謡曲『惑梓(まどひあずさ)』



『能本作者註文』にいわく、作者は「飛牡蠣」。
平成十九年、雲母能舞台にて初演。
好評を呼び、後の平成二十一年から二十二年にかけては、京都動画衆により機巧絵巻が作成された。
歴史上名高き「軽音物」の大流行が始まった契機である。


ワキ・ワキツレ四人一声
  「汝が姿 見れば心の臓 どうどうめき
   思ひはかれば 淡雪羹
   ヤレ不破々々が刻 ソレ不破々々が刻

ワキ澪「かやうに連なりたるは、桜高が軽音神楽衆にて候。
    わけて我は南蛮琵琶つかまつる者にて、名をば秋山澪と申し候」

ワキツレ唯「近頃あず猫が影も見えず。もの思ふべし」

ワキ澪「月に群雲、花にも嵐。さては限りの至れるか」


シテ、うしろめたしき気配にて舞台入り


ワキツレ律「さても梓。何故の懈怠ぞ。我ら一座日々これ稽古、おこたることの無きものを」

ワキツレ唯「待ちわびたる哉。待ちわびたる哉」


シテ、なおも顔ふせ黙る


ワキ澪「痛わしき様なり。何とてやあらむ」

ワキツレ律「さては岩にせかるる滝川の」

ワキツレ唯「或は峰にわかるる横雲の、今生の名残は御勘弁」

シテ梓「ならば答えん。なづみの霧、心にかかり、道に惑ひしが故にて候」

ワキ・ワキツレ四人一声
  「あら何と」

シテ梓「それ軽音が一党に我の招かれし由、今はおぼつかなし。
    初心に響きし歓迎の宴も、すでに遠し。
    かのいみじき境地、羽化登仙の心持、御四人と共に御座候へば、
    再び兆すこともあらむと思ひ定め、勤めに勤めてはべりおりしも、
    露ほどの甲斐なく、あぢきなき限りにて候。
    もはや十方浄土にも往生すべき縁なしやと」


シテ、面おほひて泣く


ワキツレ唯「あず猫あず猫、いとほしや」

ワキツレ律「然り。
      伯牙調べれば、鐘子期が感は必ず動じ、
      鐘子期賛すれば、伯牙が情にあやまたず当たる。
      されば我らは今知音、この場は一定、おとなふのみぞ」

ワキ・ワキツレ四人一声
     「心得たり」


ワキ・ワキツレ四人、得物かまへ鳴らす


地謡「なんとも不思議の心地なり。
   学を好まぬ唯殿に、本意なき思ひはたへざれど。
   太鼓のはやる律殿の、勢いまことにうとけれど。
   なれどこれなる四天王、そろわば奏でる三国一の、賑わひ和(にぎ)ぶ大神楽。
   ひとえに天部の諸尊とて、聞かば舞ひ出す極みの音よ」

ワキ、シテに近づく

ワキ澪「さても梓。汝かつて、我にこと問ひていわく、外番に出でざるは何の故かと」

シテ梓「然り」

ワキ澪「いざや答えん。この神楽衆と共だちおとなふ、そに勝る楽しみの知れぬがためなり。
    我ら三世に一蓮托生、珠の緒と珠の緒つなぐ縁の紐いと太ければ、
    南無諸天善神、一切の加護ありて我らが神楽も華やぐべしと」

シテ梓「心得て御座候」

ワキ澪「さても梓。貞盛に小烏丸、本多作左に蜻蛉切、汝が腕にも名物睦丹。
    なれば共に楽しまん、いざ」

シテ梓「かしこまつて御座候。我が身の置き所、軽音神楽衆の他になし」

ワキツレ唯「よろづかたじけなし、あず猫や」

ワキ澪「うさ祓ひの茶事もあれ。稽古むつかしきこともあれ。
    されど神楽衆の所作に無駄なく、全て芸道の血肉とこそなれ」

ワキツレ唯・律、あからさまに稽古の手やすむ

ワキツレ唯「やあ疲れたり」

ワキツレ律「向こう七日の物忌みあるべし」

シテ梓「澪殿が言、すずろに疑わしくおぼえ候」

ワキ澪「これはまた、かたはらいたし」

ワキツレ沢庵「我の出番なきまま果つるとは」



地謡「桜三月、菖蒲は五月、をとめの盛りは十六七。
   咲きも咲いたる大輪の、いつつの花の行く末かたし。
   後の世にまで数々の、物語をば残したる、軽音神楽衆のそもそもの、縁起はかくも目出度けれ。
   縁起はかくも目出度けれ」


