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 紅茶とクッキーの香ばしい匂いをまとって憂が戻ってくると、

 私たちはなんてことのない話題にシフトして、憂を混ぜた。

 唯先輩が好き……か。

 嘘ならいい、間違いならいいと思う。

 純のいうように、完全に壊れることはないのかもしれない。

 だけど、どこかがこじれて、ぎくしゃくするのは間違いない。

 その歪みは、私が唯先輩を好きだと心にきめてしまったときから発生するのだ。

 どちらにせよ、今は考えたところでどうしようもない。

 私がクッキーをかじり、談笑に身を向けようとした、そのときだった。

 私のポケットに、コンビニのレシートのごとくしまいこまれていた携帯電話が、ぶうんと震えた。

梓「わ、唯先輩!」

 慌てて携帯電話を引き出すと、唯先輩からのメールが来たところだった。

 私は思わず喜びで体が跳ねそうになって、ぐっとこらえる。

 件名は、「緊急事態!!」……?

憂「お姉ちゃんがどうかしたの?」

梓「ちょっと待って」

 メールを開き、中身を読むと、それはこれまですっかり忘れていた、確かに緊急事態だった。

梓「……とっ、トンちゃん!」

純「とんちゃん?」

梓「トンちゃん! 軽音部で飼ってるカメ! エサあげるの忘れてた!」

 本来、この土日にエサをあげる当番は律先輩、唯先輩だった。

 だけど先輩は修学旅行なんだし、もとより言われないでも私が当番を代わるべきだったのに、

 一人が寂しかったからとでもいうのか、トンちゃんのエサやりのことなどすっかり忘れていた。

憂「ええっ! 大変、すぐ行かないと!」

 外は雨が降っているところだけど、それどころではない。

梓「うん、急ごう!」

純「うわー、めんどくさ……」

 渋る純に支度させ、私たちは雨の中、学校に急いだ。

 部室にいくとトンちゃんは水槽の真ん中でゆらゆらと浮いており、

 なるべくエネルギーを消費しまいとしているようだった。

梓「よかった、生きてる……」

 急いでエサを落とすと、

 トンちゃんは水面に上がってエサにぱくつくと、身を翻して手で水を叩いて撥ね飛ばした。

純「うわあ、怒ってる」

梓「うっ……まあ怒るよね。2日もご飯抜きじゃ」

 お腹がすいてるだろうから、もう少しとエサを与えておく。

 トンちゃんは少し無視して泳いでいたけれど、やがて水面近くに浮いてぱくりと食べた。

純「なんか梓みたいだねー」

梓「いや、私じゃなくてもあんなナチュラルに忘れられたら怒る……」

純「そうじゃなくて、エサもらってる感じが」

梓「……」

憂「純ちゃんが言うのもわかるな。梓ちゃん、メールがくるたびにすごく嬉しそうだし」

憂「トンちゃんは、修学旅行の3日間メールをもらえなかった場合の梓ちゃんかなーって」

梓「私は別に……先輩たちが楽しんでたなら、忘れられててもいいよ」

純「素直じゃないなあ……さてと」

 純は水槽を見るのも飽きたらしく、膝を伸ばして部室を見渡した。

純「ドラム叩いていい?」

梓「いいけど、壊したら弁償だよ」

純「壊さない壊さない……スティックは?」

梓「律先輩の家じゃない?」

純「……じゃあ叩けないじゃん! なんだもー、せっかく来たのに」

憂「それじゃあ家に帰ったら、ギー太さわってみる?」

純「おぉ、いいね! 早く帰ろう!」

梓「長居してもあれだし、もう行こうか」

憂「そうだね。それじゃお話の続きしよっか」

 私たちは再度、傘をさして外に出た。

 雨の中で唯先輩からまたメールが来る。

 さっきのメールに返信をしていなかったので、トンちゃんと私を心配する内容だった。

 返事が遅れて申し訳ありません。ちょっと焦ってました。

 トンちゃんには、いまエサをあげたのでもう大丈夫です。

 そう返すと、すぐ携帯が震える。

 開くと純からで、一言「告白しろ」とだけ書いてあったので、私はぞくりとした。

 少しして唯先輩から、安堵を示す内容と、感謝のメールが送られた。

 その後は平和なやりとりをいくつか行い、家につくころにはもう途絶えていた。

 憂の家に戻ってすぐ、私たちは唯先輩の部屋に入った。

 壁に立て掛けるような形でスタンドに立っていた唯先輩のギターは、

 相変わらずメンテナンスが行き届いているとは言いがたかった。

