恵「まぁ、大して貴女を助けられてるとは思えないんだけど……」

澪「そんな……! そんな事ありませんっ。
軽音部の皆に対してもそうだけど……
私、曽我部さんが居てくれてどれだけ心強かったか……!」

恵「……そう言ってくれてありがとう。
でも……私の方こそごめんなさい」

澪「えっ?」

恵(勇気を出して。
自分の出来る事を)

恵は言う。固めた決意が崩れないうちに。

恵「私、あの事件でこれ以上澪たんが関わらなくてすむ方法を考えてみたけど、駄目だった。
どれだけ頑張っても思いつかないの。
澪たんを危ない目に合わせたくない。他に犠牲だって出したくない。
でも駄目なの。私じゃあどうにもならない……っ!」

澪「曽我部、さん……」

恵「ごめんね澪たん、私にケインさんみたいに戦う力があったり、もっと頭が良かったら……何とかなったかもしれないのに……」

恵が泣いている。

恵「ぅ……ぅえっ……」

澪にとって恵は、少し変わった所はあるが、頭が良くて行動力も備わっている頼りになる先輩だった。

それもここしばらくずっと励まされ続けてきた事で、それ以上に……尊敬する姉のようにも思い始めていた位だ。

その恵が泣いている。澪の為にボロボロになるまで自分を追い込んで、己の無力さを嘆きながら。

──何だろう、この気持ち……──

そんな恵を見て、澪は今までにない想いを自分自身に感じた。

いや、気付いた。

感謝や尊敬だけではない、『それ』に。

澪「…………」

澪は思い出す。ケイン達の言葉を。

犠牲を出さない為には、知恵を取り戻す前の『ダークスター』を叩くしかないと。

今の状況でその為には、澪に囮になって貰うしか手が無いと。

澪は思う。

もしこのまま自分が逃げたら、自分は助かるかもしれない。もう怖い目には合わないかもしれない。

でも、その分他の誰かが……殺されるかもしれないのだ。

それは顔も知らない桜が丘の生徒かもしれないし、クラスメートかもしれない。

律達軽音部の仲間かもしれないし、恵かもしれない。

それを思うと、胸が張り裂けそうになった。

恵「私、ね。澪たんが一番大事だけど、でも他の人を犠牲にしてまでなんて出来……ない」

最初の間は澪さえ無事ならそれで良いと割り切ろうとしていたし、それに沿った考えで動いてもいた。

しかし、今は状況が違う。

ケイン達から『このままだと死人が出る』などと断言されてしまっては、いくらなんでももうそんな気にはなれない。

恵「だから、あの……あのねっ……」

澪の脳裏に、律、唯に紬の笑顔が……

瞳に、目の前で嗚咽に負けずに必死に言葉を紡ごうとする恵が映る。

この、優しくて頼りになって、こんな自分を一番大事だと言葉で・行動で示してくれる素敵な女性が。

澪「……嫌」

恵「えっ?」

一瞬、恵の表情に絶望が射す。

しかし澪の叫びがそれを打ち消した。

澪「嫌っ! あんな怖いのもう嫌だけど、だからこそ他の人をあんな目に合わせたくないし、誰も失くしたりしたくないよぉ!」

それは、死の恐怖を間近で感じ、味わった澪の魂の叫びだった。

恵「澪たん……」


ぎゅっ。


恵「!」

唐突に、澪が恵を抱き締めた。

恵「澪、たん?」

澪「だから私、ケインさんの言ってた作戦……
やります」

恵「良いの……?」

恵はそれを頼むつもりではあったが、彼女の方からそう言われるとつい聞き返してしまう。

澪「凄く怖いですけど……ケインさんが守ってくれるって言ってましたし、曽我部さんも……
曽我部さんも、いざとなったらまた守ってくれるんですよね?」

恵を抱く手は震えているし、弱々しい。

だが、その声ははっきりしていた。

──もはやこの場には、無理な事を頑張りすぎて自分を傷付ける少女も、
苦手な事から逃げようとするだけの少女も居なかった。

恵「……うん。うん!
もちろんよ!」

恵は、澪の肩の中で強く頷いた。

澪「よかった……
それなら私、頑張れます」

顔だけ離し、澪は笑った。

恵「……!」

窓から射し込む夕日に照らされた彼女のその笑顔は、とても美しかった。


そ……


