梓「桜ヶ丘高校奇譚クラブ」


近頃純は、昼休みになると直ぐに図書室に向かう。
お陰で昼食は憂と二人ぽっちで食べている、
憂に不満をこぼすと、

「そのうち飽きるよ」

と言って笑っていた。
しかし一向に飽きる気配がない。

「そろそろ寂しくなってきたねえ」

と憂も言っていたので、私たちも図書室へ向かうことにした。

お昼時の柔らかい日差しの中で、特に用事もないのに図書室へ行くなんて、馬鹿馬鹿しい事この上ない。
純のせいだ。
歩みを進める間、自然と苛立ちは募っていく。
途中、憂に呼び止められた。

「歩くの速すぎるよ」

図書室へ着くと、相変わらずの空気だ。
窓とカーテンを開けようかと思ったが、日光に当てると紙は痛んでしまう、とどこかで聞いたので、止めた。
純は偉そうに分厚い本を机に載っけて、頬杖を突きながら読んでいる。
私と目が合うと、

「おお、梓、どうしたの」

と言った。
憂がにこにこ笑いながら、

「梓ちゃん寂しがり屋だから」

と言ってきたので、私は彼女の口を塞いだ。

全く気にくわないことだが、カーテンの隙間からわずかに漏れる陽の光を浴びて、
柔らかく頁をめくる純は、やけに大人びて見える。
純は憂の言葉を聞いたのか聞いていないのか、小さく微笑んだ。

「梓も本読めば。これ、面白いよ」

そう言って、純はそばに置いてあった文庫本を私に手渡してきた。
表紙とタイトルから察するに、モダンホラーのようだ。

「オカルト嫌いだもん」

そう言って私はその本を机の上に置き、本棚へ向かった。

本棚はまるで、どこまでも続いていくようだ。
ふと手にとってみた本は、昭和四十年に出版されたものだった。
またある本は、どうやらドイツ語の原書らしかった。

本だけがぎっしり積まれている棚を眺めていると、ぐるぐるぐるぐる、目が回る。
本を開くたび、ずらっと並んだ活字に辟易した。

こんなに大量に並んだ文字が、全部何かの意味を指し示しているなんて、不思議だ。
さらに、それだけでない何かも感じる。
本の中に、全く別の、この世界のどこにもないものが詰まっているような、そんな感じ。
私は数十秒、呆然として本を眺めた。

にゃあ。

後ろで小さな猫の鳴き声がした。
そっと近づいていくと、本棚の影に猫は丸まっていた。
おかっぱ頭の、無表情な生徒の膝の上で、気持よさそうにしている。

「どうしたのかしら」

その人は、そこに置かれた丸椅子に座って、両手で開いた薄い写真集か何かを眺めたまま、淡々と言った。

「え、私ですか?」

私は思わず訊き返す。
あんまり彼女の表情に変化がないものだから、果たして彼女が私のことを認めているのかどうかすら、怪しかった。
しかし、その女性はぱたんと写真集を閉じて、じっと私を見つめてきた。

「あなた。流石に、私も猫に話しかけたりはしないから」

ちなみに私は猫に話しかけたことがある。
だから、少し恥ずかしくなった。

その女性はお構いなしに、相変わらず抑揚のない喋り方で続けた。

「本をずっと眺めていたじゃない。どうして?」

なああ、と猫が鳴いた。
どこかで見た覚えのある猫だ。

私はまた本棚を眺めて、溺れるような感覚を味わって、何故か至極素直に言った。

「不思議だな、と。ただの文字の羅列が、こう、なんていうか」

どもった私を見ても、その女性はくすりともしない。
ただ、目を伏せて猫を撫でて、相変わらずの調子で言う。

「言語は、基本的に現実世界のあるものを指し示す記号だと考えられてきたわ。
 けれど、逆に言語が人間の意識内の世界を分割して、意味を持たせる、という考え方もあるみたい」

