「あれ?姉ちゃん今日も学校休むの?」
「まぁ、風邪みたいなもんだからほっときなさい」
「そっか…じゃあ、行ってきます!」
階下で行われているそんなやり取りを聞き終えると、私はモゾモゾと布団から顔を出した。
今日で学校を休んで三日目になる。
携帯電話を開くと、今日も唯やムギ、梓から私を心配するメールが届いていた。
皆には悪いけど、今は返信できるだけの気力なんてない。
溜息を吐いて携帯を机に置けば、再び布団を頭まで被り、ベッドの中で膝を抱えた。
幸いにも雨が降っているおかげで気温はそこまで高くない。
私は気兼ねなく自分の殻に閉じこもる事ができる。
「律、起きてる?」
戸がノックされ、母さんが部屋に入ってきた。
返事をするでもなく、私はベッドで膝を抱えたまま動かない。
律母「ご飯は作ってあるから、またお腹が空いたら食べなさい」
律「う、うん…」
律母「それにしても、あんたが学校を三日を休むなんて…変な事もあるもんね」
母さんがどんな顔をしているかは分からなかったが、多分呆れてるか怒っているかのどっちかだと思う。
律「いいからほっとけよ…」
目に溜まった涙を見られたくなくて、布団をギュッと握った。
律母「澪ちゃんと喧嘩したからって、そこまで落ち込む事ないでしょ」
律「~~っ!!」
図星を突かれて、私は思わずベッドから飛び上がった。
律母「あら、おはよ」
律「な、何で知ってるんだよ…」
律母「こないだ澪ちゃんのお母さんから電話があったのよ、『律ちゃんが泣きながら家から飛び出してった』ってね…」
私が休んでる事に特に口を出してこなかったから不思議に思ってたけど。
なるほど、そういう事だったのか…。
律母「何があったの?話してみなさい」
今更隠し通す意味もない、私は全てを母さんに話した。
私が悪ふざけで澪と一緒にアダルトビデオを見た事。
そのビデオは女同士であーんな事やこーんな事をするような内容だった事。
ビデオを見た後に澪が私に強引にキスをして迫ってきた事。
そして、その次の日から急に彼女が私を突き放すような態度を取り始めた事。
包み隠さず全てを話した。
律母「へぇ~、そりゃ色々と大変だったわね」
ニヤニヤと実に楽しげな笑みを浮かべながら母さんは言った。
こりゃ話さない方がよかったかもな。
律「ったく、他人事だと思って…」
律母「それで、あんたは澪ちゃんの事好きなの?」
律「そ、それは…その…」
そこまでストレートに聞かれると返事に困る。
友達として好き。
そういう卑怯な言い訳もできる。
でも、それは本気で私の事を好いてくれている澪の気持ちを裏切る言葉。
だから、軽々しく好きなんて言えなかった。
頬を掻きながら言葉を詰まらせていると、突然母さんが目尻に涙を溜めて笑い出す。
律「な、何だよ!そんなに可笑しいか!」
律母「ごめんごめん、普段は自信満々で調子のいい事言ってるあんたがそんな可愛い顔するなんて思わなくて…ぷっ、くっくっく!」
たちまち顔が真っ赤に染まっていき、慌てて母さんから目を逸らした。
何年経ってもこの人にだけは勝てる気がしないな…。
律母「まぁ、あんたがそうやって悩むのは分からないでもないけど…それであんたはいいの?」
ひとしきり笑い終えると、母さんが静かな声で聞いた。
律「えっ?…」
律母「だから、この先に澪ちゃん以外の相手と付き合う事になっても後悔はしないの?」
律「……そんなの、わかんないよ」
正直いって想像もつかない。
男の人と結婚して、子供を産んで育てて…そんな、当たり前の未来すら思い描けない。
一生その相手を信じて連れ添っていく自信なんてなかった。
でも、その相手が澪だったら…話はまた変わってくるかもしれない。
律母「それに、私だって今でも気になってる女の子がいるしね…」
律「えっ?」
