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…………

「あなたたち、来るなら来るで連絡くらいしなさいよ」

職員室の懐かしい匂い。
呆れた口調とは裏腹に、さわ子先生は嬉しそうな様子を隠しきれていない。

「だって、さわちゃんをびっくりさせたかったんだもーん」

頭の後ろで手を組んで、律がいたずらっ子のように笑った。
相変わらずねりっちゃんは、と溜息を吐きながら先生もつられて笑う。

「はいこれ。お土産と、打ち上げの時の写真」

「え、これをくれるためにわざわざ?」

「久し振りに母校を覗いてみたくなっちゃってさ~」

「……ここで立ち話もなんだから、部室行く?」

お茶とお菓子は出せないけどね、あ、お土産開けちゃおうか?と、
さわ子先生は以前と変わらない笑顔を私たちに向けた。



「おお、なんかまた雰囲気変わってるな」

久し振りに入る音楽準備室。前に来たのは、一昨年の学園祭の時だったか。
机や椅子の配置、置かれた機材は、私たちがいた頃とはもう随分違う。

「そりゃあね。HTTのお陰で、今年も軽音部は大盛況よ」

生徒用の机を集めたスペースに腰掛けて、さわ子先生が律に応える。

「おっ、トンちゃんも健在かぁ」

キョロキョロと部室内を眺めていた律が、
部屋の隅に置かれた水槽に向かって駆け出す。
なんかまた大きくなってね?ご長寿の割に元気だな、と
水槽をコツコツ指で弾きながらトンちゃんに話しかけている。

「写メ撮ってみんなに送ってやろっと」

「ほんとに、変わらないわねえりっちゃんは」

武道館でライブやったばかりの人には見えないわ、と
さわ子先生はお土産のマドレーヌを頬張りながら、私を見て小さく笑う。

カシャ、と律の手元から電子音が聞こえた。
本当にトンちゃんの写真を送るつもりらしい。

「さわちゃんどうだった?私らのライブ。まあ打ち上げの時も聞いたけどさ」

律は携帯をいじりながらようやく椅子に座り、マドレーヌに手を伸ばす。

「もちろん楽しかったわよ。……でもそれより、」

さわ子先生が一旦言葉を切る。

「ほんとに何なのよあのMC。うっかり泣いちゃったじゃないの」

ぶっきらぼうにそう言ってから、先生は困ったような笑顔を見せた。



ライブの中盤、少し長めに時間をとったMC。
最初は唯と気の抜けた掛け合いをしていた律が、ひとつ咳払いをしてから、
急に真面目な顔をして”私たち”のことを話し始めた。

それはリハーサルの段階では予定になかったことで、
淡々とした口調で話す律を、唯と梓とムギ、そして私は黙って見つめていた。

廃部寸前だった軽音部で4人が出会ったこと。
1年後、梓が入部してきたときのこと。
目標は武道館!なんて言って皆で笑っていたこと。
本気でメジャーデビューを目指し始めた頃のこと。

それから、放課後ティータイムという名前をつけてくれた恩師のこと。

ひととおり話し終えた律は少し照れ笑いを浮かべて立ち上がると、
先生ありがとう、と客席に向かって深くお辞儀をした。




「にしし、サプライズ成功!ってことで」

「最近ただでさえ涙もろいんだから、ああいう不意打ちはよして頂戴」

携帯を握ったままの右手でピースサインを作って見せた律に、
さわ子先生と私の溜息が重なる。

「私たちにまで隠すことなかったじゃないか」

「そのほうが感動すると思って。ちゃんと舞台監督さんには許可もらったぞ?」

「そういう問題じゃない!」

そのサプライズのお陰で律を除くメンバー全員が泣いてしまい、
MC明けの歌がグダグダになったことは頭の中から消去されているらしい。

律がパチンと携帯を閉じるのとほぼ同時に、私の携帯が着信を告げた。

「なに、私にも送ったの?トンちゃんの写メ」

「あーうん、面倒だったからいつもの一斉メールにした」

大きく溜息を落としたら、5時限目終了を告げるチャイムが響いた。



…………

6限目開始のチャイムが鳴るより少し早く、
軽音部の現顧問が部室に顔を出した。

真鍋先生おつとめご苦労様でした!と直立不動で出迎えた律に、
どこの極道よ、と和が笑う。

「和、おつかれさま。今日はありがとうな」

「どういたしまして。あら、お茶いれてないの?ちょっと待ってて」

「さすがに部外者が勝手にお茶いれるのはどうかと思ってね~」

てきぱきと動く和を目で追いながら、
頬杖をついたさわ子先生がのんびりと応える。

「山中先生が部外者だなんて、部員は誰も思ってませんよ」

和は水を張ったポットに電源を入れ、ティーバッグを取り出しながら
毎日ティータイムに顔出してる人が何言ってるんですか、と
呆れ顔をさわ子先生に向ける。

「いやーでも、和が顧問なら軽音部は安泰だなー」

「ちょっと、それどういう意味よ」

「えっ、別にさわちゃんがどうとか言ってないよ?」

「言ってるようなもんじゃない!だいたいりっちゃんは……」

さわ子先生が律を指差して少し腰を浮かせたところで、
机の上に置かれた律の携帯がぶるぶると着信を知らせた。
同時にジーンズの後ろポケットに入れた私の携帯も振動する。

「おっ、唯からだ」

唯、という名前に反応して手を止めた和が目の端に見えて、ちょっと笑う。

  りっちゃんなんで部室行ってるの?!!
  ずるいよ私だって和ちゃんに逢いたいのに!声掛けてよぉ!!
  澪ちゃんもいっしょ?

