―或る病室―

梓(唯先輩が危篤になったと連絡があったあの日)

梓(気が動転して泣きじゃくる私を、憂は笑顔で撫でていた)

 憂『どうしたの、梓ちゃん?』

梓(そう言って、にこにこと)

 憂『何かかなしいことでもあったのかな?』

梓(憂の笑顔からは確実に何かが欠損してた)

 憂『お姉ちゃん? あぁ、そうだ。
   早くお買いものにいかなくっちゃ。今日はハンバーグなんだ。お姉ちゃん、喜んでくれるかな?』

梓(壊れてしまった憂が、ただただおそろしかった)

 憂『ごめんね、梓ちゃん。私、もう行かなくっちゃ。ばいばい!』

梓(だから、あの時私は――……)


梓『どうしちゃったの……憂……』

憂『……なに? 梓ちゃんこそどうしたの?』

梓『どうして笑ってられるの……っ』

憂『へ?』

梓『どうして、どうして……!』

憂『梓ちゃん、落ち着いてよぉ。何が何だか分かんないよ』

梓『だって、だって……このままじゃ、唯先輩は……―――


梓「……っ」

梓「憂っ、ごめんね……お願いだから、目を覚まして……憂……」

憂「……」

梓「憂が居なくなっちゃったらやだよ……だって、私は憂が……憂が居ないと……っ!」ポロポロ

 がちゃっ!

梓「……っ!?」

紬「梓ちゃん、泣いてたの?」

梓「ムギ、せんぱ……うぅ……」

紬「他のみんなもすぐに来るわ。……憂ちゃんは?」

梓「……」…フルフル

紬「……。……そう」




憂「……」

憂(えへへ……おねーちゃん……)…ニコッ



梓「……あっ」

紬「どうしたの?」

梓「見て下さい! 憂が、今憂が笑ってくれましたよ!」

紬「……。……きっと、梓ちゃんが来てくれて嬉しいのよ」

梓「憂、憂っ。聞こえる?」

憂「……」

梓「みんな来てくれるって」

憂「……」

梓「だから、憂。早く治ってね」

憂「……」

梓「絶対、唯先輩もそう思ってるから」

憂「……」



憂「……うるさいなぁ」

唯「憂? どーしたの?」

憂「あのね、さっきから知らない人の声がするの」

唯「へ? そんなの、しないよ?」

憂「空耳にしては、変な気がする。……なんだか、怖いよ」

唯「うーん……気のせいじゃないかなー?」

憂「気のせいかなぁ……」

唯「そーだよ」

憂「……。……そっか」

唯「そんな事より、憂! あいすっ!」

憂「はい、どうぞ」

唯「んー! おいしーい!」

憂「うふふ。お姉ちゃん、ほっぺたにアイスついてるよー」

唯「うーいー。とってとってー」

憂「はいはい」フキフキ

唯「えへー」ニコニコ

憂「やっぱり、お姉ちゃんは私が居なくっちゃだめだねー」

唯「てへへ。面目ない」ニコニコ

唯「お礼に憂にも半分あげるね」

憂「ほんと?」

唯「うん。はい、あーん」

憂「あーん」

唯「どう? おいしい?」

憂「美味しいよー。お姉ちゃんが『あーん』ってしてくれたから、百倍美味しいっ」

唯「へへへ。憂も私が居なくっちゃダメみたいだねー」

憂「えへへ」

憂「ここは平和だねぇ」

唯「そーだね。静かで、あったかで、落ち着くなぁ」

『       』

唯「ずーっと、憂と一緒にここに居られたらなぁ」

憂「何言ってるの、お姉ちゃん。私たちは今までもこれからもずっと一緒だよ?」

『       』

唯「えへへー。憂、だいすきっ」

憂「私もお姉ちゃんのこと、だーいすき!」

『        』

憂(あぁ、まだ変な声が聞こえる)

憂(うるさいよ。止めてよ。私とお姉ちゃんの邪魔をしないでよ……)



梓「憂……答えてよぉ……」グスグス…

紬「……梓ちゃん、これで涙拭いて?」…スッ

紬「梓ちゃんが泣いていたら、憂ちゃんも心配しちゃうわ」

梓「ムギ先輩……」

紬「大丈夫よ。唯ちゃんも憂ちゃんも、絶対帰って来てくれるから」

紬「だから……二人を信じましょ? ね?」

梓「うぅ……うわぁぁぁん!」ダキッ

紬「……梓ちゃんも、つらかったわよね」ナデナデ

澪「律、そろそろ憂ちゃんのところに行くぞ」

律「……先、行ってていーよ。私はここに居るからさ」

澪「律……」

律「あはは。だって、唯を独りきりにしたらかわいそーだろー?」

律「人の気も知らないで、だらけた顔しやがってさぁ。全く。
 アイス食べてる夢でも見てるのかぁ。このこのー」ツンツン


澪「……りつ」


……

律「たはー。私としたことが、皆の前で泣いちゃうとはなぁ」

唯「……」

律「泣き顔なんて、澪にすらほとんど見せた事なかったのに……うひゃー、はずかしー」

唯「……」

律「おーい、お前のせいだぞ。唯」

唯「……」

律「ちくしょう。幸せそうな顔しやがってさ。自分がどうなってるのかも分かってなさそうだな……」

唯「……」

律「おーい、いい加減おきろー」

唯「……」

律「……起きろよぉ」



唯(……あれ?)

