「うん、マジ、マジ」

幼馴染がからかうような口調で言った。
往来で大声を出したことが恥ずかしくて、私は一旦周りを見渡す。
そのあとで、彼女の頬を両手のひらで挟んで、瞳をじっと覗き込んだ。

「ふざけて言っていいことじゃないのよ?」

「なんで?」

「だって、私本当に生徒会長になりたいのよ。内申点がどうとかじゃなく」

この一年間は、薄い人生経験の中でも割合重い意味を持っていた、と手前勝手ながら思っている。
高校生でありながら公私の区分がはっきりと出来ている現会長の曽我部先輩に憧れたり、
別の意味で公私を判然と分けている山中先生に失望したりした。

「私は真面目だから、唯も真面目になってね」

「真面目だもん」

唯は私と同じくらい真剣な声で言った。
その割にふざけているように見えるのは、私が頬を挟んでいるせいだと分かり、そっと手を離す。
唯もタコのような口をしていた表情の滑稽さに自分で気づいたようで、わざとらしく背筋を伸ばし、顎を引いて、もう一度言った。

「真面目だよ。和ちゃんが生徒会長に立候補するなら、私も立候補する」

それを見て、ああ、やっぱりふざけているんじゃないかと思ってしまう。

「和ちゃんと同じくらい、私も真面目」

きっ、と私の顔を見つめてくる。
そんな表情を見るのが怖くて、私は目を背けて、優しく微笑んだ。
姑息だ。

「そうなんだ、じゃあ、ちょっとアイス屋さんにでも行きましょうか」

「ホント!?」

彼女は真面目な表情を崩して、いつも通り無邪気に笑った。
それを見て、私は卑怯にも安心する。

二人していつも通る道を歩く。
いつも通る道で、今まで何度もしたように彼女とアイスを買いに行くのに、私はいつも通りに会話が出来なかった。

「今日はね、チョコミントが食べたいなあ」

彼女が隣でこんなことを言っていても、どう返事をすれば良いのか、そもそも返事をするべきなのか迷ってしまう。

「ね、和ちゃんは?」

「私は抹茶」

それで、こんな風に短い受け答えをすることしか出来なかった。

「抹茶かあ、なかなか渋いっすねえ」

唯はいつも通り笑って、いつも通りに軽い足取りで歩いている。
それがどうしようもなく、恐ろしい。


そのアイス屋は、大きめの公園の中にある。
車を改造して店にしていて、店の前にはいくつかパラソル付きのテーブルが置いてある。
そのうちの一つに私たちは座った。

「抹茶と、あとチョコミント一つずつくださいな」

唯が明るく言うと、店員の女性もつられて明るい笑顔を見せた。
そんな中で、私だけが辛気臭く感じられた。

しばらく無言で待っていた。
その間、唯は公園の滑り台で遊ぶ子どもなんかを眺めて、楽しそうに口笛を吹いていた。
なんだか気まずく感じて、

「その曲、なに」

と訊くと、唯は驚いて、ええっと、と首を捻った。

「ぱすかるなんとか。なんか、ピノキオみたいなの」

ふうん、と答えて、また何か話題はないかと考えていると、アイスが運ばれてきた。
わあ、と唯が声を上げる。店員さんからアイスを受け取ると、無我夢中で食べだした。

「では、ごゆっくり」

そう言って私たちの席から離れていくとき、店員さんはくすりと笑った。

「おいしいよう」

唯が子供のように言う。
私は自分の手の抹茶アイスを見つめて、唯に尋ねた。

「食べる?」

「やった」

小さく声を上げて、アイスに齧り付く。
歯型を残して、丸いアイスは大きく抉れた。
今なら。
やっぱり卑劣な私は、アイスを前に小さい頃から変わらない無邪気さではしゃいでいる唯に言った。

「アイス上げたから、生徒会長になるのはやめときなさいね」

すると、唯はへらへら笑って、私にアイスをさし出してきた。
安心して、私はそれをちろと舐める。
そして、

「私もアイス上げたから、和ちゃんも生徒会長は辞めだね」

と言われて、また不安のどん底に突き落とされた。

「どうして」

私はそう呟いた。何に対して呟いたのかは、自分でも分からない。
だから、唯の答えが答えになっているのかどうかも、良く分からなかった。

「私真面目だもん、和ちゃんと同じくらい」

生徒会長の話はそれなりにして、アイスを食べ終わった後、私たちはまた一緒に帰った。
道中、やはり唯はいつも通りだった。
私には、たまに寄る通学路にある本屋も、地平線に真っ二つにされている夕陽も、すごく不自然に見える。

