……暑い。
非常に暑い。
尋常でないくらい暑い。
微動しただけで汗が吹き出し、瞬く間に全身を濡らす。
口を開いただけで喉の奥が灼け付く熱気。
夏の熱気は人間から思考力をいとも簡単に奪い去る。
私からも、あの子からも、判断力や気力を削ぎ落としていく。

気鬱。
後悔。
虚脱。
様々な感情、様々な感覚が私の全身を駆け巡る。

どうして……、
一体全体、どうしてこんな事になってしまったのかしら……?

自分でも分かるほどに大きく嘆息しつつ、
真昼だと言うのに薄暗い自室を軽く見回してみる。


「あぢゅいー……」


私の幼馴染みが全身を汗まみれにして、畳の上で寝転がっていた。
汗に濡れて、全身にシャツとホットパンツを貼り付けて、
ただこの夏の日が暮れる事だけを切実に願う表情を浮かべて、ただ寝転がる。
昨日から何一つ変わっていない光景。
つい私はまた嘆息してしまうのを禁じ得ない。

夏の日の唯は幼稚園の頃からいつもこんな様子だった。
暑さが苦手で、炎天下ではすぐに体調を崩して、
だからと言ってクーラーを使っても身体を壊す面倒な体質の幼馴染み。
本当に面倒臭い子だなあ、といつも思う。
この子にはいつも面倒を掛けられてばかりで、
一緒に居ながら気を抜けた事なんてほとんど無い。
でも、私は不思議とそれが嫌じゃなかった。
上手くは言えないけれど、それが私と唯の幼馴染み関係と言う物なのだろう。


「ねえ、唯……」


自分の汗が更に吹き出すのを感じながら、私は寝転がる唯の傍まで歩み寄る。
顔の前にしゃがみ込んで、止まらない汗に濡れる唯の頬に手を伸ばした。

「どうしたの?
和……ちゃん……?」


唯が焦点の合わない視線を私に向ける。
若干震えている声色から察するに、
発声にすらかなりの体力を使ってしまっているみたいだ。
また、汗が流れる。
私から、そして、唯の肌から。
唯とこんな同棲みたいな状況に追い込まれてから二日目。
私と唯はただただ夏の熱気に汗を流してばかりだ。
その原因の一端が私にあるとはいえ、少しだけ唯に申し訳ない気がしないでもない。
だけど、こればかりは私の未来のためにも譲るわけにはいかなかった。
この唯との奇妙な同棲生活には、私の未来が懸かっているのだ。
部屋にこもる気鬱の熱気には、私と同じく唯にも耐えてもらうしかない。


「唯、あんた……」


私は寝転がる唯に出来る限り優しい声を掛ける。
昨日から考えていた事を今こそ実行するべきだと思ったからだ。
正直、唯が居なければ、昨日の内に実行してしまうつもりだった。
背に腹は代えられないし、実を言うと普段から家族でそういう生活をしている事だしね。
だからこそ、これから私はそれを実行するべきなのだ。
それが私のためになり、結果的には唯のためにもなる。


「そんなに汗まみれになって……、凄く暑いわよね?
まあ、それはそうよね……。
こんな炎天下の日にカーテンまで閉め切ったりして、暑いに決まってるわ。
暑くない方がおかしいわよ、こんなの」


「じゃあ、和ちゃん……。
お願いだからクーラーを……」


「申し訳ないけど却下よ、唯。
長い付き合いだから知ってると思うけど、
真鍋家は摂氏四十℃を超えない限り冷房機器は使わないのよ。
それにクーラーを使うなんて、そんな危険な橋は渡れないのは分かっているでしょう?
扇風機なら回ってるいるんだから、どうかそれで我慢してちょうだい」


「扇風機でどうにかなる暑さじゃないんだよう……」


「それもそうでしょうね……、私だって暑いわよ、こんなの。
だから……」


言い様、私は肌に張り付く唯のシャツの裾を握る。
突然の急展開に唯が驚いた表情を見せたけれど、
私は唯のその表情を無視して、冷たく静かに言い放ってみせた。


「服を脱ぎなさい、唯。
この熱気に対抗する唯一の手段……、それは全裸になる事よ」


「ええ……ふぐっ!」


驚いたのか唯が大声で叫び出しそうになったから、
咄嗟に口の中に右手の指を四本突っ込んで食い止める。
もう……、全裸くらいで大袈裟な子なんだから……。
全裸なんて夏の暑い日には常識じゃないの……。
普段羞恥心が無いように見えるけれど、意外とこの子もそういう感情を持ってるのねえ……。

でも、唯には少し悪いと思うけれど、
これには何としても最後まで付き合ってもらうしかない。
そう、これは私の未来の懸かった唯との同棲生活。
自分の将来のため、高校二年生のこの夏、
私は唯を巻き込んででも、自宅に引きこもらなければいけないのよ……!




