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帰り道
私と彼女は街頭の灯りの下を紡いでいくように帰っていた
ふとひんやりとしたものが、私の手のひらに落ちた
雪だ
首を真上に傾けて見れば、何層にも重なったかのような雲が空を覆っていた
「わぁ、すごいよ」
私はつい嬉しくなって小走りになる
彼女が慌てた顔をするのを分かっているにもかかわらず
――彼女のその顔が見たくて
もう、唯先輩転んじゃいますよ
私の予想通り、彼女は慌てた顔をしながら注意を促す
でも、どこかその顔が緩んでいたのは間違いではないと思いたい
「でも、珍しいですね。もう3月だって言うのに」
彼女が空を見上げながらそんなことを言った
3月―もう春といってもおかしくない暦
誰かが3月は別れの月だと言っていたのを思い出した
だから私はまるでその言葉に呪われたかのように、
最後になるかもしれないねなんて言ってしまった
すると彼女がなにか言いたそうにしたが
「あずにゃんと今年度最後の雪見かぁ……えへへなんだか照れるね」
驚いた
その言葉は私のこの口から出ていた
彼女もまた驚いたような顔をしていた
「でも、案外また降ることがあるかもしれませんよ」
彼女がもどかしそうな顔でその言葉を告げた
私にはわかっている
彼女のそれはきっと照れ隠しだ
だから
「じゃぁ、あずにゃん」
息を吸い込んだ
やはり胃を満たす空気は冷たい
「そのときも一緒に見ようか」
今日一番自分に正直な言葉だった
その言葉に、彼女にも一番素直な気持ちを聞かせてほしいと思うのは私のエゴだろうか
彼女の顔を見つめる。きっと私は本当に嬉しそうな顔をしているだろう
彼女の沈黙を待つ
たった数秒のこと。その時間がやけに心地いい
彼女の顔が少し赤く変化した
そして
「そうですね」
彼女が照れながらもはにかんだ
ふと彼女の頬に雪が落ちる
頬の熱に溶かされたそれは、水滴となり彼女の頬にはりつき
それはまるで涙みたいで
私はゆっくりと彼女の頬に手を伸ばす
人差し指でそれを拭うとき、彼女の頬の温かさがとても気持ちよかった
「あずにゃんの頬あったかいねー」
思わずもう片方の手も彼女の頬に伸ばした
彼女の顔がとても近く感じ、私の頬もおそらく赤くなっているのだろうと思う
「手袋はどうしたんですか?」
両頬に手を当てていると、彼女が尋ねた
寒がりの私が手袋をしてなかったことに疑問を抱いたのだろう
「えっとね、憂が忘れてきたって言ったから、貸しちゃった」
少し嘘をまぜて、その質問に答えた
そもそも私は憂のものしかもってきていなかった。
正確に言うならば、憂に返したになるのかも知れない
「ねぇ、あずにゃん」
そう呼びかけると返事がある
たったそれだけのことが嬉しくて
彼女の手を取った
彼女の手袋を脱がせていき、小さな手のひらをあらわにする
「知ってる? 手が冷たい人は心が温かいんだよ」
かつてあの部室でみんなでした会話
ムギちゃんがいて、りっちゃんがいて、澪ちゃんがいて
――でも彼女はいなかった
「つまり、唯先輩は自分の心が温かいっていいたいんですね?」
手を絡ませると彼女が冷静をよそおいながらも答えた
だから、私は彼女の答えをほしがった
「唯先輩の手は間違いなく冷たいです」
まだ少し押しが足りなかったようだ
そんなところも可愛いのだが、私はまだ別の答えがほしかった
「……唯先輩の心は暖かいです」
「えへへ、そうかな~」
私の顔はきっと真っ赤だ
きっと目の前の彼女と同じような色になっているだろう
だけど、それも悪くない
私はそろそろ覚悟を決めなければいけない
伝えないといけない言葉があるから
でも、それはなかなか言葉にならず私のお腹の中へと沈んでいく
気付けば、彼女といつもわかれる道にきていた
さようならなんて彼女が言うから、少し悲しくなって
またねだよ、と彼女に微笑みかけた
すると彼女も従うように笑って言った
私と彼女の距離がひらいていく
ゆっくりとだが、それでも一歩ずつ離れていくのがわかる
「――その冷えた手を温めたいと願うのはいけないことでしょうか」
声が聞こえた。
掠れそうな、それでもなにかを求めている声だ
それは確かに彼女の声で
――私ははっきりとその言葉を聞き届けた
彼女が隠そうとしていたその言葉を
振り向けば、もうそこに彼女はいない
――答えをだそう
彼女のその言葉に答えをだすために
気付けば、雪は降り止んでいた
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夕食を食べたあと、彼女が部屋に帰ろうとしたのを私は呼び止めた
彼女はなにか気付いたのか、私の座っていた向かいに腰を掛ける
「ねぇ……憂」
空白の間の中、私の声だけが響いた
まるで違う私が私を俯瞰しているようだ
だが、それではいけない
きっちりと私は私に向かい会い、目の前の彼女に向き合わなければならない
「ねぇ、憂。わたしね」
「お姉ちゃん、言わなくていいよ」
やっぱり目の前の彼女は困った顔で笑った
「分かってるから。だってお姉ちゃんのことだもん」
やはり彼女は優しすぎた
私に気を遣いすぎている
だから、私はその言葉に甘えたくなるが
――いわなければいけない
そう思った時
「でもね、これだけは聞かせてほしいな」
憂が先に口を開き、その言葉を搾り出した
「私はお姉ちゃんの妹でいていんだよね」
