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【ひきこもり2日目】
ひきこもり生活の初日は何事も無く過ぎて行った。
全身を汗だくにしながらも、意外にも唯は扇風機だけで初日を耐えてくれた。
伊達にクーラーが苦手な体質ではないという事らしい。
それはそれで私には願ったり叶ったりだった。
ただ、普段から怠惰に過ごしてる印象の割には、
すぐにこのひきこもりの状況に退屈を覚え始めたらしかった。
唯は私の部屋の本棚にある漫画本を一通り読み終わると、
心底退屈そうに扇風機の前で無意味に声を出して宇宙人の声を再現し始めた。
いえ、実際に宇宙人の声を聞いた事は無いのだけれど。
唯は何とそれを一時間以上続けていた。
流石にこれ以上放置しているのも問題かと思い、
「あんた、普段ゴロゴロしてるのが好きなんだから、
こんな今こそ変な事せずにゴロゴロしてればいいじゃない」
と私が言うと、唯は扇風機から顔を逸らさずに不満そうに返答した。
勿論、宇宙人みたいな声で。
「モー……。
和チャン何モ分カッテナイヨー……。
何カシナキャイケナイ時ニー、
ソレデモゴロゴロスルノガ一番気持チイインダヨー?」
……まさしくニート予備軍に相応しい発言だった。
軽音部に入った事で少しは改善されるかもと期待していたのだけれど、
あの部活の申請用紙を出す事すら数ヶ月忘れていた部では、願うべくも無い事だったのかもしれない。
そういえば、ひきこもり初日、唯が私の自宅付近に居たのはやはり散歩のためだったらしい。
当然、単なる散歩のためではない。
夏休みの宿題を憂に急かされ、それから逃げるために散歩と言う名目で家から出たのだそうだ。
何て言うか、凄く唯らしい散歩の動機よね……。
私の幼馴染みは順調にニートへの道を歩んでるようだ。
私は肩を竦めて、唯の行動を気にするのをやめた。
この家から外出さえしなければ、唯が他に何をしてくれていても私に不満は無い。
幸い、読まずに積んである小説は二十冊以上ある。
トルストイの『戦争と平和』も全巻ある事だし、時間だけは無駄にせずにいられそうだ。
夏休みの宿題の読書感想文は、この『戦争と平和』についてでいいだろうしね。
数時間経って。
時計が十二時を指し示した頃。
扇風機に向けて喋っていた唯が目に見えて弱り始めた。
一番暑い時間帯に差し掛かり始めて、
室内に極悪と言っても差し支えないほどの熱気が籠っていたからだ。
もっとも、私も唯の事を言えた義理じゃない。
登場人物が五百人を超えると言う『戦争と平和』を読んでいるせいか、
脳内が多くの情報で綯い交ぜになった上に熱気で思考力も低下して……、
簡単に言うと、何をするのも面倒臭くなってきた。
部屋着は私の汗を吸って肌に纏わりつくし、
密着した部屋着に熱がこもって更に気鬱が私を支配しようとする。
唯も扇風機に喋り続けるのが嫌になったのか、
単に飽きたのか、身体中を汗まみれにして畳の上で寝転んでいた。
「あぢゅいー……」なんて言わなくても分かり切っている当然の事を口にして。
暑いのは私も同じだった。
この熱気をどうにかするのは不可能としても、
せめて私の肌に纏わりつく部屋着だけはどうにか出来ないのだろうか……。
新しい服を着てさっぱりするにしても、数には限りがあるわけだしね……。
だとしたら、私がこれから取るべき道は……。
うん、と私は一人で小さく頷く。
私は一つの答えに辿り着いたのだ。
たったひとつの冴えたやり方と称しても問題無いほどの解決策。
誰も損しない圧倒的に冴えた解決策にだ。
そもそも私は夏はいつもそうして過ごしているのだ。
だから、私は畳の上で寝転がる唯に伝えたのだ。
私の辿り着いたたったひとつの冴えたやり方を。
「服を脱ぎなさい、唯。
この熱気に対抗する唯一の手段……、それは全裸になる事よ」と。
∴
唯が私から目を逸らして頬を紅く染めている。
恥じらいと言う物を知らない子に見えて、唯は意外な所で恥じらいを持っているのよね……。
中学時代のあの事件を少しだけ思い出す。
あの修学旅行の日も、唯は想像以上に恥ずかしがってしまっていた。
この子、ひょっとして今も……?
