憂「でもどうする? スプーン一個じゃ……」

 わたしが言う間に、お姉ちゃんはかちゃかちゃとスプーンを鳴らして

 何かのルーとライスをちょっと混ぜ合わせた。

唯「はい、あーん」

 喜色満面のお姉ちゃんがスプーンを向ける。

 ……いいのかな?

憂「あ、あーん」

 先にひとくち食べさせてもらった。

 トマトの酸味がして、ようやくトマトハヤシだとわかった。

憂「……おいし」

唯「えへへ……さてさて」

 お姉ちゃんは再度スプーンを器に差し込むと、スプーンにひと口ぶん掬う。

 そしてそのまま、ぱくりと食べてしまった。

唯「おー、おいしいね」

 間接キスがね……なんてお姉ちゃんは思いもしないんだろうけれど、

 にっこりとしておいしいと言ったお姉ちゃんはすごく可愛かった。

憂「……ね、ねぇ、お姉ちゃん?」

 いけない。

 食事中なのに、ドキドキしてきちゃった。

唯「ん?」

 お姉ちゃんはまた同じようにハヤシライスをすくう。

憂「も、もしかして、ずっとこれ続けるの?」

唯「あ、憂もお姉ちゃんにあーんってしたい?」

憂「え、えっと」

 お姉ちゃんは思わず浮いた私の手に、スプーンをぎゅっと握らせた。

 私がくせで手を開くのを見越していた動きだった。

唯「へへ、あー」

 お姉ちゃんが口を開ける。

 落ちつくんだ、私。

 普段通りに、よこしまな気持ちを抱かずに。

憂「……あーん」

 ぱくり、とお姉ちゃんが差し出したスプーンに食い付いた。

 歯の当たった振動と、するりとくちびるが抜けていく感触が伝わって……

 どうしよう、ぜんぜん興奮がおさまってくれない。

唯「えへへー。はい、憂も食べないと」

 器を押し付けられ、お姉ちゃんに促される。

憂「う、うん……」

 お姉ちゃんの口の中に入ったスプーン。

 お姉ちゃんが舐めたスプーン。

 わたしは、ほんの少しだけご飯をすくった。

憂「……い、いただきますっ」

 思い切って、口の中へ。

 お姉ちゃんがやったであろう形と同じように、舌を這わせて……。

唯「うい、おいしい?」

 お姉ちゃんが頭を撫でる。

 お姉ちゃんの中では私なんて、まだちっちゃな子供なんだろう。

憂「っん、おいしいよ」

 どうやら、私の気持ちはひとつの臨界点をこえたようで、

 スプーンを離すころにはかえって落ちついていた。

唯「はい憂、食べさせてー」

憂「うん。はい、あーん」

 結局わたしたちは器がすっかり空になるまで、何度もご飯を食べさせあった。

 ロウソクの火の色のせいで、お姉ちゃんは私が顔を赤くしていたのには気付かなかったみたいだ。

 おかげでずっと見続けていられたお姉ちゃんの笑顔は、一生の思い出になりそうだった。

 器を床に置いたころには、ロウソクがもうじりじり言い出していた。

 ペットボトルのお茶を飲みながら、お姉ちゃんは消えかけのロウソクを見ている。

唯「憂も……飲んでおいたほうがいいよ」

憂「えっ?」

唯「暗くなって、ペットボトルがどこいったか分からなくなったら困るでしょ?」

唯「だから暗くなる前に、しっかりお茶飲んでおかないと」

 そう言って、お姉ちゃんはさらにお茶をがぶがぶ飲む。

 でも言うとおりだ。

 水分はとっておくにこしたことはない。

 ただでさえ蒸し暑く、汗をかきそうな夜なのだ。

憂「そうだね、そうする」

 私もペットボトルを拾って、お姉ちゃんのようにがぶがぶ飲む。