そこまで一息で言って、疲れたように本を棚に戻した。
そして、真っ直ぐに私の目を見つめて、言った。

「そんなところかもしれないわね」

それを聞いて、私はまた本棚を眺め回してみた。
不思議だ。
じゃあ、もしかしたら……

「じゃあ、もしかしたら。言葉は、同じものを指しているとは限らないかも知れない、んですか」

「そうかもしれないわね。とある地方の原住民は、雪を幾通りもの言い方で表現するそうよ。
 私たち日本人も、風や雨なんかが大好きみたいね」

時雨、春雨、五月雨、霖雨、地雨、霧雨……云々。
ざあ、と細い線のような雨が、私の頭を一杯にするような気がする。

不思議なその人は、なんでもないかのように私に尋ねた。

「オカルトは嫌い?」

曖昧に誤魔化すことも選択肢として浮かんだが、この人に対しては、それはしてはならないような気がする。

「嫌いです」

「そう。私は好き。どうして嫌いなのかしら」

「だって、嘘っぱちじゃないですか」

「そうかもね」

それっきり、その人は黙りこんでしまった。
退屈そうに、本棚から本を取り出そうとして、やめた。
そうして、また私を見つめてくる。

「ところで、こんな話があるの……」

彼女は相変わらず淡々としている。
私は無理やり頭の中に言葉を詰め込まれるような、変な気がした……

あるところに女の人が居ました。
女の人はとても聡明で、また読書家でありました。

女の人には好きな人がありました。
その男性はとても深い思想を持っており、また社交的で、美男子でした。

そんなわけで当然、女性は男性の虜になってしまいます。

女性はまず手紙を書きました。

「あなたの好きなものが知りたいです」

男性は返事をしました。
つらつらと、彼が好むものが書いてありました。
女性はそれを全部覚えました。

女性は手紙を書きました。

「あなたが好きな女性のタイプを知りたいです」

男性は前回と同じように返事をしました。
女性はなるたけその像に近づこうと、努力を怠りませんでした。

女性は何度も何度も男性に手紙を出して、男性は何度も何度もしました。

そのうち話題はだんだん深く、思想や人生観といったところまで入って行きました。

女性は男性からの返事をすべてとってありました。
彼女は本当にその男性が好きだったのです。

そのうち、男性と女性は恋人同士となりました。

それでも彼女たちは毎日のように手紙をやり取りしました。

ある日、男性が女性の部屋に訪れたついでに、勝手に机周りを片付けてしまいます。
それからすぐに、後生大事にとっておいた手紙が亡くなったことに気がついて、女性は死にました。

「おしまい」

「……は?」

私はぽかんと口を開けて間抜けな声を上げた。
おかっぱ頭の人は、くすくす笑って、言った。

「変な顔」

私は無性に腹が立ってきた。

「なんですか、今の話」

「恋人の後を追って自殺る女性の話」

「死んだのは女性だけじゃないですか」

批難がましく言う私を、彼女は不思議そうに見つめてきた。

「どうしてあなたは、恋人と聞いて男性を思い浮かべたの?」

「は?」

「女性かも知れないじゃない。もっと言えば、活字かも知れない」

「……手紙ですか」

「そう、言語を通してみる世界が違っていたのなら、手紙の上に描いた像のほうが大切だったかも知れないわね」

「納得行きません」

「そりゃあ、私が今適当に創った話だから、じゃないかしら」

私は言葉を失ってしまう。
彼女はまた、なんでもないかのように立ち上がって、ひらひらと私に手を振った。
猫が膝から飛び降りる。

「オカルト臭いのもたまにはいいでしょう? 本当じゃなくても、それなりに意味はあるから」

そう言って、出口へ歩いて行く。
猫はもう一つ、なあ、と鳴いて、どこかへ歩いて行った。
ひとりぽっちで取り残される。

周りの本を見てみると、以前より一層奇妙な気持ちになった。
色んな物が混ざった沼の中に溺れてしまうようだ。
そして、ぞっとすることに、それは心地良くもある。

「梓ちゃん」

ぽん、と後ろから肩を叩かれて、私は飛び跳ねた。
振り向いてみると、憂が大きく目を見開いて立っていた。

「……あ、あのね、和さんが、昼食取りたいなら準備室使えばいい、って言ってくれたんだけど」

「ああ、そう……うん、わかった」

何が分かったのか良く分からないくせに、私は分かったと言った。
案外そんなものなのかも知れない。

私はそこを出て、図書室の扉を閉めて、近いうちにまた来るだろうと思った。
来なくても、来るだろうと思った。



急にノリが軽くなったことを感じつつ、やっと話の决着点が見えてきたのを喜びながら、こんなかんじです



最終更新:2011年05月13日 02:46