恵「……さて、もう本格的に暗くなってきたわね。
私はそろそろ帰るけど……平沢さんと琴吹さんはどうする?」
立ち上がりつつ、恵は二人に問うた。
その時一瞬足の力が抜けて座り込みそうになったが、すんでの所で堪える。
唯「あ……そうですねぇ」
紬「学校に不審者が居たと言っても、外の、人が居る場所なら平気かなって思ってたんですけど……
真っ暗になったらさすがに怖いですね」
恵「…………」
もちろん、今もケイン達や『ダークスター』の事は誰にも話していないので、未だに真相は恵達四人以外知らない。
唯「私達もそろそろ帰ろっか」
紬「そうね」
唯と紬も立ち上がった。
そのまま三人で公園の出口へ向かう。
唯「おおっ、影が凄いねっ!」
紬「本当~♪」
恵「ふふっ、そうね」
夜の闇が濃くなった沈みかけの夕日に照らされ、彼女達の影が地面に長く伸びていた。
三人それぞれの歩き方や、揺れる鞄。それと
リンクする影はまるで踊っているみたいで。
唯「何だか、影がダンスしながらはしゃいでるっ!」フンスー!
紬「おもしろ~い♪」
恵「…………」
そんな余裕はないはずなのだが、無邪気な唯と紬を見て、恵は心が落ち着いて行くのを感じていた。
恵(……そっか。焦りすぎていても良い考えは浮かばないかもね。
急がないといけないのは確かだけれど……
焦らず、急がないと)
思い浮かぶ事も思い浮かばない。そんな風に恵は思った。
唯「じゃあ、私たちこっちなんでっ」
公園から出て右へ行こうとした恵に、唯が左を指差して言った。
恵「そう。
今日は色々な話を聞かせてくれてありがとう。
気を付けて帰ってね」
唯「先輩もっ」
紬「──あの、お節介だったらすみません」
恵「?」
紬「曽我部先輩だったら大丈夫ですよっ」
恵「えっ?」
紬「澪ちゃんの反応を見てたら、きっと大丈夫ですっ!」
恵「……!///」
唯「えへへっ! 行こっかムギちゃんっ」
紬「うんっ!」
唯と紬は手を繋ぎながら行ってしまった。
恵「も、もうあの子達ったら……///」
後に残されたのは、顔を真っ赤にした恵。
恵(でも……そうなのかしら。期待しても……希望を持っても良いのかしら)
いや、と言う事は、彼女は期待していなかった? 希望を持っていなかったのだろうか?
澪の反応を見ていると、少なくとも嫌われてはいないはずだ。
それなのになぜ?
恵(やっぱり、臆病だっただけなのかしらね)
色恋沙汰にそれは当然ではあろうが、しかしだからそれで良いと言う訳でもないだろう。
恵(何だか……あの子達と話していたら気が楽になったわね。
……と、いけない)
いつまでもこんな所に立っていては邪魔かもしれない。
強い疲労が消えた訳ではないが、どこかスッキリした顔で恵は再び足を動かす。
……はっ。
恵(で、でも……これって私の恋に関する事で、今回の事件には全然関係ない……!)
気付いて呆然としたが、彼女はそれを振り払うかのように頭を強く横に振る。
恵(と、とにかく、頑張らないと。
頑張らないといけないわね……!)
恵は自身の疲労を気合で押し込め、改めて決意を固めて闘志を燃やした。
ともあれ、今日の唯と紬との会話は、恵の心に深く刻まれたのだった。
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エンジェルモートでの一件から五日。
澪「……ふう」
二時間目の授業が終わり、澪は大きく息を吐いた。
さすがに真の恐怖を二度も味あわさせられると、初回の時と違って数日で恐怖や不安が薄らぐと言う事はなかった。
それでも、軽音部の皆や、恵のおかげでこうやって学校には来れているのだが……
律「よーっす、澪」
憂鬱な気持ちや、揺れる気持ちと戦っている澪の元に律がやって来た。
澪「律」
律「どうしたんだよ、相変わらず暗い顔して」
笑いながら、彼女は澪の肩を抱く。
親友の明るさに、暗かった澪の顔が少し和らいだ。
澪「うん……
……いや、なんでもないよ」
しかし、一瞬──すがるような表情を見せたものの、彼女はそう言って黙り込んでしまった。
律「…………」
ここ数日、澪はこんな様子だった。
律(どうしちまったんだ澪……
半月くらい前だっけ? にも似たような事はあったけど……)
あの時は、今みたいなリアクションすら無かった。
律(……逆に言えば、ちゃんと反応してくれる今はそれほど心配しなくても良いのか?)