「……まあ、こういう反応になるよな」

苦笑いして視線を向けると、ですよねー、と律が眉を下げた。

「あっ、そうだ。せっかくだから4人で写メ撮って送んない?」

「トドメさしてどうする」

「ほら、和もこっち来いよ」

「律、ちょっとはしゃぎ過ぎだぞ?」

「いいからいいから」

律は椅子に座ったさわ子先生の右後ろに立ち、右手を目一杯のばして携帯を構えた。
私はさわ子先生の左肩に顎を乗せる格好で腰を曲げる。
私と律の肩に手を添えた和が、3人の上から携帯のレンズを覗き込む。

「みんなもっと寄って。んじゃ撮るぞー。せーのっ」

カシャッ、と、軽快な電子音が部室に響いた。



唯からの電話で次のデートの約束をさせられながら
打ち上げ写真を手元で揺らしている和を横目に、暖かい紅茶を啜る。

律は相変わらず携帯をいじって、
梓とムギ、憂ちゃんからのメールに返信している。

ふあ、と、さわ子先生がひとつ欠伸をこぼした。

「いい天気ねえ。このまま寝ちゃいそう」

「そうですね」

目尻の涙を拭うさわ子先生に相槌を打つ。
ぱちんと携帯を閉じた律が、あそうだ、と声を上げた。

「さわちゃん、授業終わるまであとどんくらい?」

律にそう訊かれ、さわ子先生は腕時計に視線を落とす。

「あと30分くらいね」

「じゃあそろそろ、おいとましないと」

「相変わらず慌ただしいのねえ」

「次は全員で来ますから、一緒に飲みに行きましょう?先生」

そう言った私に顔を向けて、
さわ子先生は、楽しみにしてるわと穏やかに笑った。



…………

遠回りして帰ろうか。
律はそう言って、私が頷くのを待たずに
湾岸方面を示す矢印に沿ってウインカーを出した。

私は小さく息を吐いて、カーオーディオに繋いだiPodから
最近買ったジャズバンドのアルバムを選ぶ。

「HTT参上って、今時小学生でも書かないだろ」

手元の携帯に表示しているのは、
軽音部部室のホワイトボードに大きく書かれた律の落書きを撮った画像。
それからふたりのサインと、ライブに来てくれた部員へのお礼のメッセージ。

「書き逃げといえばやっぱり参上だろ?」

ジャズのリズムに指を弾かせながら、律がにししと笑う。

「で、澪ちゃんは気分転換できましたか?」

ついでのようにそう訊かれ、携帯から顔を上げて律の横顔を見る。

「うん。アイデアも浮かびそう」

「そか、よかった」

律は前を向いたまま微笑んだ。
近いうちにみんなで帰る算段しないとな。そう言葉を続けた律に頷く。

手に持ったままの携帯が振動して、着信を知らせた。
平沢憂、とディスプレイに表示されている。

「憂ちゃんから」

「なんて?」

「明日、15時に一旦事務所に集合だって」

「一緒に行く?」

「そうしよっか」

なんか一気に現実に戻ったな、と、独り言のように律が呟いた。



窓の外を、一定のリズムで首都高の灯りが流れて行く。
追い越して行く大型トラックの風圧で、車体が軽く揺れる。
律は左車線をキープしたまま、ハンドルをコツコツと弾いている。

「……なあ澪」

「んー?」

「私、変わったかな」

「え?」

質問の意図を掴みあぐねて、律の横顔に視線を戻す。

首都高の灯りやテールランプに照らされるその表情はただ淡々としていて、
特別な感情を抱いているようには見えない。

「高校の頃から、私ら、どのくらい変わったのかな」

「……」

年齢を重ねて、経験を重ねて、
律も私もそれなりに変化しているのは当然のことで。

無邪気に音楽を楽しんでいたあの頃には想像出来なかった
色々なものを背負って、綺麗にメイクをして、ステージに立つ。

でもそれは、果たして変わったってことだろうか?

スッピンのまま前髪をパイナップルみたいに結んで、
私の名を呼んで無邪気に笑う。そんな律の姿を思い浮かべる。

愛おしいその姿に、つい笑みがこぼれる。

いい加減で、そのくせ気遣い屋で、意外とナイーブで。

「……成長はしたけど、別に変わってはいないんじゃない?」

ぽろりと自然に言葉が出た。
律は目線だけ一瞬こちらに向けて、成長、と反芻する。

「さわ子先生も言ってたじゃない。りっちゃんは変わらないねって」

「うーん」

「納得いかない?」

「そういうわけじゃないけど」

律は少し口を尖らせると、首を軽く捻った。コキン、と小さく音が鳴る。

「律、」

「んー?」

「今の律の感情をなんて言うか、教えてあげようか?」

「なに?」


「センチメンタル」

しばしの沈黙。
律はゆっくりと息を吐いて、痒い、と低く呟いた。
苦虫を噛み潰したようなその横顔に、少し笑う。

「もし変わってたとしてもさ、」

「……」

「今が幸せだと思えるなら、その変化は悪いもんじゃないよ、きっと」

「……」

律は黙ったまま、ハンドルを握り直す。

「ねえ律、」

「……なに」

「今日は、気分転換できた?」

つい先程訊かれた質問を、そっくりそのまま返してやった。
律はわずかに目を見開いて、ちらりと視線だけ動かして私を見る。


少しの沈黙のあと、律は参りましたと言わんばかりに眉を下げて、
いい休暇だったよ、と、昔と何も変わらないやわらかな笑みを浮かべた。





おしまい



最終更新:2011年03月25日 19:12