一瞬だけそう考えはしたけれど、私はまずはそれを気にせずに自らの部屋着を脱ぎ始める。
「ちょっ……、和ちゃん、本気で……っ?」
唯が動揺した声を上げて視線を私の方に戻す。
自分が脱ぐのは嫌でも、人の脱ぐ姿は気になるらしい。
唯ったら、やっぱり脱ぐ事に関して複雑な感情を持っているみたいね……。
そう考えながらも、私は肌に纏わり付いていた部屋着を一枚ずつ脱いでいく。
ショーツ一枚になった所で、私は唯を決心させるために声色を優しくして呟いてあげた。
「本気よ、唯。
そもそも私が冗談なんてあんまり言わない性格って事は分かってるでしょう?
それに私は自分が変な事をしているとは思っていないわ。
この部屋は蒸し暑い。蒸し暑いから脱ぐ。
人間として至れる完璧な帰結だと思うけれど?」
「それは……、そうかもだけど……」
「あんたも知ってるでしょう、唯?
私は家ではいつも薄着だって事を。
実はね、薄着と言うより、私、自宅で寝る時はいつも全裸なのよ。
勿論、あんたの家でのお泊まり会とかでは流石に服を着ていたけれどね。
私、人間が眠る時は全裸が正装だと思っている人間なの」
「やっぱり、そうなんだ……。
和ちゃんが私の家に泊まりに来た時、妙に寝相が悪いのが気になってたんだよね……。
あれは単に寝相が悪いんじゃなくて、
パジャマを着なれてないから寝苦しかったって事だったんだね……」
「そういう事だったのよ。
あんた、意外と鋭いじゃない。
とにかく、そういう事なのよ。
暑い時に服を着るなんて事、私には理解出来ないわ。
他人の目がある時ならともかく、周囲に居るのが身内だけなら、
真夏日は裸こそが人間として取るべき正装だとも思ってるくらいよ」
「それは流石に変だよ、和ちゃん……」
「どうしてかしら?
そもそも人間が服を着るのはどうしてか分かってるの、唯?
聖書の時代、人間は常に全裸で過ごしていたわ。
全裸をやめたのは知恵の実を得る事で恥じらいを知り、
裸と言う生物の本質から遠ざかってしまったからなのよ。
つまりね、生物の本質とは裸なの。
人間の文化的な行動を否定するつもりはないけれど、
だからと言って裸という生命の本質を否定するのも愚かな事よ。
特に今の私達は暑さと言う強大な外敵に立ち向かわなければならない状況に追い込まれているわ。
輝かしい未来を掴むためなのだから、恥じらいなんて今は必要無いのよ」
「で、でもでもー……」
ここまで言っても躊躇う唯の姿を見ながら、
私は最後に一枚残ったショーツを脱いで、畳の上に落とした。
扇風機の風が衣一枚纏っていない私の全身をくすぐる。
ああ、何て解放感なのかしら……。
体感温度自体はそう変わってはいないのだろうけれど、
肌に纏わりついていた異物感が消えた解放感だけで随分と違う。
やはり、真夏日の正装は全裸なのだ。
私はそれを深く実感した。
気が付けば私は笑顔になってしまっていたらしい。
私のその解放感に満ちた表情を見ていた唯が、躊躇いがちに自らのシャツに手を伸ばす。
私の様子を見ていて、全裸の素晴らしさを分かりかけて来たのだろう。
少し待っていると、唯はシャツを脱いで上半身裸になった。
中学生の頃から若干成長したように見える唯の乳房が露わになる。
まだ大きめとは言えないけれど、その形のいい乳房は少しだけ羨ましく思える。
唯は恥ずかしそうに胸元を押さえながらも、私の顔を見て少しだけ微笑んだ。
「ホントだ。
シャツを脱ぐだけで結構涼しくなるね、和ちゃん」
「でしょう?
