• 病室

いつもと何ら変わらぬ回診の最中のできごと。

担当医から処方された六種類の医薬品を看護師に監視されながら口に含む。

入院生活にも慣れてきたが人に見つめられながら薬を服用するのはどうにも慣れない。

私がコップ一杯分の水道水を薬と共に胃に流し込んだのを確認すると、看護師は隣の入院患者の回診に回った。

憂「ふぅ。」

薬を輪ゴムで纏め引き出しに仕舞う。

さて、暇になってしまった。
紬さんに借りた文庫本も読み切ってしまったし、テレビはプリペイドカードが無いと視聴できない。

音楽でも聞こうと思い、棚の上の音楽プレイヤーに手を伸ばす。

アーティストの項で一番上に表示されている【お姉ちゃん】を選択する。

私のシスターコンプレックスも重症だなと今更ながら思う。
この病院でも治せないだろう。
治すつもりも無い。

ふわふわ時間
わたしの恋はホッチキス
ふでペン ~ボールペン~
ぴゅあぴゅあはーと
ごはんはおかず
U&I
翼をください

やはり寂しいときはU&Iに限る。

イヤホンからお姉ちゃんとギー太の奏でる音色が流れ始めた。

家で練習している所を録音させてもらった。
勿論同意の上で。

次にお姉ちゃんに会えるのはいつになるだろう。
今日で入院生活も四日目になるが、昨日は会えなかった。
今日は来てくれると嬉しい。

お姉ちゃんは一人で大丈夫だろうか。

梓ちゃんはイジメを受けてないだろうか。
純ちゃんはどうしてるだろうか。

心配事が沢山浮かんでくる。
これでは心の療養にならない。

自分の腕を枕にして寝転がる。

お腹は空かないし眠くもならない。
寧ろ食べたら吐くし、眠れない。

ただひたすらに暇だ。
ゲームはしない、インターネットもしない。
趣味はお姉ちゃん!
胸を張ってそう言える。
周りになんと言われようと。

早く病気を治してお姉ちゃんに思う存分甘えたい。

何時の間にかU&Iは終わり、翼をくださいが再生されていた。
小さな声でお姉ちゃんとデュエットする。

憂「このおーぞらにーつばさをひろげー」

憂「とんでーゆきたーいーよー」

憂「…?」

今名前を呼ばれたような気がした。
イヤホンを外しプレイヤーに巻きつける。

梓「…憂、私だけど」

カーテンの向こうから聞こえるこの声の主は…

憂「え?梓ちゃん?!」

私は勢い良くカーテンを開けた。
この間来れなかったから今日来てくれたんだ。

梓「お見舞いに来れなくてごめんね。」

憂「ううん、気にしないで。」

今の時間、軽音部は部活中ではないのだろうか。
やっぱり学校でイジメられて…

梓「…」

憂「…」

憂「と、とりあえずカーテン閉めて。」

イジメの話なら周りに聞かれたくは無い。

梓「あ、うん…」

憂「梓ちゃん、最近学校で…なにか無かった?」

梓「えっと、色々あったよ。」

やはり、私が入院してしまったから…

憂「そっか…ごめんね。」

梓「ううん、謝るのは私の方だよ。気付かなくてごめんね。」

梓ちゃんに被害があったという事はきっと純ちゃんも…

憂「純ちゃんは大丈夫?今日は何かあった?」

梓「え?うん、今日は大丈夫だよ。」

今日は…大丈夫…?

