澪(もしあの黒い変なのに捕まってたら、私どうなってたんだろ……)


ブルッ。


考えるだけで震えが止まらない。

本当は、今日学校を休んで家に居たかった。

だが、『よくわからない物に襲われて怖い』などと正直に話してもサボる為の下手な口実にしか受け取られないだろうし、
『風邪を引いた』等の嘘などすぐバレるだろう。

しかし、そんな澪がちゃんと登校して来ているのは恵の存在が大きかった。

恵は昨日、澪を家に送る間中ずっと。そして、夜不安な中も電話やメールで励まし続けてくれていた。

今朝だって、

『私も怖いけど、頑張って一緒に学校に行こう?
何かあったら、また私が必ず貴女を守るから』

と言うメールが送られて来た。

正直言って、学年は違えど同じ学生、まして同じ時間に授業を受けている恵が自分を守るなんて無理だとは思う。

だが、不安な中そうやって励まし続けてくれた恵の存在は、澪のような性格の少女にはとても心強くてありがたかったのだ。

澪(でも、やっぱり怖いな……)

──今日は早く帰ろう。皆と一緒に──

そう思った時だった。


コンコンッ。


澪「!」

突然のノック音に、澪は一人すくみ上がった。

唯「あや?」

律「んー?」

紬「誰かしら~?」

入口に一番近い所に座っている紬が真っ先に立ち上がり、扉へと向かう。


ガチャッ。


扉を開けると、そこには恵が立っていた。

紬「あっ、えっと、生徒会長の……」

恵「曽我部恵です。こんにちは」

紬「どうも~、琴吹紬です」

と、恵は紬と挨拶をし……

恵「!
澪たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」


ダッ!


視界の端に澪を捉えると、恵は彼女へ向かって駆け出した。

律「へっ?」

唯「ほ?」

澪「わっ!?」


ガシッ!


そして澪の肩を熱く掴んだ。

紬「あらあらまあまあまあ♪」

澪「あ、あ、あ、あの、曽我部先輩……?」

恵「やだ澪たんたら。私の事は恵って呼んでって言ったじゃないっ!」

澪「か、顔が近いですよ///」

律「なんだなんだ急に」

紬「うふふふふ、うふ♪」

唯「ついに澪ちゃんにも春が来たんだねぇ♪」

澪「違うよっ!///」

恵「違うの……?」ションボリ

澪「何でそんな悲しげな顔するんですか……」

落胆する恵に対する澪の反応に、律はビックリ。

律(ありゃ~。澪の奴、素じゃん。
私だって今のやり取りだけで曽我部さん? が澪をそっちの意味で好きだってわかったけどなぁ)

澪「そ、それよりどうしたんですか?」

恵「決まってるじゃないっ。貴女の事が心配で心配で……」

律(ん?)

澪「そう、なんですか……」

恵「そうよっ!
今日も出来る限り影から澪たんの事を見守ってたんだけど、昨日の今日だから我慢出来なくて表に出てきちゃったっ!」

澪(今日『も』影から……?)

ちょっと引っかかるポイントがあった澪だが、彼女がそこをツッコむ前に律が言った。

律「──あの、曽我部さん。
昨日、何か心配するような事が澪にあったんですか?」

恵「……そっか。やっぱり話してなかったんだ。
み……秋山さん、話しても良い?」

律の言葉で少し冷静になったのか、口調を正して澪に問いかける恵。

澪「……あ、あの……」

恵「昨日は『私が守る』なんて言ったけれど……やっぱり今日を過ごしてみてわかったの。
その気持ちに偽りはないけど、一人ではどうしても限界がある。
だから信用出来る人に話す事は大事だと思う」

言いながら、恵は人知れず拳を握り締める。

恵(本当は私一人で貴女を守りたい……)

──自分本位で悪い考えだとは思うけど、やっぱり好きな人は自分が助けたいって思うし、良い所を見せたいもの──

恵(でも、現実的に無理なら仕方ないわ。
自分の気持ちを優先して、澪たんに何かあったら最悪だものね)

澪「……そうですよね。確かにその通りです」

恵「もし話し辛いなら、私が代わりに話すわ」

澪「はい……そうして頂けるとありがたいです」

恵「──との事なんだけど……よかったら皆、聞いてもらえないかしら?」

律「よく事情がわからないけど……
とりあえず聞かせて下さい」

唯「なんか澪ちゃん、今日様子おかしかったし……」

紬「うん。むしろ聞きたいです」

恵「わかったわ。
ええと、もし間違ってたりしたら訂正してね、秋山さん」


チラッ。


澪「……!」

視線を向ける恵は、『私にすべて任せて』と言っているように思えた。

恵「昨日、私は事情があって帰りが遅くなったんだけど……
下校中に秋山さんと出会ってね。凄く怯えているようだから話しかけたら、『ストーカーにつけられてるかも』って言うの」

ここで澪は『ん?』と思ったが、さっきの恵の視線を考えて、とりあえず黙っておく。

律「ストーカー……ですか?」

首を傾げる律。

唯と紬も似たような反応だ。

それはそうだろう。ここは女子高と言うのもあるし、こんな時代であるが故にこの学校の防犯はかなり厳しい。

そんな桜が丘に侵入して、ストーカー行為など出来るのかどうか?

