∴
澪に事情を説明するよりも先に、
私達はまだ自分達が幽霊でない事を説明する事から始めなければいけなかった。
この家に居るはずの無い私達の姿を目撃した事以上に、
私達が何故か全裸で居る事の方を恐怖に思ってるようだった。
私達がこの家に全裸で居るのは、ハワイで私達が溺れ死んだから。
そうして、溺死した私達は未練を持った怨霊となり、日本まで戻って来た……。
澪はどうもそういう風に考えてしまったらしい。
微妙に理が通っているのが、何とも言えないわね……。
私達が幽霊じゃないと説明している間中、澪は半泣きだった。
半泣きで、
「やめてー!
和と唯のお墓参りはちゃんと毎年必ず行くから、ナスの牛で帰ってくれー!
私を天国に道連れにするのはやめてくれー!」
と喚いていた。
怖がりなのに、幽霊相手に説得に掛かるなんて、意外といい根性をしてるわね……。
自分が天国に行けると考えてる辺り妙にメルヘンだし……。
とにかく、その半泣きの澪相手に三十分ほど説明した頃、
澪はやっと私達が幽霊でない事と、ハワイに行けなかった事情を理解してくれた。
特に私達が幽霊でないと分かった途端、
私がハワイに行けずにひきこもっている理由の方は、案外と簡単に納得してくれた。
澪もこう見えて気弱な所のある子だから、私がひきこもる理由に関しては思う所があるのだろう。
澪だって自分が私と同じ立場なら、恐らくは同じ行動を取っていたはずだ。
まあ、澪は聡明で想像力のある子でもあるしね。
「だけど、和……」
私達が幽霊でない事に心底安心したのか、
とても安心した様子になった澪が不意に私に訊ねた。
「どうしたのよ、澪?」
「ひきこもる理由もハワイに行けなかった理由も分かったんだけどさ、
それにしたって、和と唯はどうして全裸で生活してるんだ?
クーラーを使えない理由は分かるんだけど、何も全裸にならなくたって……」
それに関しては私の不文律としか言えない。
蒸し暑いから脱ぎ、全裸で生活をする。
それが人間の正しい姿だというのは、私の中で揺るがない真実なのだ。
ただ、唯ならともかく、理屈を理解出来る澪にそれを説明するのは難しい気がする。
どう説明したものかと私が首を捻っていると、不意に澪が顔を赤くして語り始めた。
「ま……まさか……。
和と唯はそういう関係だったのか……?」
「はっ?
いきなり何を言うのよ、澪」
「いや、隠す気持ちは分かるよ、和、唯。
認められるようになって来たとは言え、まだまだ風当たりが強いもんな。
私達に言い出せなかったのも仕方ないよな。
でも、大丈夫だよ、二人とも。
私、二人の事、応援してるから!
友達の幸せを願わないなんて、友達失格だもんな!」
「だから、澪、そうじゃなくて……」
「いやー、女同士の幼馴染みは続かないってよく聞くけど、
和と唯が続いてたのはそういう理由からだったんだなー……。
幼馴染み以上の関係だったんだな、二人とも。
今考えると、唯も妙に和に引っ付いてたし、あれは恋愛感情からだったのか……。
そんな想い合う二人が夏の日に二人きりで居るんだもんな。
二人とも裸で過ごしたくなるのももっともだよ。
私だって……。
いやいや、それはともかく、羨ましいよ、和、唯。
末永く幸せにな!
律やムギ達には期を見て私の方からそれとなく伝えておくからさ。
あ、でも、梓はちょっとショックを受けるかもしれないな。
梓の奴、唯がよく抱き着くもんだから、
自分の事が好きなんじゃないかって思ってるかもしれないぞ。
梓が唯に感じてるのが恋愛感情じゃなくても、やっぱりショックだと思うよ。
後でちゃんとフォローしとけよ、唯」
「え……、何で……?
