私は焦っていた。

大学受験を控え、躍起になって勉強に励まなければならない時期にもドラムを叩く事を辞めなかった。

幾多のライブの成功にすっかり慢心して、本気でミュージシャンになることさえ視野に入れていたからだ。



しかし、―――大学受験失敗…。



親に勧められた予備校に春から通うことになり、そしてその最寄り駅から歩いて5分のアパートに住むようにと通告された。


律「アパート暮らしじゃ雑誌も叩けねー…」


そしてそのアパートに引っ越す二日前の夜、私は何気なくケータイを眺めながらベッドに体を預けていた。



サイレントマナーにしていた為に着信音を鳴らさずに済んだ。
というのも、こんなメールが舞い込んで来たからで…。



from 澪
(no title)

今日でも明日でも、まだ時間はあるよな?



律「澪にしてはちょっと強引だな…」

律「………」

律「コートどこだっけ…っと」

親に気づかれないように電気を付けないよう心掛けたが、靴ひもを結ぶところで諦めた。

センサー式の明かりが点いたために時計から0時を伝える鐘の音が鳴ってしまった。

律「…っ」

逃げるように玄関を出た。


寒い夜道に黒よりも暗い闇が広がっていた。どこまでも無限に続いているような気さえした。
先の見えない私に、澪は何を言うつもりなんだろう。

律「…ipod忘れちった」テクテク

私だって女の子だし、やっぱり夜は怖い。澪の家まで近距離とはいえども気を紛らわせる何かが欲しかった。

律「それじゃ今までの私となんにも変わんないって」テクテク

律「紛らわせすぎて、こう…なっちゃったんだし」テクテク


澪は家の外で小刻みに震えながら私を待っていてくれていた。


律「み~お~!」

澪「うるさいっ!」ゴチン

澪「少しは時間帯考えろ!」

律「いてて…寒そうな格好だな、澪」

澪「ああ、すぐ来ると思ってたからな」

澪「中、入ろう」



梓からの影響か、最近澪は通販で有名アーティストのライブDVDを購入しているようだった。


澪「…これ、Blu-rayだぞ」

律「へ?」

澪「律、Blu-ray知らないのか?」

律「お、おほほほ!澪ちゃまったらま~たご冗談が上手ですこと!」

澪「…あんまり漁るなよ?」ニヤニヤ

律「…」ぷいっ


棚に整理されたBlu-rayとやらを手に取って順に眺めてみる。ジミヘン、EL&P、ザ・フー、…ん?

律「澪、これは?」

澪「P-MODEL」

澪「…おかしいよな、私たちの名前と、その人達の名前、妙に似てるだろ」クスクス

律「」


そういや唯が入部するまでの間、もし本当に誰も入部希望者が来ないならEL&Pのコピーでもしてみようか、なんて話していたのを思い出した。

……楽譜を見て、いや見ることもなかったかな…。…りりりりっちゃんには変拍子なんてまだ早いやい!


私の目は、ぼーっと画面に映るミュージシャンの姿をとらえていた。まだ中学生だった頃、私たちはこの音楽に夢を描いた。私と澪が歩いて来た3年間は、きっと音楽でつながれていたんだ。


……特典映像までしっかり見終えると、すでに3時を回っていた。寒い。寒いよ澪。

澪「コーヒー淹れてくるよ」

律「私も行くぞっ」

澪「ん、律はお客さんだから」ニコ

律「そ…そうか?じゃあ待ってるな」

……

澪「律、お待たせ」ガチャ

腰掛けていた澪の勉強机の椅子に座ったまま、コーヒーを受け取る。まだまだ冷めそうにない。

澪「ゲームでもしようか」

律「いや、いいよ」

澪「…」

澪「律、話があるんだ」

律「…おう」

澪「…」

澪「律に音楽誘ってもらって本当に感謝してるんだ」

澪「内気だった私に話しかけてくれた時から、感謝しても感謝しきれないよ」

澪「今日を一つの区切りにお礼が言いたくて」

澪「…ありがとう、律」

律「…」

律「…それを言うために私を呼んだのか?」

澪「…」

律「…」

律「私の…大学のこと…だろ」

澪「…っ」

律「あ、あははは!気にすんなって!予備校も決まってるんだしなー」

澪「…悔しく、ないのか?」

澪「私は…律がドラム叩いてる姿を見たら進路のことをゴタゴタ言う気にはなれなかった」

澪「本当に楽しそうだったから!」

澪「あんな笑顔の律を受験勉強なんかで壊したくなかった」

澪「だけど…だけどっ……もう少し、もう少し干渉するべきだった……」

澪「でも親友として、バンドメンバーとして!律が勉強を怠けてる姿なんて想像したくなかったんだ!」

律「…っ」

澪「…ごめん」

律「謝らなくていいぞ」

律「受験勉強をしなかったのは……事実だし」

澪「…どうして?」

律「え?」



澪「…どうしてしなかったんだ、勉強」

律「っ…それは…」



――ドラム、叩きたかったから。



澪「意味、わかんないよ…」

澪「…私たち大学行ってもバンドするって決めたじゃないか!」

澪「どうしてバンドを続けるには大学へ、大学へ行く為には勉強しなきゃって思えなかったんだ!」

澪「一時の我慢じゃないか…」

律「…ごめん」

澪「…いや…私こそ強く言ってごめんな…律」



そうだ。
いつだって私は楽な方に歩を進めた。

ドラムを叩きたかったから叩いていたのではなく、きっと受験勉強から気を紛らわす気晴らしとして叩いていたんだ。

すっかり冷めたコーヒーを口に運ぶと、少し酸味を感じた。


律「澪、私はだめな人間なんだ」

澪「そんな!律はだめなんかじゃない!」

律「いや、これからの予備校での生活も実のところまだ覚悟ができてない」

律「それにな…」

澪「…?」

律「みんなとは違う大学に行きたいんだ…」

澪「律…?」

律「澪、ムギ、唯が先輩で、梓や憂ちゃんと同級生」

律「わ…私、変なプライドがあってな、こんな状況になるのを許せないんだ…」

律「自分が惨めで、みんなが私をどんな目で見ているか考えるだけで…」

澪「っ!」パシンッ

律「痛…」

澪「…」

澪「律」

律「…何」

澪「…」ギュッ

律「澪…」

澪「律、律は律だよ」

澪「前向きな明るい女の子」

澪「私には無い良いところがたくさんあるんだ」

澪「…誰も…律を悪く言ったりしない」

澪「…そういう奴らじゃないか、軽音部は」

律「…」

澪「律、一年遅れて入学することに何も悪いことはないよ」

澪「大学一年生で一年間ドラムを叩く期間が、高3の時期にちょっぴりずれ込んただけ」

澪「…そういう前向きな考えを教えてくれたのは律、お前だぞ」ナデナデ

律「…ああ、そうだな…」

澪「ほら、律」


律「へへ、みーおー」ギューッ

澪「はいはい」クスクス


澪は家の前の道路まで見送りに来てくれた。ふふっいい奴。

夜は明けて、『牧場の朝』が透き通った光に照らされる街を起こし始めていた。

律「ふぁ…ぁ…あー」

大きく伸びをして後方を振り向く。
朝日がそのオレンジ色の半身をあらわにしていた。

律「……綺麗だなー」

それは私の門出を祝うように、私の闇に溶ける心を溶かしていった―――。



fin.



最終更新:2011年03月28日 01:46