唯に分かってもらえて、私も嬉しいわ。
これから先、自室での睡眠時は全裸をお勧めするわ」
「う、うん……。
考えてみるよ、和ちゃん……」
「でもね、唯。
まだ残ってるんじゃない……?」
そう呟きながら、私は唯のショーツを人差し指で示す。
唯もそこを私に指摘されると思っていたみたいで、
若干怯えた表情を見せながら、手のひらを胸元からショーツ付近に移動させていた。
唯がふるふると頭を左右に振りながら、上擦った声を出した。
「う、ううん!
これで十分だよ、和ちゃん!
上半身が裸なだけで私、十分に涼しくなったもん!
だから、ね……。もうこれ以上は……」
「そう……ね……。
そうよね……、ごめんなさい、唯」
私は唯から視線を逸らして残念そうな口振りで呟いた。
いくら自分が自室での全裸を好んでいるからとは言え、
その価値観を全て唯に押し付けてしまうのも可哀想だろう。
上半身裸になる決心をしてくれただけでも、私は唯に感謝すべきなのだ。
涼を取る意味では、上半身裸なだけでも十分に過ぎるのだから。
唯が心底安心した表情で微笑を浮かべる。
自分がショーツを脱ぐ事態に追い込まれなかった事がよっぽど嬉しかったらしい。
「よかったー……。
分かってくれたんだね、和ちゃん……」
「ええ、ごめんなさい、唯。
涼を取る意味でこれ以上服を脱ぐ必要は無いわ。
シャツを脱いでくれただけでも、涼を取る意味では私も満足よ。
ありがとう、唯。それと……。
ごめんなさいっ!」
そう言うが早いか、私は油断していた唯のショーツに自分の手を掛けた。
私はそのままショーツを引き摺り下ろそうとしたけれど、
珍しく唯も素早い反応を見せてショーツを握り締めていた。
「ええーっ!
もう満足って言ってくれたじゃんかー、和ちゃんー……!」
唯が憎々しげな様子で恨み節の籠った言葉を口にする。
そう言われても仕方が無かったけれど、
私は自分の湧き上がる好奇心を抑え切れなかったのだ。
恥じらいなんてほとんど持っていないはずの全裸への抵抗。
これには確実に何か深い意味があるはずなのだ。
その何かに対する好奇心を止める術を私は有していない。
好奇心……。
それは眼鏡を掛けた人間に共通して見られる特徴だと私は思う。
視力が落ちる原因は暗い所で本を読んだりするから、
という話をよく聞くが、それは単なる都市伝説でしかないという事を私はよく知っている。
そもそも視力が落ちるというという事は、退化というより適応に近い現象なのだ。
溢れ出る好奇心を抑え切れず、本を読み、テレビを鑑賞し、
テレビゲームをプレイし続けた結果、人間は視力が落ちるのだ。
読書をするのに必要な距離に最も適応した視力に落ち着くのだ。
それはつまり、好奇心を抑え切れなかった人間の辿り着く境地と言っていい。
眼鏡を掛けた人間は、そういう人間の集団なのだという事だ。
そして、私もその中の一人なのだ。
「やめてよー。恥ずかしいよ、和ちゃんー……!」
唯がショーツを引き摺り下ろそうとする私に抵抗して悲痛に呻く。
しかし、私としても今更止まるわけにはいかない。
もう戻る事が出来ない以上、前に進むしかないのだ。
「大丈夫よ、唯。痛くしないから。
痛くしないから……ね?