 お腹一杯になったころには、ペットボトルは半分ほどの軽さになっていた。

 私は蓋を閉めてペットボトルを床に立てた。

 さきに水分補給を終えたお姉ちゃんと同じようにしたのだ。

唯「……あっ」

 お姉ちゃんが声を上げる。

 明かりが弱まりだしていた。

憂「もう消えちゃうね」

唯「う、うん。そうだね」

 お姉ちゃんは今更不安になってきたのか、すこし吃った。

 明かりはどんどん小さくなって、最後は火花のようになって消えた。

唯「……ふーっ」

 お姉ちゃんが長く息を吐いた。

憂「……消えちゃったね」

唯「うん、まっくら」

 明るさに目が慣れていたのもあって、何も見えない。

 お姉ちゃんがぺたぺたと私の背中に触れた。

 私を探してるのかな。

憂「……お姉ちゃん、わたしはここだよ」

 わざと少しお姉ちゃんから離れて、お姉ちゃんを呼ぶ。

唯「わっ、憂どこー?」

 慌てた様子でお姉ちゃんが腕を伸ばしているようだ。

 そんなお姉ちゃんが可愛くてもう少し感じていたくて、またちょっと距離を取る。

憂「ここだってば」

唯「ん、そこかな?」

 お姉ちゃんが五感で私をとらえたのが分かった。

 次の瞬間、お姉ちゃんにぎゅっと抱きしめられる。

唯「みつけたー、つかまえたー!」

 お姉ちゃんは正面から抱きついてきていた。

 正面はいちばん気持ちいいしくちびるも触れそうになるから好きなんだけれど、

 ドキドキしてるのがいちばんバレやすいからちょっと怖い。

憂「えへ、つかまっちゃった」

唯「ふっふっふ……よいしょ」

 ベッドの上で抱き合っている。

 真っ暗だから大丈夫だけど、

 もしお父さんたちが今の私たちを見たら何か勘違いをするかも、なんて思った。

唯「ふー。落ちつく」

 お姉ちゃんがくったりと私にもたれかかる。

 私もお姉ちゃんに寄りかかって、少し強く抱きしめた。

唯「……ねぇ、憂」

憂「ん?」

唯「真っ暗だとさ……何にも見えないね」

唯「それに、何にも見られない」

憂「……でも、私にはお姉ちゃんが見えてるよ」

憂「お姉ちゃんだって、私が見えてるでしょ?」

 闇の中に、お姉ちゃんの輪郭が見える。

 それはきっと、暗闇に目が慣れたせいだけではなかった。

唯「うん。憂が見える。見えるんだけど……ね」

 抱きしめているお姉ちゃんの体が、すこし震えたように感じられた。

唯「それってことはさぁ……私、いま、憂しか見えてないってことなんだよ」

 お姉ちゃんの抱きしめる手がゆるんで、顔が私の目の前にきた。

 頬を撫でていった息は、すごくしめっぽくて熱かった。

憂「お姉ちゃん……?」

唯「憂は、いい子だよね」

 泣きそうな目をして、お姉ちゃんは言う。

唯「さっきだって、お皿割ったこと正直に言ったし」

憂「……でも、私が隠し通してたら、お姉ちゃんはここに閉じ込められずに済んだのに」

唯「いいの。今そんな話してないから。……それに、私」

 お姉ちゃんがまた微かに震えた。

唯「わたし、むしろ嬉しいんだ。憂と一緒に閉じ込められたんだから」

憂「……」

唯「……ねぇ、うい」

 お姉ちゃんが、再度問いかける。

憂「……なあに、おねえちゃん」

唯「……憂は、いい子だから」

 お姉ちゃんがごくりと唾をのんだ音が、耳に残る。

唯「私の、質問にも……素直に答えてくれるよね」

憂「……う、ん」

 腕の中のお姉ちゃんがぶるぶる震える。

 もしかして、震えているのは私のほうなんだろうか?

