唯は続けた。

唯「きっと、この旅行はそういう事だって、分かってた。きっと、あずにゃんのお父さんとお母さんも、分かってた。この意味、分かるかな?」

梓「…じゃあ」

梓は顔を上げて、唯を見上げる。

唯は、ゆっくりと…首を、横に振った。

唯「あずにゃん、私は、あずにゃんを見送ってあげる事は出来ない」

梓の頭に、その意味が浸透する前に、唯は続きを口にした。

唯「あずにゃん、あずにゃんが死ぬなら、私も一緒に行ってあげる」

その言葉が、更に梓に浸透し…梓の表情が、みるみる歪んでいく。

梓「…ゆ、唯先輩、駄目ですっ、そんなの…っ」

全く、予想していなかった唯の返しに、梓は戸惑った。

きっと、唯は、止めない。そう思っていた。半年に渡って、それこそ片時も離れる事無く暮らして来て、梓の深い絶望を、誰よりも深く理解してくれていると思っていたから。

果たして、唯は、梓の想像通り、梓の意思を理解していた。

それも、今日の旅行の、ずっと前から。

やはり、唯は、今や梓の最大の理解者となっていた。

そして…唯は、そんな梓と、最後の瞬間も共にしてくれようとしていたのだ。

唯「あずにゃん、いいでしょ?この半年間、ずーっと一緒にいたんだもん。最後まで、一緒にいたい」

梓「唯先輩…うええ…唯先輩…」

唯は、おどけるように言ってみせた。

唯「それでね、一緒に天国についたら、また一緒にギター、弾こう?」

梓「唯先輩、駄目です。唯先輩…!」

言葉とは裏腹に…梓は、歓喜していた。

唯が、梓と、ずっと一緒にいてくれるという意思表示に。

唯の、その決意に。


それでも。

梓「だめですっ…うええ…唯先輩は、死んじゃ駄目です…うええん…!」

それでも。やっぱり、梓は。唯に、生きていて欲しかった。死んで欲しくなかった。

梓「死ぬのは、私だけです。私だけで良いんです。うええん…」

半分本当。

半分嘘。

梓は、真実、唯には死んで欲しくなかった。

でも、相反する思いも、同時に抱いていた。

梓は、唯に、一緒に死んで欲しいと、そう思っていた。

そして。梓の想いとは無関係に、唯の心は、決心は、とっくに決まっていた。

唯「あずにゃん。私はね。あずにゃんと一緒に、死ぬ。もう、決めたことなの。私はもう、ずっと前から、決めていたの」

梓「唯先輩、駄目です!駄目です!」

唯「あずにゃんが死ぬなら、私も死ぬ。あずにゃんが負い目を感じる事なんて、全然ない。私がそうしたいの」

梓「駄目です!唯先輩!」

唯は、滔々と、語った。

唯「あずにゃんを一人になんて、絶対にさせない。あずにゃんがいない人生なんて、考えられない。私の人生は、あずにゃんがいないと、もう、成立しないの」

梓「うええ…唯先輩!唯先輩!」

唯は、滔々と、語った。

その想いを。

唯「だから。あずにゃんがいなくなるなら、そこで私の人生も終わりなの。だから、それを、負い目に感じる事なんて、全然ない」

告白。

唯「あずにゃんがいたからこそ、私は、輝かしい人生を送る事が出来た。あずにゃんがいたからこそ、私の人生は、こんなにもすばらしい物だった。全部、あずにゃんのおかげなんだよ。本当だよ、あずにゃん」

梓「うう…!唯先輩…!」

唯「あずにゃんがいない人生に、意味なんて無い。あずにゃんがいるからこそ、私は生きている意味がある。あずにゃん、あずにゃんは、最早、私の生きる意味そのものなの。今、分かった。ようやく分かった。あずにゃん、私はあずにゃんが好き。大好き。愛してる」

梓「唯先輩…!うう、唯先輩!嬉しいです!私も大好きです、愛してます、唯先輩!」

唯「あずにゃん、一生、一緒にいよう。結婚しよう。今すぐ、結婚しよう。天国でも、地獄でも良い。あずにゃんさえいれば、もう他には何もいらない。何も望まない。あずにゃん、ずっと、永遠に一緒にいよう。あずにゃん、愛してる」