だから、安心してショーツを脱ぎなさい、ほら……!」
「目の色が変わってるよ、和ちゃん……!
やだよう……!
これじゃ、修学旅行の時と一緒だよう……!」
修学旅行の時と一緒……。
この唯とのひきこもり生活が始まる脅迫に使ったあの事件の話だ。
しばらくクラスメイトからからかわれ続けたあの事件の話だ。
唯に言われるまでもない。
こうしながら、私も同じ事を考えていた。
中学の修学旅行の時のあの事件……。
大した事件だったわけではない。
お風呂に入る時、今と同じ様に脱ぐのを嫌がっていた唯の服を私が脱がそうとしただけの事件だ。
それを目撃したクラスメイト達が勝手に大袈裟に騒いだだけなのだ。
丁度唯を押し倒すような体位になっていて、私もほとんど服を脱いでいたから、
そこはかとなく背徳的な雰囲気を漂わせてしまっていたのは、否定出来ないけれどね……。
あの修学旅行以来、長い間、唯と恋人扱いされてしまったのは、私としてもかなり辛い過去なのよね……。
いや、過去の辛い思い出の事はいい。
あの時、唯が執拗なくらいに服を脱ぐのを嫌がってた理由は、ある身体的特徴からだった。
今もあの時と同様に服を脱ぐのを嫌がっているという事は、つまり……。
「あぅんっ!」
妙な声を出して唯がその場に崩れ落ちた。
数秒争った結果、私は唯のショーツを引き摺り下ろす事に成功したのだ。
唯も唯なりに必死だったのだろうけれど、
ただでさえ暑さに弱い唯が全裸になって解放感を得た私に敵うはずがなかった。
私はショーツを投げ捨てると、一息だけ吐いて唯の下半身に視線を向けてみる。
「和ちゃんのいけずぅ……」
半泣きの唯が悔しそうに呟いていたけれど、
私はその唯の下半身の股間付近から目を逸らす事が出来なかった。
予想はしていた事なのだけれど、まさか本当に予想通りだとは思っていなかったのだ。
それでも私は絞り出すように訊ねていた。
「唯、あんたやっぱり……、
高校二年生になったって言うのに、『生えてなかった』のね……」
私の言葉を聞いた唯が畳の上に顔を沈める。
恥ずかしがってるのか悔しがっているのか分からなかったけれど、
その四つん這いの体勢では『生えてない』股間がよく見える事に唯は気付いてないのだろうか。
……その辺は深く考えない事にしましょう。
中学時代、唯が服を脱ぎたがらなかったのは、生えていなかったからだった。
生殖器付近に生える毛……、即ち陰毛が。
中学生で生えていない子は少数派ではあるけれど、そこまで数が居ないわけではない。
そんなに恥ずかしがる事ではないはずだが、唯としてはいたく恥ずかしい事らしかった。
「だって、憂だって生えてるんだよー!」と、あの日の唯は大声で叫びながら悲しんでいた。
本当に悲しいのは、姉に自らの陰毛の事を暴露された憂の方だと思うのは私だけだろうか。
……とにかく、中学時代、唯の陰毛は生えていなかった。
完全無欠に産毛すら生えていなかった。
それは単なる成長の遅れと称しても問題は無いはずだった。
でも、高校二年生にもなって生えていないとなると、かなり問題があるかもしれないわね……。
私はもう一度まじまじと唯の女性器付近を眺めてみる。
でも、どう観察してみた所で、唯の女性器付近に陰毛は一本たりとも生えていなかった。
中学時代と同じく、産毛すら生えていない。
当然剃っているわけでもないらしく、青髭の様な短い毛があるわけでもなかった。
生えていないのだ、完全に。
これはもう無毛症と断定しても差し支えは無さそうだ。
唯は……、人知れず、人に言えない悩みに苦しんでいたのだ……。
私は唯の肩に手を置いて、私の方に顔を上げさせた。
その瞳には涙を滲ませていたけれど、私は唯に優しく微笑んでみせた。
幼馴染みの苦しみには真摯に向き合う。
それが真の幼馴染みという物だと私は思う。
悩みを無理矢理暴露させたのは私自身だという事は、今は棚に上げておきましょう。
「顔を上げて、唯。
唯は……、ずっと無毛症に悩んでいたのね……。
これまで気付けなくてごめんなさい……。
でも、そんなに悩む事じゃないと思うわ。
確かに特徴的な体質かもしれない。恥ずかしいと思ってしまうのも当然よ。
それでも……、唯は唯なんだから……」
「でも、恥ずかしいんだよう、和ちゃん……。
妹の憂に毛が生えてるのは、悲しいけど私だって耐えられるよ?
