何十回と聞いた終業のベルが校内に流れる。

終わったら今日こそみっちり練習だ、と決意して私はホームルームの開始を待つ。

いつものようにクラス委員が生徒会からの連絡事項を読み上げ、いつもののように5分ちょうどで終了しようとしたタイミング。

クラス委員「最後に、先生の方から連絡…というか注意事項があります」

生徒A「えー、まだ何かあんのー?」ブツブツ

聞こえるかどうかの声で誰かがぼやく。

先生「最近、学校の近くで不審者が目撃されています…」
ザワザワ…

それはどこでもありがちな話だった。

比較的治安がいいこの町でも、変質者はいるらしい。

(うう…やだなぁ)

正直にそう思ったが、それを律に悟られるとどんなに風にからかわれるかわからない。

いや、いっそのこと強がりを見せない方がからかわれなくて済むかも…

そんなことを考えているうちに、先生の話は終わっていた。

律「みーお、はやく部室いこうぜー!!」

澪「あ、ああ」

わざわざ待っていたのか、律がHR終了と同時に飛び込んできた。

澪(そういえば先生の話、途中あんまり聞いてなかったな…)

律「今日はムギがガトーショコラ用意してるってさ」

澪「う…食べたら練習するんだぞっ!!」

澪(律のクラスでもやっただろうから聞こうと思ったけど)

律「おーし、いくぞいくぞ!!」

澪「ちょっ、待って律!?」

ほとんど強引に律が引きずるもんだから、結局聞けずじまい…

唯「ふー、なんだか今日はいっぱい練習した気がするよ!!」

梓「その分、ティータイムも長かったですけど…」

唯「違うよ、あずにゃん!! ティータイムが長いほどエネルギーが充填されるんだよ!!」

梓「はい?」

唯「だから、いっぱい練習するには、いっぱいティータイムが必要なんだよ!!」

澪「なんだよその理論…」

唯「むー。でも短くする方法が一つだけあるんだぁ」モジモジ

梓「なんですかそれ?」

唯「それはねー…その分あずにゃん分で補うんだよー!!」ムチュー

梓「ひいいいいいい!!」

紬「いいわあ…」ホワンホワン

律「ムギは相変わらずだな…」

澪「…」

律「? どした澪?」

澪「いや、なんでもない」

まさか、「ティータイムを短くするならその手もありか」と少し(本当に少しだけだぞ)と考えてたなんて言えやしない。


帰り道

唯「じゃーねー」

梓「失礼しまーす」

紬「それじゃあ、また明日ー」

律「おー、またなー」

澪「じゃあな」


律「しっかし、日の落ちるのも早くなったなー」

澪「そだな」

律「唯なんかさー、面白いんだぜ? 『夕日が沈むっていうけど、朝日は浮かぶって言わないねー?なんでだろ?』とかさ」

澪「…ふふ」

2年になって軽音部のメンバーとは別のクラスだから、放課後までの時間は共有できない。

和とはいい友達になったけど、軽音部のメンバーとの時間が少し減ったのは正直、さみしいと同時に…

律「おやー、澪ちゃん寂しそうですねー?」

…ときどき、律がこんなことを言うもんだから、悔しいような気もする。

澪「ば、ばか言うな!?」

律「おーっとぉ」

振り下ろした拳は、珍しく律をクリーンヒットしなかった。

行き場を失った手を何気なくポケットに入れてごまかそうとしたが…

澪「あ、あれ…」

律「どしたー?」

澪「携帯忘れた…」

律「あれまー」

澪「ちょっと、取りに行くから先に帰ってて」

律「あ、ちょっ…」

後で律が何やら言っていたが、気に掛けずに来た道を戻った。


(確か、こっちの道を行くと近道…)

街灯が少なめで暗がりが気になったけど、これくらいなら大丈夫か。

駆け足で道の途中まで来た時だった。

?「」スッ

澪「え?」

街灯と街灯の明かりが届かない境目辺りで、雑居ビルの隙間から跳び出す人影。

横目に確認しようとしたときには、すでに口と右腕を押さえられていた。

澪「ん、んーっ!?(え、これって!?)」

先生『最近、学校の近くで不審者が目撃されています…』

澪「む、むーっ!!(い、いやー!!)」

かなりの大声で叫んだつもりだけど、相手が口を押さえる力はすさまじく、逃げようにも後手にされていて身動きさえできない。

澪(う…)

この後に起こるであろうことを想像して、私は気を失いかけた。

澪(だ、誰か助けて…ママ…パパ…)

澪(…り…つぅ…)

律「み、みおーっ!!」

暴漢「!?」

澪(律!?)

