皆様の声

「東日本大震災から4年目におけるストレス調査にご協力ください!」
という、形で皆様の声を受け付けております。
貴重なお言葉、ご意見ありがとうございます。

今現在もご協力くださっている方々がいらっしゃるのですが、
せっかく頂いたこれまでの皆様の声をこの場を借りて
お伝えしていきたいと思います。
皆様から頂いたお言葉には、未だ癒えない苦しみであり、怒りであり、悲しみであり、
訴えたい事が伝わってきます。



平成27年12月5日現在



「被災による具体的なストレス」について自由記述


自宅近くのマンションに避難し命は助かりましたが目の前にて自宅が津波にて飲み込まれ車も流され何もすることが出来ず自然の驚異に呆然とするしかない状態・・・。 でも、携帯も繋がらない状況が続き父の安否確認がずっと出来なくその時の不安が一番辛かったのかもしれません。 築き上げた家や車などが津波に流され悲しくもなりましたが、父の生存がわかった時の安堵感を思うと命より大切な物はないのだと築きました。 身近な人の生死がわからないことがストレスと思いました。

津波で自家用車を全部無くしてしまい、通勤時間が車で40分位掛かるところに勤めて居たため、通勤出来なくなり、仕事を失なってしまい、生活面でかなり苦しい状況になっていました。今、幾らか、生活面でどうにかなって来ています。

実家が津波で全壊し将来、住む所を失くした絶望感


父親を突然失ったこと 被害を直接受けていない人の言動が非常に気に障ることがしばしば あった 今でも被害者の立場で考えているが、直接被害を受けていない人は まったくと言っていいほど震災を仕方ないの一言で片づけている点

家族と連絡が取れず、仕事を投げ出して探しに行きたかった。

ライフラインの停止。 電気、水道、電話が一か月使えなかった。 津波による泥汚れを掃除したくても水が無くて流せなかった。 風呂にも一か月入れず、寝る際も布団半分のスペースで寝ていた。

 個人的には、ライフラインが止まって、情報が簡単に得られなくなったこと。 テレビ、新聞、雑誌が十分に入手できなかったことが不安だった。特に書籍、雑誌は1か月近く購入できなかったので、本当に活字に飢えていた。  主婦という立場からは、食事の心配が大きかった。 幸い非常食や飲料水は十分に備えていたので、1週間ぐらいは何とかなりそうで安心はしたが、会社が被災して通勤できなくなった主人がかなりイライラしていて、あれこれと言いがかりのような文句を言ってくるのが困った。 二人の子供は食物アレルギーで除去食を食べていたので、食べるものについては、食べられるならば何でも文句を言わずに食べてくれるので、栄養面の心配だけでよく、本当に助かった。私も除去食を一緒に食べていたので、この時も一緒に食べていた。 しかし主人は、除去食の味気無さが嫌で全く付き合っていなかったため、今回の震災での食事は、非常食なので、味も見栄えも悪く、主人にとっては大不満となってしまったようだった。非常食をまずいと言って残された時には、子供とともに呆れてしまった。  非常事態に対応できずに駄々っ子のように不平不満ばかり並べている主人が一番のストレスだったかもしれない。できれば、家族をリードしたり、ムードメーカー的なところがほしかった。

プライバシーがないこと

友人や親戚等身近な人を亡くした。

「津波」で家族を亡くした人々のことを想うと「悲しみの極み」以外なにものでもない。 どうか「もう何年だ」とか「前へ前へ」とか「報道関係」からせかさないで頂けないだろうか。 歴史上の「大天災」犠牲の個々人の心に想いを寄せてもらいたい。 原発問題の「地名の産物」は今でも首都圏では避ける人々もいると聞いて腹が立ち悲しくなった。 「東北」は「首都圏」にどれだけ貢献したか。

新事業として、自分のお金、時間、労力をそそいで、人と事業を、育ててきたが、従業員の子供たちが、小さいので放射能の影響を避けるため、東京より遠方に引っ越したため、いちからではなく、マイナスから再スタートし、なかなかうまくいかない。

仕事。 原発事故に関して、国、東電の対応に不満を感じる。

治安の悪さ ボランティアは良い人より犯罪者が多い(窃盗、暴行など)

