紬「どうかしたの?」
菫「着方が……わからないです」
紬「あ、ごめんね……今、教えて……」
菫「手伝って下さい……」
紬「え……?」
菫「着替えるの手伝って下さい」
紬「え、うん」
そんなこんなで私も試着室に入る事になった。
試着室に入るなんて初めての事だが、それよりも下着姿で羞恥に顔を紅く染める菫ちゃんの方が私の興味をそそった。
紬「えっと、まずはこのブラウスを着て」
菫「は、はい」
紬「次はこのタイを締めて」
菫「締め方解りません……」
紬「やってあげるね」
私はタイを手に持ち菫ちゃんの首に廻した。
紬「……」
お互いの鼻息がかかる程に近づいて細かい作業をしてると、どうしてもチラチラと目が合ってしまって恥ずかしい。
そして焦れば焦る程、小さなボタンに翻弄され、なかなかタイを締めることができない。
紬「なんか恥ずかしいね」
菫「えへへ、そうですね」
一度落ち着いてもう一度挑戦するとすんなりボタンは締まった。
紬「次はペティコートとパニエね」
菫「それはなんですか?」
紬「えーと、輪骨って言うものが中に入っていてスカートの下に履くの。スカートをふんわりさせる役割ね」
菫「へー、なんか本格的ですね」
紬「まぁ、本物のメイド服だからね。ちょっと足上げてもらえる?」
菫「はい」
私は菫ちゃんの足元に跪いてパニエを持った。
紬「私の肩に手を置いていいよ」
菫「あ、失礼します」
そう言って少し屈んだ菫ちゃんの髪が、目の前で揺れて間違いを起こしそうになった。
紬「私は着替えを手伝ってるだけ……手伝ってるだけ」
なんども復唱し自分に言い聞かせる。
しかし菫ちゃんの波状攻撃は止まない。
菫ちゃんが私の肩に手を置き片足を上げると私の目の前でショーツががっつり食い込んだ。
紬「あとはエプロンドレスとホワイトブリムとパンプスを……」
なんとかそう言い残し私の意識は途絶えた。
次に目覚めた時、そこは私の部屋の見慣れた天井だった。
菫「あ、おはようございます」
紬「おはよう、態々運んでくれたの?」
菫「はい、お父さんが」
紬「え?」
菫「あ、自分でメイド服、着られました」
スカートの裾を指先で摘んで恭しくお辞儀をする菫ちゃんは清々しい程にどや顔だった。
紬「そう、偉いわ」
そんな菫ちゃん見て、私は自然と菫ちゃんの頭を撫でていた。
菫「えへへ」
くすぐったそうに目を閉じて微笑むその少女はまさに天使の様だ。
紬「ごめんね、それじゃあ屋敷を案内するね。さっきの場所がリネン室、シーツとかテーブルクロスとかそのメイド服とかがクリーニングされて戻ってくるの」
菫「イエス、マイロード!」
紬「ふふ、なにそれ、執事の真似?」
菫「そうです、ご主人様」
紬「お姉ちゃん感覚で良いのに」
菫「滅相も御座いません。紬お嬢様に粗相などしようものなら、我が斎藤家の矜持が……」
などと意味不明な供述をしておりとても可愛いです。
次は容姿を誉める。
紬「えーと、そのメイド服、可愛いね」
菫「え、はい、そうですね」
いやメイド服を誉めても仕方がない。
菫ちゃん誉めないと。
紬「あ、あのね……」
菫「?」
紬「えーと、なんというか……菫ちゃんって、か、かわ」
菫「かわ……?」
首をコテンと傾けて頭の上に疑問符を浮かべる菫ちゃんは本当に可愛いのに、それを言葉にできずにいる。
私は一度深呼吸をして覚悟を決めた。
菫ちゃんの碧い瞳を見つめただ思った事を言う。
簡単なことだ。
紬「Kawaii」
菫「はい?」
紬「菫ちゃんKawaiiわ」
菫「え、え?そんな……」
頬を両手で抑え狼狽える菫ちゃんの姿を見てとうとう吹っ切れた。
紬「抱き締めさせていただきます」
菫ちゃんの返事を待たずに私は最敬礼をした後、両手を広げその少女の華奢な体をきつく包みこんだ。
最初は体を強ばらせていた菫ちゃんも次第に体の力が抜けて行きホクホクし始めたようだ。
どれ程の時間そうしていただろうか。
辺りは暗くなり始めていた。
私は胸の中にじっと収まっていた菫ちゃんを解放し、証明のスイッチを入れた。
菫ちゃんは一気に明るくなった倉庫を眩しそうな目で見渡し呟いた。
菫「そういえばここはなんですか?」
ソムリエから逃げる際に駆け込んだこの倉庫は主に会食に使うアイテムを保存しておく場所だ。
折角なのでここも案内しておこう。
紬「ここはお皿とか色々仕舞っておく場所ね」
菫「へー、凄く広いですね」
紬「えぇ、パーティールームに500名のお客様を招待したりするからね」
菫「500人ですかぁ……」
紬「お皿も和食・洋食・中華で分けないといけないし、大きさもマチマチだからね」
紬「これがボンチャイナ、これがスクェアミート、これがマフィン皿で」
菫「天井も高いですねぇ」
紬「パーティールームも見せてあげたいんだけど今日はシャンデリアとカーペットの清掃が入ってるから……」
