一方梓の演奏は安定しており、まるでCDのよう。プロみたいな熟練さを
感じさせた。
澪「梓はさすがだな」
唯「あずにゃん、やっぱりすごいなぁ」
梓「ま、まだまだです」
純「精進せいよ」
梓「……分かってるから。純に言われるとむかつくから」
ハッキリ言えば、私はおろか唯先輩と比べても、梓の方がダントツで
上手い。そんな分かり切った事、わざわざ言うものか。
もっとも年下とはいえ、幼少からギターを嗜む梓と、高校生からギター
を始めた唯先輩では、経験値の差が圧倒的に違う。比較する方が間違って
いるのかも知れない。
唯「ね~ね~、純ちゃん。私はどうだった?」
純「カッコよかったですよ」
唯「えへへ……本当?」
純「本当ですよぉ」
唯「えぇ~、ハッキリ言ってもいいんだよ?」
純「私は唯先輩のギター、好きです」
唯「ふえぇ~、照れますなぁ」
梓「調子に乗らないで下さい、また同じ所ミスしてるじゃないですか」
唯「うひゃぁ~、さすがあずにゃん! 手厳しい!」
澪「ハハハ、でも唯も良かったよ」
純「ですよね~」
唯「ワ~イ♪」
梓(わ、私だって本当は、唯先輩の良さは分かってるもん……)
純「フフッ」
ウソではなかった。上手いのは梓だが、実際どちらを多く聴いていたい
かといえば、唯先輩の方だ。それほど唯先輩のギターには、得体の知れ
ない魅力があった。
もっとも、私はシロウトだし、単に唯先輩の人柄に惹かれてしまってる
だけかも知れないが。
唯「ねぇ、考えたんだけどさ、こうやって弾くとカッコよくない?」
そう言って唯先輩は、マトリックス的なポーズでギターを構え、そして
そのままその場へ崩れ落ちるのだった。
梓「もう、そんなポーズで弾ける訳ないじゃないですか」
唯「イシシシ! 特訓だね、あずにゃん!」
梓「やりません! そんな事!」
唯「えぇ~、ぶぅ~ぶぅ~!」
純「なんだかんだ言っていいコンビだ」
澪「うんうん」
唯「おおっ、お二人のお墨付きが出ました!」
梓「だから何ですか」
唯「ゆいあずだよ! ゆいあずー!」
梓「はいはい」
口ではああ言ってるものの、梓は満更でもなく、表情は嬉しそうだ。
ちょっと羨ましいかな。
純「……なんて、思ってないんだからね!」
澪「へっ?」
純「あっ、違います! こっちはみおじゅんです!」
澪「どういう事なんだ?」
純「Wギター対Wベース、泥沼血みどろの戦いが今!」
唯「そんなっ! 何で私達が争わなきゃならないのっ!?」
純「しかし生憎エモノがないです。休戦しましょう」
唯「諦める事はないよ、純ちゃん!」
純「なんですと?」
唯「心のベースだよ! エアーでカモン!」
純「そっか! やりましょう澪先輩!」
澪「えっ、む、無理無理無理! 絶対出来ない!」
梓「ていうか、やる必要ありませんから」
唯「あずにゃん! 絶対に負けられないんだよ!」
純「澪先輩、自分を信じて下さい!」
憂「ドーナツ出来ました! 皆さん一休みどうですか?」
最終決戦へ向け、場が沸騰してきたその時、背後から憂が満面の笑みで
ドーナツを持って来た。
正直助かった。勢いで唯先輩に乗せられてみたものの、私は実際、そこ
までハジけられるキャラではないし。澪先輩や梓も、ホッと胸を撫で下ろ
している様子。
唯「わぁっ! ドーナツ、ドーナツ♪」
唯先輩も先ほどの勢いはどこへやら、すっかりドーナツに心を奪われて
いる。いい意味で単純な人だ。
澪「憂ちゃん、ありがとう。いただきます」
憂「お飲み物は何にしますか?」
唯「私、牛乳!」
澪「じゃあコーヒーお願い、ミルク入りで」
憂「すぐ用意しますね! 二人は?」
純「憂、今度こそ手伝うよ」
梓「私も」
憂「うん。じゃあお願いするね」
純「よし! トリオでがんばろーっ!」
梓「もうそういうノリいいから」
憂「アハハハッ」
私達は力をあわせ、飲み物も配り終え、さてブレイク。ミルクコーヒー
と共に、憂のドーナツをいただく。
外はサクサク、中フワッで最高。私は思わず唸った。
純「憂は至福の一時を提供する天才だね~」
憂「あ、ありがとう、純ちゃん」
唯「はひふほいふは!」
憂「ありがとう、お姉ちゃん」
梓「甘さ控えめだし、つい食べ過ぎちゃうよ。本当おいしい」
澪「……」
憂「エヘヘッ……あれっ、澪さんはもういいんですか?」
澪先輩は一個食べただけで、それから手をつけようとしなかった。それ
は控えめというより、何か我慢しているように思える。
澪「えっ、いやその、ドーナツはすごくおいしいんだけど、その……」
唯「そういえば澪ちゃん、ジャージだね」
澪「今更かっ!」
梓「もしかして澪先輩、ダイエット中ですか?」
唯「エッホエッホしてたの?」
澪「うん……このままじゃマズいんだ。危険水準に突入してしまう」
純「えーっ! 澪先輩全然太ってないですって!」