(了)



今狂言『御器被』


1年生の教室にて。

梓「あーあ、今日は掃除当番かー……
  学祭ライヴも近いし、さっさと終わらせて練習に行かなくちゃ」

憂「あっ、梓ちゃん危ない! 蜂が飛んできたよ!」

梓「えっ?(髪を揺らしつつ、振り返る)」

純「おおー! ツインテールで蜂を叩き落した!」

梓「ふ……ふふーん、見たか! これぞ中野家に伝わる奥義です!」

憂「すごーい!」

純「……単なる偶然だったくせに」


部室にて。

紬「うーん……なかなか入ってきてくれないなあ」

澪「なにやってんだムギ? そんなところでうずくまって」

律「ふふふ、知りたいか?」

唯「ムギちゃんはねー、今朝ゴキブリホイホイを持ってきてくれたんだよ!」

澪「え」

律「それを部室にしかけておいたんだが……
  放課後の今に至るまで、中はカラのまま」

紬「しょぼーん、だわ」

澪「ちょ、何考えてんだ! ゴキブリなんて捕まえて、どうするつもりなんだよ!」

紬「一度でいいから、こういう家庭的ガジェットで害虫を捕獲してみたいの!
  と言うか、子どもの頃からゴキブリさんって一度も見たこと無いし」

唯「実物をじっくり観察するのが、長年の夢なんだよねー」

紬「うふふー」

澪「ばっ、馬鹿! そんな悪い夢は捨てろ!」

律「(澪の耳元で)容器の蓋を開けると……黒光りするゴキちゃんがびっしり……」

澪「ひ、ひいいい!(気絶)」

紬「でも……流石は優良児そろいの桜高ね。
  みんな毎日いっしょうけんめいお掃除してるから、ゴキブリなんて住んでないのかも(肩を落とす)」

律「そ、そんなに残念なのかよ」

唯「うんうん、ムギちゃんの気持ちよく分かるよ。
  私も、うちに帰って冷蔵庫開けて、アイス入ってなかったら自殺したくなるもん」

律「軽いな、お前の命」

紬「ありがとう唯ちゃん。でも仕方ないわ、きっとこれも運命なのよ。
  この度は、ご縁がなかったってことで」

律「虫相手に見合いでもする気だったのか」

紬「じゃ、お茶の用意をするね。はあ……(深く溜め息)」

律「(ひそひそ声で)おい、唯」

唯「(ひそひそ声で)なんでありますか隊長」

律「うむ。我が隊で最も残念……じゃなくて優秀な唯隊員に、特別任務を与える」

唯「とと、特別任務! それはいったい!」

律「しいっ、声が大きい。いいか、あの紬の無念そうな顔を見ろ」

唯「マジかわいそうであります」

律「なんとかしてあげたい!とか思わないか?」

唯「思うであります」

律「じゃ、ゴキブリ捕まえてきて」

唯「はあ?」

律「で、こっそりホイホイの中に仕込んでおくんだ。
  ムギ、きっと大喜びだぞー」

唯「ええー、めんどくさいー」

律「あまりの喜びに、明日からお菓子の量が倍増したりしてな」

唯「やる! 私がんばる!」

律「校内くまなく探せば、一匹ぐらい見つかるはずだ。
  行け、戦え、唯隊員!」

唯「ラジャー! と、その前に」

律「まだ何か?」

唯「ゴキブリって、なに?」

律「はひ?」

唯「だから、ゴキブリってどんなの?」

律「お、お前……それはひょっとしてギャグで言っているのか?」

唯「ううん、本当に見たことないんだ」

律「むうう。にわかには信じがたいが……お前はウソだけはつかない奴だからな。
  ……バカだけど」

唯「えへへー、それほどでもー」

律「いいか、あのホイホイに描かれた絵をよく見ろ」

唯「お、なんか怪獣みたいなのがいるね」

律「だいたい、あんな感じの生き物だ」

唯「結構かわいいんだね」

律「いやいや、あれはかなりデフォルメされた姿だ。実物は恐いぞー。
  いきなり飛び掛ってきたりする」

唯「ふむふむ、メモメモ」

律「とにかく全体的に黒っぽくて、2本の触覚がピンと伸びていて」

唯「で、おっかない生き物……っと」

律「そうそう。B級ホラー映画とかだと、しょっちゅう放射線を浴びて巨大化してる」

唯「よし、おおむね理解した! ちょっくら行ってくる!(部室から駆け出る)」

