それから私の鼻の頭から降りると、
しばらく二人の小さな私達は何かをしてたみたい。
たまにチクッとする事があったから、本当に私を直してくれてたのかもしれないね。
直す……、って何を? とは思ったけどね。
また五分くらい経った頃かな?
その子達はまた私の鼻の頭の上に立って、笑顔で言ってくれたの。
「もう大丈夫。
これでまだしばらくは故障せずに活動出来るはずだよ。
貴方の人生、これからも精一杯楽しんでね!」
それだけ言うと、その子達はまたUFOに乗って何処かに行っちゃったんだ。
窓を開けてたから、もしかしたらそこから出てったのかもしれないよね。
ちなみにね、その子達の言った事は本当だったよ。
気が付けば身体が動くようになってたし、
眠くなったからそのまま布団の中で寝直したんだけどね。
それにね、それ以来、金縛りになる事も無かったんだ。
あの子達が私の身体をちゃんと直してくれたんだと思う。
でも……、ねえ、澪ちゃん、和ちゃん。
あの子達は誰だったんだと思う?
私と憂にそっくりな顔をしたあの小さな女の子達は……。
私ね、思ったんだ。
ひょっとしたら私は……、ううん、
この世界の生き物はあの小さな子達の大きなレプリカか何かで、
ずっとあの小さな子達にその行動を見守られてるんじゃないかって。
きっと、居るんだと思うな……。
私だけじゃなくて、澪ちゃんにも和ちゃんにも、
憂やりっちゃんやあずにゃんにも、もう一人の小さい自分が。
見守ってるのか監視してるのか、
どっちなのかはよく分からないけど、そんな風に夜に近くに居てくれる誰かがね……。
でも、そうだとしたら、大きなレプリカの私達は何なんだろうね?
本当に生き物なのかな?
それとも、ひょっとしたらだけど、
その子達の科学技術で作られたロボットみたいな物なのかも……。
……こんな所で私の今回のお話は終わりだよ。
次は澪ちゃんと和ちゃんのどっちが怖い話を聞かせてくれるのかな?」
∴
【ひきこもりの限界】
「ねえねえ、和ちゃーん……。
お腹空いたよう……、何かごはん作ってー……」
「……え、何よ、唯……?
寝てるのに、急に起こさないでくれるかしら……?
まだ外、真っ暗じゃないの……。
昨日のごはんの量、そんなに足りなかったの……?」
「ううん、違うよ、和ちゃん……。
ほら、これ、見てよー」
言って、唯が右手に持った何かを左手の指で指し示した。
枕の横に置いていた眼鏡を取って、鼻の先に掛けてそれを確認してみる。
唯が持っていたのは目覚まし時計だった。
アナログ式の目覚まし時計は十時過ぎを示していた。
ほら、やっぱりまだ十時じゃ……、えっ?
確か昨日は十一時頃に三人同時に就寝したはずじゃ……。
「マジでっ?」
私は驚いて、ついらしくない口振りで軽く叫んでしまっていた。
昨日、三人で十一時頃に就寝して、
現在、アナログの時計が十時を示していて、外がこんなに真っ暗という事は……。
「午後の……十時なの……?」
私が絞り出すような小声で訊ねると、唯もげっそりした表情で小さく頷いた。
もっとも、この子の場合は単にお腹が空いてるからなんでしょうけど……。
いえいえ、そんな事よりも……。
今までとりあえずは規則正しい生活を送ってきたつもりの私が、
一日中何もしないまま眠ってしまっていたなんて、何て不覚なんだろう……。
水は低きに流れ、人は易きに流れる、
とは言うけれど、まさか自分の身で経験する事になってしまうなんてね……。
恐ろしいわね、ひきこもり生活……。
もうすぐ夏休みも終わる事だし、しっかり生活のリズムを取り戻しておかないといけないわ。
ちなみに。
昨日のダイエットでよっぽど消耗したのか、
私が三人分の朝昼夜ごはんであるチャーハンを作ってる間も、
暇を持て余した唯がその額に『目』と書いている間も、澪は眠り続けていた。
額の第三の『目』だけ開いたまま、長い長い眠りに落ちていたのだった。
∴
「んー……、えーっと……、
今日は私の……、怖い話の番だったか……?」
「そうだけど、眠いようなら眠ってもらって構わないわよ、澪。
今計算してみたら、実に二十四時間以上眠ってるみたいだけど、
まだ眠いみたいだったら、そのまま眠気が取れるまで寝てしまいなさい。
『眠る』という行為は意外と体力とカロリーを使うものだから、
そのままずっと眠っていた方が、ダイエット効果があると思うわよ」
「そう……なのか……?