まあ部外者ではなく、犯人は生徒と言う可能性もあるのだが。

恵(って、私がそれに近かったりするんだけど……)

恵は内心で苦笑する。

恵「ええ。正直私もありえないとは思ったんだけど……
遅い時間で人がほとんど居なくなってたから、ちょっと神経質になっちゃったってのもあるかもしれないわね。
本気で不安がっているようだから、昨日は私と一緒に帰ったの。
そうしたら……」

紬「そうしたら?」

恵「それらしき気配があったわ」

──!

場の空気が張り詰めた。

律「そ、それってやばいんじゃ……」

恵「そうね。
ただ、あくまで『気配』だからね。正体はつきとめられなかったから……
これだけでは、学校はもちろん生徒会だって動けないの。
出来てもせいぜいが先生に報告する位かしら」

紬「他に、その……気配? を感じたと言うか、ストーカーの不安を持つ生徒は居ないんですか?」

恵「うん……
だから正直言って私も、昨日のだけだと自分の勘違いじゃないかと思ったりもするの。
私だって人間だもの。秋山さんにそう言う話を聞いて、
私達二人しか居ない校舎を歩いていたらやっぱりちょっとは不安になるもの……」

それならば、何気ない物音か何かを勘違いする事だってあるだろう。

律「そっか……」

恵の言う通りその可能性はあるし、
ストーカー(不審者)を不安に思っているのが澪一人だけだと、確かに動きようがないだろう。

いくら防犯がしっかりとしていると言っても、
ここまで不確かだと教師には『気のせい』『気にしすぎ』で流されるのが精々か。

防犯の厳しさと、人の行動のフットワークの軽さは別物なのだから。

恵「そこで貴女達、軽音部に頼みがあるの」

律「はい?」

恵「これから常に、秋山さんの側に居てあげて欲しいの。
少なくとも、彼女の不安が無くなるまで」

恵は、軽音部の面々を見渡しながら言った。

恵(本当はこれだって私がその役割をしたいのだけど……
クラスも学年も違う私が、それを完璧に行うのは不可能)

その事への悔しさ、唯達にこんな嘘をつく罪悪感に恵の心が暗くなるが、彼女にとっての最優先……澪の為にそれを抑え込む。

律「そうですね。わかりました」

紬「任せて下さいっ!」

唯「大丈夫だよ澪ちゃん。私たちがついてるからね~」

律、紬が頷き、唯は言葉と共に澪の頭を撫でた。

澪「う、うん……ありがとう唯、皆」

律・紬『…………』

澪は、相手がからかうつもりではなくても、こんな事をされたら照れ隠しに多かれ少なかれ反発の態度を見せる。

例え内心喜んでいてもだ。

しかし今回の唯の行動を素直に受け入れているのを見るに、ストーカーが本当に存在するかどうかはともかくとしても、
澪が本気で精神的に疲労しているのは間違いないようである。

紬「えっと、とりあえず私たちに出来る事はそれだけですか?」

恵「そうね。
常に複数人で居たら相手もそうそう手出し出来ないでしょうし、仮に動いたとしたら何か証拠を掴むチャンスになる。
それなら学校としても本気で動けるはずだし……」

律「なるほど」

恵「もし私と秋山さんの勘違いなら、それにこした事はない訳だしね。
……まあ、そうだったら皆に余計な心配かけて申し訳ないんだけど」

律「いや、それは良いですよ」

唯「うんっ」

恵「……あ、あとは遅くまで残らない事かしら。
皆がついていれば大丈夫だとは思うけど、念の為……ね」

紬「そうですね。しばらくはとことん注意しましょうっ」

恵「──と言う所かしら……
私が話を進めちゃったけど、秋山さん、これでよかったわよね?」

突然話を振られ澪は瞳を瞬かせたが、

澪「あっ、はい。
ありがとうございました。随分気が楽になりました。
皆もありがとうな」

そう言って律達に笑いかける澪は、さっきまでの何かに怯えていた彼女とは明らかに違った。

律「まーったく、そんな心配事抱えていたんなら一言話してくれれば良かったのによー」

そんな彼女を見て、律もホッとしたように笑顔を見せた。

澪「ご、ごめん」

律「まあ澪の性格ならしょうがないんだろうけどな。
あんまり一人で抱え込むなよ」

唯「そそそ。そうだよ~♪」

紬「うふふ♪」

恵「…………」

絆。

皆で澪を励まし、助けようとする律達の姿を見て、恵の頭にそんな言葉が浮かぶ。

恵(やっぱり、軽音部の和は物凄いものがあるのね……)