律「武運を祈ってるぞー……ククク、これで邪魔者は消えた」

紬「さあ、お茶が入りましたよー……って、あれ?
  唯ちゃん、どこ行ったの?」

律「ん。ちょっと急用で、しばらく戻らないってさ」

紬「そうなの……今日のおやつ、新鮮なうちに食べてほしかったんだけど」

律「でも澪は気絶したままだし、唯はいないし。なんとなく、梓も来ないような予感がするし」

紬「しかたないわ。三人の分は、りっちゃんが食べていいよ」

律「あー残念だなー申し訳ないなー。でも、食べずに残すよりはずっとマシだよねゲヘヘ」

紬「なんか、りっちゃん……計画通り!って顔してるけど」

律「めめめ滅相も」

紬「それじゃ、どうぞ!
  今日のおやつは、アリゾナ州名物の芋虫入りキャンデーよ!」

律「ぐえ」

紬「わあー、舐めると舌がビリビリして面白い!
  さ、りっちゃんも遠慮せず! 
  破片すら残さず、ぜーんぶバリバリと!」

律「策士、策に溺れるの巻」



廊下にて。

唯「むむー、ゴブキリ、ゴブキリ……」

梓「はあ、何か思ったより時間かかっちゃったな

唯「うううう、ゴリゴリ、ゴリゴリどこにいる」

梓「あれ、唯先輩?どうしちゃったんですか、そんなところに這いつくばって」

唯「おお、あずにゃん。私は今、ムギちゃんの命を救うための重大な任務をこなしているのです」

梓「また謎な発言かましてるよ、この人。
  て言うか、練習はどうしたんですか? 学祭、もうすぐなのに……」

唯「そんなことを気にするヒマがあったら、あずにゃんもゴブリンを探してよ!」

梓「ファンタジーRPGのザコ敵?」

唯「違うよ、ゴロツキだよ!」

梓「だから、なんですかそれ」

唯「うんとねー、全体的に黒っぽくて、触覚が2本ピンコ勃ちしていて……はっ!」

梓「ちょ、いきなり顔近づけないでください!」

唯「く、黒い!」

梓「あ痛、おさげ引っ張らないで!」

唯「触覚が2本!」

梓「やめてってば! いいから、練習に行きますよ!」

唯「おわあ、怒って飛び掛ってきた! 恐い!」

梓「先輩のフリーダムさの方が、ずっと恐いです!」

唯「やったービンゴだ、間違いない!」

梓「いやいやいや、そこで喜ぶのは意味不明すぎます」

唯「いいからいいから、部室に行くよ!」

梓「え、やっと練習する気になったんですか?」

唯「練習でも何でもやってあげるから、とにかく今は部室に!
  ムギちゃんのもとへ、今すぐゴー!」

梓「おおー! 珍しくやる気ですね、燃えてますね!」

唯「ふんす! これでお菓子倍増計画大成功だよ!」


部室にて。

梓「失礼しまーす」

唯「あれ、りっちゃんが息してない」

梓「澪先輩も瞳孔開きっぱなしですね。何事?」

紬「あら、唯ちゃん梓ちゃん。やっと帰って来たのね」

唯「おう、待たせたね!」

紬「ごめんなさい。遅くなるって聞いたから、おやつもう食べちゃった」

梓「あうう……」

唯「いいさいいさ、明日から通常の3倍食べさせてくれれば!
  それよりも、これからムギちゃんの夢をかなえてあげるよ!」

紬「え?」

「さあ、あずにゃん……と見せかけて、実はごきにゃんだったそこのキミ!」

梓「はい?」

唯「このホイホイに入ってください!」

紬「え?」

梓「え?」

唯「……え?」

紬「ごめん、ちょっと何言ってるか分からない」

唯「いや、だから……ゴキブリを……ホイホイに……」

梓「ひどい! いつから私がゴキブリになったんですか!」

紬「見損なったわ唯ちゃん、後輩をいじめるなんて」

唯「えええええええ!? そんな、私は、ただ」

紬「反省するまで、唯ちゃんだけおやつの量を半分にします!」

唯「ぎゃー! それだけは勘弁してくだせぇ!」

梓「……なんでもいいから、練習しましょうよぉ」

唯「おのれ、よくも騙したおったなごきにゃ……いや、あずにゃん? 
  あれ? ねえねえ、どっちが本当の正体なの?」

梓「いやだから、私に聞かれても」


(了)






最終更新:2011年05月21日 01:33