でも……! でもだよ!
よりによってあのりっちゃんにも生えてたんだよ!
あの子供っぽいりっちゃんにもだよ!
りっちゃんのくせにずるいよ、りっちゃんのくせに……!」
酷い言い方だった。
律も確かに子供っぽい所はあるけれど、唯ほどじゃないと私は思う。
それにしても、律にも普通に生えていたのね……。
高二なんだから当然なんだけれど、
友達の陰毛の話を聞くのは何とも不思議な感じがするわね……。
いえ、私だって勿論生えているのだけれど……。
「あーあ……。
私、どうして和ちゃんの家で裸になってるんだろう……」
不意に唯が至極道理に適った事を呟いた。
今更だけれど、正論過ぎて私はそれに言い返せない。
唯が遠い目をして続ける。
「合宿……、行きたかったなあ……」
合宿というのは軽音部の合宿の事だろう。
そう言えば夏休みにムギの別荘に合宿に行くという話を聞いた覚えがある。
唯がその合宿に参加出来ないのは、私の責任と言えなくもない。
楽しみにしていただろうに、悪い事をしてしまったと私の胸が少し痛くなる。
謝罪の言葉を掛けようとした瞬間、唯が予想だにしていなかった言葉を口にした。
「あずにゃんと一緒にお風呂に入りたかったなあ……」
「お……風呂……?」
「そうだよ、和ちゃん!
お風呂ならあずにゃんも裸になってくれるよね?
それで私はあずにゃんに毛が生えてるかどうかチェックしたかったんだ!
あずにゃんは小っちゃくて可愛いから、きっと生えてないに違いないよ!
あー……、合宿でチェックしたかったなー……!
すっごく楽しみにしてたのにー……。
合宿が終わったら、りっちゃんに電話で聞いてみようかなー……」
「……そうしなさい」
私は半分呆れながら呟く。
唯が合宿に参加したかった真の理由は、
梓ちゃんの陰毛の有無を確認したかったから、って、あんたね……。
確かにお風呂くらいでしか、それを確認する機会は無いでしょうけれど……。
唯らしいと言うか……、何と言うか……。
もしかしたら、唯が梓ちゃんを気に入ってた理由の何割かはそれなのかもしれないわね。
小さくて子供っぽいから、陰毛も生えてないんじゃないか。
そう思っているから、唯は梓ちゃんを可愛がっているのかもしれない。
悲しい愛情だけれど、愛と言う物はそういうきっかけで始まる物なのかもね。
唯がそれでいいのなら、私に言える事は何も無いわ。
子供っぽさと陰毛の有無は一切関係無い。という事は唯には黙っておく事にしよう。
「ねえねえ、和ちゃん」
唯が口元に指を当てながら、首を捻って私に訊ねる。
全裸である事に対する恥じらいは一切無さそうだ。
どうやらショーツを脱ぎたがらなかったのは、
単に陰毛が生えていない事を私に知られたくなかっただけらしい。
流石は私の幼馴染みと言えるのかもしれない。
「どうしたのよ、唯?」
私が訊ね返すと、唯は自らの女性器周辺を指で示しながら続けた。
「ここの毛ってどうやったら生えるのかなあ……?」
「さあ……。
私も陰毛について詳しいわけじゃないから……。
逆に唯は陰毛を生やすためにはどうしたらいいと思っているの?」
「実はね、私だって努力してるんだよ、和ちゃん。
ヘアブラシでね、
「目を覚ませー、目を覚ませー」って言いながら、ここを叩いたりしてるんだ!」
「何よ、その育毛剤のCMみたいな行動は……」
「他に思い付かなかったんだもん……。
憂に相談するのも恥ずかしいし、一人で頑張ってたんだよう……」
唯も辛うじて姉としてのプライドは持っていたらしい。
年子とは言え、妹に陰毛の相談をするのは、唯のプライドが許さなかったのだろう。
同じ状況なら、私だって嫌だったに違いない。
私は軽く嘆息してから、過去得た知識を総動員して、陰毛について考えてみる。
多少時間は掛かったけれど、一つの答えを出してから、私は落ち込む唯の肩に手を置いた。
「あんたの行動、意外と間違っていないわよ、唯」
「えっ? ホント?」
「毛が何のために存在するか知ってるかしら?