じゃあ、寝てた方が……、いいのかな……?
でも、怖い話だけは……、ちゃんと話すよ……。
それが終わったらまた寝ちゃうからさ……」
「そう……。
無理だけはしないのよ、澪」
「分かってるよ、和……。
じゃあ、話す……ぞ……?
これは律から聞いた話なんだけどな……、
この夏休み、律はTさんと
ホラースポット巡りをさ、したらしいんだ……。
和達も知ってるんじゃないか……?
ほら……、テレビでもよく取り上げられる……、あの峠だよ……。
それでさ、今まで話した展開から考えるとさ……、
何か怪奇現象か怖い事が……、起こったんじゃないか、って思うよな……?
でもな……、その日は何も起こらなかったらしいんだよ……。
単なる観光気分で、ホラースポット巡りが終わっちゃったらしいんだ……。
何だか拍子抜けな気分律達が家路に着いた時、
律はふと何者かの気配に気付いて、振り返ってみたらしいんだよな……。
その時、律は見たんだ……!
「破ぁ!!」
という声を上げながら、
幽霊やゾンビや宇宙人や悪魔や天使や魔法使いや……、
チュパカブラや暴れ牛や亀や赤い宝石を額に着けた白い小動物なんかを……、
ロメロ・スペシャル……吊り天井固めで葬り去っていくSちゃんの姿をさ……。
どうもSちゃんがさ……、
律達の安全を護るために……、警護してくれてたみたいなんだよな……。
律はSちゃんに感謝して「ウィー!」と言いながら、
やっぱりセレブ生まれって凄いって思っていたらしい……。
それだとホラースポット巡りの意味が無いんじゃないか、
って、頭の片隅で、若干そう思わなくもなかったそうなんだけどさ……。
「そうなんだ。それは律も助かったわね。
じゃあ、もう寝ちゃいなさい、澪。
布団の用意はしておいたから、存分に眠るといいわ」
「うん……、お休みなさい、ママ……」
「あっ、澪ちゃんもう寝ちゃったよ、和ちゃん!
しかも、和ちゃんの事、ママって言ってた!」
「相当寝惚けてたんでょうね。
それにしても、結局、澪が話したのは律から聞いた話だけだったわね。
そういえば、一度澪のお母さんと話した事があるんだけど、
澪の口調って律の口調に影響されてこうなったらしいのよね。
口調まで影響されるなんて、律が澪の人生を変えたと言っても過言ではないわ。
そんな澪が久し振りに律に会ったらどうなってしまうのかしら……?
楽しみなような、怖いような……」
「きっと泣きながら抱き着いて、チューとかしちゃうんじゃないかな!
私、あずにゃんに久し振りに会ったら、同じ事をしちゃいそう!」
「やめてあげなさい、唯。
そんな事したら、多分、梓ちゃん泣くわよ。
あんたのそういう発想が怖いわ……」
∴
【ひきこもりの極限】
やっとの事で読書感想文を書き上げた私は、
唯達と三人で何となくお昼のサスペンスを鑑賞していた。
ちなみに読書感想文で『戦争と平和』について書くのは諦めた。
やっぱり物語が壮大過ぎて、感想を纏められそうにないのよね。
代わりに前に読んだ『罪と罰』について書いたのだけれど、
我ながらそれなりに出来のいい読書感想文が書けたと思う。
それにしても、サスペンスで真相を告白する時の場面のあの崖は何処なのかしら?