実際はそんな事ないのだが、いくら親友が相手とはいえ、律が人の心を読める訳ではない以上さすがにわかるはずもない。
律(ともあれ、今みたいな顔した時は、大抵悩みだのなんだの抱えてる事をぶちまけてくれるんだけどな)
彼女がこれまで澪と付き合ってきた経験上そうだった。
律は今の澪の反応を見て、『勉強で解けない問題がある』『人間関係でちょっと……』と言ったものではなく、
『怖いものから守って。助けて』と言う雰囲気を彼女から感じたのだが……
律(それが合ってるとしたら、何とか自分で解決しようとしてるとかか?)
澪が大嫌いな、怖いもの相手に一人で?
だとすると、これは澪の成長なのだろうか。
いや、それもあるのかもしれないが、律にはそれ以上に頭に浮かぶ顔があった。
律(……曽我部さん、かな)
ここ最近、澪は恵とよく連絡をし合っているらしい。
恵の話をする時の澪は、表情が違う。
恐らく、今は大きな悩みがあったとしても、恵に相談するのではないだろうか?
ないしは、もうしているか。
と言っても優秀な恵だ。澪から相談を受けた彼女は、メンタルが弱いながらも能力はある澪の事を見抜き、
『自分で出来る事は人に頼らず、なるべく一人でやってみたら?』
と良い意味で突き放している可能性もある。
律(……いや、澪にベタ惚れしてる曽我部さんだから、そんな事は出来ないかな)
そして律の見た所、澪も恵を一人の女性として想い始めている。
律(あいつが曽我部さんを見る目がそんなんだし、あの人の話する時の空気もなーんか違うからなぁ)
ようするに、律に言わせれば今のあの二人は両思いである。
少なくとも、それに近い。
ただ、澪の方はそんな自分の気持ちに気付いていないようだが……
律(澪の奴はこれまで本気の恋愛した事ないから、
曽我部さんへの今の自分の気持ちを『尊敬』とか『憧れ』って勘違いしてる段階っぽいな)
そっち方面では親友よりだいぶ先に進んでいる律は、そんな風に思っていた。
その他律が思い付く事と言ったら、例のストーカーの件だが……
こないだ不審者騒動があった時にこそ、澪や軽音部だけでなく、周りでも話題になったものの今は全然である。
そこはお喋り好きの女の園だから、続けて目撃情報が出るなり大きな事件が起きない限り、
話題の移り変わりが速いのは仕方ない。
もちろん内心は不安がっている生徒も居るはずだし、警戒自体は(今は学校全体で)続けてはいるが……
何よりも、これは(恵主導だったとは言え)皆に一度話した件である。今更隠し立てするだろうか?