恵はゆっくりと。大切で、脆い宝物を優しく愛でるように澪の頬に手をやり、

恵「貴女は私が絶対に守ってみせるわ」

唇を近付けて……

────────────────────────────

ケイン「よし……
準備は良いな?」

恵「はい」

澪「は、はいっ!」

キャナル「は~い♪」

次の日の放課後、恵、澪、ケインにキャナルの四人は、桜が丘の中に居た。

もちろん校舎内ではなく、外の人目につきにくい場所……例のゴミ捨て場の前である。

恵と澪は、昨日のあれからすぐに以前受け取った無線機でケインに連絡を取り、澪が例の作戦を引き受ける事を伝えた。

それを受け、ケインは作戦の簡単な手順を説明した。

と言っても、

『澪が一人になる』

『それを俺達が影から見守る』

『『ダークスター』の奴が出て来たらぶっ倒して終わりだ!』

と言う至極単純なものだったが。

ただその分、戦闘初心者の恵・澪にもわかりやすいのはマイナスではない。

そして今日の、最終下校時間も近い今。

恵と澪の手引きもあり、二人とケイン達はこの校舎の影で合流したと言う訳だ。

ケイン「手順は昨日言った通りだ。
澪はそこのゴミ捨て場か? で待機してくれ。
そうしたら俺達は徐々に離れて行くが片時も目を離さねえ」

澪「は、はい……」

ここは以前澪が襲われた所だが、人目につきにくい場所だというのに合わせて、
戦闘に耐えうるそれなりの広さがある。

今回『ダークスター』を迎え討つには絶好の場所であった。

澪(…………)

覚悟を決めたと言っても、澪にとっては最悪の思い出の場所の一つ。

死の恐怖に身を置くのとは別の意味でも逃げ出したい位だが……


そっ。


恵「澪たん」

澪「……はい、恵先輩」

こうして肩を抱いてくれる恵の存在が最高の支えとなり、不満を零す事はなかった。

それどころか、

澪(が、頑張るぞ……)

支えてくれている人が居るとは言え、不安な心すら自力で押し込めている澪は間違いなく成長していた。

この今までの彼女では考えられない姿を、彼女の親や、親友の律を始めとした軽音部の仲間が見たらどんな顔をするだろうか?

ケイン「じゃあ……始めるぞ」

ケインの言葉に全員が頷くと、澪がゴミ捨て場の中心へと歩き始め、
その他の三人は澪から目を離さないようにして彼女とは逆の方へ移動する。

ケイン達三人は、とりあえずケインの武器(サイ・ブレードと言うらしい)の最大射程距離まで下がって身を隠しながら、
『ダークスター』が出てくるまで待つのだ。

ケイン「…………」

彼らはそこまでたどり着いたが、まだ奴は出てこない。

キャナル「…………」

澪は、ゴミ捨て場で落ち着かなさそうにウロウロしている。

恵「…………」

そして……


グアッ!


『ダークスター』が澪の背後の地面から現れた!

澪「きゃ……」

澪が悲鳴を上げる暇も無く。


ドンッッッ!


身を隠していた場所から飛び出したケインの放ったサイ・ブレードでの射撃が、『ダークスター』に直撃した!


バシュウッ!


そのまま『ダークスター』は、弾ける音とともに四散し、地面に零れて消えた。

ケイン「……?」

恵「や、やった……んですか?」

キャナル「いえ……」

ケイン「あまりにもあっけなさすぎるな」

恵の言葉に、しかしケインとキャナルは浮かない顔で答える。

ケイン「もうちょっと様子を見た方が良いかもしれねえ」

と、ケインはこちらに戻ってこようとする澪を手だけで制し、呟いた。

ケイン(……俺達はもう一度姿を隠した方が良いか?)

キャナル「……上!?」

ケイン「──!」

キャナルの声にケインが空を見上げると、日没が迫る遠くの空から、こちらに向かって飛んでくる黒い物体が映った。

最初の時のように、上空から襲うつもりなのか。

ただ、あの時と違うのは……

キャナル「私達の方に来る……?」

澪を狙うのではないと言う事。

ケイン「あんにゃろう、何か企んでやがるな?」

その動きは、意思や意図を感じさせた。

ケイン(二回目の時よりさらに危険な臭いがしやがる……
相当知恵が復活してやがるのか?)

