのでこれで失礼します」
???「……そうか」
恵「はい。
じゃあ行こっか、秋山さん」
澪「あ、は、はいっ」
澪の手を引き、恵は歩き出す。
????「貴女!」
ビクッ。
そんな二人を、女の声が引き止めた。
恵「……はい?」
????「貴女達……ううん、そっちの長い黒髪の子は、さっきの『闇』に目を付けられてしまった」
澪「えっ?」
????「この学校の中だと複数人で居れば……学校の外では今の所無条件で安心して良いと思うわ。
それに、また危険が迫ったらすぐ助けに行くつもりだけれど、くれぐれも気を付けて」
恵・澪『…………』
???「まあ……急に突拍子もない事を言う、得体のしれない奴らを信じろって言っても難しいと思うが……
よかったら頭に入れておいてくれ」
????「そもそも、私達が貴女達に危害を加えたりするつもりならさっき助けたりしないし、
今力ずくでってのも出来る訳だしね」
確かにその通りなのだろう。
この男女の身体能力などそう言う物はわからないが、
あの『影』を撃墜した白い刃? を飛ばす武器を使われたら、素人である恵と澪には逃げる事一つ満足に出来ないと思われる。
また、明らかに彼女達よりも背が高く、顔に似合わぬ引き締まった身体をした男の体格を見たら、
力での抵抗などは完全に問題外だ。
これが女だけならば何とかなる……のかもしれないのだが。
恵「……失礼します」
これ以上どう反応して良いかわからなくなった恵は、そう言い残して今度こそ澪と共に去って行った。
……………………
…………
???「……どう思う?」
????「やっぱり信じて貰えてはないわね。
ただ、それは私達に対してだけ。『あれ』に襲われた現実は受け入れていると思うわ」
???「だな。
まあともあれ、奴の居場所は突き止めたんだ。
今度こそ決着を着ける。
もちろん、誰も犠牲者を出さずにな」
????「そうね。
──頼りにしているわ、マスター」
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その日の夜、曽我部家の自分の部屋で、恵はベッドで横になっていた。
恵「今日のアレは一体何だったのかしら……」
『アレ』とはもちろん、放課後の出来事をさしている。
あの時は混乱していたりして冷静に考えられなかったが、今は違う。
あの怪しい二人組に助けて貰わなかったら、自分と澪はどうなっていたのだろう?
……想像するだに恐ろしい。
恵(でも、悪い事ばかりじゃなかったわ)
二人組と別れた後、未だに怯えている澪を(まあ内心は恵もだったのだが)家まで送り、
ついでに電話番号とメルアド交換までしてしまった。
恵(うふふふっ。
これで彼女との距離が一気に縮まったわ!)
それに何より……
恵(……柔らかかったな)
ただの事故にせよ、澪とキスした時の感触を思い出しながら、恵は自分の唇を撫でる。
恵(澪たん……)
そういえばあの女は、澪が『闇』に目を付けられたと言っていた。
『闇』とは例の黒い影の事だろうか?
正直彼女の言葉はよくわからない。
恵(でも、澪たんは絶対に私が守ってみせる……!)
生徒会長とは言え、ただの女子高生である自分に出来る事など微々たるものだろう。
しかし、恐怖を上回る幸せな気持ちを胸に、恵はそう固く誓った。
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翌日の放課後、桜が丘。
軽音部の面々はいつも通り部活に励んでいた。
律「と言ってもムギのお茶飲んでるだけなんだけどなーっ!」
唯「はいムギちゃん、あーんして☆」
紬「あーんっ♪」パクッ
そして……
澪「…………」
秋山澪。彼女だけは、どこか心ここに在らずと言った様子だった。
律「……あれ?」
律は、先程の自分の発言に対して澪からツッコミがあるとばかり思っていたのだが、期待に反してそれは無かった。
律「うーん……」
澪は朝からこんな調子だった。
それに気付いてからは、何度か理由を問いかけたりボケたりしてみたのだが、反応はほとんど無し。
紬「……りっちゃん、今日澪ちゃん変ね?」
唯「どうしたのかな」
もちろん、澪の様子に気付いているのは律だけではない。
律「……わかんね」
しかし、その理由は誰にもわからなかった。
澪(……怖い)
澪には、まだ昨日の恐怖が色濃く残っていた。
昨日自分が担当するパートでどうしてもマスターしておきたかった箇所があり、一人残って練習した。
最終下校時間ギリギリまでかかってしまったが、
その成果で気になっていた所を完璧に弾けるようになった彼女は、上機嫌で帰路についた。
あれはその時の出来事である。
最終更新:2012年12月28日 02:38