律母「高校の時に一緒だった子でね、完璧に一目惚れして…綺麗だし勉強できるし、運動だって陸上部でエースやってるぐらい凄かったの」
どこか遠い目をして母さんは窓を見つめた。
律母「気に入られようと必死だったわ、寝る間も惜しんで勉強して、部活だってその人と一緒に居たくて陸上部に入ったのよ?」
律母「そんなこんなで仲良くなって高校生活を送ってたんだけど…でも、やっぱり女の子同士だから自分の気持ちが伝えられなくてね」
律母「高校卒業してからすぐに、その人に彼氏ができて私の片想いはおしまい…」
そこで小さく溜息を吐けば、少し寂しそうに母さんは笑った。
律母「別に今の旦那と結婚してあんたを産んだ事を後悔してるわけじゃないけど…今でも会う度に気になっちゃうのよね」
律「…その人ってこの町に住んでるの?」
律母「教えるわけないでしょ、女は謎多き生き物なのよ」
律「何だよそれ…」
久々に心の底から笑った気がする。
母さんの話を聞いてほんの少し安心した。
律母「とにかく、本当にあんたが澪ちゃんの事が好きなら自分の気持ちを素直に伝えなさい」
律母「人生で一番大事なのは、自分に正直に生きる事よ」
律「……うん」
無気力だった体に力が入っていくのが分かる。
もう自分に嘘は吐かない。
私は澪が好き。
澪とずっと、一緒に居たい…。
今からでも遅くなんてない、学校に行って正直に澪と話をしてこよう。
私はベッドから降りると、部屋を出ていく母さんの背中に声を掛けた。
律「今から学校行ってくるよ!多分走ってけばホームルームまでには間に合うからさ!」
律母「そう…なら、早くご飯食べて行きなさい!」
律「あ、あとさ…」
律母「何?」
律「ありがと…」
小さな声でそういえば、私は母さんに背を向けて着替えを始めた。
「頑張ってね」
そんな呟きを確かに私は聞いた。
 ̄ ̄ ̄ ̄
何とかホームルームが始まる直前に教室に辿り着く事ができた。
そっと教室の戸を開く。
私に気付いたクラスの友人達がすぐに声をかけてきた。
母さんがどうやら風邪という事で話を通しておいてくれたらしく、皆はしりきりに私の体調を心配してくれた。
その時、誰かの視線を感じた。
見ると、慌ててそっぽを向く澪が居た。
私は小さく深呼吸をすると、澪の席へと足を運ぶ。
律「おはよ!」
澪「………」
私が声をかけても、やはり澪は返事をしてくれない。
構わず、私は澪の耳元で声を潜めていった。
律「今日、ちょっと話したい事があるんだけど…部活が終わった後にいいかな?」
澪「…別にいいけど」
澪の返事を聞くと、そのまま私は自分の席へ向かった。
 ̄ ̄ ̄
久々の部活が終わると、音楽室には私と澪だけが残る。
お互い喧嘩してるのを知ってか、事情を話すと皆は気を利かせてくれてそそくさと部屋から出ていった。
澪「それで…話って?」
腕を組んでソファーに腰掛けて、澪は冷めた目を私に向けてくる。
拳をギュッと握ると、私は震える声で言った。
律「……澪……わ、私と…」
澪「え?……」
律「わ、私と付き合ってくれ!」
精一杯勇気を出して、自分の本当の気持ちを澪にぶつけた。
律「澪じゃなきゃダメなんだ…」
初めて出会った頃から抱いてきた感情だった。
ただ、素直な気持ちを伝えられずに照れ隠しのように私は澪をからかったりしてきた。
律「…澪以外の人と付き合うなんて考えられないんだ!」
律「それぐらい…私は澪の事、信じてるし……好きなんだ……」
肩で息を切らせば、堅く閉じていた瞼を開いて…恐る恐る澪を見る。
私を真っすぐ見つめる澪の両目からは、涙が溢れ出ていた。
律「み、澪?……」
澪「ぐすっ…ひっく……ごめん……りつ……」
嗚咽をもらすと、いきなり澪は私を抱き締めた。
澪「……律に嫌われるのが怖くて……自分から律を突き放そうと思って……」