友人、知り合いが少なく、精神的疲労があった。

やっぱりライフラインが止まったのが一番。寒いのに風呂にも入れないし、料理も出来なかった。

東京電力の原発事故らともない、偏った報道・情報による福島という土地への無理解から、差別的なことを言われたり、逆に過剰に同情的な人から働きかけを受けたりするのが辛かった。

福島県民は多いと思いますが、地震よりも原発事故によるストレスが大きかったです。 このまま住み続けても子供たちに影響はないのか悩み、周囲の人の考えもまちまちで、それにも悩みました。 結果家族で県外に自主避難し、今も避難中です。 避難するかもかなり悩み、自分達で決めたこととはいえ、引越しも転職もかなりのストレスでした。

生活が一変し、3人の子供たちの将来が不安でならなかった。 事業を再開するも、最近の不景気の中、すべてにおいて不安。 子供たちには何の心配もなく夢に向かってほしいが,かなえてあげられか・・?

「何もない・日常に戻れない」という不安。 車の生活が必須の東北地区であるのにガソリンが手に入らず、次の一手が打てないというもどかしさ。 住宅業界で働いていたため、いい意味で多忙だったが震災による影響で気が滅入ったお客様を多く目にした。

携帯の警報がなるたびに、神経が磨り減った。 ガスが1か月、水道が10日、電気が1週間止まった。 地下鉄もなかなか復旧しなかったため、歩かなくてはならなく通勤に異常に時間がかかった。





「現在の具体的なストレス」についての自由記述


震災で抱えてしまった「心のケア」が見逃され、欠落したまま「復興」「復活」は進むものなのだろうか。

夫は長男であることに加え、3年たっても避難先の気候に慣れないから、いずれは帰ると言われることが今の私にとってはストレスになっています。 親や親戚は今も福島県に住んでいるのですが、高齢なこともあり、帰ってこないのかとほのめかされています。 私も子供たちも避難先の生活に慣れ、楽しく暮らせているので、このまま定住したいと思っているのですが・・・。 帰ったとしても、避難していた人間が残っていた人達とうまくやっていけるのか、とても不安です。

将来の生活の心配、不安 震災の記憶の風化

震災時は、学習塾で採点のパートをやっていたが、時間外の仕事が増えて家事と仕事の両立がだんだん負担になってきた。 そんな時主人がリストラ勧告を受けてイライラをぶつけてくるようになった。パートの仕事が遅くまでかかる不満とほぼタダ働きだったことへの不満がイライラの的になってしまっていた。個人経営だったので、少しでも協力しようとしてついついたくさんの仕事を引き受けてしまった私も悪いのだと思う。 しかし、仕事も家事も気がつかないうちに自分の中でこなせないほどいっぱいいっぱいになっていたようだった。 仕事のミスが増えてきてパワハラを受けるようになり、家ではモラハラ状態で、自分の行き場がなくなってしまったように感じた。 更年期障害かなと思って通院したが、よくならず、心療内科を紹介されて、適応障害と診断され、今も通院中。長いトンネルです。

これからの集団移転で家を自己資金で建てる事。

健康状態

原発被害による「支援格差」 この格差によって「一般的な年収」の人に悪影響が出ている→土地の高騰、新築工事増加による全体的な価格高騰によってストレスの悪循環が起きている 見ている立場ではあるがつらいものがある。

来年から就職ということで現在職探しをしていますが、無事就職できるのか、したとしても住む家、お金で苦労しないか考えると余計気苦労します。同じく来年に結婚も視野に入れているので中々大変だろうと思います。現在、睡眠障害障害、そして精神面の疾患が疑われているので社会に馴染めるのかも心配です。

