憂「ゆいの幸せが、私の一番の幸せなんだよ、梓ちゃん」
梓「違うよ……、憂は何もわかってない。……目の前で憂が悲しんでるんだよ?
ゆいが悲しくないはずないじゃない……っ!」
憂「わかってないのは梓ちゃんだよ。だって、私はゆいの為だったら笑っていられるから。
悲しんでなんか……いないから」
梓「嘘だよ……、だったら……だったらどうして泣いてるの!?」
憂「……泣いてる? 涙なんか出てないよ?」
梓「さっきからずっと泣いてるじゃない!! 悲しいよ、別れたくないよって!!
憂の心はもう、ぼろぼろじゃないかっ!!」
憂「……ダメだよ、梓ちゃん。梓ちゃんが泣いてちゃ、笑ってお別れできない」
梓「わ、私は……悲しいから、泣いてるんだよ。
……ゆいと別れたくないから……、泣いてるんだよ……!!」
憂「……ごめん、ごめんね、梓ちゃん。……だけど私は、大丈夫だから」
梓「どう、して……。私にくらい、話してくれたって……、
なんでっ、一人で、抱え込んで……」
胸が締め付けられるみたいに苦しい。
涙と鼻水で、顔はぐちゃぐちゃだった。
言葉が、浮かばない訳じゃない。
嗚咽する声が邪魔をして、その先が伝えられなかった。
憂「梓ちゃんは素直すぎるから。これでお別れって知ってしまったら、
きっとさっきみたいに素敵な時間は過ごせなかった」
梓「……そう、かも……しれ、ないけどっ!」
憂「……お願い、ゆいと二人だけにしてほしいの」
閉じたはずの家の扉が、ゆっくりと開いた。
内側から扉を開けれる人物なんて、一人しかいなかった。
随分、泣き叫んじゃったからなぁ……。
こんな、顔、こんな、ぐちゃぐちゃの顔、あなたには、見せたくなかったのに……。
梓「……唯、先輩」
唯「ごめんね、あずにゃんの声、大きかったから。立ち聞きするつもりはなかったんだ」
梓「あ……」
……だけど、先輩は。
唯「間違ってないよ、あずにゃんは。何も、間違ってない」
いつもみたいに、優しく抱きしめてくれた。
凍えきった自分の心が、融けていくみたいだった。
言い様の無い苦しみに荒んだ心が、癒されていくみたいだった。
――あったかい。
唯「だけどね」
梓「……」
唯「今は、憂の気持ちを汲んであげて」
梓「で、でも……」
唯「私も、悲しいお別れがいけないことだなんて思わない」
梓「だったらどうして……!」
唯「憂だって本当は泣きたいの。泣きたくて泣きたくて仕方ない。
でも泣けないんだよ……ゆいが、泣けないから」
梓「……っ!」
物を食べたり、眠ったり、ゆいはどこまでも人間に近い存在だった。
だから、泣くこともできると思ってた。
それはきっと憂も同じだったから、あの子は一度だけ、ゆいの前で涙を見せた。
だけど、ゆいはそれを見て泣かなかった。泣けなかった。
その時、気付いてしまったんだろう。
ゆいは、笑ったり悲しんだりの感情表現はできても、涙はでないんだって。
泣きたくても泣けない苦しみ。
ゆいが、泣けないのに、自分だけが泣く訳にはいかない。
だから、憂は……。
唯「それにね、あずにゃん」
我が子を慈しむかのような、穏やかな口調だった。
唯「憂は、ゆいのお母さんなんだよ」
梓「……」
唯「憂は、ゆいを不安にさせたくないの。『お母さんは大丈夫だから、
心配しないで行ってらっしゃい』って、優しく送り出してあげたいんだよ」
梓「憂が……、そんなの、憂が可哀想じゃ、ないですか……」
唯「言ってたじゃない。ゆいの幸せが、あの子の幸せなんだって」
そう答えた唯先輩の声は、震えていた。