えっと……、よく分からないけど、うん……」
唯が困った顔を浮かべて軽く頷く。
そのまま私の方に顔を向けて首を傾げた。
今にも『澪ちゃんは何を言ってるの?』と訊ねた気だ。
説明してもいいけれど、説明してしまったら色々な物が変わってしまう気がするわね……。
それに、そんな事よりも、今は澪だった。
私の思った通り、澪は確かに聡明な子で想像力のある子だった。
主に駄目な方向にだけれど。
この駄目な方向に賢い子を放っておいたら、
確実にまずい事になるのは火を見るよりも明らかだわ……。
ハワイに行けなかった事は黙っていてくれるかもしれない。
いいえ、澪ならきっと黙っていてくれるでしょう。
だけれど、(澪の妄想の)私と唯の恋愛関係については、
間違いなく色んな尾鰭を付けて誰かに話してしまうでしょうね……。
特に澪は恋に恋する年頃の乙女だから、
それはそれは律の背中が痒くなるくらいロマンティックに語ってくれる事だろう。
……それは阻止しなければいけないわ。
中学時代、唯と私が恋人って噂が流れた時は本当に大変だった。
同性愛疑惑が流れる事が問題じゃないのよね。
幸いにと言うべきか、私の中学校は同性愛に理解のある生徒が多かった。
実際に何人か同性で付き合っている子も居たらしい。
それは何よりだけれど、私と唯は違うのだ。
唯は幼馴染みで、放っておけない子で、恋愛をする対象じゃない。
その子相手に恋人関係の噂を流される事ほど、困ってしまう事は無い。
だったら……。
そう考えた私は、まだ妄想を垂れ流している澪の肩を右手で掴んだ。
空いた左手で唯にサインを出しながら、真剣な表情で澪を見つめる。
「ねえ、澪……。
聞いてほしい事があるの……」
「い……、いきなりどうしたんだよ、和。
和には唯って相手が居るだろ……」
「いいから聞いて、澪。
私ね、このひきこもり生活に澪も参加してほしいなって思ってるのよ。
どう? 澪も一緒に暮らさないかしら?」
「それは無理だよ、和……。
まだ合宿の予定もあるし、宿題が終わってないんだよ。
大体、今日ここに来たのも、和の家に忘れた本を探すためだったんだよな。
読書感想文に使う本って伝えてたから、
ひょっとしたら和が自宅のポストにでも入れててくれないかなって期待してさ……。
妙な期待しちゃって悪いとは思ったんだけどさ……。
それに想い合う恋人の邪魔は出来ないしな。
でも、安心してくれよ、和。
和がハワイに行けなかったって事、誰にも言わないからさ。
特に律には秘密にしなきゃな。あいつ、口が軽い所あるからな。
私は絶対口を滑らさないよ、安心してくれ」
「それは心配してないわよ、澪。
でも、私は澪に居てほしいのよ。居てもらわないといけないの……。
だからね……」
言いながら、私は唯に目配せする。
こんな時に限ってだけど、唯は私の考えをしっかりと見抜いてくれているみたいだった。
伊達に私の幼馴染みをやっていないという事よね……。
瞬間、私はまた左手の中指と薬指の間を開いて、唯にサインを送った。
その一瞬後……、
「澪ちゃんのもーらいっ!」
無邪気な声を上げて、唯が澪のシャツの下に手を入れた。
そのまま胸の方を弄り始める。
「え……、ええっ?」
何が起こっているのか分からないといった表情で澪が戸惑いの声を上げる。
普段、身体的接触の多い唯とは言え、澪にここまで密着する事は無かったのだろう。
澪が戸惑ってくれるのはこちらとしても好都合だった。
戸惑う澪の胸元をまさぐり、数秒後澪のシャツの下から出した唯の手にはブラジャーが握られていた。
勿論、他の誰でもない澪のブラジャーだった。
どうやら上手くいったらしい。
問題としては澪が普通のブラをしているか、
フロントホックブラをしているかという点だったけれど、
胸の大きな子の類に漏れず、澪がしていたのはフロントホックブラだったらしい。
「なななななななななな、何をっ?」
ブラジャーを取られた澪が、自分の胸元を二の腕で押さえて声にならない叫びを上げる。
唯は澪のブラジャーを手に持ったまま、部屋から出て逃げ出して行く。
「ちょ……、唯……っ!」
唯を追い掛けようとする澪の肩を押さえ付けて動かさない。
唯とは別の意味で、澪をこのまま家に帰らせるわけにはいかないのだ。
不可抗力とは言え、こうなってしまった以上、
私の学園生活、私の将来のために、澪にも共犯になってもらうしかない。
私はあえて柔らかく微笑んで、澪に言ってみせた。
「ねえ、澪……。
澪も一緒にひきこもりましょう?