と特に感慨も無くサスペンスのクライマックスを鑑賞していると、
不意にテーブルの上に置いていた澪の携帯電話が振動を始めた。
三人で一斉に液晶画面に視線を向ける。
携帯電話の液晶画面には『律』と表示されていた。
「律っ!」
私が止める隙も無く、澪が携帯電話の着信ボタンを押していた。
そんなに律の動向が気になっていたのね、澪……。
通話料金で私達の居場所が分かってしまうんじゃないか、
と一瞬不安になったけれど、律なら大雑把だから気にしないかもしれない。
何ならもう日本に戻って来てて、東京観光して帰る予定って事にしてもいいし。
ただ、二人の話の内容自体は知っておきたいわね……。
私はハンズフリーボタンを押してから、そのまま澪の携帯電話をテーブルの上に置かせた。
「お、出るの早いな、澪ー。
そんなに私の声が聞きたくて寂しがってたのかー?」
律のお気楽な声が電波に乗って聞こえて来る。
その声を聞くだけで私達の事情を何も分かっていない事が分かる。
まずは一安心といった所かしら。
でも、油断は出来ない。
普段はいい加減で大雑把に見えるのに、律はたまに鋭い事がある。
ちょっとした事で私達の嘘に気付く可能性もあるから、気を引き締めないといけないわね。
「べ、べべ、別に律の声が聞きたかったわけじゃないぞ!
結局、合宿はどうなったんだろう、ちゃんと練習したのかな、
って、合宿に参加出来なかった身としては、気になっただけなんだからな!
それだけなんだからな!」
顔中を真っ赤にした澪が律の言葉に反論する。
典型的な素直になれない子ね……。
あれだけ律の事で一喜一憂していたんだから、少しは素直になればいいのに。
もっとも、二週間嘘を貫き通し続けている私に言えた事ではないけれど。
「ははっ、わーってるわよ、澪ちゅわん。
もう、澪ちゅわんったら冗談が通じないんだからぁー」
澪の言葉を悪く思った様子も無く、律の笑い混じりの声が響いた。
こんな態度の澪にはもう慣れているという事なのだろう。
流石は熟年の幼馴染みと言った所かしら。
対した澪の方は、電話で話しているという安心感があるからか、
心の底から残念そうな表情で肩を落として、大きな溜息を吐いていた。
素直になれなかった自分を後悔しているのだろう。
その表情を律に見せれば、律の態度も多少は変わるはずだけど、
それを澪自身に教えるのは、大きなお世話なのかもしれないわね。
私は軽く苦笑してから、澪達の会話を静かに見守る事にした。
次に会話を切り出したのは律だった。
特に何でも無い事のように、軽い感じで切り出していた。
「でさ、合宿ならさっき終わって帰って来た所だよ、澪。
合宿じゃ結構遊びもしたけど、練習だって相当やったんだぜ?
少なくとも学校で部活やる時の三倍くらいはやったな、マジな話。
だから、今度セッションする時は澪達びっくりすると思うぞ?
私達の演奏の上達っぷりにな!」
「そっか……、それはよかったよ……」
呟きながら、澪は浮かない顔を浮かべていた。
浮かない顔なのは、合宿の事以上に気になる事があるからだろう。
勿論、梓ちゃんと律の事だ。
先日電話で話した時、梓ちゃんと律は妙に急接近していた。
いつも顔を合わせていても、旅先では違った印象を感じる物だから、
その結果、二人が急接近していても、何もおかしくは無い事なんだけれどね。
ただ、あまり仲の良さそうな二人ではなかっただけに、
二人の予想外の急接近に澪は気が気でない事も手に取るように分かった。
「ねえねえ、ムギちゃんは元気だったのー?」
急に唯が声を上げて電話の会話の中に入った。
澪は一瞬驚いた表情をしたけれど、電話の先の律の声は変わらず楽しそうだった。
「お、何だよ、唯も居たのか?
居るなら居るってちゃんと言っとけよー。
って、ま、いいけどな。
おう、ムギも元気だったぜ。
何か妙にぼんやりしてる事が多かったけど、元気には違いなかった」
「ぼんやり……? 夏バテなのかなあ……?
