……次の日から、和ちゃんが私の家に泊まりに来てくれることになりました。
といっても、憂が帰ってくるまでっていう約束だから、たったの3日だけ。
和ちゃんは憂のベッドを使うことになっていたけれど、
わたしが寂しくて、結局和ちゃんを私のベッドに呼び寄せたのを覚えています。
だけどおかげで、私はとてもよく眠れたものでした。
そして、予定通りに翌日憂が退院することになった晩のこと。
唯「和ちゃん……あのね、今日もいいかな?」
ほんとうは不安なんてもうなかったと思います。
だけど私は、それまでと同じように和ちゃんをベッドに呼びました。
和「ええ、わかってるわ」
和ちゃんは嫌な顔ひとつしないで、むしろ笑顔でそう答えてくれました。
しあさっては終業式という日で、とても寒い夜だったのに、
その笑顔を見ただけで、私はぽかぽか暖かくなったのでした。
和「電気消すわね」
和ちゃんが言うと、部屋がまっくらになりました。
布団がめくられて、私の隣に温もりが横たわります。
和「唯ちゃんは、やっぱりまだ心配?」
それでもお布団の中もお部屋の空気もなんとなく冷たくて、
私はほうっと息を吐いてみます。
やっぱり、白い息が広がりました。
唯「……憂のこと?」
和「うん。私が来てからはよく眠れてるみたいだから、どうなのかしらって」
唯「……怖いよ。ううん、病気はもう大丈夫だって思ってるけど」
唯「いつかは、いつだって、いなくなっちゃうものなのかなって」
自分でも何を言っているのかよくわかりませんでした。
だけどなんでか、和ちゃんの前では「寂しくない」とだけは言いたくなかったのです。
だって、私が寂しくなかったら、和ちゃんはこうして泊まりにきてくれないのですから。
和「そうね……突然の別れがない、とは言えないわね」
唯「うん、だから……」
和「憂ちゃんのこと、大事にしないとね」
唯「……わかってる。もし、いつそんなことがあっても、憂が悲しくならないぐらいに……」
真っ暗闇のなかで目を開いたまま、私はぼんやりと答えていた。
枕に乗った首の辺りから、とくとく、血の動く音が聞こえて、
そのリズムはいつもより少し速く感じました。
和「……唯ちゃんなら大丈夫だよ」
枕元の化粧台に、和ちゃんの眼鏡が乗る音がしました。
和「さぁ、寝ましょう」
ベッドが深く沈む感覚がします。
夜の中に引きずり込まれていくような……だけど、布団の中はだんだん暖まってきています。
唯「和ちゃん」
和「なあに?」
唯「ほんとにありがとね。私、和ちゃんがいなかったら……すごく辛かったと思うから」
ふふっ、と笑い声が左耳をくすぐりました。
和「大袈裟よ」
そして、またその呼吸が落ちついて、深くなって、眠りに落ちそうになってしまいます。
唯「ん、……」
私は体をもぞもぞ動かして、和ちゃんに近づきます。
和「なによ……?」
唯「えへへ……」
和ちゃんの体に抱きついて、ゆっくり、強く抱きしめていきます。
和「甘えんぼね」
唯「……そうじゃなくってね」
和「?」
唯「和ちゃん、ほんとにありがとう」
和「さっきも聞いたわよ」
唯「……あのね」
ちょっと顔を上げて、和ちゃんをじっと見ました。
和ちゃんの手が私の髪にふれて、そっと頭を撫でていきます。
優しい微笑みに、見つめ返されていました。
唯「私、和ちゃんのこと大好きだよ」
和「唯ちゃん……」
唯「だから、和ちゃんのこと、すっごくすっごく大事にする」
和「えぇ。私もよ」
わたしは、いっそう強く和ちゃんを抱きしめて、
和ちゃんの胸元に顔をうずめました。
唯「……だからっ……ずっと、そばにいてね。いなくなったりしないでね」
和ちゃんが一瞬驚いたように感じられました。
和「……当たり前じゃない」
しばらくしてから、和ちゃんがそう答えました。
和「明日も学校あるんだからもう寝ましょう、ね?」
唯「……うん」
和「唯、ちゃん?」
私は頷いたものの、抱きしめた腕を離せませんでした。
唯「……このまま、寝ちゃってもいいかな?」
和「いいけど……」
けど、と言って、和ちゃんはそれ以上続けませんでした。
私は和ちゃんに覆いかぶさって、和ちゃんの匂いを抱きしめながら、
いつの間にか眠ってしまっていました。
――――
思い出せば、その翌日からだったと思います。
和ちゃんが私のことを、呼び捨てで「唯」と呼ぶようになったのは。
はじめはわがままが過ぎて怒られてしまったと思ったのだけれど、
それにしては和ちゃんの態度はむしろ私に甘えてくるかのような、
今までにない付き合い方をしてきていました。
だから私は、それを和ちゃんの変化として、
なにも考えずにほうっておいたのです。
事実、教室でも呼び捨てというのは流行っていたものです。
ちゃん付けで呼び合っている子もいましたが、少数派だったはずです。