澪は私達の事を考えてくれてるのだろうけれど、それは誤解なのよ。
その誤解が解けるまで出来ればこの家に滞在していてほしいの」
「そ、それと私のブラを取ったのと、何の関係があるんだよー……!」
「澪に私の家に居てほしいからよ。
澪が私の家から出て行くのは私には止められないわ。
その気になれば、家からなんて簡単に出て行けるものね。
だからね、ブラジャーを預からせてもらうのよ。
ねえ、澪?
澪の家族か律か……、どちらでもいいけど、
澪が誰かの家にブラジャーを忘れて来たとしたら、皆はどう考えると思う?
『彼氏の家でブラジャーを外すような何かをしたんじゃないか?』って、
どうしてもそう考えてしまうのが人情というものではないかしら?」
「や……、やめてくれえ、和ああああああ……。
家族にそう思われるのも嫌だけど、律にそう思われるのはもっと嫌だあああああ……。
分かったよ、和ああああああ……。
ここで三人で暮らすよおおおおおお……」
項垂れて、澪がその場に崩れ落ちる。
どうして、律にそう思われるのがもっと嫌なのかしら……。
それは今の所は気にしない事にして、
とにかくこうして、私のひきこもり仲間がまた一人増える事になったのだった。
ひきこもり生活を続ける内に、澪の誤解を上手く解けるといいのだけれど……。
とりあえず、「真鍋家のハワイ旅行に付いて行く事になった」、
と後で澪に自宅や律達に電話して、そう説明してもらう事にしよう。
ちなみに澪のブラジャーは唯のスイカ星人の話を澪に聞かせた後で、
押し入れの奥深くに何故かあった手のひらくらいの大きさの紙箱の中に隠した。
スイカ星人の話でかなり怯えていたから、しばらくはブラジャーを隠しておけるはずだ。
∴
「じゃあ、次は澪ちゃんの怖い話だねー」
「わ……、私も話すのか?
聞くだけで十分だよ、私は……」
「駄目だよー、ちゃんと皆で順番に怖い話をしなきゃ!」
「ううう……、私、怖い話なんてそんなに知らないぞ……。
……あ、そうだ。
前に律から聞いた怖い話があったんだ。
それを話させてもらうけど、いいよな?」
「律の怖い話……。
急に信憑性が皆無になったけれど、怖い話は信憑性の問題じゃないわよね。
大切なのは怖いかどうかなわけだし、いいわ、澪。
律から聞いたその怖い話、聞かせてくれるかしら?」
「うんうん!
私も澪ちゃんのりっちゃんの怖い話聞いてみたい!」
「その言い方だと律が怖いって話になりそうだな……。
まあ、いいか。じゃあ、話すぞ?