不意に私を拘束していた力が抜け、その場にへたり込む。

律「澪、大丈夫か?」

澪「…う…」

そこで初めて律は逃げた暴漢の後を目で追ったが、まるで最初から何もなかったかのように暗闇だけがたたずんでいた。


翌朝・通学路

律「澪、おっはよ」

澪「りつ…おはよ…」

律「まー、昨日はあんなことあったもんな。元気あるほうが不思議か」

澪(…律は元気だけどな)

律「しっかし、昨日は長く感じたなー。学校に連絡して、先生や警察にまでいろいろ聞かれるし…」

澪「うん」

律「にしてもさ、澪らしくねーなー。HRの注意事項聞いてなかったなんて」

澪「…うん、ごめん」

律「ま、澪は昔から、あたしが守ってやらないとダメだったからな…」

澪「!?」

律「今も違うクラスだしさ、昔みたいにビクビクしてんじゃないの?」

澪「…さい」

律「え?」

澪「うるさい」

律「!?」

澪「誰が守ってくれなんて言った? 押しつけがましいぞ?」

律「…なんだよ、その言い方」ピク

澪「律はいつも自己中だもんな」

律「おい」

澪「なんだよ? 図星?」

律「…気分悪い、先に行く」スタスタ

澪「ふん」


なんでだろう。

なんであんなこと言ってしまったんだろう。

律は掛け値なしに私のことを心配して、探して、見つけて、助けてくれた。

なのに、なぜ。

昨日のことで混乱してたのか?

それでも…

律がいない教室…なんだか広く感じる。

もう慣れたはずなのに。

(だ、ダメだ…)

このままでは。

律にいつも守ってもらっているのは、本当のことだ。

何も変わっちゃいない。

律に励まされ、からかわれ、なだめられ、そして助けられて。

でも、助けられているだけじゃだめだ。

大学だって別になるかもしれないし、その先はなおさらだ。

いつまでも甘えるわけにはいけない。

(結局、授業は全部上の空、か)

部室に向かう最中、私は授業という時間を食いつぶして考えた二つの結果を反芻した。

一つ、まずは律に素直に謝ること。

二つ、律を含めてみんなには内緒だが…


澪「律いるー?」

律「…何?」

澪「律一人か」

律「ああ」

澪(やっぱり、律、怒ってる)

澪「律…朝は…」

律「…」

澪「ごめん。言いすぎた。私が悪かった」

律「…いいよ、気にしてない…ってのは嘘だけど」

澪「ほんとごめん」

律「いーよ、逆に素直すぎて気持ち悪いやい」

澪「りーつー」

律「わりいわりい」

澪(ごめんな、律、まだ隠していることあるけど)


……

ガチャ

紬「こんにちはー」

唯「噂で聞いたけど、昨日大変だったんだって?」

梓「唯先輩、あいさつより先にそれですか…」

澪(ふふ、唯らしいな)


律「…ってことなんだよ」

梓「なんだか適当な略し方ですね」

紬「澪ちゃんの危機に駆け付けるりっちゃん…いいわあ」ホワホワ

唯「ずばり…りっちゃんは澪ちゃんの王子様だね!!」ズビシ

律「ばっ…恥ずかしいこというなよ。第一私は女だー! 乙女だー!」

澪「ふふ」

やっぱり、律は優しい。今朝の気まずさ全開のやりとりは口にしていない。

ここでも、また助けられたな。

でも、これからは…

澪(…と、決意したはいいけど)

実際に探すとなると、結構面倒か。

私が出したもう一つの結論。

それは「自分の身は自分で守れるようにする」。

誰だ? 授業をつぶして考えた割には短絡的だなんていうのは。

でも、物事は単純な方が真実ってこともある。

腕っ節もそうだけど、何よりも人見知りする自分は、いろんな人とも接して、なおかつ体を鍛える…

その結果、自宅の机の上には数枚のプリントアウト用紙。

内容は…

澪(空手、柔道、ボクシング、キックボクシング…自転車でいけそうな範囲だとこれくらいか)