和ちゃんもその影響で、大人への変化をしただけだと思っていました。
和「ちょっと、唯? ほんとに顔赤いけど」
だけど、違います。
いや、大人への変化というとちょっと間違っても無い感じですけど。
和ちゃんはなにも勘違いなんてしていなかったのです。
確かに私に好きだと言われて、付き合いだしていたのです。
私がそれを知らないだけでした。
和「……唯?」
足元がふらつきます。
近くの塀にもたれて、背中にしょっていた新しいカバンが潰れてしまいました。
唯「う、うそだ……」
あの日、というかあの夜。
私が伝えた好きという言葉は、まぎれもなく愛しているという意味で発したものでした。
付き合おうという意志があって言ったわけではないはずです。
だけど翌日になって、和ちゃんに呼び捨てにされたとき、
私の中の熱い熱い気持ちが、すーっと冷めてしまうのを感じました。
あの、なにかを失う感覚は、よく覚えています。
和「……」
和ちゃんを好きになったはずでした。
和ちゃんと付き合うことになるはずでした。
なのに私は、ひとりで嫌われたと思って、
自分が傷つかないように、和ちゃんに好きと言ったことさえ忘れたふりをして。
唯「和ちゃん……」
和ちゃんが、私の前に立ったかと思うと、両腕が私の耳の横を通っていきました。
ちらりと目をやると、和ちゃんの手がブロック塀についています。
唯「……あ!?」
――追いつめられている。
そんなことはすぐにわかりました。
背後にはブロック塀で、左右は和ちゃんの腕で塞がれて、簡単に逃げられるとは思えません。
唯「ちょ、ちょっと和ちゃん!?」
和「……いいわよね、唯」
唯「あぅ……」
それに、和ちゃんの目がじっと私を見つめて、体がうまく動きません。
唯「ま、待って、待とうか和ちゃん!」
和「今更待ってられる余裕ないわよ」
いつもの調子で頼んだら、いつもの調子で断られます。
もうなんか本格的にだめな感じです。
唯「わ、わかったから! ちょっとだけ、ちょっとだけ時間を!」
和「……」
このやりとりさえ面倒なのか、和ちゃんは腕を曲げ、ぐっと顔を近づけてきました。
こんなに近くで、恋人とまっすぐ見つめ合うのは初めてです。
唯「ま、ってよぉ……」
あぁ、もう声に力も入りません。
和ちゃんの視線が、私のくちびるのあたりにちらちら浮気しているのがよく見えます。
それは私も同じかもしれませんが。
和「……たとえこれで唯に嫌われても、私はキスするから」
嫌うはずがありません。
ぶんぶん首を振ります。
しかし、いくらなんでも心の準備というものが必要なのです。
まだ気持ち的には付き合って1分経ってないんですよ。
和「……ごめんなさい。大好きよ、唯……」
和ちゃんの顔がさらに近づきました。
もうだめです。
ここは覚悟を決めましょう。
ぎゅっと目を閉じて、どうにも震えてうまくいかないけれど、くちびるをちょっと突き出しました。
これで和ちゃんのキスを受け入れる姿勢は万全盤石でしょう。
あとは……抱きしめたりすればいいのかな。
和ちゃんの吐息を感じました。
和ちゃんのくちびる、どんな味がするんでしょうか。
ファーストキスは甘酸っぱいといいますが、和ちゃんはなんだかその限りでない気がします。
でもこれでものすごく優しくて甘いキスなんてされたら、
それこそあの、いわゆる悶死というものをやってしまうんじゃないかと思います。
やっぱり私、和ちゃんのことが大好きみたいです。
和「唯?」
唯「……あぇ?」
和「……心配しないでも、無理矢理キスしたりしないわよ。そんなに震えないで」
そんなふうに言われて、ぽんぽんと頭を撫でられました。
唯「……」
目を開けると、和ちゃんが困ったように笑っていました。
和「ちゃんと、唯がいいって言うまで待つから……」
私は、和ちゃんを抱きしめるはずだった両手で、和ちゃんの肩を掴みました。
和「あら、なに?」
そのまま足をつっぱって、和ちゃんを向かい側のブロック塀に押していきます。
和「ちょっと、未遂なんだからそんなに怒らなくても……」
和「唯ー?」
私がされたのと同じように、和ちゃんを壁際に追い込みました。
手のひらを刺すブロック塀の感触が、少しだけ痛く感じました。
和「……ちょ、ちょっと待って?」
ようやく状況を理解したらしい和ちゃんが言いました。
唯「……」
まさかね。
和ちゃんは賢いし、私のこともよく知ってるし、
まさかそんな一言で私が止まるなんて思っていないでしょう。
和「こ、心の準備が……!」
つまりこれは「OK」ということです。
そうだよね、和ちゃん。
和「ん~~~!?」
ファーストキスは、歯みがきしたあとみたいな、ちょっと苦いような味でした。
おーわり
最終更新:2011年06月13日 22:29