梓「学校から何か連絡来てない?」

憂「来てないよ?」

学校から連絡が入る程の事が有ったのだろうか。

梓「そっか、実は先輩達も来てるんだ。ちょっと呼んで来るね。」

憂「えっ、お姉ちゃんも来てるの!?」

梓「あ、いや、唯先輩は来てないんだけど…」

先程から挙動が怪しい。

憂「ねぇ、何か隠してる?」

梓「いや、とりあえず先輩達呼んでくるね。ちょっとあれ、直ぐ戻るからっ!」

憂「ちょっと梓ちゃんっ!」

梓ちゃんは呼び掛けには答えずに病室を出て行ってしまった。
追いかけようと思ったが身体を動かすのが億劫だった。

十分程待った頃、澪さんと紬さんの姿が見えた。

紬「こんにちは、憂ちゃん。」

澪「憂ちゃん、具合はどう?」

憂「こんにちは、おかげさまでだいぶ良くなりました。」

澪「そうか、それは良かった。」

紬「唯ちゃんとりっちゃんは進路の相談でまだ学校にいるわ。」

職員室に呼び出されるお姉ちゃんと律さんの姿が容易に想像できた。

澪「明日はお見舞いに来させるよ。」

憂「そうですか。楽しみです。」

明日お姉ちゃんに会えるんだ。
早く明日にならないかなぁ。

紬「この間渡した文庫本はどうだったかしら?」

紬さんに借りた文庫本…
全てがガールズラブを題材にしたものだった。

憂「ええと、参考になりました。」

紬「そう、読み終わったら違うもの持って来るわ。リクエストがあったら唯ちゃん伝でもいいから教えてね。」

憂「はい。ありがとうございます。」

既に読破したとも言えず無難な返事を返す。

紬「澪ちゃんは先に戻っててくれる?憂ちゃんと話したい事があるの。」

澪「あぁ。憂ちゃんまたね。」

憂「ありがとうございました。さようなら。」

澪さんは手を振って病室を出た。
それより梓ちゃんはどうしたのだろう。

紬「ねぇ、憂ちゃん。」

憂「はい?」

紬さんの表情が変わった。
真面目な顔も綺麗だと思う。

紬さんの碧眼に金髪は良く似合っていて、纏う雰囲気もどこか上品だ。
きっと良い匂いがするだろう。

紬「唯ちゃんって不思議な人よね。」

お姉ちゃんの話題か。

憂「私もそう思います。」

紬「例えるなら太陽かしら。」

太陽か、言い得て妙だと思う。

紬「近づきすぎると吸い込まれてしまうもの。」

憂「…。」

紬さんの意図を考える。
どんな目的で今お姉ちゃんの話題を出したのか。
どんな目的で私にガールズラブの文庫本を渡したのか。

紬さんの声は私の返事が無くても続く。

紬「一度近づき過ぎた私は反動で大きく離されてしまって、今は重力圏の外にいるわ。例えるなら彗星ね。」

差し詰め私達は太陽系を構成する惑星か。

お姉ちゃんの周りを振り回されるのも大好きだからそれでいい。

紬「憂ちゃん、もっと近付かなければ永遠にこのままよ。」

慣性の法則により惑星は等速直線運動を続けようとするが、恒星の膨大な重力に捕らえられ近づく事も離れることもできない。
公転軌道が安定してしまっているから。

憂「何年もこの距離感でやって来たので不満はありませんよ。」

紬「でも唯ちゃんは不満に見えるわ。」

紬「平和な宇宙で何かが起きたみたいね。きっかけは憂ちゃんの入院かしら、それとも…」

憂「…。」

言いたい事を理解したが、既に遅かった。

紬「唯ちゃんは大切な人をもっと近くに、手の届く距離に置こうとしてるの。」

紬「少し立ち止まって重力に身を委ねれば直ぐに唯ちゃんの一部になれるわ。ガチガチに固まった距離感を変えるチャンスだと思うな。」

憂「ふふっ。その後が大変でしょうね。」

紬「大丈夫よ。二人だけで大変なら三人で生きればいいだけ。適任がいるでしょ?」

憂「…さぁ、誰でしょうか。」

紬「私もそろそろ戻るね。」

憂「…紬さん、私が桜高に入学してから家に遊びに来なくなりましたね。」