これは律が高一の頃の話らしいんだけど、
律の奴さ、ひょんな事からある呪いの調査をする事になったらしいんだ。
ある筋から入手した呪いのビデオを観てしまって、
一週間後に死ぬ呪いを掛けられてしまったらしいんだ。
律の奴……、そんな大変な事になってるんだったら、私に相談してくれればよかったのに……。
……それでさ、当然だけど、その調査は困難を極めたらしい。
そりゃそうだよな。
観たら一週間後に死んじゃうビデオの呪いなんて、どうやって解いたらいいんだよ……。
それで途方に暮れた律はある友達に相談を持ち掛けたらしいんだ。
プライバシーの問題から律はその子の名前を教えてくれなかったけど、
イニシャルはTらしくて、この話の最中はずっとTさんって呼び続けてたな」
「Tさん……?
ああ、TSUMUGI KOTO……」
「それで呪いのビデオの話なんだけど、
結局、何も出来ないまま呪いの期日がやって来ちゃったらしいんだ。
律はもうどうにもならなくなって怯えてたんだけど、
Tさんは最期まで一緒に居てくれるって言ってくれたらしくてさ、
呪いが執行される時まで二人で傍に居る事になったらしい。
妬けるよな、律の奴……。
あ、いや、それは今は置いといて、
とにかく、律とTさんは二人でTさんの別荘の中に籠っていたらしい。
そうして、呪いの執行の時間がやって来たんだ。
その瞬間、律は心の奥底から驚いたって言ってたよ。
不意に物音がしたと思ったら、
急に禍々しい空気が辺りに漂い始めたからなんだそうだ。
直後に律も気付いたらしい。
その別荘に置いてあったテレビの中から、
白い服を着た髪の長い女……仮に『貞子』として……が這い出て来ようとしている事に!
何とかしなきゃいけない……。
そう思いながらも、律は逃げる事も声を出す事も出来なかったらしい。
律に出来たのは、ただ目の前で起きてる異常事態を呆然と見つめる事だけだったんだ。
私はもう死ぬんだな……って、そう深く実感したらしい。
呆然としている間にも、その『貞子』はテレビから完全に這い出てた。
禍々しい雰囲気を漂わせて、世界全てを憎んでいるような視線を律に向けて、
一歩、もう一歩……、ただ律を呪い殺すために脚を進めて……。
その瞬間……!
「破ぁ!!」
という声がして唐突に別荘の扉が開いたかと思うと、
Tさんにそっくりな背の高い女の子が現れて、『貞子』にキャメルクラッチを極めていたんだ!
それはそれは見事なキャメルクラッチ……、和名『駱駝固め』だったらしい。
いつもプロレスごっこをやっている律でも到達出来ない、理想的な極め方だったそうだ。
それがあんまり見事な技だったおかげだろうな……。
『貞子』はその背の高い子に感服して、
「ごめんなさい、もうしません」って言いながらテレビの中に帰って行ったらしい。
後で律がTさんから聞いた話では、
その子はSちゃんっていう名前で、Tさんに仕える侍従部隊の一人らしかった。
まだ中学生くらいだろうにそんな実力を持ってるなんて……。
そして、Tさんはそんな凄い子を仕えさせてるなんて……。
セレブ生まれって凄い。
律は初めてその子についてそう思ったんだそうだ」
「そうなんだ。
じゃあ私、夕飯の支度するわね。
唯、今日の夕飯はあんたの好きなオムライスよ」
「わぁい、和ちゃん大好きー」
「ちなみに律が言うには、
『貞子』はエスパー伊東の様な声をしていたらしい……」
∴
【ひきこもり6日目】
「律が……、律が『嫌いだ』って言ってたんだ……」
澪の半泣きの呻き声が私の家の中に響く。
唯も澪のスキャンティを手に持ちながら、複雑な表情を浮かべていた。
私も澪に何と声を掛けるべきか迷っていた。
それほどまでに声を出しづらい空気が、この空間にはあった。
「律が『嫌いだ』って言うんなら、私はこうするしかないじゃないか……」
また澪が嘆くように呻いたけれど、私にはどうする事も出来なかった。
仲がいい幼馴染みだとは思っていたわ。
でも、澪にとって律がこんなにも大きな存在だったなんて……。
発端はシャツを肌に纏わり付かせている澪の姿を見た事からだった。
胸が大きい子なだけあって、澪は私達の中でも体脂肪の多い子だった。
特に乳房の下に汗が溜まっているようで、
このままでは澪の乳房の付け根に汗疹が出来てしまう事が安易に予測出来た。
だから、私は言ったのだ。
「澪も私達と同じ様に全裸で生活すればいいのよ」と。
すぐに了承してくれると思っていたわけではないけれど、
私の言葉を聞いた後の澪の拒絶は、正直言って異常と言えるレベルだった。
特に異常だったのは、シャツよりもホットパンツを先に手で掴んだ事だ。
私の独断ではあるけれど、女性が誰かに脱げと指示された際、
通常ならば上半身の衣服を脱げと言われていると考えるのが普通ではないだろうか?