「おーる ざ ぶっくす あい……えっと、あいぶ ねばー れっど」

「えっと……なんて?」

努めていつも通りにしようとする。
いつも通りに、少し大人びた笑みを浮かべて、拙い発音で歌う唯に尋ねる。

「だからあ、おーる ざ ぶっくす あいぶ ねばー れっど」

「私の読んだことのない本?」

「いや、意味は知らないけどさ」

「それ、さっき口笛で吹いていた曲?」

「うん。ぱすかる云々」

私は音楽のことはよく分からないけれど、唯の可愛らしい声によくあった曲だった。
唯があんまりいつも通りだから、だんだんと私も、無理やりいつも通りになっていく。

「そっか、私も聴いてみようかしら」

「うん、聴いてみなよ」

「そう。分かったわ」

そんな会話をして、分かれる頃にはすっかり普段と変わらない笑顔で、手を振れた。
だから余計に、胸の奥にある違和感みたいなものが気になって、それを払拭しようとして私はインターネットでさっきの曲を調べてみた。

pascal pinon、だった。
それを"ぱすかるぴのきお"だなんて覚えてしまう幼馴染は、昔と変わっていないような気がする。
無料試聴してみると、思いの外唯が上手に歌えていたことに驚いた。

「All the books I've never read.All the words and phrases I've never said」

最初の句だけを何度も頭の中で繰り返して、二、三度聴いたっきりの曲を思い返していると、直ぐに眠くなった。
明日もまだ、唯は生徒会長になるだなんてことを言っているだろうか。
そればかりが気になった。

あまり気にしていたものだから、その日私は早くに学校に着いてしまった。
暫く自習をしていると、教室に入ってきた同級生に驚いたような顔をされた。

「随分と早いな、和」

「たまにはね。澪も早いじゃない」

「私も、たまにはな」

長い黒髪を扇のようにゆらゆらと揺らす彼女は、端正な顔立ちをしていて、朝の澄んだ空気がよく似合っている。
曽我部会長も、綺麗な娘ね、などと言っていた。

「いつもは律に構っていて早く来れないからな。和もそうだろ?」

「そうね。今日は、律は?」

「おいてきた」

くく、と喉を鳴らして、澪は笑った。
あ。私も唯を置いてきてしまった。
すまないことをしたが、一体全体どうしたものか、と思い悩んでいると、澪が昨日聴いたのと同じ曲を口ずさみ始めた。

「the music playing around my ears......えっと、なんだっけか」

「I am trying to evaporate all my fears、だったわよ確か」

澪は意外そうな顔をして、すぐに、唯か、と言って笑った。

「私も唯から教えてもらったんだ。あいつ、ジャケットが可愛いから買ったとか言ってたけど、全然可愛くないんだよ」

そうなんだ、と返して私は黙る。
なにか言おうとしたけれど、特に何も思いつかない。
すると、澪は自分の幼馴染のことを話し始めた。

「あれだな、やっぱりだらしない幼馴染を持つと片方はしっかりするんだな、きっと。
 そこのところは律に感謝してる」

「そう、じゃあ私もね」

そう言って、笑いあう。
その時にふと、私が昨日から妙な心持ちでいるのは、唯がしっかりすると反対に私が駄目になる、という、
迷信めいた予感のようなものがあるからなのかとも思ったが、どうも違うような気がする。

「そういや、唯のセンスは良く分からないよな。さわ子先生が持ってくる衣装を楽しそうに着てるの、唯とムギだけだし、変わってるよ、やっぱり」

「そうなんだ。唯のことは、良く分からない?」

「まさか。一年間もずっと一緒にいたんだから、ある程度は分かってるつもりだよ」

「そう、どんな風に?」

「可愛い」

そう即答し、けらけらと笑う澪を見て、私はなんとなく寂しくなった。

授業は真面目に受けた。
仮にも生徒会長になろうと思っている者が居眠りなどしては示しがつかない。
それでもすべての授業を終える頃には、流石に疲れてしまった。

「和、大丈夫か。偉く眠そうだけど」

などと澪にも訊かれてしまう。

「大丈夫よ、このくらい。もう放課後だし、生徒会の後は帰って寝るだけだしね」

と答えて、生徒会室へ向かった。

生徒会室へ向かう途中、唯のクラスの教室を覗いてみたが、唯はいなかった。
大方もう部活へ向かっているのだろう。
私も唯を見習って、真面目に生徒会の雑務にとりかかることにする。

