なんと言うことだろうか。あれだけ紬が軽音部の活動に没頭することを良しとしなかった父親が、自分と殆ど同じ境遇であったとは。

紬は驚きで開いた口がふさがらなかった。

斉藤「その後旦那様は半ば強制的に音楽活動を断念させられ、アメリカの大学院で経営学を学び……
   そこから先は申し上げずとも聡明な紬お嬢様なら想像がつくことでございましょう」

紬「お父様は……音楽を諦めてしまったの?」

斉藤「少なくともKLPを辞められてから、鍵盤に触れる姿を私は見たことがありません。
   あれだけ熱心に収集されていたロックのレコードを聴くことも、音楽の話をすることも無くなりました」

紬「そうだったの……」

紬は思わず大きな溜息を吐いた。
父親は音楽の道を諦め、琴吹家繁栄の旗手を担う道を選んだ。
しかし、自分は父親ほど諦めがよくもないし、簡単に割り切れるほどバンド仲間との友情に疎くもない。
紬のそんな拭いきれぬ父親への不信感を察したのか、斉藤はさらに言葉を続けた。

斉藤「ただ……バンドを辞めることになり、最後のライヴハウス出演を終えた夜の旦那様の魂の抜けたような表情だけは今でも忘れることができません」

紬「……!」

斉藤「旦那様のバンドメイトであったレック氏、パーマン氏は今ではそれぞれの新しいバンドを率いて、今でも音楽活動を続けておられるそうです。
   その噂を耳に挟むたび、あの旦那様が決まって物憂げな表情をなさるのです」

紬「お父様は……音楽活動に未練があったと言うの?」

斉藤「現に琴吹家が楽器店の経営に着手したのは旦那様が当主になられてからです。
   少なくとも私は捨てきれぬ未練があるものと思っておりますが」

そこまで話を聞いて、紬の中では父親に対して数分前まで抱いていた大きなわだかまりが少しだけ溶解されるような心地がした。しかし、

紬「それなら……お父様は私にも自分が味わったのと同じ悲しみを味合わせるつもりなの?」

斉藤「その逆かと――」

つまりはこういうことだ。
紬がこの先どんな生き方を選ぶとしても、『琴吹』の名は常について回る。
もし紬がこの先もずっと軽音部のメンバーと演奏を続ける道を選ぶとしたならば、必ずそれが弊害になる時がやってくるのだ。

斉藤「旦那様は実際にそういう経験をされております。
   だからこそ、きっと紬お嬢様に同じ思いをしてほしくなかったのではないでしょうか。
   クラシックのピアニストというのは旦那様の最大限の譲歩だったのかもしれません」

紬「そんなことを言われても……。
  私はもうお父様が6年間のバンド活動で得たものと同じくらい、軽音部――放課後ティータイムの活動からかけがえのないものを得てしまっているというのに……」

それはお茶を囲んで楽しく笑いあう友情であり、つらいことがあっても手を取り合って乗り越える絆であり、
目覚めてしまったちょっと歪んだ性癖であり、そして何よりも仲間と一緒に演奏をすることの楽しさ。

斉藤「それはわかっております。ただ私はお嬢様に旦那様の気持ちをほんの少しでもよろしいので理解していただきたい。
   そして琴吹家の執事として、お嬢様に自分がこの家に生まれたことを後悔などして欲しくないのです――」

そう言うと、斉藤は「そろそろ登校の時間でございますね」と腕時計を見やって、慇懃なお辞儀をすると部屋から立ち去って行った。

学園祭までの残り少ない期間、放課後ティータイムの5人はそれぞれが1分1秒を惜しむように練習に励んだ。

律「やるなら後悔はしないようにしないとな! うりゃぁ、必殺りっちゃんブラストビート!!」ドコドコドコ……

律は朝から晩まで、手にマメが出来るまでスティックを握り続け、
澪と絶妙なアイコンタクトを取りながら必死に鉄壁のリズムの構築に心血を注ぎ、ペットボトルに入れてファンに売りつけることができそうなほどの汗を流した。

澪「私だって負けていないぞ。もうガラスの心臓を持つ歌姫とは呼ばせない」ボンボンボン……

澪は澪で生来の恥ずかしがり屋の性格を克服し、少しでもボーカルに自信が持てるよう寝
る間を惜しんで歌唱特訓を行った。
ベースの練習は言わずもがな、勝負パンツにまで気を使い、何度か大人のランジェリーショップに足を運んでみたものの、やっぱり恥ずかしかったのでいつもの縞パンで勝負することにした。