ネットの電話帳でしらべた、格闘技系の道場の住所と地図。

そう、これが私の答え。

文武両道って言葉もあるし、いざというときには役に立つだろうし、ダイエット効果だって…

おっと、話がずれた。

澪「しかし、実際に行くとなると緊張するな…」

澪「いや、ここで逃げてたら前と同じだ!! 頑張れ私!!」オー

澪ママ(ノックしよう思ったけど…澪ちゃん何を言ってるのかしら? 入りずらいわぁ…)


翌週金曜日・夕方

澪(うう…だいぶ暗くなってきたな…秋だな)

足取りも重く帰路へ向かう。

澪(先週と今日で全部見学できたし、体験もできたけど…)

ポケットから取り出したプリントアウト用紙に目を走らせる。

澪(格闘技って私には向いてないのかな…スポーツはそれほどダメじゃないけど)

澪(正直、空手の掛け声とかだけでびびっちゃったし)

澪(ボクシングのミット?だっけ、あれを叩く音もおなかに響くくらいで怖かったし)

澪(柔道も『ビターン』とか『バターン』って畳の音が怖い…)

澪(女子クラスであんなんだと、一般ってどうなんだろ…)

もう少し、範囲を広げてみるかな。

確か、合気道っていうのは、護身術関係だから、私にもできるかもしれない。

でも近くになかったからパスしたんだよね。

電車で行くとなると、おこずかいでどこまで…

?「テメーざけんなよっ!?」

澪「ひっ!?」

澪(あ…喧嘩?)

駅近くの路上で、明らかに泥酔した二人のサラリーマンが何やら取っ組みあっている。

澪(う…関わりたくないな…)

それは道行く人も同じで、遠巻きに見ているだけだ。

しかし。

澪(!?)

男「」トコトコ

リーマン1「なんだあ、このおっさん?」

その二人に、30~40代だろうか、眼鏡をかけた小柄な男性が近づく。

男「まあまあ、人の目もあるし、喧嘩はそれくらいにして…」

リーマン2「でしゃばんなやぁ」

元々は仲がいいのか、二人して男の人に向き直る。

ギャラリー「おい、誰か警察…」

リーマン1・2「おらあっ!!」

澪「危ないっ!?」

澪(…え?)

私は見た。本当なら目をそらしていてもよいはずだった。

いや、その動きに見とれていたのかも知れない。

左右から二人して殴りかかったその腕を、男の人はそれぞれ左右の手で受け止め…

スゥ…

ただ、下におろした。

そのようにしか見えなかった。

しかし、二人の泥酔サラリーマンは腰が砕けたかのように地面に尻もちをついた…同時に。

リーマン1・2「あ、れ?」

自分たちが何をしていたのか、されていたのか分らぬ面持ちのまま、二人は毒気を抜かれたかのように仲良くアスファルトに尻をついて座っていた。

男「ではでは」

男の人は何事もなかったかのように、人ごみに消えようとした。

澪(!?)

不思議と、そして自然と私は駆け出し、男の人の後を追った。

澪(何あれ…あんな小柄な人が、簡単に二人も一度に?)

興奮・疑惑・好奇心…全てが混じった思考でなおも後を追う。

澪(力がいらない武道? 合気道とか?)

数分も経たぬうちに、男の人は大き目の民家に入っていった。

澪「…大東流…合気柔術 ○○館?」

玄関には、墨痕鮮やかにしたためられた木の看板が。

澪(合気道…とはちがうのかな?)

裏手に回ってみると、ブラインドを下ろした窓がずらりと並んでいる。

澪(ここが道場?)

光が漏れる隙間から中を覗こうとした瞬間。

ブブブブブ…

澪「わっ!?」

こんなときに誰?

?「そこに誰かいますか?」

澪「ひっ」

一目散に来た道を戻りながら携帯を取り出す。

澪「…ま、ママ…もしもし?」

澪ママ『もしもし、澪ちゃん? どこにいるの?』

しまった、夢中になっていて大分遅くなっちゃった。


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最終更新:2011年01月19日 22:29