紬「…斥力が働いてるのよ。」

紬さんは笑顔で手を振って病室を出て行った。

明日、できればお姉ちゃんと二人きりになりたいな…



  • 待合室

憂ちゃんの病室を後にした私は急ぎ足で戻って来た。

紬「お待たせー。」

梓「あ、おかえりなさい。どうでした?」

紬「問題無いわ。」

澪ちゃんが固まっているのが少々気になったが、優しく微笑みを添えて答えた。

律「じゃあ帰るか。」

紬「皆の家まで送って行くから雑誌でも読みながら待っててくれる?」

梓「はい、二回も乗せて頂いて有難う御座います。」

家の車を呼び澪ちゃんを搬入し終えた私は助手席に座った。

まだやらなくてはいけないことが、幾つか残っている。

梓ちゃんを送り玄関の扉が閉まったのを確認した私は振り返らずにりっちゃんに話しかけた。

紬「りっちゃん。」

律「ん?」

紬「明日、梓ちゃんと二人で話す機会を作って欲しいの。」

律「あぁ、わかった。」

紬「お願いね。」

澪「…おはよう。」

紬「おはよう、澪ちゃん。」

律「おはよう、そろそろ降りる準備しろ。」

その後、りっちゃんと澪ちゃんを送り終え自宅に帰って来た私は自室で寛いでいた。

照明を消し、ラバーランプのスイッチを入れる。

この青いラバーランプは唯ちゃんにプレゼントしようとした物だ。
結局渡す事は無かったが。

チェアに腰掛けフットスツールに足を乗せ、少々高すぎる天井の小さなシャンデリアを見上げる。
唯ちゃんが初めて私の家に遊びに来た時のはしゃぎようは今でも覚えている。

私は目を閉じ桜高に入学した頃の事を思い浮かべる。

あの頃の私と唯ちゃんは親密すぎた。

軽音部では律澪、唯紬のペアができており授業中や部活中、部活の無い日は二人で遊びに行く事も屡々、とにかく長い時間を過ごした。

ところが、唯ちゃんが家に遊びに来たある日、私は失態を犯してしまった。

…百合ノートを自室のテーブルの上に置きっぱなしにしてしまったのだ。

私は唯ちゃんを部屋に通しそのまま斎藤にお菓子を持ってくるように伝えに行った。

朗らかな気分で唯ちゃんの待つ部屋へ戻ると…百合ノートを手に取る唯ちゃんを目撃してしまったのだ。

唯ちゃんがこちらに気付いていないのを確認した私はプレイルームへ行き、メイドに唯ちゃんを呼びに行かせ一緒にDVDを鑑賞した。

唯ちゃんとの関係が一気に壊れる事は無かった。
だが少しずつゆっくりと私達の関係はランクダウンして行った。

あの時百合ノートを閉まっておけば…
あの時唯ちゃんを自室に一人にしなければ…
あの時百合ノートの表紙に私と唯ちゃんの相合傘を書かなければ…

唯ちゃんが黙ってノートを覗く事は無かっただろう。

唯ちゃんがノートの内容を知らなければ、今でも毎日のように抱きしめて貰えたのだろうか…

いや親友で居られればそれでいい。
どうせ求めても手に入らない。
もし手に入れてもその先には…

気が付くと涙が耳に流れていた。

もう諦めた筈なのに。

取り返しのつかない些細なミスを恨んでしまう。

取り戻せない唯ちゃんの暖かさを思い出してしまう。

あれから幾度となく枕を濡らし、幾度となく什器、陶磁器を破損させ、やっと最近諦めが付いたと思ったのに…まだ涙が出てきた。
もううんざりだ…

横隔膜が意思に反して激しく上下し呼吸が制御できない。

私は誰も部屋に入って来ない事だけを祈り咽び泣いた。

数分で落ち着きを取り戻し部屋の洗面台で顔を洗っていると二回ノックの音が聞こえた。

執事「お嬢様、いらっしゃいますか?」

紬「いるわ、どうしたの?」

執事「旦那様が御帰りになられました。」

お父様が久しぶりに帰ってきたようだ。

紬「わかったわ。」

執事「失礼致しました。」

フェイスタオルで顔の水分を拭い、髪を縛ってお父様の部屋に向かった。


  • 紬父書斎