──羨ましい。私もあの和の中に入って澪たんと……──

ふと孤独を感じた恵は、ついそんな少々卑屈な事を考えてしまったが、すぐに思い直す。

恵(……ううん。
とりあえず、これで少しは安心出来るわね)

あの謎の二人組の女は、

『この学校の中だと複数人で居れば……学校の外では今の所無条件で安心して良いと思うわ』

と言っていた。

だからこそ澪を一人にしないようするべきだと思っていたのだが、この流れなら恐らくそこは大丈夫だろう。

もちろんあの二人組の発言を完全に鵜呑みにするのも危険だとは思うが、
何度思い返しても彼女が嘘をついている感じはしなかったし、何より恵には他に現実的な手段が思い付かなかったと言うのもある。

恵(……でも、もし澪たんが一人じゃなくてもまたあの『影』が現れたら……)

次も都合よく助けに入る事が出来る・またあの二人組か誰かが入ってくれる、とは限らない。

その場合、例え軽音部が全員揃っていても大惨事になる可能性もある。

恵(それでも……)

恵にとって最優先は澪だ。

小事ならケースバイケースでともかくとする事も出来るが、命の危機を感じたこの事件。

澪を、他の誰よりも何よりも優先するつもりだった。

恵(軽音部の皆、利用してしまってごめんね。
私も精一杯澪たんを守るから許してね……)

恵は心で謝罪しつつ、『こんな人間が生徒会長だなんて、ありえないわね』と少しだけ自分を責めた。

恵「じゃあ……そろそろ私は失礼するわね」

律「あっ、はい」

澪「あ、あの……ありがとうございました……」

恵「良いのよ。
まあこれで大丈夫だとは思うけど……
もし私の力が必要な時があったら遠慮無く言ってね。出来る限り力になるから」

澪「……はい」

頼もしそうに澪が笑った。

とても魅力的な笑顔で。

恵(澪たん……
大好き)

「それじゃあ秋山さんをよろしくね」と言い残し、恵は立ち去った。

律「……と。もうこんな時間じゃないか」

時計を見た律が声を上げる。

気が付いたら、いつも部活を終える時間になっていた。

紬「あらあらそうね。帰る準備をしましょうか」

唯「手伝うよムギちゃ~ん♪」ダキッ

紬「あら、ありがとう唯ちゃん♪」ギュッ

律「まったく、熱いぜ~」

唯「えっへ♪」

紬「うふふ♪」

澪「……なんか……皆ごめんな。私のせいで時間潰してしまって……」

律「気にすんなって」

さすがに今の澪相手に軽口を叩く気にはならず、律は優しく言った。

律「さって、今日はこれからデートだぜ~」

澪「ふふっ。お前だってお熱いよ」

律「ははっ、違いないや」


──四人で帰路についたこの日は、何の事件も起こらなかった。

────────────────────────────

その日の夜。

???「今日は出て来なかったようだな……」

????「早々とあの黒髪の子に狙いを定めたのが、逆に幸いしたのかもね」

???「その分別の問題も出て来ちまったけどな……」

????「そうね」

???「とりあえず最優先は誰も犠牲を出さない事だからな……
上手く出来れば良いが。
……いや、やるしかねえよな」

????「ええ……」

……………………

…………

────────────────────────────

それから十日ほど経ち、冬休みも間近になった。

ここまで、あの日以来事件は起きていない。

今、桜が丘は掃除の時間である。


律「さて、と。後はこのゴミを捨てて終わりだな」

澪「あ、私行ってくるよ。皆は後片付けしてて」

律「大丈夫か? 結構重たいぞ」

澪「大丈夫だよ」

律や他のクラスメートと軽口を叩き合いながら、ゴミを持って澪が教室を出て行った。

────────────────────────────

外。ゴミ捨て場に到着する。

ここに来るまでにゴミを捨てた帰りと思われる生徒とすれ違ったが、今この場には誰も居ない。

澪「よいしょっと……
さっさと出して戻ろう」

油断だった。

この十日間何も起こらず穏やかな時間が過ぎた事で、澪や律達から危機感が消えていた。

ただ一人を除いては。

しかしこれは誰も責められないだろう。

彼女達は、これまでの人生で誰も大きな事件に巻き込まれた事はないのだ。

いくら澪が臆病とは言え、
時間が経てば『あの日の現実離れした事件は夢だった』と思う気持ちも出て来るし、
そもそも本当の事を知らされていない律達ならば尚更だ。

油断、だった。


グアッ!


澪「えっ?」

ゴミを置いた澪の前の地面から、黒い影が吹き上がった。

澪「!!!」

『影』は二メートルほど細い円状に伸びた後、上部が横に大きく広がった。

澪「──っ!?」

扇状になったそれは、広がった部分が澪の方に曲がり、襲いかかって来る。

彼女を呑み込もうと言うのだ。

澪は恐怖と混乱の為に言葉を失い、腰を抜かす事すら出来ずにただ立ち尽くすのみ。



3
最終更新:2012年12月28日 01:39