事の発端は夏休みの直前の事だった。
両親が家族の前で思いも寄らない事を口にしたのだ。


「今年の夏休みにはハワイに行く」


口から心臓が放出されて、四散するかと思った。
正直、それくらい驚いた。
ハワイ……、考えるだけで魅了される魅惑の言葉だ。
ハワイ州ハワイ郡である。海外である。
鳥取県にある羽合町とはわけが違う。
海の向こうの南国、常夏の島、椰子の実、フラダンス。
思い浮かべるだけで胸が高鳴る。
海外旅行に行った事のない私にとって、ハワイはまさしく憧れの島だった。

そのハワイに行くだなんて、
生徒会で鉄面皮と呼ばれた事もある私だって胸の高鳴りを禁じ得ない。
遂に私も海外デビューをする日がやって来たわけだ。
勿論、念の為、両親には何度も確認した。
ハワイに行くつもりだったが、実際行ったのは鳥取の羽合だった。
なんて使い古されたお約束のネタに振り回されるのは嫌だものね。
だから、私は何度も何度も、しつこいくらいに日に二回は確認した。
両親は苦笑しながら、羽合じゃなくて海外のハワイだと何度も答えてくれた。
そこまでやってようやく、私は安心する事が出来たのだ。

どうやら本当にハワイに行くらしい……。
それをやっと自覚出来た私は、クラスメイト達にそれとなくその話をした。
うざったいかもしれない、とは思いつつも、皆に話さずにはいられなかった。
それくらい心が昂ぶっていたのだと思う。
嬉しくて、興奮して、皆とハワイの事を話したかったのだ。
律に羨ましがられた時なんか、舞い上がってしまって、
その後で律と何を話したのか自分でも憶えていないくらいだ。

私は初めての海外旅行に、ハワイに舞い上がっていたのよね……。
だから、クラスメイトだけじゃなく、
憂やさわ子先生、とみお婆ちゃん、生徒会の役員、
それどころか朝挨拶をするだけの近所のおばさんにまで、
誰にも訊かれていないのに、自分からハワイの話をしてしまっていた。
でも、それくらいなら問題無かったはずだ。
初めての海外旅行に舞い上がるのは、誰だって同じはずなんだしね。
……本当にハワイに行くのであれば、の話になるけれど。

結論から話そう。
今自室に引きこもっている事から分かるように、私はハワイには行けなかった。
旅行が頓挫したわけではない。
両親が嘘を言っていたわけでもない。
つまり……。


「今年の夏休みには(私達だけが)ハワイに行く」


という事だったわけなのよね。
流石にそれは盲点だったわ……。
そもそも、夏休みにハワイに行くのに、
夏休み直前でパスポートを発行していない時点で、私も気付くべきだったわけだけれど。
迂闊……、何て迂闊なの、私……。

ちなみに両親は仕事の都合でハワイに行くだけらしい。
勘違いして空回っていたのは私だけだったという事だ。
空回りしてしまった事は無念で残念ではあるけれど、それは仕方が無い。
自分の空回り自体は自分自身で後悔して反省すればいいだけの事だ。

そんな事よりも大問題が一つあった。
夏休みにハワイに行くと周囲に言い触らしてしまった事だ。
訊かれてもいないのに、自分から……。
これは恥ずかしい……以上に、
私の将来に多大な影響を及ぼしてしまう気がするわ。
このまま私がハワイに行かないとなると、
私はありもしない事を自慢げに吹聴した見栄っ張りの大詐欺師という事になる。
今更勘違いだったと弁明してみた所で、その汚名を雪ぐ事は出来ないだろう。
それどころか虚言癖の生徒会役員として、各地から陰口を叩かれてしまうかもしれない。
勿論、それだけじゃすまない可能性まである。
ひょっとすると、ハワイに行きたがった可哀想な女子高生として、
噂好きで有名なお隣のおばさんに、未来永劫語り継がれる事になる可能性だってある。

それだけはどうしても避けたかった。
両親がハワイに行っている期間、私は誰にも姿を見られるわけにはいかない。
私の姿を視認された瞬間、私の将来は脆くも崩れ去る。
だけど、ハワイに行くお金なんて、当然持ち合わせていない。
何処かの田舎に逃げ込もうにも、その程度の予算すらも持ち合わせが無い。
となれば……。