だとしたら、彼らが予測していたのより『ダークスター』の回復が早い。

ケイン(……やべえかもな)

ケインは焦りを覚えつつ、上空の『ダークスター』にサイ・ブレードで狙いを付け……

ケイン(……待てよ。射撃で潰してもさっきと同じになるんじゃねえか?)

これまでの『ダークスター』ならば、それで倒せないまでもダメージは与えられていたはず。

しかし思ったよりも力を取り戻している為か、効いている感じがしないのは気のせいか?

キャナル「……ケイン、駄目ね。
遠くからちまちまやっても、距離的にまた逃がす可能性の方が高い」

ケインの迷いは間違っていなかったようで、横からキャナルが助言する。

ケイン「つまり、直接ぶった斬って、また拡散して逃げるようならそれも纏めてぶっ潰せって事か。
無茶言うぜ」

だがサイ・ブレードでの接近戦なら、斬撃の後にすぐ周りを薙ぎ払う事が出来る。

そして、ケインの腕ならばそれは十分可能だ。

ケインは不敵に笑うと、キャナルと恵を少し移動させて彼女達を後ろにかばうように立つ。

もちろん、離れた場所に居る澪への注意も忘れない。

これで飛んで来る『ダークスター』は、ケインに直撃するコースに入ったのだが……

ケイン(位置的にはキャナルと恵も狙えない事はねえ。
……これが本能からの行動だろうと、何か計算があるのだろうと、ここで俺達三人の中であの野郎が狙うのは……)


ギュンッ!


サイ・ブレードの斬撃の射程範囲内に入る三歩手前で、『ダークスター』が進路を変えた。

その先には……恵!

恵「!」

ケイン「だろうなっ!」

一番戦闘能力が無い彼女を狙うと予測していたケインは、『ダークスター』の方向転換にコンマ以下のタイムラグで反応した。


バッ!


一足跳びで『ダークスター』に迫り、斬りかかる!


カッ!


その時、桜が丘の空が光った。

ケイン「!」

キャナル「!」

恵「!」

澪「!」


ドンッッッ!!!


ケイン「ぐあっ!」

『それ』は、『ダークスター』まで光の刃を五センチまで迫らせていたケインの左腕を貫いた!


ドサッ!


キャナル「ケインっ!」


ズアッ!!


ケイン「!」

上空からの一撃を受けた勢いで地面に倒れたケインは、無理な体勢のまま地面を転がる。

ケイン「ぐっ!」

筋肉が軋むが、あのまま地面に転がったままだとやられていた。

なぜなら、地に倒れたケインを『ダークスター』がさらに方向転換をして襲いかかって来たからだ。


ズズズッ……


攻撃を外された『ダークスター』は大地にぶつかり、そのまま染み込むように消える。

恵「ケ……ケインさんっ、大丈夫ですか!?」

それが合図となり、時が止まっていたかのように硬直していた恵が、ケインに駆け寄る。

恵の注意がケインに向き、

キャナル「今のは……」

キャナルが一瞬思考し、

ケイン「大丈夫だ! 俺の事よりも自分の……」

ケインが言いながら立ち上がる。

その間一秒と言った所だっただろうか。

澪「きゃああああああっ!!!」

悲鳴が上がった。

ケイン・キャナル・恵『!!!!!』

もしキャナルが考え込まず、恵が澪だけに意識を向けていれば。

どちらかが……あるいは二人共が『それ』に気付いてケインに言葉をかけ、
彼が神業の射撃スピードで奴を叩き落としていただろう。

もしケインが倒れていなければ、『立ち上がる』と言う行為に気を割かれず、
やはり『それ』に気付いて奴を撃退出来ていたに違いない。

だが、それは『たら、れば』の話だった。

一瞬。ほんの一瞬、皆が澪への意識を無くした時間がタイミング悪く重なり、それが最悪の結果になる。

恵「澪たんっ!」

澪が、『ダークスター』に呑まれた。

────────────────────────────

澪を呑み込んだ『ダークスター』は、その闇の塊をぐねぐねと不定形な形にして彼女の周りを覆っている。

恵「澪たんっ! 澪ッ!!!」

キャナル「駄目っ!」

澪の元へ駆け寄ろうとする恵の腕をキャナルが掴み、止めた。

恵「なんでっ!!!」

キャナルの方を振り向き、恵が血走った目で叫んだ。

ケイン「おおおおッッッ!!!」

二人がそんなやり取りをしている間に、ケインが動いていた。

恵「やめてっ!」

目にも止まらぬスピードで踏み込み、ケインが『ダークスター』を斬りつける!