菫「紬お嬢様、これは何ですか?」
紬「あぁ、それはシャンパンの保存に使う器具ね」
菫「不思議な形ですね」
何にでも興味を示す菫ちゃんに頬が緩んでしまった。
母屋から唯一地下へ続く階段を下るとそこにワインセラーがある。
そこは薄暗くちょうど良い湿度で保たれていた。
小さい頃には良くここに隠れたものだ。
菫「ほぇ、ここがワインセラーですか」
ここでは菫ちゃんの声も良く響く。
紬「暗いから足元に気を付けてね」
菫「はーい!」
元気な返事を返してくれた菫ちゃんだが、私の事はお構いなしにどんどん奥へ進んでいってしまった。
菫「紬お嬢様ー!」
紬「はーい!」
私が菫ちゃんに追い付いた時、そこはワインセラーの際奥だった。
菫「ワインも凄い量ですね」
紬「これはお父様の趣味のようなものだからね。無駄に集めてるだけよ」
菫「飲まないのに集めてるんですか。なんだか勿体無いですね」
紬「大人の趣味は良くわからないわね。葡萄の醸造の仕方や産地や収穫した年の違いで何十万円も値段に違いがでるんだもの」
菫「お酒は良く解りませんね」
紬「この屋敷でお手伝いするならいつかワインの知識が必要になるかもね。他にもカクテルのリキュールや日本酒、焼酎、ビールとか、知っておいて損は無いかも」
菫「触ってみてもいいですか?」
紬「どうぞ、気を付けてね」
菫ちゃんが無造作に選んだ扉を開けると冷気が漏れてきた。
菫「これは何ワインですか?」
そしてその中から一本を取り出しラベルを見るため顔を近付けた時、ワインセラーの入り口の扉が突然開いた。
ソムリエが入って来たのだ。
それに驚いた菫ちゃんの手からツルリとワインボトルがすり抜けた。
菫「あ……」
それに反応する間もなく床に落ち砕け散るビン。
パリンと言う小気味良い音がセラーに響いた。
菫「どうしよう……」
菫ちゃんは今にも泣き出しそうな表情で目を潤わせている。
そんな事はお構いなしに今の音を聞きつけたソムリエがコツコツと急ぎ足で向かって来た。
紬「あぁ……」
どうしようもない状況だった。
菫ちゃんのエプロンには思い切りワインが掛かっており、ソムリエは矢継ぎ早に叱責を始めた。
菫ちゃんはとうとう泣き出してしまい、ただ平謝りを続けている。
私はそんな光景にだんだんと腹が立ってきた。
紬「煩い。いいから拭く物とちりとりを持ってきなさい」
ソムリエを一旦外に出した私は泣きじゃくる菫ちゃんに肩を貸し自室へと足を運んだ。
ワインセラーから自室まで五分程歩いたが菫ちゃんは未だに泣き続けていた。
紬「菫ちゃん……そんなに泣かないで」
菫「でも……さっきの紬お嬢様……凄く怖くて……」
紬「菫ちゃんに怒ったわけじゃないの。後でお父様に謝っておくから問題無いわよ」
菫「それと折角のメイド服に……ワインが……」
紬「白ワインだから直ぐに洗えば染みにならないよ」
菫「……」
紬「白ワインは赤ワインと違って冷やして保存するから結露で滑っちゃったんだよね」
紬「とにかく濡れた服を脱ごうか」
私はエプロンドレスの裾を掴んで強引に上に引っ張った。
紬「はいバンザーイ」
そこには何とも不格好な菫ちゃんが残った。
鼻をズルズル鳴らしただ立ち尽くしている。
紬「ふふ、変な格好」
私が冗談を言っても表情は変わらず眉をハの字にしたままだ。
紬「ほら、笑って!スマイルスマイル!」
菫「うふふ」
やっと少し笑ってくれた。
菫「あはは、それってスミレとsmileをかけてるんですか?」
紬「え、えぇ、まぁね」
意図せぬ場所でギャグをかましてしまった。
しかし菫ちゃんが笑顔になってくれたならそれでいい。
私はポケットからハンカチを取り出し菫ちゃんの鼻を拭うとドサクサに紛れて本日二回目の抱擁を交わした。
紬「やっぱり笑顔が素敵ね」
菫「えへへ、紬お嬢様、ありがとございます」
スキンシップと誉め言葉を同時に成功させた時、頭の片隅に突っかかっていた物が急に取れた。
そうだ唯ちゃんと梓ちゃんを繋ぐ見えない繋がり。
それは渾名だった。
唯ちゃんが唯一渾名でその名を呼ぶ女の子。
それが「あずにゃん」なのだ。
それは愛情表現の一つであり。
無意識での「あずにゃんは自分の物」との主張なのかも知れない。
私も菫ちゃんに渾名を付けよう。
なにがいいかな……
長考し素晴らしい渾名を思いついた。
紬「菫ちゃん」
菫「なんですか?」
菫ちゃんも私の背中に腕を回してくれた。
紬「今度からスマイリー斎藤って呼んでもいいかしら?」
それを聞いた菫ちゃんは盛大に吹き出し、咳き込みながら笑い始めた。
紬「うん、やっぱり笑顔が素敵だわ」
今日1日でスマイリー斎藤との距離をだいぶ縮めることができたと思う。
唯ちゃん、梓ちゃん。
本当にありがとう。
これからもお幸せに。
おわり
最終更新:2011年07月04日 22:01