澪「悪いのは私の方なのに……ごめん、律!……」
律「……私の方こそ、叩いちゃったりしてごめん…」
澪の頭を優しく撫でてると、そのまま私は唇を重ねる。
前の時と違って、怖さも何もない。
感じたのは、胸を優しく包み込む澪に対する愛しさだけだった。
 ̄ ̄ ̄ ̄
澪母「あぅぅ……」
律母「ったく、あんたは毎度毎度と飲み過ぎなのよ…」
夜中の雑踏の中で、私は酔い潰れてしまった友人を引きずる様にして歩く。
アルコールが回って頬を紅潮させた彼女は力なく顔を私の肩に預けていた。
行きつけの居酒屋で酒を飲み交わしていた私達はお互いの悩みとか、そういう事を話し合っていた。
ちょっと強めの焼酎を煽った彼女は目に涙を溜めて語り出した。
最近、澪ちゃんと喧嘩をしたらしい。
それは律が澪ちゃんの家を飛び出した日の夜の事。
それは律が澪ちゃんの家を飛び出した日の夜の事。
突然、家を飛び出して行った律を見て澪ちゃんに事情を聞いた。
家の素直じゃない娘と違って、澪ちゃんは自分のした事を正直に話したそうだ。
この普段はマシュマロを人間にしたようなポヤヤンとした彼女は珍しく本気で怒った。
娘の頬に平手打ちをして、律にした行為を本気で叱ったらしい。
澪ちゃんも気難しい年頃で、当然怒った。
それから家に帰る度にお互い口も聞いてないらしい。
澪母「ひっく…ぐすっ……ごめんね……ごめんねぇ……」
そんな訳で今も私の肩で絶賛号泣中というわけ。
律母「安心して…多分、あの二人ならもう大丈夫よ」
澪母「ぐすん……どうしてぇ?…」
上擦った声で聞いてくる彼女に、私は口元が緩むのを抑えようともせずに言った。
律母「ほら、私達だって昔はよく喧嘩したじゃない?」
澪母「そういえばそうね…」
律母「でも、三日以上喧嘩した時あったっけ?」
澪母「あぅ…で、でもほとんどは田井中さんの方が勝手に勘違いして起きた喧嘩じゃない…」
拗ねたような口調でそう言った。
そう、私も彼女とはたくさん喧嘩をした。
そう、私も彼女とはたくさん喧嘩をした。
だって、どうしようもなく好きだったから。
同じクラスや同じ陸上部の男子生徒と仲良くしてる度に、嫉妬してた。
澪母「おかげで私…ずっと高校時代は好きな人できなかったんだから…」
律母「さて、何の事やら…」
澪母「もう!いっつもそうやってごまかすんだから!…」
私もちょっと飲み過ぎちゃったのかな…。
何だかやけに自分に素直になれて…。
私は高校時代に聞けなかった質問を口にしていた。
律母「私の事…好き?」
言ってから、酔いが覚めてしまうほどの気恥ずかしさを感じた。
私の肩にしがみついている相手は無言だった。
多分、顔がだんだんと赤くなっていくのはお酒のせいだけじゃない。
私は真っ赤になった顔を隠そうと俯いた。
暫く、沈黙が続いた後…。
澪母「大好き……」
背中からそんな声が聞こえた時、胸が確かに高鳴るのを感じた。
でも、彼女の手の薬指に通された指輪を見て現実に引き戻される。
そう、彼女は親友として私を好いてくれている…。
ただ、それだけの事。
照っていた体から体温が抜けて、思考が冷静さを取り戻していく。
私にも彼女にも、旦那がいて…家庭がある。
今も私の心の片隅に残り続けている気持ちは多分、永遠に伝える事はできない。
首を動かすと私の肩には、人の気も知らないでスヤスヤ眠る無防備な寝顔があった。
律母「まったく…ホントにほっとけないんだから……」
優しく彼女の髪を撫でる。
相変わらずサラサラで心地好くて、思わずもう一度撫でてしまう。
起きる気配のない友人をしっかりと支えると、私は月明かりの照らす夜道を歩きはじめた。
律、澪ちゃんを幸せにしなさいよ…
また泣かせるような事があったら承知しないんだからね。
おわり
最終更新:2011年07月09日 21:23