ガッ……ィンッ!


ケイン「!」

しかし、サイ・ブレードの刃は『ダークスター』に少しだけめり込んだ後すぐに弾かれてしまった。

左腕を負傷している為に威力が不十分だったのだ。

恵は勘違いしてしまったようだ(彼女は戦闘経験が無い上に錯乱しているので、仕方ない事だが)が、
ケインは澪を斬ろうとしたのではない。

彼女に纏わり付く『ダークスター』を斬り捨てようとしたのだが……

ケイン「っ!?」

彼が二撃目を放つ前に、『ダークスター』の闇がぐちゃぐちゃと歪んで人型に収束した。

そう、澪の形に。

……遅かった。

それを悟ると、ケインは後ろに跳んで間合いを取る。

その彼が空に居る間に、澪の形をした真っ黒な物体は、闇色を急激に失っていく。


スタッ。


ケインが地面にたどり着いた時、『それ』は完全に澪そのものの姿に戻っていた。

恵「み……澪たんっ!?」

それを見て安堵したのか、恵が再び彼女の元へ走り寄ろうとするのだが、未だに恵を離していないキャナルが許さなかった。

恵「キャナルさん!?」

キャナル「……あれはもう……澪ちゃんじゃないわ……」

恵「どこがですか! どう見ても澪たんじゃないですかっ!」

確かに、見た目だけだとそうなのだが……

恵「──あれっ……?」

恵も気付いた。彼女の雰囲気がさっきまでとまるで違う事に。

澪?「久しいな、ヴォルフィード。
それにケイン=ブルーリバー」

ケイン「ああ……てめぇと会話するのは久し振りだな。
『ダークスター』……!」

恵「!?」

ケインの呻くような言葉に、恵が絶句する。

キャナル「……澪ちゃんは、『ダークスター』に取り込まれてしまったわ……」

恵「えっ……?」

“澪”「ほぼ私……いや、我の思い通りだったな。
まあ、先程の攻撃で貴様にとどめをさす事が出来なかったのは残念だが、それ位は良い」

空から来た、ケインの左腕を貫いた謎の光の後に行った攻撃の事を言っているのだろう。

ケイン「もうあんな手を思い付くほど回復してやがったとはな……」

ケインが憎々しげに吐き捨てるが、“澪”はまったく意に介さない。

“澪”「──どうした? 襲いかかってはこないのか?
賢明だ。
お前達はこの人間を救いたいのだろう?
だが、この肉体を自分のものにした我を倒せば、この人間も消滅するからな」

恵「!」

ケイン「てめぇ……!」

“澪”「だがこちらとしても都合が良い。
まだ我の力も完全ではないし、そもそもこの肉体だと、手傷を負っているとは言えお前には勝てそうもないからな」

ケインの左腕を見ながら、“澪”は笑う。

ケインとキャナルは何とかしようと手を必死で考えているが、思い付かない。

“澪”「しかし、やはりこの者は最高だ。
我の中で助けを求め、泣き叫び、恐怖している。
元々この者は負の感情に弱いらしいが、それ以上になまじ大きな希望を持っていた分、これは激しく甘美だ!
ふふふっ、我が力がどんどん回復していくのがわかる……!」

“澪”の言う通り、このわずかな間でも彼女? の纏う邪悪なオーラがどんどん大きくなっていっている。

それは、恵でもはっきりわかる程だ。

“澪”「さて。我はそろそろ失礼しよう」

ケイン「!」

“澪”「この調子だと、我は明日中には不満ではない程度の力は取り戻せる。
それからお前達を滅ぼしてやろう。
その後に、我の糧となる恐怖を更に喰らう為にこの星も消滅させるか。
じわじわとな」

ケイン「てめぇ!!」

“澪”「不満があるなら止めに来ると良い」

“澪”が邪悪な笑みを浮かべると、足元から立ち昇った『闇』がその体を包み込む。



恵「澪たんっ!」

そのまま“澪”は空へと昇り、消えた。

後には、この場に立つ三人だけが残される。

恵「澪ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

何事もなかったかのように夜が訪れる学校に、恵の絶叫が響き渡った……



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最終更新:2012年12月28日 02:46