毛はね、伊達や酔狂やお洒落のために生えてるわけではないの。
……そういう生物も居なくはないけど、今は置いておきましょう。
とにかく、毛は何のために生えているのか?
当然、弱い部分を保護するために生えているのよ。
腋や性器付近に多く生えるのも、その部分が急所になるからなの。
急所を保護するために毛が生えるのよね。
だとしたら、生やしたい部分に危険や刺激を与え続ければ、
その部分に重点的に毛が生えて来てもおかしくはないはずよ。
微々たる力かもしれないけれど、
生物はそんな風に進化する力があるはずだって私は信じているわ。
その調子で女性器に刺激を与え続ければ、将来的に唯の陰毛が生え揃う日が来るかもしれないわね」
「そんな日が……、来たら嬉しいな……。
私も大人になったら、大人になれるんだよね……?
大人の毛が生えて来るんだよね……?」
「ええ、信じましょう、唯。
信じる力は未来に繋がるはずよ。
それとあと一つ。
陰毛にはホルモンが関係してるって聞いた事があるわ」
「ええー……。
私、ホルモン食べるの苦手なんだけどなあ……。
だって、ぐにゃぐにゃして噛み切りにくいし……」
「第二次性徴で分泌される女性ホルモンが陰毛に関係してるのよ。
ホルモン分泌を無視して、陰毛を語る事は出来ないわ」
「スルーされた……」
「いい、唯?
女性ホルモンは女性的な曲線や乳房の発達、
肌の美しさ、生理、陰毛の有無に関係してくるの。
女性ホルモンを多く分泌させるためには、
俗には恋をすればいいと言われているけれど……、それは置いておきましょう」
「ひどいよ、和ちゃん!
私だって恋の一つや二つくらいしてるんだよー?」
「へえ……」
そう呟きながら、私は複雑な気分になっていた。
小学生みたいな精神構造のままの唯が恋をしてるなんて、
それも一つや二つもしてるなんて、嬉しいような、寂しいような……。
私の複雑な視線に気付いたのだろう。
唯が腰に手を当てて無い胸を張って自信満々に続けた。
「だって、私、あずにゃんの事大好きだし!
あずにゃん小っちゃくて可愛いよね!
毛だって絶対生えてないしね!
それとね、私、りっちゃんの事も大好きなんだ!
りっちゃんと居るとすっごく楽しいし、面白いし、小っちゃくて元気で可愛いもんね!