ひきこもるしかない、と私は決心した。
この蒸し暑い夏の数日間、
ブラウン・レディのように限りなく影を薄くして、
誰にも悟られないように自宅にひきこもり続けるしかないのだ。
それが私の将来を守る唯一の手段なのだから……。




【ひきこもりはじめ】


両親は早朝から出発していたらしい。
朝、目を覚ますと、机の上に二万円と手紙だけが置かれていた。


『のどかへ。
おかーさんたちはこれからハワイに行ってきます。
のどかなら心配ないと思いますが身体に気を付』


手紙をそこまで読んでから、すぐに視線を手紙から逸らす。
お母さん達には悪いけれど、今は手紙なんかを読んでいる時間は無いのだ。
周囲を窺ってみると、お母さん達はご丁寧に窓のカーテンを開けてくれていた。
朝陽に照らされて気持ちよく起床してほしいという親心なのかもしれない。
でも、残念ながら、今はそれは大きなお世話だった。
私は溜息を吐きながら家中のカーテンを閉めて、あらゆる場所の電気を消しに回った。
冷蔵庫くらいなら問題無いだろうけれど、
必要以上に電気を使ってしまっていたら、
お節介な近所の誰かに気付かれてしまうかもしれないものね。

最後に全ての窓と玄関の扉に鍵を掛け終わると、私は自室に戻ってから扇風機の前に陣取った。
こうしてしまうと、もう他にする事は無い。
幸いにと言うべきか、夏休みの宿題と読み終わってない本なら沢山残っている。
後は誰の目にも触れないように数日間を過ごせばいいだけだ。

……だけだったのに、
不意に耳に届いた声が私の計画の全てを壊す事になった。
よりにもよって初日から。
二冊ほど小説を読み終わった頃、聞こえてきたのだ。
聞き飽きるほど聞き慣れた幼馴染みの声が。
勿論、唯の声だった。
あの子の声は独特な上に甲高いから、昔から窓を閉め切っていてもよく私の耳に届いた。
どうして、唯が私の家の近くにまで来ているのかは分からない。
今、私がハワイに行っている事(になっている事)は知っているはずだから、
単に何となく、私の家の付近まで散歩に来ただけなのかもしれない。


「それって全然自然じゃないよねー♪」


どうやら放課後ティータイムの曲を口遊んでいるらしい。
唯には珍しく、夏の日だって言うのにとてもご機嫌な様子だ。
でも、唯のその能天気な声を聞いていると、自業自得とは言え、
こんな蒸し暑い日に室内でひきこもっている自分が嫌になって来る。

どうでもいいから、
早く帰ってくれないかしら……?

そう思いながら、
カーテンの隙間から外の様子を窺ってみたのが失敗だった。

思わず息を呑んだ。
唯が丁度窓の方に視線を向けていて、目が合ってしまったからだ。
唯の事だから、深い意味も無く窓に視線を向けていただけだと思う。
けれど、そんな事は関係無かった。
突然の事態に私は動揺して、唯も恐らく同じくらい動揺して、
数秒くらいそのまま見つめ合った後で、私は立ち上がって窓を開いた。

「あれ……?
和ちゃん、何で? ハワイに行ってるはずじゃ……」


唯が首を捻りながら呟いていたけれど、
気が付けば私はそれを無視して唯の右手首を掴んでいた。
何をどうしたらいいのかは私の中でも答えは出ていなかった。
ただ、唯をこのまま帰すわけにはいかないという事だけは、私にもよく分かっていた。


「ちょっ……、えっ……?」


戸惑いの声を上げる唯の手首を引っ張って、
靴を履かせたままで窓越しに部屋の中に入らせる。
誰にも目撃されてないのを確認すると、
すぐに窓とカーテンを閉めてから唯の口を塞いでその場に座らせた。


「事情があるのよ。
大きな声を出さずに黙って聞いてくれるかしら?
……いいわね?」


そう言うと、私に口元を手のひらで押さえられながら、唯が小刻みに頷いた。
我ながら何だか無茶な事をしてしまった気がするわね……。
傍から見ていたら、間違いなく私の方が変質者だわ……。
でも、一先ずは一安心と言った所だった。
少し迷ったけれど、私は唯から手を離して事態をありのままに説明する事にした。
こうなってしまった以上、唯にも協力してもらうしかない。
私の将来のために、無理矢理にでも……。
かなり口が軽い唯の事だし、
隠し事をさせるのは無理だという事は経験でよく分かってるもの。


「素直に皆に話したらいいんじゃないの?」


私が事態を説明し終わった時、
唯は何でも無い事のように呑気に呟いていた。
予想通りとは言え、実際にやられてしまうと苛立たしいわね……。
私は少しだけ目を細めて唯を睨んでみたけれど、
それでも唯はそれを気にしない様子で軽く首を傾げてまた続けた。