梓「唯先輩!唯先輩!嬉しいです!唯先輩!」


梓は、唯にしがみついて、泣いた。それは、今まで流してきた涙とは異質の、感涙だった。

唯も、一緒になって泣いた。それも同じく、感涙だった。

二人は、今この瞬間、その想いを遂げた。

本来、その思いは、遂げられる事は無かっただろう。

ひょっとすると、お互い、最後まで気づかないはずだった。そんな、儚い恋心。

しかしそれは、今、この瞬間、遂げられた。

決して、結ばれるはずの無かった二人。

その二人は、この瞬間結ばれて。

二人は、その瞬間…間違いなく、世界で一番、幸せだったに違いない。


岬。

穏やかな波。どこまでも続く、広く青い海。

水平線。飛行機雲。穏やかに二人を照らす太陽。

そよそよと、さわやかな潮風に吹かれながら、二人は向かい合って、誓いの言葉を口にした。

唯「…えっとね。誓いの言葉。えへへ。私は、あずにゃんを、永遠に愛する事を誓います」

梓「唯先輩。私も、唯先輩を永遠に愛しています。大好きです、唯先輩」

二人はそっと、口付けを交わした。

初めての、キス。

それは、二人が永遠になった瞬間だった。

始めは、その想いが何なのか、二人とも分からなかった。

今まで生きて、触れた来た、知識。経験。社会的な常識。通念。

そういったものに阻まれて、二人はその想いの正体が何なのか、始めは分からなかった。

でも今は、分かる。明確に、解る。

唯は、梓の事が、好きだった。

梓は、唯の事が、好きだった。

そして、二人の好意は、この半年の生活を経て、愛情へと昇華した。

二人は、愛し合っていた。

そして、今この瞬間、結ばれて、永遠となったのだ。

…どちらからともなく、唇を離し、ちょっと恥ずかしそうに顔を見合わせ、そして…

唯「…じゃあ、いこっか」

梓「…はい」

二人は、手を取り合って、岬を歩きだした。



先には、崖。

小高く、美しい光景は、ある距離を境に一転して、目もくらむ様な断崖に変わり果てた。

ここから飛び降りれば、間違いなく、死ぬ。

唯「…じゃあ、行こうか。あずにゃん、大丈夫?」

梓「…はい。大丈夫です」

崖。

見下ろす地面は、あまりに遠く、遠近感が掴めず、どの位の高さがあるか、全く見当がつかなかった。

梓は、足がすくみ、その場にへたり込んだ。

唯「…あずにゃん。…大丈夫?」

梓「…大丈夫です。行けます。行けます」

しゃがんだ状態で、崖を見下ろす。梓の身長分、低くなったその視界は、それでも尚、見当がつかない程に高く、梓に死を実感させるのに十分だった。

ここから飛び降りれば、死ぬ。間違いなく。

そうでなくても、このまましばらくここに佇んでいれば、すくんだ足はその機能を喪失し、いずれ足場を踏み外して、崖に転落するだろう。

梓「…大丈夫です。私、ちゃんと死ねます。うう…ちゃんと死ねます。うう…ぐすっ…」

梓は、言葉とは裏腹に、その場に座り込んで、顔を覆って、嗚咽を漏らし始めた。

しゃくり上げ、鼻をすすり、堪えきれず、声を上げて泣き出した。

覚悟、していたはずだった。

梓は、死ぬ事がどれほど怖い事か、この半年の生活を通じて、嫌という程思い知っていた。

自殺を試みた事は、一度や二度ではない。

死のうと思えば、死ぬ事も出来たはずだった。

紐やロープをドアノブにかけて…時間をかければ、片結びくらいは出来たはずだ。

そこに首を通して、もたれかかって…そんな、想像。


全て、未遂に終わった。

未遂に終わる度、梓は泣きわめいて、その感情を爆発させ、唯にぶつけてきた。唯に甘えながら、生きながらえて来た。

とっくに、結論は出ていた。なのに、それをずっと、唯に甘えて先送りにしてきた。

そして。今日、この瞬間。

梓は、ついに、もっとも望む形で、その生涯を終えるはずだった。そして、唯と二人で、永遠になるはずだった。

それなのに…


死。

それは、生命の終わり。

梓という、存在の終わり。

そして、それはそのまま、唯という存在の終わり。

もっと、あっさりと、速やかに、終わらせるつもりだった。

ちゃんと、上手に、死んでみせるつもりだった。

でも。

それなのに。


最後の最後、梓の脳裏には、よぎっていた。

脳裏をよぎるそれらは、あまりにも尊くて、あまりにも大切過ぎて。

お父さん。お母さん。

律先輩。澪先輩。ムギ先輩。

憂。純。さわ子先生。真鍋先輩。

そして…ずっと、自分の傍にいて、抱きしめくれた、その存在を。

あまりにも、かけがえの無い存在を、梓はこの期に及んで、ようやく思い出していた。

気がつけば、梓は、号泣していた。

気がつけば…梓は、もう、死ぬ事は、出来なくなっていた。

唯は、黙ってその背中を抱きしめていた。

梓が泣き疲れるまで、ずっと、抱きしめていた。

日は落ち、辺りは夕日に包まれ、それは想像通り美しい景色だった。

心地よい、潮騒と、オレンジ色の陽光に包まれながら。

唯はやがて、梓に囁いた。

唯「…あずにゃん。帰ろっか」

梓「…はい」


梓の傷は、癒える事は無い。一生。

その身体と、心の傷を抱えながら、生涯、生きて行く。

辛い事も、多いだろう。

死にたくなる事だって、この先何度もあるだろう。

ひょっとすると、今日この日ではなくとも、最終的に、梓は自害するかもしれない。それくらい、梓の心の傷は深い。

それでも。

寄り添う二人の姿は、あまりにも尊くて、美しくて。

二人が共に歩む先が、幸多い未来になる事を、祈らずにはいられなかった。


唯「あずにゃん。帰ろう」

梓「はいっ」

梓は、もう、泣き止んでいた。

唯と梓は、寄り添うように並び、家路についた。



二人は、歩んで行く。

どこまでも、一緒に。

一生。永遠に。



終わり



最終更新:2011年04月04日 23:12