ムギちゃんとはこの前電話出来なかったから、気になってたんだよねー」
「いや、夏バテじゃないみたいだから、心配はしなくても大丈夫だぞ。
何か私と梓が遊んでたら、超うっとりしてこっちの方を見てたくらいだからさ。
まあ、楽しそうって言えば楽しそうだったから、そのままにしておいたんだけどな」
「超うっとりっ?」
澪が悲鳴みたいな小さな声を上げる。
何をそんなに驚く事があるのかしら?
と思ったけれど、少し思い返してみると思い当たる事があった。
前に教室で澪と弁当を食べていた時の話だ。
『ムギって部活ではどんな子なの?』って私が訊くと、
『真面目で頼り甲斐のある子だけど、
たまに私達の方を見てうっとりしてる事がある』と澪は答えたのだ。
『特に私が律を叩いた時なんかよくうっとりしてるよ』と後で付け加えて。
その時はよく分からなかったのだけれど、今なら何となく分かるわね。
つまり、ムギは女の子同士が仲良くしているのが好きな子なんでしょうね。
そういえば、一度ムギと帰り道が一緒になった時、
私と唯の関係について詳しく訊かれた事があったわね。
あれは私の事を知りたくもあったんでしょうけれど、
私と唯がどれくらい仲が良いのかを知りたかったのだろう。
勿論、その女の子同士が仲良くしてる度合いが、どの程度までが好きなのかは分からない。
単なる友人同士の接し合いが好きなのか、同性愛に興じる女の子同士が好きなのか……。
別にどちらでも構わないけれど、後者だとしたら澪には大問題に違いなかった。
後者だとすると、
律と梓ちゃんが同性愛に見えるほど仲良く見えるという事だものね。
だからこそ、澪は悲鳴を上げたのだ。
澪の悲鳴が聞こえたらしい律は電話の先で苦笑したらしかった。
苦笑したような息遣いが電波に乗って聞こえた後、律が何でも無い事のように続ける。
「急に叫ぶなって、澪。
まあ、それ以外はムギも普通に元気だったよ。
海で泳いで、その後で練習して、夜には怖い話なんかしたりしてさ、
うん……、三人だけの合宿だったけど、結構面白かったなー。
特に梓の意外な所とかも見れたし、私的には大成功の合宿だったと思うぞ?」
「あずにゃんの意外な所っ?」
次に叫んだのは唯だった。
澪も叫ぼうとしていたみたいだけど、唯に先を越されてその声を呑み込んでいた。
唯が所在無く両手を動かしながら、縋るように律に訊ね始める。
「ね、ねねねね、ねえ、りっちゃん……。
あずにゃんの意外な所って……、あずにゃんの意外な所って何なのっ?
まさかそんなに色んな所のホクロを見たの?
お風呂の中でお互いのホクロの数をチェックし合ったの?
二人のホクロの数だけしっぺし合ったりしたの?
ねえねえっ?」
「どうしておまえはそんなにホクロにこだわるんだ……。
大体、別に梓のホクロなんて数えねーし……。
強いて言えば首の裏側にホクロがあるんだなー、って思ったくらいだよ。
何だよ、二人のホクロの数だけしっぺって……。
大体、梓の意外だと思った所ってホクロとは何も関係ねーし……」
「じゃあ、何処が意外だったの?
ま……、まさかアソコ……?
あずにゃんのアソコの毛が何か……っ?」
「おまえは何を言っているんだ。
単に海で結構はしゃいでた梓が意外だったってだけだよ、分かれよ。
練習三昧になるかと思ったら案外遊びに付き合ってくれたし、肝試しもやってくれたんだぜ。
まあ、肝試しはムギを含めて、誰も怖がってくれなかったけどさ。
そうそう、まだ言ってなかったけど、実は合宿にさわちゃんが飛び入り参加したんだぜ。
やっぱ一人じゃ寂しかったみたいでさー。
来るなら来るって最初から言えばいいのになー」
「さわちゃんの事はいいから!