「だって、そうでしょ?
別に和ちゃんが悪いわけじゃないんだし、単なる勘違いだったわけだし、
素直に事情を話せば、皆、「なーんだ」って笑ってくれると思うよ?
こんな暑苦しい部屋で汗を流してる必要なんて無いんだってばー」


呑気ね、と思った。
唯の呑気さは美点ではあるけれど、この状況では欠点でしかない。
生徒会に揉まれて世間の酸いも甘いも経験して来た私には分かる。
世間の荒波の中では、呑気な唯など狼の群れの中に迷い込んだ兎の如き物なのだ。
私は人差し指を立てて、まだ呑気で居る唯の瞳を覗き込んで口を開いた。
唯にはこれから私の共犯になってもらわなければならないのだ。


「甘いのよ、唯。物凄く甘いわ。
どれくらい甘いかと言えば、
チョコレートに練乳垂らして蜂蜜掛けて砂糖を練り込んだくらいに甘いのよ」


「私、それたまに憂に作ってもらうよー。
じゅるり……」


「あんたって本当に……。
まあ、いいわ。
とにかく、あんたはそれくらい甘過ぎるくらいの甘ちゃんなのよ、唯。
よく考えてごらんなさい。
私がハワイに行けなかった事を知った軽音部の部員がどう反応するかを」

「別にちょっと笑って終わりだと思うよ?
りっちゃんくらいは少しからかって来るかもしれないけど、
りっちゃんってばああ見えて皆の事を考えてくれてる部長だから大丈夫だよー」


「そうね……、律はその程度の反応で終わるかもしれないわ。
でも、私が一番問題視してるのは澪なのよ。
あの子は危険ね。危険な香りが芳ばしいくらいに漂っているのよ……」


「澪ちゃんが?
でもでも、澪ちゃんって面倒見のいい思いやりのある子だし……」


「ええ、それは分かっているわ。
澪は思いやりがあって、皆の事を考えてるいい子よ。
それは二年で同じクラスになった私もよく分かってるわよ。

でもね、それが逆に怖いのよ。
ハワイ旅行は私の勘違いだったと話せば、澪も最初は笑って納得するでしょうね。
だけど、あの子はきっとその後に色んな事に考えを巡らせるはずなの。
妄想癖って程でもないけれど、あの子は何事も深読みする性質があるから。
それできっと一つの答えに辿り着くわ。
『和は本当はハワイに行きたくて悶々として、つい嘘を吐いてしまったんじゃないか』って。
辿り着くわ。ええ、きっとそうよ。
あの子ならきっとその答えを導き出すのよ……。
その日から私は澪に可哀想な子を見る目で見られ続けるんだわ……」


「か、考え過ぎだよ、和ちゃん……」


「最悪の事態は常に想定しておかなければならないのよ、唯……。
でも、澪にそう思われるくらいなら、私だってそんなに気にしないわ。
問題は澪と同じ様に考える誰かが出てくるかもしれないって事なの。
澪ならいいわ。
澪なら勘違いとは言え、私の相談に乗ろうともしてくれるかもしれない。
勘違いとは言え、それは私としても嬉しい事よ。
勘違いとは言え、ね。

でもね……、澪と同じ答えに辿り着いたからと言っても、
澪と同じ対応をしてくれる人達ばかりじゃないのよ、唯。
ハワイに行きたかった私がつい嘘を吐いてしまった。
その答えに辿り着いた誰かの中の一人に、
私を見栄っ張りだと思う誰かが出て来ない可能性はゼロではないの。
私を見栄っ張りだと思ったその誰かはきっと誰かに話し始めるわ。
「桜高の生徒会に所属している二年の真鍋和という生徒は見栄っ張りだ」って。
その噂はきっと音の速さどころか光の速さで町中に知れ渡る事になるのよ……。
そうなったら私の未来が……、私の将来が……!」


「だ、大丈夫だって……。
もしそんな噂が広がったとしても、すぐに忘れられちゃうってば……」


これだけ話しても、私の幼馴染みは事態の深刻さを全く理解していないようだった。
まったく……、本当に仕方の無い幼馴染みよね……。
でも、平和ボケと呼ばれて久しい現代っ子では、それが限界なのかもしれない。
自分の身に危機が迫らない事には、
現在そこに忍び寄る危険に気付く事も出来ないのはある意味当然でしょうね。
私は小さく嘆息した後、唯の両肩を掴んで顔を唯の顔の傍に寄せた。
これは私だけの問題じゃないって事を、唯にも自覚してもらわないといけないのだ。