ヒトのメスはセックスアピールのために乳房を発達させたと聞いた事がある。
ヒトは二足歩行であるがゆえに、
他者に一番目につきやすいセックスアピールポイントが乳房だったからであらしい。
だからこそ、ヒトのオスはメスの乳房を見てしまうし、
メスは乳房を成長させ、上手く利用しようと考えてしまうのだ。
それが本能というものではないだろうか。
しかし、澪は乳房よりも即座に下半身を守った。
何か理由があるのね……、そう思った時には好奇心を抑え切れなかった。
気付けば私は傍に居た唯に手のサインを出した後、澪の両手を掴んでいた。
「ちょっ……、和……っ?」
動揺した表情を浮かべる澪を無視して、唯に顎でしゃくって指示を出す。
即座に私の意図を理解してくれた唯が、澪のホットパンツに手を掛けた。
そのまま楽しそうな表情を浮かべながら、唯は澪に言ってのける。
「いいじゃん、澪ちゃんー。
女同士なんだし、私達だって裸なわけだし、
真っ裸でも全然恥ずかしくないよー?」
「いやいやいや!
そういう問題じゃなくてだな……!
親しき仲にも礼儀ありと言うか、衣服を着用する事が人間の文化的行動と言うか……」
「……?」
「不思議そうな顔しないでくれよ!
だから、その……、とにかく……、やああめええてえええええええっ!」
澪の下半身を露わにする事に対する警戒は明らかに異常だった。
何かのコンプレックスでもあるのだろうか?
そういえば自分の陰核の大きさに劣等感を抱く女性は多いという話を聞いた事がある。
ひょっとすると、澪の陰核は常人よりもかなり大きいのかしら?
いいえ、もしかしたら……。
一つの結論に思い至った私は軽く唯に訊ねてみる。
「ねえ、唯?
澪って陰毛はちゃんと生えているわよね?」
当然だけど、私は澪が下半身を露出した姿を見た事は無い。
こんなにも下半身を露わにするのを拒絶するという事は、
それはつまり、唯と同じ様な悩みを抱えているからじゃないかって思ったのよね。
でも、唯は少し残念そうにかぶりを振ってから、私の質問に応じてくれた。
「うん!
去年の合宿でチェックしたんだけど、澪ちゃんの毛は凄かったよ!
剛毛でモッサモッサ!
いいなあ、羨ましい……」
無毛と剛毛のどちらがいいかという議論はさておき、
唯の言葉が本当ならば、澪の陰毛はモッサモッサの剛毛なのだろう。
勿論、それは予想通りでもある。
澪の乳房は大きいし、女性的な曲線も非常に美しい。
女性ホルモンが大量に分泌されている証拠だ。
女性ホルモンが大量に分泌されているという事は、陰毛が大量に生えていてこそ自然と言える。
だとすると、やっぱり陰核が大きい事の方が悩みなのかしら?