──しない……よなあ。
やっぱ、あの澪が隠し事が出来る程度の悩み、って事なんじゃないか?──
律(実際澪が一々悩む事なんて、そんなのばっかりだったもんな)
ふと昔を思い出して律は苦笑する。
律(もしくは、誰にも触れられたくない悩みとか)
それなら下手に手助けしようとすると、余計なお節介になってしまう。
律にもその類の悩みはある為、それぐらいはわかる。
律(それにしても……
ったく、焼けちゃうな)
律は澪に恋心を抱いている訳ではない。
それでも、一番の大親友がそう言う対象を見つけた事(彼女自身がそれに気付いてなくても)への寂しさは確かにあって。
──彼女持ちの私なのに、そりゃ勝手すぎるかもだけどさ──
律(ま、親友同士だからってお互いに依存しすぎてもよくないだろうから、
これは私にとっても澪にとっても良い事なんだろうけどな)
普段はおちゃらけているし、確かにお世辞にも大人とは言えない律ではある。
だが、そこは弟を持つ長子。
微量ながら、冷静・かつドライな考え方をする面も持っている。
周りが白けるし、律自身そう言うのが好きではない為に普段は滅多に表には出さないが。
澪「……律?」
肩を組んだまま黙った律に、澪が怪訝そうな顔を向けた。
律「──と、なんでもないよん☆ クシャミが出そうで出なかっただけ☆」
澪「はあ」
律「ここで出せたら澪に色々ぶっかける事が出来たのに~」
澪「んなッッッ!?」
澪の額に青筋が立った。
澪「やめろバカっ!」
ポカッ。
律「ひゃっは~☆」
キンコーン。
ここでタイミング良くチャイムが鳴った。
律「ととと、席に戻らないと。
澪ちゅわんのお顔に私の液体をかけたかったわぁ」
澪「し・つ・こ・いっ!」
律「こわぁい☆」
澪の声を背に受けながら、律は自分の席に戻って行く。
澪「……ありがとな」
最後の言葉は聞こえないふりをして。
律(ま、事情はよくわからんが頑張れよ。
もし、一人? 曽我部さんと二人? だけじゃやばくなったら、私はもちろん、唯やムギだって相談に乗ってくれるはずだからさ)
──その時はいつでも頼ってくれよ──
……………………
…………
律の推測で当たっている事はいくつもあった。
これはその中の一つだが、澪は確かに成長していた。
澪「…………」
──『ダークスター』をこのままにしておいたら、誰か死、死んじゃうの……?──
それを防ぐ為に澪の協力が必要らしいが……
澪(でも、やだよ。怖いよ……)
彼女は、出来る事なら律達にでも他の友達にでもすべてを話し、責任をなすりつけて逃げ出したかった。
少なくともこれまでの澪なら、親友や軽音部の仲間に相談して助けを求めていただろう。
それは事件を解決する為と言うよりも、彼女が不安だから。怖くて耐えられないから。
だが、やらない。
そんな事をしてもどうにもならないからだ。
一時的に澪の気持ちは晴れるかもしれないが、それ以上に……
澪(皆を巻き込みたくないよ……)
それと、何よりも恵の存在。
彼女は、自分の為に物凄く頑張ってくれている。
恵が居なければ、澪はとっくに今回のすべてを投げ出していただろう。
澪(これだけ助けてくれてる曽我部さんの為にも、わ、私だって逃げずに頑張らないと……
うう、でも怖いよぉ……)
澪の心は揺れていた。
それでも戦っていた。
これまで、苦手な恐ろしいもの・出来事からは逃げる事ばかりを考えてきた澪が。
澪と恵は、真面目だったり能力がある所は似ている。
しかし、自分の前に壁が立ち塞がった時の立ち回り方は真逆だった。
恵はまず立ち向かおうとし、澪はまず避ける方法を考える。
澪にとってそれは、自分でも認識している己の欠点だったのだが……
今は、まがりなりにもその欠点に自分から立ち向かおうとしている澪が居た。
それは間違いなく、彼女が成長している証拠である。
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ただ、苦しい・苦手な事に挑む姿勢はとても大切ではあるが、それがあまりに過ぎるのも考えものだ。
ようするに、どんなものでも極端は美点にはなり辛いと言う事だが……
それでも恵は、色んな事に要領良く対応出来る人間ではあるのだが、澪に関してはその限りではないらしい。
ここに、己と戦う少女がもう一人居た。
……………………
その日の昼休み。
恵(澪たん澪たん澪たんっ、澪たんを守らなきゃ!)