梓「絶対にムギ先輩のお父さんをギャフンと言わせる演奏をして見せます!」ギョワーン……

梓もまた替えの弦を10セット駄目にするほどの練習に励んだ。
深夜まで弾くものだから、ウ○コを頭に載せた毒舌な妹が業を煮やして「バカ野郎」と怒り出し……ということはなかったが、
ジャズミュージシャンである彼女の父親が感心するほどの練習ぶりだった。

唯「お菓子食べる時間も削ってるから力でないけど……やるしかないよね!」チャルメラー……

唯に至っては、あまりの没頭ぶりに、元来の『一度何かに熱中したらそれしか見えなくなる』性格が災いし、もはや寝ることすら完全に忘れていた。
そのせいでとうとう今朝は登校途中に突如道端に倒れこんでイビキをかきだしたという。
『アスファルトの上で寝転がるお姉ちゃんもかわいい~』とは彼女の妹の憂の談だ。
たぶんスカートだったので寝転がるとパンツが見えていた故の発言であろう。

さわ子「アウイエー……皆の晴れ舞台だもの、とびっきりの衣装を用意してあげなきゃ、私の可愛いリトルバスターズ(部員)に失礼ってもんよね!」

顧問であるさわ子は本業がおろそかになって減給を食らうほどに5人の衣装作りに気合を入れた。
しかし、気合いを入れすぎたおかげでおかしな方向にいきすぎた衣装は、5人にとってあまりにも着るのが恥ずかしく、残念ながらお蔵入りとなってしまった。
流石に乳の4分の3を放り出したような水着のような衣装を着る勇気には、残念ながら澪にはなかったのだ。

そして紬も、自宅でのピアノレッスンを一時中断してまで軽音部に顔を出し、5人での練習に加わり続けた。

先生「ファック! 俺様のレッスンをサボって軽音部を優先するだって!? ソウルメイトが聞いてあきれるぜ!」

紬の申し出にインギ先生は機嫌を損ねることこの上なかったが、機転を利かせた斉藤が山ほどのピザとステーキを手配すると大人しくなった。流石光速の豚だ。

とかく、こうして彼女達はベストを尽くしたのであった。

そして学園祭当日がやってきた。


律「さてと……体育館は幸いなことに満員御礼だ。私達ってもしかして結構人気ある?」
澪「どうだかな……。それよりムギのお父さんは本当に来てるのか?」
梓「これだけ人がいたんじゃ、ここからじゃわからないかもしれませんね……」
紬「はい……。多忙な人ですからもしかすると来な――」
唯「あっ、なんか後ろの方にいかにもお金持ちの貴族っぽい身なりの人がいるけど、あれってもしかして……」
律「アホか唯、ありゃただの豚だよ」
澪「しかも性格が悪そうだ。どうやって校内に入りこんだんだろうな」
梓「でも光速の豚ですね。指が芋虫みたいですけど、速く動きそうです」
紬「!」

紬は思わずハッとして、舞台袖から身を乗り出した。

紬「お父様が……来てる……。しかも斉藤にイングヴェイ先生まで……」

『続いては軽音部、放課後ティータイムの演奏です――』

紬が目を丸くしていると、放送部のアナウンスが体育館に響き渡った。

律「ムギ、いけるな?」
紬「……っ! はい!」

律の問いかけに紬は力強く頷いた。

律「よしっ! 今日のライヴはまさに軽音部の正念場だ! 気合い入れていこうぜ!」
唯「お~」
梓「お、おー……」
澪「おー、って、律が珍しく部長らしいな」
律「珍しくは余計だよ! それよりムギもほらっ」

律に促され、紬は思い切って右腕を天に突き出した。

紬「は、はいっ。……おー!」

正直に言えば、この瞬間の5人の胸中は不安が8割だった。
なにせ、今日の演奏が5人の放課後ティータイム、最後の演奏になってしまうかもしなかったからだ。しかし、

紬「私……やります!」

紬の力強い言葉に、バンドは息を吹き返した。
最後の演奏になんかしてたまるか――。全員の心が一つになった。
そしてステージに上がり、5人がそれぞれの立ち位置につく。

紬もまたステージ後方、律のドラムセットの横に立つ。
愛機のKORG TRITON EXTREMEの76鍵の感触を確かめると、ゆっくりとステージ上の唯、梓、澪の後ろ姿を、そして客席を見渡した。