憂「どうしたの、お姉ちゃん?」

唯「ううん。なんでもないよー」

憂「……? 変なお姉ちゃん」クスクス

唯「うい! ほらほら、あーん」

憂「あーん」

唯(なんだか声がした気がする)

唯(知らない人の声)

唯(どうしちゃったんだろ、私。ちょっと怖いなぁ……)

唯(だけど)

唯(なんだか、なつかしいきがするや)

唯(でもね、)

『    』

唯(この声が誰のものだったか、思い出せないんだ)

『      』

唯(ごめんね)

『         』

唯(ごめん……ごめんね……)

『           』

唯(……ごめん)

『            』

唯「う……ぐす……ごべんっ、ごべんね……」ボロボロ…



唯「……」ツー…

律「!?」

律「唯……泣いて、る?」

唯「……」

律「唯……ごめんな。責めてたわけじゃないんだよ」…ソッ

唯「……」

律「ゆっくり治せばいいから。……必ず戻ってきてくれたら、それで良いんだ」

唯「……」

律「だから泣くなよ……唯」



憂「お、お姉ちゃん!?」

唯「うぃー……」ポロポロ ポロポロ

憂「どうしたの、急に泣いちゃったりして。何が、何があったの!?」

唯「わかんない……思い出せないよぉ……」

憂「……安心して、お姉ちゃん」ギューッ

憂「私も良く分からないけど、ここに居さえすればずっと一緒に居られるから」

唯「うぃ……」ポロポロ…

憂「ここには怖いのも痛いのも、つらいのも淋しいのも、なんにもないんだから」

唯「……うぅ」…ギュッ

憂「よしよし」ナデナデ

唯(憂とぎゅっとしてたら、安心するや)

唯(かぎなれた憂の匂い。馴染んだ憂の感触)

唯(憂と抱っこしてるとね、ほこほこのあったかあったかになれるんだよ?)

唯(……なのに、さみしいだなんてお姉ちゃん失格だよね)

唯「ごめんね、憂。心配させちゃって」

憂「ううん。前も言ったでしょ」

憂「私、お姉ちゃんと一緒に居られるならなんでも出来るって」

唯「私も……」

唯「……」

唯「私も、憂と居られるなら……――」


……

紬「ちょっとは落ち着いたかしら?」

梓「はい。……ごめんなさい。お見苦しいところを見せちゃって」

紬「良いのよ。私だって、たくさん泣いちゃったもの」

梓「……唯先輩も、憂も早く良くなるといいですね」

紬「良くなるわよ。二人とも」

紬「二人を信じてあげましょう。それしか、できないけれど……それでも……」

梓「……。……はい」



『       』

憂「ぁ……」

『       』

憂「ぅ、ぁ……ぁ……」

『       』

憂「あぁあぁぁぁああぁあぁぁっ!」

『       』

唯「ひゃっ!?」

『       』

憂「う……うぅぅ……うぅ……やめて、うるさいっ、やだ……っ」

唯「う、憂!? 憂っ! どーしたの!?」

憂「おねぇ、ちゃん……たすけて……」

唯「うい! しっかりしてよぉ……っ!」



 がちゃっ

澪「梓、憂の様子は?」

梓「お医者さんは目を覚ますまでまだまだかかるって……あれ?」

純「……あはは。私も憂が心配で来ちゃったよ」

梓「純、今日は来れないって言ってたのに……」

純「気にしない気にしない。憂のためならどんな用事でもすっぽかせるよ」

澪「さっき唯の病室からこっち来る時に会ったんだよ。
  廊下でうろうろしてたから、どうせ憂のお見舞いに来たのなら一緒に行こうって」

梓「もぅ。病院に来たんならすぐにここまで来れば良いのに」

澪「迷ってたんだって。……なぁ、鈴木さん?」

純「純、で良いですよ。澪先輩」

梓「迷うって……純だって、もう何度もここに来てるじゃん」

純「うーん。でも、この病院むだに広いからさ」

純「澪先輩が通りかかってくれなかったら、一生ここにたどり着けなかったよ。
  ありがとうございます、澪先輩っ」

澪「あ……いや、良いよ。どうせ私もここに来るつもりだったし」

澪(鈴木さんが病室のすぐ傍で泣きじゃくってた事は、梓に教えないでおこう)

梓(純。……目元が赤くなってるや)

純「ま、そんなことどうでもいいじゃん。憂、来てやったよー」

憂「……」



唯「うい! ういっ!?」

憂「声が、声が増えてく……うぅ……っ」

唯「憂、しっかりしてよ!?」

憂(遠くの声が、耳の奥から響いてくる……きもちわるい……変な浮遊感までしてきた……)

唯「ういっ」

憂「おねぇちゃん……」

唯「私、どうすればいいの? ねぇ、憂っ」

憂(お姉ちゃんの声を聴かせて。もっと、もっと、聴かせて)

憂(お姉ちゃんの声で、響いてくるおかしな声から私をたすけて……)

憂「おねぇ……ちゃん……声を……」

『       』

唯「……っ」…キーン

唯(ひどい耳鳴り……うぅ……)

憂「おね、ちゃ……声を……せて……」

唯「な、なに? 聞こえないよっ!」

『       』

憂「声を……せて……」

『       』

唯「憂! 憂ぃ!」

『       』

憂「……ね………ぁ……」


『    』

『    』

『    』

唯「……うるさい」

『    』

唯「うるさいよっ! お願いだから黙ってっ!!」

『    』

唯「あなたは誰なの!? ねぇ、憂と私をどこに連れて行こうとしてるの!?」

『    』

唯「憂を苦しめる人なんて、誰もいらないっ」

『    』

唯「だから……だから、あっちいっちゃえっ!!」


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最終更新:2011年02月24日 23:57