生徒会室の扉を開けると、まだ曽我部先輩しかいなかった。
それに加えて、何故か山中先生がいる。

「あら……じゃあ曽我部さん、そういう方向でよろしく」

「はい、こちらこそよろしく」

そんな謎の遣り取りをした後、山中先生は急いで生徒会室を出て行った。
私は首を傾げる。

「どうしたんです、山中先生。生徒会室にいるなんて珍しいですね」

すると、曽我部先輩は何故だか顔を赤くして、

「色々あるのよ、大人だもの」

と言った。
なんだというんだ。

「そういえば、軽音楽部の講堂使用許可届、もう出てますか? 新勧ライブの予定があると思うんですが」

「えっとね……」

そう言って先輩はクリアファイルの中を探す。
何枚か、生徒会認という印の押されている書類が見えた。

「無いわね。じゃあ、お手数ですが」

曽我部先輩は軽く頭を下げた。

「はいはい。じゃあ私が取りに行ってきますね」

「うん。あ、山中先生によろしく言っておいて」

「はあ」

意図が掴めず、なんとも曖昧な返事をして、私は音楽室へ向かった。

音楽室は生徒会室からはちょっと離れている。
階段を登っているときに亀の置物に手を触れて池や川に考えが向かい、ふと、唯がザリガニで我が家の風呂を一杯にしたことを思い出した。
そんなこともあったなあ。

音楽室からは珍しく演奏が聞こえてきていた。
やはり新勧ライブともなると気合が入るようだ。
私は遠慮がちに扉を開いて、中を覗き込む。

軽音楽部の四人が演奏していた。
集中しているのか、私が音楽室に入っていっても、誰も気がつかない。
紅茶とお菓子の置かれた席に座って、ぼうっと演奏が終わるまで待っていた。

「お疲れ様」

演奏が終わると、私は労いの言葉をかけて手を叩いた。
演奏の善し悪しはよくわからないが、とにかく全員一生懸命だったからだ。

「ありゃ、和ちゃんいたんだ」

「いたわよ、失礼な」

ハンカチで軽く汗を拭って、彼女たちがテーブルの方に寄ってきたから、私は席を立った。

「椅子、出すわね」

すると、ブロンドの女の子が空いている椅子を引きずってきてくれた。
私が頭を下げると、その子はえへー、と笑った。

「まあ、一生懸命練習してたところ悪いんだけど、いつも通りね」

「出てないッスか」

カチューシャの女の子が慣れた口調で平謝りをする。
どうしよう。生徒会長を志す身としてなにか言うべきだろうか、と迷っていると、唯が

「りっちゃん、私が来年生徒会長になったらビシバシ取り締まっていくからね!」

と元気よく言ったので、私はまた足元がぐらつくような気持ちになって、苦笑する。
カチューシャの女の子、律は、なんだあ、と胡散臭そうな声を上げる。

「唯が生徒会長になるわけ」

「そ。立候補するんだよ」

「冗談よせやい」

律がけたけたと笑うと、唯はまた、昨日私に見せたような、そして普段は見せないような真面目な顔をする。

「真面目なの」

律も、澪も、金髪のムギも、みんな一瞬黙り込んだ。
けれど、律が、

「よし!なんかよくわからんがとにかく頑張れ」

というと、場は沸いた。

不可解だ。
私はみんなに合わせてにこにこと微笑みながらも、全く理解できないでいた。

なんでみんな、唯のわけのわからない行動をそんなに簡単に受け入れているのか。
普段の唯と明らかに違う行動に違和感を覚えないのだろうか。

「おー、じゃあ唯が生徒会長になったら和は唯の部下だな。アタシも怒られなくて済むのかな」

律が大きな笑い声を上げて私のほうを見る。
私は微笑んだまま、

「そんなわけないじゃない」

と答えた。

とにもかくにも早くその場を離れようと、私は急いで律から書類を受け取って、音楽室を後にした。
音楽室を出るときに、唯が

「和ちゃん、一緒に頑張ろうね!」

と言った。
私は、頑張ろうとも頑張りなさいとも返すことが出来ずに、ただ首を傾げて見せて、扉を閉めた。

「はい、お疲れ様」


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最終更新:2011年02月28日 20:56