それが彼女の出した答えだった
と同時にそれは私への最終通告
わざわざこんなことを聞く意味はない
彼女はそんな言葉なしでも今までも妹だったのだ
つまりそれは彼女の最後の確認だ
だから私は
「――うん、憂はいつまでも私の妹だよ」
残酷な言葉を精一杯優しさをこめて彼女に告げた
わたしはもう引き返せない。
「そっか。そうだよねお姉ちゃん」
彼女は精一杯笑っていた
それは何かを塗りつぶすかのように
「お姉ちゃん一つだけお願いがあるんだ」
私はそれを聞くしかないだろう
それが私を呪う言葉であったとしても
彼女の言葉を待つ
「お姉ちゃんの右側にはきっと梓ちゃんがいるんだと思う。でもね――
――左側は私にあけておいてほしいな」
そういった彼女はやっぱり笑っていた
そして彼女は立ち上がり、その場を去っていく
「できた妹だ……本当に憂は私にはもったいないくらいのできた妹だよ」
ポツリと呟き、彼女が入れてくれたお茶を飲み干した
少し冷めたはずのお茶が体内に入るととても暖かく感じた
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部屋に戻った私にはやることが一つあった
だが、すでに戻ってきてから一時間以上経っているというのに
いまだにそれができずにいる
「どうしよう……」
手の中の携帯を握り締めて、私はあまり良いとは言えない頭をフル稼動させる
彼女に言いたい言葉があった
だけど
「どうしよう」
かけるきっかけがなかった
なんと切り出していいのだろうか
それにそれは電話で伝えていいものか
本当は実際に会って言いたい言葉
でもこんな夜に呼び出しても大丈夫だろうか
私はまた別の不安に襲われていた
だけどその不安は嫌いじゃない
だが、結局はぁ……と溜息をつき、携帯をベッドに放り投げる
少し頭を冷やそう
そう思って、窓をあけ冷たい空気をお腹いっぱい吸い込んでやろうと思った
だけど、私はひろがる世界に言葉を失った
手を出して、その感触を確かめてみる
――冷たい
幻でもない。嘘でもない
ただそこには雪が降っていた
「わぁ」
思わず漏れた声はそれだけだ
私には今真っ先にやるべきことがあった
そしてきっかけを今手に入れた
ベッドにかけより、もう一度携帯を開く
急げ――自分で自分を急かした
早くしろ――通話ボタンを押した
止んでしまったらどうする――こんなに降っているのだ。簡単に止むわけがない
早くでて――私の鼓動は止まらない
そして
『はいもしもし』
心底ホッとした
窓の外を確かめてみる
……良かった、まだ降ってる
「あずにゃん、大変大変」
私の焦りが言葉にも感染してしまっている
……かまうものか
『なんなんですか、こんな時間に』
「まぁ、いいから外を見てみてよ」
私は待つ
彼女の言葉を
『これは……』
どうやら彼女もこの光景をみたようだ
考えていることも私と同じなら最善なんだけど
「雪だよ!! 雪」
すると彼女はびっくりするくらい冷静に
「えぇ、そうですね」
一瞬私自身が制御できなくなり固まった
彼女に期待していたものとは違った言葉が私を殴りつけるように襲った
……大丈夫、それならば私はあの時の言葉を繰り返そう
だけど、その前にもう一度だけ彼女へと問いかけよう
「えぇーあずにゃん、それだけなの?」
『ええ、なにかありましたっけ」
「うぅーあずにゃんの薄情者」
驚くほど私の声はがっかりしていた
だが、そんな暇はない
――雪が止んでしまってはもともこもない
ならば、やっぱり強引に思い出してもらうしかない
喉の奥で作った言葉をあとは声にするだけだ
だが、その前に
『それじゃぁ、唯先輩。どこかで待ち合わせしましょうか?』
そんな声が電話越しに聞こえた
安心すると同時に、ほんの少し怒りを覚える
でも――やはり彼女は覚えていた
彼女の中でも、あの言葉は何ともない下校風景の一部にはなっていなかった
そこから先は早かった
待ち合わせ場所は、いつもの別れる場所
彼女もおそらく電話の先で準備をはじめていたのだろう。ガサゴソと音が聞こえていた
そして私は傘も持たずに飛び出した
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雪が降り続く
このまま積もればおもしろいのになぁ
などと彼女を待つ間にいろいろな思考がかけめぐる
まずはなにから話そうか――
どんな顔で言えばいいんだろう――
彼女はなんていうだろう――
すべては彼女がきてから決めればいいや
「まったく、もう。なんで傘も差してこないんですか?」
私の上に透明なビニール傘がさされていた
声のした方向を見る
そこには
「ほら、風邪引くと困りますから」
彼女が私に傘の中に入れと促した
――今しかない
「ねぇ、あずにゃん」
「はい?」
しまった。あずにゃんではムードもなかったかもしれない
そうおもい私は一度わざとらしくセキをして
「中野 梓さん」
「はい?」
彼女がキョトンとした顔をした
さぁ、5秒後の彼女の顔はどうなっているんだろう
真っ赤になって慌てているのだろうか
それとも意外に冷静に受け止めてくれるだろうか
もしかしたら断られるのかもしれない
でも、それでも私は彼女のそれが楽しみだった
それはおそらく私が見てきた中で一番の彼女の顔になるだろうから
そして私は
「私と―――――」
「唯」 了
最終更新:2011年03月01日 22:12