さわちゃんの事は後でいいから!
あずにゃんの……、あずにゃんの毛の事を教えて!
あずにゃんのアソコの毛の事をどうか私にー……!」
「もっと大切にしてやれよ、自分の部の顧問……。
って、どれだけおまえは梓の毛の事を重要視してやがる……。
しかも、アソコっておまえな……。
うーん……、でも、確かおまえ、
前の合宿で自分に怪我生えてない事を気にしてたよな。
唯にとっちゃそれだけ重大な問題って事か……。
しゃーねーな……、梓には悪いけど教えてやるよ。
言っとくけど、梓には私から聞いたって言うなよ?」
「うんうん、誰にも言わないから!
それでどうだったの?
あずにゃん、生えてなかったよね?
あれだけ小っちゃくて可愛いあずにゃんに、毛なんか生えてないよねっ?」
その言葉の後、唯が固唾を呑む音が聞こえた。
釣られて私も少し緊張してしまう。
私の予想では、恐らく梓ちゃんの陰毛は……。
数秒後、重苦しい律の言葉が電波に乗って届いた。
「うんにゃ、生えてたよ」
「……えっ?」
「いや、私もびっくりしたよ。
実を言うとさ、唯って前例もあるから、
ひょっとしたら梓も生えてないんじゃないか、って思ってたんだよな。
でもさ、しっかり生えてたんだよ、そりゃもうもっさりと。
私より生えてるどころか、澪くらいモッサモサに生えてたな。
ちょっと意外だったけど、冷静になって考えりゃ当たり前だよな。
梓の奴はちっこいけどさ、それでも一応、高校一年生なんだもんな。
大体、梓がちっこいっつっても、小五くらいの大きさはあるわけじゃん?
小五くらいから毛が生えてる同級生も多かったわけだし、
梓の毛が生えてても全然おかしくないよなー」
「そんなー……」
唯が肩を落としてテーブルの上に突っ伏す。
私はその唯の頭に軽く手を置いて、撫でてあげた。
やっぱり、私の予想通りだったらしい。
小さな身体をしているとは言え、体型と陰毛の有無には何の因果関係も無いのだ。
梓ちゃんの陰毛が人以上に濃くても、律の言う通り何の不思議も無い。
「それ以外はっ?
それ以外、梓に意外な所は無かったのかっ?」
落ち込む唯を押し退けて、澪がそう叫んだ。
唯の件が一応解決してしまった以上、次は澪が律に質問を浴びせる番だった。
「何だよー、澪も唯もよー。
二人とも梓の事が大好きなんじゃねーか……。
話題にも上らない私としては傷付いちゃうわよん、よよよ……」
「い、いや、そういうわけじゃなくて……。
私は律の事が気になるから梓の事を訊いて……、
いや、だから……」
「冗談だってば、澪。
二人とも後輩の梓の事が気になってるんだろ?
先輩として正しい姿だよ、二人とも。
それは部長として嬉しい事だぞ。
うむ、そんな部員を持てて、私も鼻が高い高い」
律に冗談交じりに言われ、ばつが悪そうに唯と澪が縮こまった。
二人とも梓ちゃんより自分の事を気にしてしまっていたのだ。
その事に対して、申し訳ない気持ちになってしまったのだろう。
そんな二人の様子に気付いているのかいないのか、苦笑交じりに律が続けた。
「梓に他に意外だった所は無いと思うぞ、一応。
でも、梓が意外に乗りのいい奴だったって気付けただけで私は十分だよ。
真面目過ぎる後輩だと思ってたけど、私達と楽しそうに遊んでくれたんだもんな。
それだけであいつと残り二年、楽しい部活が出来るような気がするんだ……。
あいつと楽しい部活にしていこうな。
……って、これオフレコな!