私は父の部屋に着くと扉を三回ノックした。

紬父「紬か、入りなさい。」

紬「お父様、お帰りなさい。」

私が入室するとパソコンに向かっていた父は作業を止め立ち上がった。

紬父「久しぶりだな、調子はどうだ?」

紬「いつも通りです。お父様こそ時差ボケになってない?」

紬父「ははっ、もう慣れたよ。」

父は笑いながら私の頭をグリグリと撫でた。
首の力を抜き素直に頭を回される。

紬「ふふっ。」

唯ちゃんの家でやったゲームのコントローラーのスティックと今の私の頭が重なり吹き出してしまった。

またいつか、唯ちゃんと憂ちゃんとスマブラやりたいな…

紬父「最近学校の方はどうだ?」

父は満足すると再びパソコンに向かった。

紬「毎日部活が楽しみなの。」

紬父「そうか、勉強なんてどうでもいい。今は部活と遊びを楽しみなさい。でも紬に彼氏ができたら…お父さん淋しいな。」

紬「彼氏…ねぇ。暫くは部活が恋人かな。」

紬父「そうか、安心したよ。夕食までゆっくりしてなさい。」

紬「はい。お仕事頑張ってね。」

私は父の重厚な書斎を後にした。

この家のどこを見てもまさに金持ちが好みそうなデザインで溢れている。

パーティールームには三億円のシャンデリアが三つある。

思い知らされる、私は令嬢なのだと。
そして令嬢とは御曹司と結婚しなければならない。

いや考え方がおかしいか。
御曹司と結婚できるのが令嬢なのだ。

長い通路を歩いて再び自室に帰ってきた。

スリッパを放り出し金持ちが好みそうな天蓋付きベッドに横になる。

百合。

甘美な響きだ。

見ているだけで癒される。

以前はビアンカップルのブログを良く拝見していたが、今は見ないようにしている。

なぜなら、ビアンカップルのブログは殆どが更新をやめてしまうから。
終盤では愚痴や苦悩が書き綴られある日ピタッと更新が止まる。

そして私は思う。
また一組のカップルが別れてしまった…

無理もない。
日本では同性カップルへの事実婚のような法的保障は何も無いのだから。
共有財産も認められず、遺産、年金、保険金ももらうことができない。

同性を名乗ることも許されない。
税金の控除も無い。
銀行の住宅融資も受けにくい。
保険料の受け取りも出来ない。

そして一番の問題、世間体。

男性同士のカップルならいいが、女性同士となると…

難易度が高すぎる。

正直、唯ちゃんと梓ちゃんが付き合うと唯ちゃんのだらしなさに梓ちゃんが憤り、日に日に喧嘩が増え別れるという展開が容易に想像できてしまう。

そこに憂ちゃんがいれば、甘やかす役割と厳しくする役割ができる。

梓ちゃんが唯ちゃんに厳しく言い過ぎたら憂ちゃんがフォローを入れ、憂ちゃんが唯ちゃんを甘やかし過ぎたら梓ちゃんがフォローを入れる。

なんて美しい相互扶助だろう。

唯ちゃんを過小評価し過ぎかもしれないが、何年も先を考えての話しだ。
とにかくあの三人は美しい。

よし、食事会でもセッティングしよう。

私は携帯を開き唯ちゃんにメールを送る。

『今週末に皆でお食事でもどうかな?』

…いや、憂ちゃんが入院しているから不謹慎か。

『憂ちゃんが退院したら、お祝いのパーティーを開きたいんだけど、どうかな?』

よし。

紬「送…信…」

携帯を閉じる。
返事は直ぐに帰って来た。

『いいね!やろう野郎!
今日はあずにゃんとお泊りなんだよー。ふんすっす!』

やろう…野郎…?

ふんすっす…?

いや、それより。

あずにゃんと…お泊り…!?

これは…

どうやら性急に行かねばならないようだ。

明日は百合ノートを持って行こう。

入浴を済ませ『夕食は要らない』のプレートを扉のノブにかける、ベッドに向かう。

私は布団を自分に被せ、枕を抱いて眠った。





最終更新:2011年05月09日 20:49