バカみたいだ。
私ひとりで、子供みたいに感情を爆発させて。
憂や唯先輩の方が、私よりもずっとずっと悲しいはずなのに。
それでも誰かの為に自分の感情を押し殺しているなんて……。
梓「う、うぁぁぁあああああっ!!」
唯「……ごめんね、あずにゃん」
唯先輩の胸に必死に縋りついて、私は一人、むせび泣く。
どうしてこんなに悲しいのか。
理由はすぐに分かった。
ゆいとの別れに自分を重ねてしまったから――。
三月になったら、先輩達は居なくなる。
私は、一人取り残されて――。
そんなの、嫌だ。
唯先輩、あなたと離れたくない――。
憂「ゆい、寒くない? 大丈夫?」
手の上のゆいは、ゆっくりと静かに頷く。
憂「ごめんね、もっと早く治してあげられていたら……」
違う。
こんなことが言いたいんじゃない。
最後なんだ、これが最後なんだぞ……。
伝えたいことは沢山あったはずなのに。
憂「ゆい……」
視界がぼやけるのだろう。
ゆいは必死に両目をこすって、私の顔をその小さな瞳に映し出そうとしていた。
その行動は、溢れ出る涙を必死に拭っているように思えて……ゆいは涙なんか、
流せないのに。
月明かりは届かない。
今にも泣き出しそうな悲愁の空は、どこか私に似ていた。
やがて、黒一色に塗りつぶされたその空間で、ゆいの周りだけが淡く煌き始めた。
それでもう、お別れなんだなって、分かった。
僅かに震える小さな体を、私はぎゅっと抱きしめる。
私は、こんなにもゆいのことを愛しているんだよって、伝えてあげたい。
体温なんかなくたって、ゆいのぬくもりは私に届いているのだから。
言葉なんかなくたって、私の想いはきっとゆいに届いてる。
ゆいは、最後に笑ってくれた。
二週間なんて、短すぎるよ……。
もっと一緒に居たかった。
もっと遊んであげたかった。
お姉ちゃんとゆいと私で、ずっと一緒に……。
『う』
『い』
憂「!!」
場は変わらず静寂に支配されていた。
けれど確かに聞こえたその声に。
『ありがと……うい』
優しい雫が、頬を濡らした。
限界を迎えた灰色の空が、一滴、また一滴と、大きな雨粒を零していく。
――ゆいが、静かに目を閉じる。
不思議と、心は温かかった。
私は空を見上げて、目を瞑る。
ありがとう。
私は、いつまでもあなたのことを愛しているから……。
ばいばい……、ゆい。
ずっとずっと、忘れない……。
ゆっくり近付くその気配に、私は静かに目を開けた。
怒られるかなって、思った。
嘘、ついちゃったもんね。
また、隠し事しちゃったもんね。
だけど、この人は、私が何を考えていたかなんて、本当はとっくにお見通しで。
普段いい加減で、頼りにならないのに。
なんで、こんな時だけ……。
憂「おねえ、ちゃん……」
唯「もう、我慢しなくて良いんだよ、憂」
憂「……っ! うっ、うあっ、うああああああああああっ!」
降りしきっていた雨は朝方には上がり、
朝露に反射する光が澄んだ空気を透かしてキラキラ輝いていた。
結局気温は下がりきらず、雨が雪に変わる事は無かった。
泣き疲れて、そのまま寝ちゃったんだな……、私。
梓「憂、起きた?」
憂「うん。梓ちゃん、私結局答え聞いてないんだけど」
梓「なんの?」
憂「愛の告白」
梓「されてないよ! されたとしても断固ノーだよ!?」
憂「さすがの私も今のは傷ついた」
梓「あ、その……、ごめん……」
憂「筈もなく、私は今日もセクハラに及ぶのでした」
梓「うぉぉい! 唯先輩にそれ以上くっつくな!!」
憂「と言うわけで、おはよう」