スタスタスタ。
熱い闘志を胸に、恵は廊下を歩いていた。
さわ子「あら、曽我部さん」
そんな恵の前に、さわ子が現れた。
この二人に面識はほとんど無いのだが、学校の人気教師と生徒会長である為、お互いに顔と名前は知っていた。
恵「山中先生……こんにちは」
さわ子「こんにちは」
恵「では失礼します」
スッ。
そう言って澪の元へと急ごうとした恵だが、
ガシッ。
さわ子の隣を通り過ぎようとした時、彼女に肩を掴まれた。
恵「先生……?」
さわ子「曽我部さん、どうしたの? 随分疲れているようだけれど……」
恵「えっ?」
その通りだ。相変わらず、恵は寝ていない。
いくら気合で押さえつけても、蓄積された肉体と精神の疲労は、確実に恵を蝕んでいた。
澪を助けたいが為に自分を追い込んでいるとは言え、
その澪を心の支えにしているからこそこうして何とか頑張れている状態である。
……だが、彼女は誤魔化した。
恵「……すみません。ちょっと色々ありまして……
でも、大丈夫ですから」
さわ子「何言ってるの。貴女今にも倒れそうじゃない!」
恵「……?」
目の下のクマはコンシーラーで多少はごまかせているし、生活態度も普段通りを心がけ、上手くやっているはずだ。
……顔色は悪いかもしれないが。
それでも、それほど関わりがある訳ではない、たまたますれ違っただけの教師に心配されるほどではないはずである。
少なくとも恵はそう思っていた。
恵「あの……」
さわ子「大人を舐めちゃ駄目よ」
恵「!」
なおも何か言おうとした恵を、さわ子の言葉が遮った。
さわ子「……ちょっとそこの空き教室に行きましょうか」
と、近くのドアを指差すさわ子は、ここが周りに他の生徒が居る廊下と言う事で恵に配慮したのだろう。
恵「……はい」
彼女の優しい声色と笑顔に、つい恵は素直に頷いていた。
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さわ子「さ、座って」
恵「はい……」
さわ子が暖房のスイッチを入れながら促し、恵はそれに従う。
ズシッ……
椅子に腰を掛けた時、恵は自分の体全体に鉛のような重さを感じた。
おそらく、内心張り詰めていた気を多少なりとも抜いたからだろう。
恵「…………」
意図せず、彼女は深く俯いた。
正面を向いている事すら辛さを覚えたのだ。
恵(私、ここまで疲れていたのね……)
それは、先日唯・紬と話した日に襲ってきたそれを軽く超えるレベルである。
疲労を自覚してはいたが、彼女自身これほどだとは思っていなかった。
さわ子「さて、と……
……大丈夫かしら?」
恵「はい……」
さわ子「ごめんなさいね、お茶の一つでも出せたらよかったのだけれど」
恵「いえ、そこまでして頂く訳には……」
さわ子「ふふっ。まあ、出せてもムギちゃんのいれてくれるお茶には敵わないけどね」
恵「確かに、琴吹さんのお茶は美味しかったです」
さわ子「あら、曽我部さんも飲んだ事あるの?」
恵「はい。この間ちょっと軽音部に用がありまして、部室に寄った時に」
さわ子「そうなの」
しばらく続く、何気無い話。
……と、
さわ子「──さて、本題に入りましょうか。
曽我部さん、何かあった? 悩み事とか……」
タイミングを見計らい、さわ子が切り出した。
恵「…………」
しかし、恵は再び俯いてしまう。
さわ子「……担任でもない私が、こんな事するのは違和感があるかもしれないけど……
気にしないでね」
言ってさわ子は笑う。
恵の担任は恵の様子に気付かなかったようだが、それは彼女の演技が上手かったと言うのもあるだろうし、
教師と言っても個人で二桁の生徒を相手にしているのだ。
一人ですべてを完璧に、などとはいくらなんでも到底不可能な話である。
だからこそ自分が受け持つ生徒ではなくても、さわ子はこうしてフォローをするのだろう。
仕事だと言うのもあるが、それ以上に同僚も生徒達も大切だから。
最終更新:2012年12月28日 01:49