身近な人は皆被災者なので、愚痴の言い合いは余計に心がブルーになります。また、同じ被災者でも、自営業がこんなにも辛いものなかと思います。

なし

毎日我慢して暮らしている

未だに震災復興工事があるなか、オリンピック等で首都圏に人が流れて、人材不足になるのが目に見える

仕事に身が入らない。 社長自らがやる気が無いので先行き不安がある。 気持ち的にも頑張ろうという気が起きない。

お金のこと

県外の工事、復興関連者に犯罪者が紛れていて事件が多くなり 治安が悪化したまま・・・夜の外出は海外並みに危険を感じます。

被災後、引っ越しをしたので、お金がかかった。 自宅が半壊にもかかわらず、50万しか義援金がもらえず、5%ほどの修繕しかできなかった。






「風化の問題」についての自由記述


ニュースでふと、震災絡みの話が出た時。 人間ですからいずれ忘れて行くものです。ですから無理に忘れるなというのでは無く、こんなことが昔あったんだよと記憶の隅にあればいいと私は思います。 辛い思いもしましたし、大変なことばかりでした。ですが私自身、「風化」については何とも思っていません。世の摂理なんだと思っています。

みんな忘れてしまえばいい

先日南三陸町へ伺いましたが4年経過しているのに復興がこれしか進んでいない状況なのかと実際に感じて来ました。 被災地ではまだ仮設に住んでいたりと先の見えない生活をしている方も多いのに東京オリンピックなどに多額の資金をかけるならもっと他の使い道に使ってほしいものです。 実際に被災地にいないと他人事のように思っているのだと思います。

「復興」のなのもとにハード面の掛け声と復興車両の轟音に「本当にそこに住む人々」のことが考えられているのだろうか。 「復興大臣」の言動にも疑問を感じる。

復興事業が遅く、直後の‘‘ 生きなければ  ``と言う気持ちが被災者自身の中でうすれてきているとおもいます。 被災していない人が忘れてしまうのは、当然だと思います。 実際私も、阪神淡路や中越地震の時がそうでした。 被災した人でないとわかるはずがないのです。

当該被災地ですが、当該地ですら復興工事もあるのに被害を忘れられている感じが非常に感じます。 やはり被害があった人とそうでない人の温度差があると感じます。 震災関連の番組等をできる限り見ておりますが、被害を受けていない人は 切なくなるからなるだけ見ないようにしてるとか・・それでは被災者の気持ちも わかりませんよね わかろうともしませんから

あまり感じない。

除染などで県外からくる作業者の犯罪増加

復興財源が減ったこと

報道がほぼなくなっている

避難していることもありますが、震災のことを耳にすることはとても少ないです。 何より自分達が、避難先の人から避難していることを言われると、現実に戻されるような感じがすることに、自分達の中で『風化』があると思います。

鉄道の開通や復興住宅の完成などニュースで取り上げられますが 被災地の全体から見たらほんの数パーセントです。 しかも、全国ニュースではほとんど取り上げられません。 震災後1~2年は有名人もきましたが、今はほとんどきません。 たまに来ても大きな被害の無かった土地にきてニュースになったりしています。 私の息子は中学生ですが、仮設の校舎に入学して仮設の校舎から卒業していきます。 私が知っている限りでは誰かが激励に来たというのは1度だけです。 内陸部の学校や施設に芸能人やスポーツ選手が来たというニュースを見ますが、家族でブーイングです。売名行為にしか思えません。 完全に忘れられた学校だと思います。

福島県内ではあまり風化は感じられない。(放射線量の数値は必ずテレビで流されているため)

テレビでの扱いがなくなった 義援金がこなくなった

津波の被災地に近いので、未だ風化したとは感じていない。

体験していない人にとっては、完全に人事だと思う。

面白がって見に来る人が減ってきているので忘れてもらった方が良い! 当時は被災地域は乞食扱いする機関や自治体もありました。 今は「もう元に戻ったでしょ?」と言われる方がマシに思えます。 同情では無く格差を作った災害。 アンケートも実際現地訪問して確認すれば必要ない事。 被災地域(被災者)を上から目線で見ている証拠!

あれから次々と災害が起きていて、多くの方々が被災している。そんな中でいつまでも被災者面するなといわれること。 アベノミクスの恩恵を感じられないのだが、政治家たちは胸を張って威張っていること。 義援金も復興予算もいつの間にかどこかへ行っている気がすること。 2020年のオリンピックに人もお金も取られている気がすること。



以上

最終更新:2015年12月05日 20:41
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