これは私だけの問題じゃないの。
これはね、私の幼馴染みであるあんたにも危険が迫ってるって事でもあるのよ」


「わ……、私っ?」


唯が素っ頓狂な声を上げて怯え始める。
やっぱり、何も分かっていなかったらしい。
呑気な事だけれど、それは呑気な唯のままでいいと甘えさせていた私の責任でもあった。
私は唯を共犯関係に引きずり込むため……じゃなくて、
唯の呑気さをこれまで正して来なかった責任を果たすため、真剣な声色で続ける。


「よく考えるのよ、唯。
あんたは私の幼馴染みでしょう?
幼馴染みである以上、あんたもこの問題とは無関係ではいられないの。
恐らく私の噂が広まった後にはあんたの噂も広がるでしょうね。
「見栄っ張りで嘘吐きな真鍋和には平沢唯って幼馴染みが居るらしい」って。

後は大変よ。
あんたの姿を見かける度に、
「あれが平沢唯か」、「あの子も見栄っ張りなのかな?」、
「ギター弾けるってのも見栄なんじゃね?」、
「真鍋和の幼馴染みだしそうに違いないな」って噂がまた伝播していく事になるわ。
そうなってしまったが最後。
ただでさえ赤点がちなあんたの内申点に響いて、大学進学も危うくなるかもしれないのよ?」


「ええっ?
そ、それは困るよう……」


呑気な唯もようやく自分の置かれてしまった立場を理解してくれたらしい。
かなり怯えた表情で私に救いを求める視線を向けていた。
勿論、私は唯に救いの手を差し伸べるわ。心からそうしようと思う。
こうなってしまった以上、私達は一心同体の運命共同体。
後はこの困難に力を合わせて立ち向かっていくだけよ。
私は軽く微笑んで、唯が安心出来るように優しい言葉を掛ける。


「そのためにも、私達は二人で頑張っていかなきゃいけないの。
協力……してくれるわよね、唯?」


「ど……、どうしたらいいの、和ちゃん……?」


「二人で誰にも姿を見られずにこの数日間を乗り切るのよ、唯。
この家にひきこもって二人で共同生活をするの。
そうすれば唯の内申点に影響が出る事も無くなるわ」


「えー、それはやだよー……。
誰にも言わないから家に帰してよう、和ちゃん……」


何の悪気も無い顔で唯が平然とそう返す。
ここまで話させておいて、そう来るのね……。
そうよね……、唯ってそういう子なのよね……。
勿論、そんな唯の勝手を認めるわけにはいかないわ。
唯に任せておいたら、数日後どころか今日中に憂に話してるでしょうしね……。
やっぱり数日掛けて、決して口外しないように根気強く教育を施すしかないわ。
こうなると、もう手段を選んではいられない。
私は唯の耳元に口を寄せると、小さな声で、でも威圧的に囁いてみせる。


「協力しないと、中学の修学旅行の時にあんたが起こした事件を言い触らすわよ?」


「ええ……はぐあっ!」


またしても大声で叫びそうになった唯の口の中に、私は指を四本突っ込んだ。
形振りなどには構ってはいられない。
本当の意味で私の未来が懸かっているのだから。
数秒後、唯が少しだけ落ち着いたのを見計らってから指を放すと、苦々しげに唯が呟き始めた。


「それはずるいよ、和ちゃん……。
あれは私と和ちゃんだけの封印された歴史だよう……。
大体、あれを言い触らしたら和ちゃんだって……」


「そうね、無傷では済まないでしょうね……。
でも、覚悟の上よ。
唯が協力してくれないのなら、あの事件と一緒に私も心中する心積もりよ」


「あんまりだー……」


唯が項垂れて呟く。
でも、項垂れながらも、唯は頷いてくれていた。
何はともあれ、こうして私達の共犯関係が始まる事になった。
唯と二人での最高最大のひきこもり生活が始まる。


「ところで和ちゃん……」


「どうしたのよ、唯?」


「ずっと和ちゃんの家にひきこもるのはいいとして、
よくはないけどいいとして……、憂に何て言ったらいいの?
いきなり何日も家を空けるなんて、いくら何でも無茶過ぎるよう……」


「そうね……。
急に私の家のハワイ旅行に付き合う事になったって電話で説明しておきなさい。
チケットが余って勿体無かったからって」


「和ちゃん……、本当にそれで通用すると思ってるの?」


「通用させるのよ。無理が通れば道理は引っ込むわ」


「何それー……」


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最終更新:2013年02月20日 22:32