とにかく、確かめてみなければ、話は始まらない。
「唯、お願い」
「あいあいさー!」
私が指示を出すと、唯は遠慮なく澪のホットパンツを下着ごとずり下ろした。
そのまま流れるような動作で、脚を通して丸ごと手元に回収する。
見事な手並みだった。
もしかしたら、憂相手に何度かやった事があるのかもしれないわね。
「うわあああああああっ!」
最後の足掻きとばかりに、澪が悲痛な叫び声を上げる。
しかし、それでどうなるわけでもない。
そうして、抵抗虚しく露わになった澪の下半身は……。
「ええっ?」
思わず唯と私は同時に驚きの声を上げてしまっていた。
無かったのだ。
あるはずのものが。
モッサモッサに生え揃っているはずの……、澪の剛毛が。
いや、完全に無かったわけではない。
澪の女性器付近には、短い毛が細かく疎らに存在していた。
つまり、元々あったはずの陰毛を完全に剃り上げているという事なのだ。
そうやって戸惑う私達を尻目に、澪が言ったのだ。
「律が……、律が『嫌いだ』って言ってたんだ……」と。
掛けるべき言葉を見つけられないまま、私はただ静かに頭を回転させていた。
正直、多少動揺していてはいたけれど、落ち着かなければらないわよね。
冷静に……、冷静にならないと……。
円周率を数えて冷静になるのよ、和……。
円周率……、ほぼ3。
うん、少しだけ落ち着いたわ。
落ち着けた頭でもう少し考える事にしましょう。
律が嫌いだって言ってた。
ここで着眼すべきは『嫌いだ』より、『言ってた』という箇所でしょうね。
『言った』ではなく、『言ってた』という事は、
直接澪に対して言った言葉ではないという可能性が高いわ。
つまり、律の独白か雑談になるでしょうね。
「あ、そういえば!」
唯が何かを思い出したように澪のスキャンティを持ったまま、手を叩いた。
澪……、恥ずかしがり屋の割に、穿いている下着はスキャンティなのね……。
でも確か、一年の頃まで澪が穿いていたのは青と白の横縞のパンツだったはずよね。
一年の学園祭の頃にこけて下着を見られた事を心の傷にしているのかしら?
それで大人っぽい下着を穿くようになったとか?
……いえ、それは今は関係の無い事ね。
私は眼鏡を掛け直してから、首を傾げて唯に訊ねてみる。
「どうしたの、唯?
何か思い当たる事があるの?」
「うん!
合宿の時にりっちゃんに「唯って生えてないんだな」って言われたから、
私が「りっちゃんだってちょっとしか生えてないじゃん」って言い返したらね……、
「確かにそうだが剛毛よりはマシだろ?」って言ってた覚えがあるよ!」
なるほどね、と思った。
推定になるけれど、澪は律のその言葉を何処かで聞いていたのだろう。
その律の言葉が恐らく澪の胸の中に深い翳を落とす事になったに違いない。
一年生の頃には剛毛であったはずの陰毛を、
こんなにも執拗さを感じさせるほど剃り上げるくらいに。
それでも、律に罪は無いわ。
律も唯に指摘されたのが悔しくて言ってみただけで、
何も澪の事を引き合いに出したわけではないだろうしね。
問題なのは、その律の言葉を大真面目に受け止めた澪の方だ。
どれだけ律の事が大好きなのよ、澪は……。
思い返してみれば、教室で澪が私に話すのは律の話ばかりだった気もするわね。
幼馴染みとは言え、どうも律の事を考え過ぎ過ぎじゃないしら?
もしかすると、澪が私と唯の恋愛関係を勘違いしたのは、
自分が律と恋愛関係になりたいからなのかもしれないわね……。
私と唯と同じ様に、澪と律も幼馴染みなわけだし……。
だけど、それよりも何よりも、今は澪の陰毛の事の方が重要だった。
澪の青髭のようになっている陰毛を見ると、憐憫の感情が湧き上がって仕方が無い。
無毛と剃毛では全く違う。
無毛はそもそも陰毛が存在しないから肌が美しいままに残るけれど、
剃毛した陰部では疎らに細かい陰毛が残ってしまうから美しい肌とはとても言えない。
しかも、剃毛を続ける事で若干の剃り間違いの傷も残っている。
無毛と剃毛は違うのだ、悲しいほどに……。
それでも、澪は律に嫌われないために剃毛したのだろう。
それがどんな結果になるとしても……。
澪の律に対する深い愛情を感じて、私は少し律の事が羨ましくなった。
いつか私にも、それほどまでに自分を思ってくれる相手が現れるのだろうか……?