梓「おはよ。朝一の会話にしては濃厚すぎると思うな……」
憂「大丈夫。これくらいじゃ、お姉ちゃん起きないから」
梓「変なことしなかったでしょうね?」
憂「しないよ。傷心しきって尚変態行為に及ぶとか、私は万年発情期か」
梓「……憂、一晩中泣いてたもんねー」
憂「梓ちゃんだって負けないくらいの大号泣だったじゃない」
梓「うぐ、……まぁ、ここは、痛み分けってことでひとつ」
憂「……」
梓「寝顔は子供みたいなのにね」
憂「お姉ちゃんのこと?」
梓「普段の振る舞いだって、憂の方がよっぽどしっかりしてるし」
憂「しっかりした変態ってどうなの?」
梓「最近、変態を自覚しだしたよね。どうって訊かれても困るけど」
憂「格好良いでしょ、ああいうときのお姉ちゃん」
梓「……うん」
憂「普段とのギャップにグッとくるよね」
梓「……うん」
憂「セクハラしたくなるよね」
梓「……う――ちげえ!! 何言わそうとしてんの!」
憂「梓ちゃん、お姉ちゃんのこと好き?」
梓「……知ってるくせに」
憂「梓ちゃんの口から直接訊きたいんだよ」
梓「……好き」
憂「梓ちゃんが想っている以上に、私はお姉ちゃんのこと好きだから」
梓「なにそれ」
憂「梓ちゃんなら許す、とか思ってたけどやっぱり許さない」
梓「はぁ?」
憂「お姉ちゃんは私だけのもの」
梓「シスコン」
憂「うるさい貧乳」
梓「なっ!? わ、私はこれから大きくなるの!」
憂「ふふふ……」
梓「ふ、ふふふ……」
梓「それで、答えってなんのこと?」
憂「訊いたでしょ? ゆいは幸せだったのかな、って」
梓「なんだ、そんなこと」
憂「……そんなことって」
梓「決まってるじゃない。幸せだったんだよ。あんなに愛されてたんだもん」
憂「……そうなの、かな?」
梓「じゃあ訊くけど、憂はゆいと過ごして幸せだった?」
憂「あ、当たり前だよ、そんなの!」
梓「ほらね。ゆいのお母さんである憂が幸せだったんだから、
ゆいも幸せだったに決まってるでしょ」
憂「……」
梓「憂が、ゆいの幸せが自分の幸せだ、って言ってたように、
ゆいにとってもそうなんだよ。だから……」
憂「梓ちゃん」
梓「な、なに?」
憂「やっぱり愛してる」
梓「私は別に愛してないからーー! やめろ、くっつくなー!!」
憂「じゃあお姉ちゃんに」
梓「それもダメー!!」
唯「ん……」
梓「!」
憂「!」
梓「(ほら、起きちゃった)」
憂「(梓ちゃんの声の大きさが原因だと思うけど)」
唯「うい~、ゆい~、あずにゃ……」
梓「……」
憂「……」
唯「好き~……」
憂「!」
梓「!」
憂「梓ちゃん、なんで顔赤くしてるの?」
梓「それはこっちの台詞だよ!
ていうか、憂が照れるとか、変態の癖に初心とか、ふ、ふふ……」
憂「! 梓ちゃんは私を怒らせた」
梓「じょ、冗談だってば、ほんのお茶目な――うわあっ!?
ちょ、傷心はどこいったのよ、変態行為はしないんじゃ……」
憂「ごめんなさいは?」
梓「ご、ごめんなさい」
憂「上だけで許してあげる」
梓「嫌ぁぁあああっ!」
唯「ん……、あずにゃん?」
梓「お、おはようございます唯先輩」
もう、悲しくはなかった。
だって、ゆいは私の中にずっと生き続けるから。
もう、寂しくはなかった。
だって、私の周りにはこんなにも素敵な人達がいるのだから。
憂「おはようお姉ちゃん! 愛してる!!」
爽やかな朝、爽やかな笑顔を振りまいて、今日も私はセクハラに及ぶ。
~おしまい~
最終更新:2010年01月07日 21:59