さっきのあいつの毛の事と一緒にオフレコにしといてくれよ!」
成長したのね、律、と私は思った。
律が部長で大丈夫なのかしら、
って思う事も結構あったけれど、合宿が律も梓ちゃんも成長させたみたいね。
この調子なら、軽音部は今までよりずっと素敵な部として発展していく事でしょう。
ふと視線を向けてみると、澪は安心したような表情を浮かべていた。
律と梓ちゃんが急接近した事には動揺したけれど、
危惧していたような急接近ではなかったからか、それに安心しているみたいだった。
私の視線に気付くと、澪は次に恥ずかしげな苦笑も浮かべた。
動揺ばかりしていた自分を恥じると同時に、成長した律の姿を嬉しくも思ったのだろう。
私も気にはなっていただけに胸を撫で下ろす気分だった。
梓ちゃんの陰毛の事以外は、合宿が滞りなく終わった事が私も嬉しい。
と。
「あっ、そういや……」
瞬間、律が何かを思い出したように続けた。
私と澪はそれに耳を傾け、唯も少し悲しそうな表情で顔を上げる。
小さく嘆息してから、唯が律に訊ねた。
「どしたの、りっちゃん?」
「もう一つだけ梓の事で面白い事を思い出したんだよ。
なあ、おまえ達もハワイに行ってるんだから、当然だけど海で泳ぎまくってるよな?」
「ま……、まあね。
勿論、一日中ハワイのシャイニングオーシャンで泳ぎまくりだよ!
アイム・スイミングだよ!」
「だよな?
私達もおまえ達ほどじゃないんだけど、それなりに泳いだんだよな。
日焼け止めは塗ったけど、身体中が日焼けで痛いの何のって。
まあ、それは普通の事なんだけど、凄いのは梓なんだよ。
梓の奴、すげーんだぜ?
合宿に来て一日海で遊んだだけで真っ黒に日焼けしちゃってさ、ありゃ凄かったなー……。
傍から見てるだけですっげー痛そうだしさ。
唯達もハワイから帰って来たら、梓の驚きの黒さを見てやれよ、びっくりするから。
そういや、明日日本に帰って来るんだっけ?
おまえ達は日焼けとか大丈夫なのか?」
「うん、日焼けは大丈夫だよ。
だって……、あっ」
瞬間、唯が口を閉じた。
『日焼けなんかしてないから大丈夫だよ』、
と言いそうになったのを止めてくれたのだろう。
よかった……。
私達は日焼けをしてないけれど、それを口にしたらあまりにも不自然だ。
律達と再会するまで、私達は日焼けしているという事にしておくべきだろう……。
……って。
「日焼けぇっ?」
今度叫んでしまったのは私だった。
しまった。私とした事が完全に失念してしまっていた。
日焼けオイルの塗り方を練習していたのに、それで満足してしまっていたのだ。
「な、何だよ、和も居たのか?
居るなら居るって言ってくれって言ったじゃんかよー……。
それにしても、どうしたんだ?
日焼けでも痛いのか? 痛いなら薬でも塗って……」
律が電話の先で何かを言っていたけれど、
私はその律の言葉を聞いている余裕なんて無かった。
まずい……、これはまずいわ……。
私達は約二週間直射日光を浴びずに家の中にひきこもっていた。
その私達の肌は当然だけど、ほとんど日焼けをしていない。
少なくとも、ハワイに行っていたとは思えない驚きの白さをしている。
これをどういう嘘で乗り切ればいいのかしら……。
そう……、そうよ……。
ハワイに行った当初の一週間は海で泳いでいたけれど、
残り一週間は観光に没頭していたという言い訳はどうかしら?
駄目だわ……!
人体の皮膚の再生のサイクルは約二十八日間。
しかも、それで完全に日焼けが治るわけでもない。
何度も再生するうちに日焼けは無くなり、肌は白くなっていく……。
この日焼けの言い訳だけは、どうやっても通じない……!
律の言葉が確かなら、ひきこもり生活の終了まで、残り一日。
残り一日で私達に何が出来るというの……?
最後の土壇場、究極の問題が私達の前に立ちはだかってしまうなんて……。
私は……、私はこの問題に対してどう立ち向かっていくべきなんだろう……。
最終更新:2013年02月20日 22:42