それに生えてるって言ってもちょっとだけだったから、それくらいならいいかなって思うんだ!」
まあ、ある意味予想通りの言葉だから、気にしない事にしましょう。
それにしても、好きな相手が梓ちゃんと律というのはいいとしても、
その基準が自分より小さくて陰毛が生えてなさそうな子というのはどうなのかしら……。
陰毛の有無がそんなにも唯を追い込んでいたなんてね……。
勿論、唯に陰毛が生えて来るのが一番いいという事は、私にもよく分かっている。
でも、世界は儘ならないという事を私はよく知っている。
世界は残酷で、理不尽で、自分の望んだようには動いてくれない。
万事が上手く行くとは限らないのだ。
……いや、別に私がハワイに行けなかった事を愚痴っているわけではない。
兎にも角にも、世界は儘ならない。
唯にはそれを受け入れる覚悟もしておいてもらった方がいいと私は思った。
私は出来る限り優しい声で唯にそれを伝える。
「ねえ、唯……。
今後ね、陰毛が生えて来なくても気にしない方がいいと思うわ」
「ええっ、いきなり酷いよ、和ちゃん!
私はやっぱり生えて来てほしいよう……」
「無毛症は希少価値があるのよ、唯。
世界的に見ると陰毛は生えてない方が美しいという見方も多いみたいよ。
陰毛が生えていようと生えていまいと唯は唯。
それは個性であって、恥じる事ではないわ。
辛い事かもしれないけれど、生えていない自分を受け入れるのも大切な事だと思うの」
「私の……個性……?
でも……」
「思い出して、唯。
中学の頃の修学旅行、一緒のグループだった近藤さんの事を」
「朋子ちゃんの事?
朋子ちゃんって言えば……、あっ!」
「思い出したみたいね、唯。
近藤さん、陰毛を綺麗に剃り上げていたわよね。
生えていないわけじゃなくて、剃っているのは一目瞭然だったわ。
見るからに不自然に短い陰毛が生えかけていたものね。
ねえ、近藤さんのその陰毛を見て、唯はどう思ったかしら?」
「私……は……」
唯が口ごもる。
その様子が全てを物語っていた。
無邪気で元気な唯に、人の悪口を言う事は出来ないのだろう。
こう言うのも申し訳ないけれど、それくらい近藤さんの陰毛は酷かった。
近藤さんにどんな事情があったのかは私も知らない。
彼氏に指示されたのか、剛毛な陰毛が恥ずかしかったのか、
その彼女の心の内を完全に理解する事は不可能だと思う。
でも、これだけは確実に言える。
無理矢理剃って女性器周辺に青髭のように残った生えかけの陰毛の様子は酷かったと。
壮年の男性の顎を見ているようだったと。
見るに堪えなかったと。
だからこそ、唯は私の言葉に頷いてくれたのだ。
「分かったよ、和ちゃん……。
毛は生えてほしいけど、個性って思えるか分からないけど……、
それでも朋子ちゃんよりマシ……じゃなくて、
生えて来なくても、それが私だって思えるように頑張るよ!」
「ええ、それが一番いいと思うわ。
いい子ね、唯……」
そう言って、私は汗に濡れる唯の頭を撫でた。
今後、どんなに苦しい事があっても、唯は前向きに生きてくれる事だろう。
私自身も、悩める幼馴染みを救えて、とても嬉しい。
猛暑日、こうして私達幼馴染み二人は絆を深める事が出来たのだった……。
「そういえば、和ちゃん」
「どうしたのよ、唯」
「和ちゃんの毛、凄いね!
綺麗な三角になってるよ! 自分でやってるの?」
「逆三角形と呼んでほしいわ。
あんたには分からない事だけど、陰毛の処理は大変なのよ……。
あの時、突然、見せる事になったら大変でしょ?」
「あの時……?
あの時……!
あの時ですか、和ちゃんっ!
駄目だよ、和ちゃんー!
和ちゃんは私のお婿さんになるんだからー!」
「いつ決めたのよ。
……そういえば、幼稚園の頃からよく言ってたわね。
でも、駄目よ、その意見は却下するわ、唯。
私は郊外の瀟洒な家でミートローフ焼いて家族の帰宅を待つ素敵なお嫁さんになるんだから」
「そっちっ?」
最終更新:2013年02月20日 22:33