エピローグ


フライパンの上で音を立てるハンバーグを見つめる。
頃合いを見計らってひっくり返すと、きれいにこんがり焼き上がっていた。

梓「やったぁ!」

初めて上手くできたことが嬉しくて、思わず声を上げてしまう。
時計をちらりと見て、そわそわ落ち着きをなくす。

そろそろ律先輩がバイトから帰ってくる時間だ。

夕食の準備を終えると、私はテーブルに肘をついてこの一年をふと振り返った。


私の軽音部は、最終的に二人の新入部員を獲得して存続を果たした。
新一年生は初心者からのスタートだったものの、徐々に上達していった。

文化祭ライブでは放課後ティータイムに負けないぐらいの演奏を披露し、見事大成功を収めた。

そして私は無事にN女子大に合格し、軽音部を二人に任せて卒業した。

卒業の日なんて、二人の後輩を軽音部に残していかないといけないことにポロリときてしまったものだ。
先輩たちもこんな気持ちだったのかなぁ。

私たちが欠けて部員の足りなくなった軽音部が心配だったけど、何とか廃部は免れたようだ。
二人から時々近況を知らせるメールが届く。


ところで、私と律先輩の間にはこの一年間、本当に色々なことがあった。
夏は海に行ったり、勉強の合間を縫って旅行に行ったり。
冬は律先輩の家で受験勉強をしたり。クリスマスも年明けも二人で過ごした。

もちろんケンカもたくさんしたし、悲しいことや辛いこともたくさんあったけど。
この一年間で私と律先輩の関係はずっと深まっていた。

人生山あり谷あり、楽あれば苦あり。

ケンカして仲直りするたびに、私と律先輩の絆は強まっていたように思う。

受験に合格して一ヶ月もすると、もう私は律先輩と同棲を始めていた。
お互いの親には話を通していたし、何より私たち自身が待ちきれなかったからだ。

一年間も待っていたんだから、ちょっとぐらい気が早くても許されるはずだ。

こうして、私と律先輩はお互いの約束を守った。


律「ただいまーっ」

律先輩の声が聞こえると、私は一目散に玄関へと出迎えに行く。

梓「おかえりなさい」

律先輩の姿を目にすると、思いっきり抱きついた。

律「おっと、ただいま」

梓「今日もお疲れさま」

律「いやー、バイト先で大分こき使われたぜ。疲れたーっ」

梓「ご飯できてますよ」

律「お、嬉しいな。今日の献立はこの匂いからすると……」

梓「うん、そう……」

私たちの声が重なる。

律梓「ハンバーグ!」


律先輩と暮らし始めて少し経つと、徐々に役割分担ができ上がっていた。
主に律先輩がバイトで生活費を稼いでくれて、私は料理や洗濯、掃除など家事を担当する。

本当は私もバイトをしたかったのだけど、律先輩に反対されて断念せざるをえなかった。
一年生の間はバイトなんかせずに勉強に集中するべき! ……らしい。

律先輩はどうだったのかと聞いてみたら言葉を濁されてしまったけど。

という訳で、我が家の料理はもっぱら私の仕事になっている。


私の料理スキルなんて律先輩に比べたら全然で、そもそも実家では家事なんてほとんどしてこなかった。
だから最初のうちは失敗ばかりで、何度も律先輩に泣きついた。
カレーやスパゲッティですら失敗していた。

ハンバーグなんて、毎度真っ黒に焦がしてしまって。
今回上手に焼けたことがむしろ奇跡だった。

それでも何度も律先輩に教えられて叱られて、励まされているうちに少しずつ上達していった。

律先輩は私の手料理を食べられることがとても嬉しいらしい。

この前たまたま上手くできたシチューなんか、大喜びで食べてくれた。

梓「ほら見て。上手に焼けたんですよ」

律「どれどれ……お、本当だ。こんがり焼けてるじゃん」

梓「たくさん練習したもん!」

律「どんどん上達してきてるみたいだな。よしよし」

梓「えへへっ」

こうやって頭を撫でられるとすごく嬉しい。
律先輩に褒められると、もっと頑張ろうって気持ちが湧いてくる。


律「おぉ、こりゃ美味い!」

律先輩は満面の笑みを浮かべてハンバーグを食べてくれる。

梓「律先輩のには敵わないけど……」

律「んなことないって、梓のハンバーグの方が美味しいよ」

梓「お、お世辞なんか要りませんよ」

律「本当だって。私のために作ってくれたんだからさ」

梓「へっ?」

律「自分のために作ってくれた手料理が一番美味いもんだよ」

梓「うぅ……」

私は顔を真っ赤にしながらハンバーグの切れ端を口に放り込む。


結局あの時以来、律先輩のハンバーグをごちそうになったことは数えるほどしかない。
料理当番が私になった今では、律先輩の手料理自体食べられる機会がそうないだろう。

だけど、自分で料理をするようになって気がついたことがある。
誰がどんな料理を作るのかでなく、誰と一緒に食べるかが大切なんだって。

律先輩と一緒に食べる料理が、一番美味しい。


律「お腹いっぱい、ごちそうさま」

梓「お粗末様です」

夕食を食べ尽くすと、私たちは二人して横になる。

梓「食べてすぐ寝ころがると、牛になりますよ」

律「お前も寝ころがってんじゃん」

梓「私は太らない体質だからいいんです」

律「ふぅん」

ごろごろ転がって、律先輩の隣に体を寄せる。

律「……」

梓「ふんふ~ん♪」

律「……」

律「なぁ、さっさと皿洗っちゃおうぜ」

梓「もう少し後で」

律「このままだと眠くなるぞ」

梓「だったら眠っちゃいましょう」

律「おいおい、明日にする気か」

梓「それもいいですね」

律「汚れがこびりついて後々面倒になるぞ」

梓「別にいいもん」

律「……たくっ、仕方ねぇの」

梓「ねー律先輩」

律「なに?」

梓「腕枕してください」

律「えーやだ」

梓「けちっ」

律「だってあれ腕が痛くなんだもん」

梓「むー……いいじゃないですか」

律「よくねーし。明日もバイトあんだからな」

梓「少しだけでいいですから……」

律「……」

梓「……」

律「そ、そんな目で見てもダメだぞ」

梓「……」ジー

律「うぅ、無視無視」

梓「……」ウルウル

律「ああもう、分かったよ!」

梓「やったぁ!」

律「ちょっとだけだからな」

梓「分かりました」

律「しばらくしたら食器の後片付けするぞ」

梓「はーい」

律「じゃ……ほらよ」

梓「それじゃお邪魔します」

律「……」

梓「えへへ~」

律「……」

梓「律先輩、あったかぁい」

律「う、うっせー」


律先輩の側はあったかくてほっとする。
こうやって触れていると、すごく安心する。


一年前の私は律先輩と離れることが不安で仕方がなかった。

長い片思いが実って浮かれる一方で、突然地の底にたたき落とされるんじゃないかっていう不安。
律先輩ともう会えなくなるんじゃないかっていう不安に取りつかれていた。

今から考えると、呆れるほど子供っぽい。
でもあのときは本当に必死だったんだ。

少なくとも、律先輩に約束してもらうまでは。


もし、過去の自分にメッセージを送ることができるなら。
私は一年前の私にこんな言葉を送っているだろう。


大丈夫、今の私は幸せだから。
絶対幸せになれるから。


梓「……」

律「……」

梓「ねー律先輩?」

律「今度は何だ」

梓「私……」

律「うん?」

梓「……いえ、何でもありません」

律「何だよ、変な奴」

梓「……」


私、とっても幸せですよ。



Fin







最終更新:2011年07月01日 20:45