 弦には少し錆があり、音階がずれているのを、

 無理やりそれっぽくチューニングして使い続けているような感じだ。

 本来、天性の才覚となる絶対音感も、唯先輩にはマイナス要素な気がしてならない。

 とりあえず私は、ギー太の具合がよろしくないのを憂と純に説明した。

憂「わかんないけど、とりあえずギー太はいま弾けないってこと?」

梓「弦を張り替えたら問題なく弾けるはずだし、唯先輩も替えの弦ぐらい持ってるだろうけど……」

梓「勝手に弦を張り替えたらまずいよね。そもそも、いまチューナーないし」

純「いいよ、私絶対音感だからチューニングする」

梓「うそつけ。それに、そこまでして触るのも悪いよ」

純「んーまあ、確かに。楽器は演奏者のソウルだからね」

 私はギターをスタンドに戻し、手をはたいた。

梓「そういうこと。おとなしくお茶でも飲んでよう」

 私たちは唯先輩の部屋を出て、下の階に戻ることにした。

 憂の部屋に飛び込もうとする純の襟を掴んで、階段を引きずり下ろす。

憂「お菓子いっぱい食べてるし、お昼はいいかもね」

梓「そうだね」

純「ねぇ、私絶対音感っていうの嘘じゃないよ」

梓「……」

純「この雨の音は嬰ロ」

梓「雅楽かよ」

純「憂と梓が階段を降りる音は……ありゃりゃー、Cとみせかけて耳障りな不協和音」

梓「憂、こいつ突き落としていい?」

憂「純ちゃん、私でも適当に言ってるってわかるよ」

純「ぐすん……」

梓「ぐすんはこっちのセリフじゃ」

 それから、意外と話のたねが尽きることはなく、私たちは語らっていた。

 夕方になってまた買い物に出掛け、雨で寒いからと鍋料理にしようとなって、

 憂から唯先輩の独創的な創作鍋をすすめられたけれどさすがに断った。

 イチゴトマト鍋ってマジでやったんだろうか。

 きっと憂の冗談だ。

 夕食のあとまた談笑し、交代でゲームをしたりして、眠たくなるとみんなであくびをした。

 憂が今日こそはというので、無駄だろうけれど純と一緒に寝てもらうことになった。

 まったく意味のない不撓の精神はどこから生まれているのだろう。

 もしかしたら憂は、純のことが好きなのかもしれない。

 それならそれで、まあ、ガンバ。

 閉じられたドアの前でそんな妄想を抱くと、私も廊下の明かりを消して唯先輩の部屋に突入した。

 急いで電気を付け、ひとまず深呼吸。

 唯先輩などいない。

 2日あけられた部屋では、少し唯先輩の気配はゆらいだように思う。

梓「……よし」

 少なくとも今日のベッドには、唯先輩の残滓はない。

 今夜は余計な意識をせずに眠れそうだ。

 私はベッドの脇のギー太を眺めつつ、へりに腰かけた。

 あずにゃん、と呼ばれた気がした。

梓「……」

 まだ生き霊がいる。

 この部屋で何年も暮らしているのだから、ここに唯先輩がしみついていても当然だ。

 換気をしたいところだけど、雨はまだ降り続いている。

 そのまま腰をひねって、倒れこむように布団に覆い被さってみる。

 今日の唯先輩は、ふわふわ漂う透明な気体だった。

 きっと部屋が暗くなったとき、その姿を目にすることができるだろうと思った。

 体を起こし、鼻に残る唯先輩ガスを吐き出した。

 私はギー太のほうに近寄って、そっと手を伸ばす。

 重すぎて片手を伸ばしただけでは持ち上げられず、結局立ち上がって持ち、また座るという作業をやらされた。

 ギー太を膝の上に乗せ、蛍光灯の明かりにあてて眺める。

 つややかに赤茶けたボディには、唯先輩がべたべた触った指紋がついている。

 修学旅行の前日に触った後は、拭いていないのだと思う。

 ネックとフレットを見ていき、私はふと気付いた。

 ピックを使う唯先輩の場合、弦が錆びるのはネックの上部のほうが早い。

 指でじかに触れるから、手汗と手垢がつきやすく、そのぶん錆びやすい。

 なにも、何か特別なことに気付いたわけではない。

 わざわざ言うほどでもない、当たり前のことだけれど、

 ……ギー太の弦は、唯先輩の汗と垢によって、錆びているのだ。

梓「……」

 今晩は雨で冷えているのに、私はシャワーを浴びたときの熱さをよみがえらせていた。

 こめかみをつうっと汗がつたい、耳がドクドクと激しく脈打つ。

 純の言っていたことを思い出す。