紬「何度見ても……この光景は最高だわ」

それは何も唯達弦楽器隊のケツの動きが見えたりスカートの中が見えるからではない。
この場所が、間違いのない自分の居場所であるからだ。

唯「こんばんは! 放課後ティータイムです! それでは早速聴いてください! 『ふわふわ時間』!」

そして唯のMCに導かれ、バンドがドライヴし始めた――。

唯『ふわふわタァ~イム♪』
澪『ふわふわタァーイム♪』

斉藤「…………」

琴吹家に勤め、もう数十年になる執事、斉藤は目の前の光景を大きな感慨とともに見つめていた。
赤ん坊のころから身の回りの世話を任せられ、成長を見守ってきた紬が、ステージの上で何と立派に演奏していることか。

斉藤「紬お嬢様……うっ……うぐっ……なんとご立派に……」

時の流れと目の前の少女の姿に想いを馳せると自然と熱い涙がこぼれた。
だが、彼はプロの執事。すぐに自分が主の付き人としてこの場にやってきたことを思い出すと、傍らで厳しい表情でステージを睨んでいるはずのムギ父の表情を伺った。

斉藤「だ、旦那様……!」

斉藤は素直に驚いた。ムギ父のステージを見つめる目は険しく、大きな眉はしかめられたままだが、組んだ腕の先、右手の5本の指を曲のリズムに合わせるようにひっきりなしにバタつかせているではないか。
まるで、自分がバンド活動にのめり込み、10本の指でハモンドオルガンを弾き倒してきたあの頃のように――。

先生「ハッハー!! 放課後ティータイムなんてお笑いだぜ!!」

相変わらず演奏の稚拙さに毒舌を吐くインギ先生も、そういう割には大きな腹が揺れるのが判るほど、ノッている。というか、これはもはや噂に聞く『ヘドバン』の域では――。

斉藤「紬お嬢様……もしかすると……もしかするかもしれませぬ」

『ふわふわ時間』から始まったステージは、『カレーのちライス』、『私の恋はホッチキス』、『ふでペンボールペン』と続いた。

いつも以上に熱の籠った演奏に、体育館に集まった客だけでなく、ステージ上の5人の興奮もピークを迎えた。

律「すごい! すごいよ! 今日は今までで最高の演奏だ!!」
澪「うん、練習時間も少なかった割には……すごく良かったな」
梓「やっぱりこの5人での演奏にはマジックがあるんですよ!」

ステージ上で身を寄せ合い、互いの演奏を賞賛しあうリズム隊の二人と梓。そして、

唯「ね? ムギちゃん見てよ。お客さん達、私たちの演奏でこんなに喜んでくれてるよ?」
紬「……はい」
鳴りやまぬ拍手を送り続けるフロアの客を見渡しながら、紬は感極まって答えた。

これだから、バンドは……軽音部は辞められないのだ。
5人でステージに立ち、互いにアイコンタクトを交わして、思い切り演奏する。
どんなに美味な紅茶を飲んでも、どんなにおいしいケーキを頬張っても、この瞬間の快感に勝るものなどないのだ。

だったらどうする? 
この大切な仲間と過ごす大切な瞬間を捨てたくないのならばどうする?
答えは簡単――捨てなければいい。
大声でこの大切な時間を守りたいんだと叫べばいい。

決意とともに紬は眉を引き締めて、メンバーの顔をそれぞれ見やった。
そしてそれに呼応したかのように唯がマイクの前に立つ。

唯「え~、それでは……実は次の曲で最後になっちゃいます」
客『え~っ!!』
唯「えへへ……ごめんね~。でも私たちまだ5曲の演奏で限界なんだぁ~」
律澪梓「(私たちというより唯(先輩)が、なんだけどな」
唯「それではここで突然なんですけど……今日は特別にメンバーのソロタイムを用意しています! 軽音部のおっとりぽわぽわプリンセス! おいしい紅茶とケーキの妖精、キーボードのムギちゃん!」

本番を翌日に控えた最後の練習の時、4人が提案したのは、当日のステージでは特別に紬のソロタイムを設けようということだった。

紬「そんな……ソロタイムだなんて……私……」
梓「ムギ先輩の腕前なら大丈夫ですよ!」
律「大丈夫! ムギの好きな曲をポロポロ~ンと弾いてくれればいいからさ!」
澪「きっとお父さんへのいいアピールになるさ」
唯「そうだよムギちゃん、『私は軽音部でこれだけの演奏が出来るんだ!』って、見せてつけちゃおうよ!」

皆の言葉に押され、最初は戸惑いもあったものの、ステージに上がってしまえばやるしかないという気持ちのみ。

そしてこのソロタイムのために用意された体育館用のグランドピアノに、紬はまっすぐ向かった。


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