それはそれとして。
それから数分後には何とか澪を説得して、シャツも全部脱いで全裸になってもらった。
これでまた部屋を全裸で過ごす仲間が増えたわけね。
少しずつ部屋で全裸で過ごす良さを広められているみたいで、私も嬉しい限りだわ。
∴
「次は私の怖い話だったかしら?」
「うん、次は和ちゃんの怖い話だよ」
「和の怖い話……。どんな怖い話なんだろう……」
「そうねえ……。
じゃあ、今回はこんな話でどうかしら?
今から話すのはある悪魔の話よ。
その悪魔の名前はミルメコレオ。
伝承によると頭だけがライオンで、
残りの部分が蟻って身体をしている悪魔らしいんだけどね……」
「何それー。
何か変な悪魔だね、和ちゃん」
「そうね。外見だけでも十分に変な悪魔よね。
でも、もっと変なのはその悪魔の生態なのよ。
このミルメコレオ……、訳して蟻ライオンは可愛そうな生態の持ち主なの。
頭がライオンでしょ?
頭がライオンだから当然肉を食べたいんだけれど、
身体が蟻だから上手く消化出来ないし、受け付けてくれないのよね。
蟻の身体が受け付けてくれるのは蟻の食べ物だけ。
だけど、だからと言って、ライオンのプライドが蟻の食べ物を食べる事を許さない。
だからね、このミルメコレオは生まれてもすぐ餓死してしまうのよ。
餓死する事が運命付けられているような、可哀想な悪魔なんだって事なの」
「切ない悪魔なんだな……。
生まれてもすぐ死んじゃう悪魔だなんて……」
「確かに切ない悪魔よね……。
でもね、澪。
この悪魔にはそれよりももっと切ない点があるの。
実はこの悪魔、旧約聖書をギリシャ語に翻訳される時、
ヘブライ語のある一説を誤訳したために生まれてしまった悪魔らしいのよ。
ヘブライ語には『老いた獅子は獲物なく滅ぶ』という言葉があるんだけど、
何故かギリシャ語の『ライオン』には『蟻』って意味もあったから起こった惨事らしいわ。
切なくて怖い話よね……、誤訳から産み出されてしまう悪魔なんて……」
「ねえ、和ちゃん……。
私としては笑えるお話だと思うんだけど……」
「何を言っているの、唯。
これほど怖い話が何処にあるのよ。
あんたは自分に無関係の話だって考えてるから、そういう事が言えるのよ。
よく考えてみなさい。
もし何かの天変地異で地球の文明が一度滅び去って、
後世の人類がどうにか少しずつ現代の文明を取り戻して来たとするわよね?
その後世の人類が卒業アルバムでも何でも、
あんたについて記された文献を見つける事もあるでしょうね。
その時、
平沢唯を『ヒラサワ ユイ』じゃなくて、
『タイラ サワタダ』って誤読されたらどうなると思う?
きっと「男の名前なのに女の恰好をしてる奴がいるぞ!」って言われるわ。
しばらく笑われ続けるのよ、誤読によって……」
「ねえ、ひょっとして和ちゃん……」
「怖いのよ、誤読や誤訳は……。
誤訳によって悪魔まで産み出してしまうくらいに……。
誤読は……、怖い事なのよ……」
「小学生の頃、『和』の読み方が全然分からなくて、
同級生の皆から『わちゃん』ってしばらく呼ばれてた事、根に持ってる……?」
「本当に怖い……、怖い話よね……」
最終更新:2013年02月20日 22:37