それなら私はどうなるって話だ。アウトか、ゲッツーなのか。
澪「そう見える? でも私、すごく太り易いんだ……憂ちゃんには悪い
けど、油断したらホントやばいから」
憂「大丈夫ですよ、澪さん。このドーナツ、実はおからなんです」
澪「おからっ!? あの食物繊維をたくさん含むという幻の食材ッ!!」
憂「幻ではないと思いますけど」
純「おからでこの味だったんだ……」
梓「一体どんな魔法を使ったというの……」
憂「やだ、大袈裟だよ梓ちゃん」
唯「おからはおかし!」
憂すごすぎ……彼女はいつも私の予想より少し斜め上を行く。
私は何でもソツなくこなせるといえば聞こえはいいのだが、要するに
器用貧乏。
その点、憂は何をやらせても標準以上、もしくはトップレベル。言うな
れば器用富豪。
全くどういうステータス分けしたら、こんな風になるのだろう。
私は憂の事を尊敬している。しかしそれは、彼女の才能に対してでは
なく、それだけの才能を持ちながら、嫌味ったらしさや、鼻につく所が
まるでないからだ。そこが憂の本当にすごい所だと思う。
澪「じゃ、じゃあ後一個だけ、いただこうかな」
純「あっ、澪先輩! 私が食べさせてあげますよ~」
澪「ちょっ、純! それ自分の食べかけのヤツじゃないか!」
憂「……」
純「いいからいいから~」
唯「純ちゃんは澪ちゃんがホントに好きなんだねぇ」
梓「いいや純、あんたどうせ自分で食べきれなくなっただけでしょ?」
純「ぎくっ」
憂「な、なら私が食べるよ、それ!」
純「んっ、そう? ほんじゃ憂、あ~んして?」
憂「あ、あ~ん……」
純「やっぱ自分で食べるっ、はむ」
憂「えっ」
これはちょっとした悪戯心だった、その筈だったのに……憂の目に、
みるみる涙が溜まっていく。私は慌てた、予想だにしなかった事だった。
恐らく、「もう~、純ちゃんたら! おちゃめ!」的なリアクションが
あると思っていたのに。
純「あのっ、憂、あのねっ――」
どうしようこれどうすればいい? 動揺する私。しかし弁明のヒマさえ
与えられず、私は唐突に、憂に抱き締められていた。
純「う、憂?」
そして……その、憂が私に、いやらしい事をしてきたのだった。
いや、行為自体は幼児の戯れ程度でしかなかったが、私はされる事に
耐性がなく、しかもそれが、エロとは無縁に思えた、高校生らしからぬ
無垢で純真な憂からである。
私は自分が、顔を真っ赤にして狼狽しているのが、鏡を見るまでもなく
分かった。
純「わっ、わわわ……ういっ! ちょっとタンマッ!」
憂「ゴ、ゴメン……気持ち悪かったよね」
私が憂を思わず突き放すと、憂は視線を落とし、謝罪した。しかしこれ
は、先ほど私が憂にしたのと同じ。気持ち悪いなんて事はない。
むしろ憂にいじられて、私は、私は……
純「あ、愛してるぞっ!! 憂ー!!」
思わず口走ってしまっていた。
みんなが呆気にとられてる中、憂はツンと顔をそむけ、吐き捨てた。
憂「な、何言ってんの……純ちゃんのバカ。知らないっ」
そう言って憂は唯先輩の方へ逃げて行き、それから私に顔すら合わせ様
ともしなかった。何でそうなるの……まあ変な空気になりかけたし、これ
でよかったのかも知れない。
憂は唯先輩が好きなんだし。
あれっ、なんだろ。何かちょっと悲しいな。なんでだろ?
おかしい、普通じゃないよこんなの。普通こそがアイディンティティー
の私が。私は平静を装った。何もとりえはないけど、これだけは得意なん
だよね。人よりも、少しだけ得意なんだ。多分ね。
その日は結局、憂とはぎこちないまま、軌道修正は出来なかった。私は
何もないフリをしていたが、憂は少し怒ってる感じのままだった。
憂とこのままなんて嫌だ。翌日、私は努めていつもと変わらぬ私でいる
事を意識した。
憂「おはよー、純ちゃん」
純「あ、憂……うん」
学校での憂は拍子抜けするほど平常通りだった。私の方が意識しすぎて
いただけかも知れないが。
もしくは、憂が私のように、何もないフリをしているのかも知れない。
だとしたら上手だ、不気味なくらい自然だったもの。
まあそれは、私の自意識過剰ってヤツだろうけどね。
それから数年後、私は憂と一緒に寮生活をしていた。憂や梓が唯先輩達
を追いかけるようにN女子大に進学し、私もそれに付き合ったのだ。
なんだかんだ言って私は、振り回されるタイプの人間らしい。
憂「ねえ純ちゃん、今夜お姉ちゃんを夕食に呼ぼうと思ってるんだけど」
純「んー? 別にいいんじゃない」
憂「えへへ……ありがと」
純「いつもの事だしいいけどさ、いつまでお姉ちゃん子でいるんだか」
憂「あーっ、今日の純ちゃんはイジワルだ」
純「でもマジな話、唯先輩がお嫁に行ったらどうすんのよ?」
憂「えっ……そ、その時は純ちゃんが、私と一緒に暮らしてくれる?」
おしまい。
最終更新:2011年05月03日 21:17