 うまく、しゃべれないし。

唯「あのねっ……憂は……」

唯「憂は、こんな、ね? わたしに……」

 お姉ちゃんは泣いていた。

 蒸し暑い中で、汗のようにぽたりと垂れた涙が、服のお腹にしみた。

唯「……わたしがっ。好きだっていったら……」

唯「付き合って……なんて……くれないよね」

 お姉ちゃんが後ろに下がろうとした。

憂「……」

唯「ごめん、うい……わ、わた、じぃ……」

 やっぱり震えているのはお姉ちゃんだよ。

 ぼろぼろ泣いてるお姉ちゃんを力の限り抱きしめる。

唯「ごめん、ごめんねぇっ……好きに、なっちゃったぁ」

唯「ごぇ、んねっ……許してぇ」

憂「……お姉ちゃん」

 私はお姉ちゃんを抱き寄せて、耳にくちびるを近づけた。

憂「……嘘はだめだよ? 私だけしか、見えないんでしょ?」

唯「うい……?」

憂「ちゃんと私を見て。お姉ちゃんだけを見てる私だけのこと」

 泣きはらした目で、はなの垂れた鼻で、汗ばんだ肌で。

 ろれつのまわらない舌で、赤く色づいた耳で。

 お姉ちゃんは私を見た。

憂「……はい、嘘泣きやめようね」

 お姉ちゃんの頭を撫でて、だきしめるのを一旦中断。

唯「……ぁ」

 お姉ちゃんはくたびれたみたいで、肩をおろしてしばらく荒い呼吸をしていた。

 だけど、わたしが笑顔を向けると、

 あやされた赤ちゃんみたいに満面の笑みになった。

唯「……憂ぃ」

 お姉ちゃんが、ゆっくりもたれかかるように私に寄り添った。

唯「……わたしは」

 お互いにドキドキしてるのが、くっついた胸からよく伝わる。

唯「……私は、憂のことが大好きです」

唯「だから……つきあってください!」

 お姉ちゃんは私を見つめて、言いきった。

 わたしも、全身でお姉ちゃんを見つめる。

憂「……はい。喜んで」

 ぴったり抱き合ったまま、私たちは離れなかった。

 底も見えない暗闇の中で、お姉ちゃんの存在だけがはっきりわかる。

 世界中に、私とお姉ちゃんだけがいる。

唯「ういっ……」

憂「うん……」

 表情も格好も、気持ちもわかる。

 わたしはほんのすこし首を傾けるようにして、待ち受けた。


――――

 翌朝、私たちは寝乱れた服とベッドを直して、鍵の開くのを待った。

 ペットボトルを探してお茶を飲み、お姉ちゃんの求めに応じてキスをする。

 そんなことをしていると、やがて鍵の開く音がした。

母「二人とも、朝よ。しっかり反省したかしら?」

 扉を開けたお母さんは、とたんになんだかなんともいえなそうな顔をした。

 苦笑い?

憂「まぁ……そうかな?」

唯「うん、もうおっけーだよ!」

母「そう。じゃあ出なさい」

唯「えへへ、やった!」

 お姉ちゃんはベッドから飛び出すと、我先にと地下室の扉に走っていき――

 お母さんに服を掴まれ、捕獲された。

唯「え、な、なにお母さん?」

 お姉ちゃんはなんだか焦ったような顔。

 そんなに慌てることかな? どうしたんだろう。

母「……唯」

 一方、お姉ちゃんをつかまえたお母さんはそれはそれは笑顔で。

母「うまくいったみたいねー?」

 そう言ってお姉ちゃんの頭をがしがし撫でた。

憂「うまく……いった?」

 その言葉によって浮かぶ、ひとつの疑念。

 もしかして、まさかお姉ちゃん、そんなわけないよね。

唯「な、なんでもない、なんでもないよ憂!」

憂「……お母さん、お姉ちゃんと話があるからちょっと鍵かけてくれない?」

母「オッケー!」

 お母さんは身をひるがえすとドアの外に出て、鍵をかけてくれた。

憂「さて……説明してもらおうかな、お姉ちゃん?」

唯「ひいいいぃぃ!!」

 ドアの前でうずくまるお姉ちゃんを抱き上げて、ベッドに投げ込む。

 まっくらは、時間の感覚をなくす。

 この暗闇に朝がやってくるには、まだしばらくかかりそうだった。


  おっしまい



最終更新:2011年06月30日 21:22