 一度、唯先輩でオナニーしてみるべきだ、と。

 純はそう言ったのだから。

 きっとなにかしら気配が伝わったときには、フォローしておいてくれるだろう。

 私はギー太をベッドにそうっと寝かせ、その上に四つん這いになった。

 私が息を吐くと、ギー太の弦がわずかに震えたようだった。

 まるで緊張に震えた唯先輩のくちびるのようなそこに、私はくちびるをつける。

 んっ、と唯先輩がくちびるを塞がれてうめく声。

 離れる音の代わりに、聞き慣れない和音が長く伸びた。

 あずにゃん、だめだよ。

 そんなことを言われる。

 私は舌を伸ばし、4弦をつーっと舐め上げた。

 鉄の味がしたのは、これが強姦だからだろうと思う。

 フレットにそって舌で6本の弦をはじくと、唯先輩は嬌声をあげて体をくねらせた。

 とても、素敵です。唯先輩。

 ネックに鼻をつけ、すうっと嗅ぎ、キスマークをつけてやろうと幾度もくちびるで強く吸った。

 汗と血の味。

 涙と愛液の匂い。

 腰を動かすと、股がパジャマまでぐっしょり濡れてしまっているのに気がついた。

梓「はぁ、はぁ……」

 ああ。

 唯先輩とセックスをすると、私はこんなに嬉しいんだ。

 私はギー太にギュッとしがみついた。

 戸惑ったように唯先輩は私のあだなを呼ぶ。

 暑苦しいズボンを下ろし、すうっとした夜の空気に、汗と愛液が冷たい感覚をうったえた場所を、

 私は強く、ギー太の体にこすり付けた。

梓「ぁっう……」

 腰骨からびりっと電流が走ったような感覚。

 知っている感覚、なのに初めての感覚だった。

梓「あぁあっ」

 私は抱いていたギー太ごとひっくり返った。

 重たいギターが私にのしかかり、大事なところにぐいぐい押し掛かった。

 唯先輩が、笑う。

 私の大事なところを太ももで広げるようにこすりながら、私にキスをする。

梓「唯先輩、唯先輩っ」

 くちびるを夢中で吸う。奏でるようなキスのリズムが興奮を高まらせる。

 何度も何度もキスをしながら、唯先輩は遠慮もなく私の性器を擦りつづける。

 そのうち、偶然か故意か、クリトリスをちょうど唯先輩の膝がとらえて、押し潰した。

梓「っんんうーっ……!!」

 その瞬間、感覚が限界を迎えたのがわかった。

 私は唯先輩を強く抱きしめて、くちびるをひたすら押しつけ、声を抑えた。

 体ががく、がくと痙攣して、唯先輩は優しく、あ、ず、にゃん、と歌うように私に微笑みかけた。

梓「……」

梓「……うぁ」

 唯先輩との行為の果てにあったものは、

 熱い熱い高ぶりの臭気と、

 聞き苦しいギターの雑音だった。


 私は何度もギー太に謝りながら、つけてしまった唾液と愛液をけんめいに拭いた。

 臭いは結局とれないまま、私はシャワーを浴びてきて、昨日つかったパジャマをまた着ることにした。

 下着もむろん替えて……シーツは、バレないことを祈るしかない。

 私は、いよいよ唯先輩の匂いなど完全にかき消えたベッドに寝転び、目を閉じた。

 唯先輩とギー太と憂、それに私のムスタングにも悪いことをしたけれど、とてもよく眠れそうだった。

 私は、幻想の(よりしろはあったにせよ)唯先輩と、セックスをした。

 好きではない、と言い訳を続けられないでもない。

 むしろ私なら、こんなのただの欲望じゃないかと否定に走るところだ。

 だけど私は、もう唯先輩を好きではないだなんて言いたくない。

 私は唯先輩を愛したくなったのだ。

 そのきっかけは、ただの自慰にはすぎないけれど。

 結局のところ私は、愛する甘さ、愛される甘さを知ってしまったのだ。

 だからもう、否定できない。

 日々抱きつかれただけで、同性の先輩を好きになるだけならまだしも、

 ただ一度セックスをして、彼女のことを隠しようもないほど愛してしまうなんて。

 私はどうやら、純にどうこう言えないほどのバカだと思っていいようだ。

 レズはだいたいバカだという法則が生まれる。

 だったら唯先輩も、とか失礼なことを思った。

 明日、唯先輩はこの家に帰ってくる。

 そうしたら私は、まずお帰りやお疲れさまやお土産くださいの前に、唯先輩に好きだと言うことにしよう。

 誰が一緒にいても、おかまいなしに。

 そんなの、私の恋路の邪魔にはならない。

 彼女が帰ってきたら、寂しがりな私はまず大泣きして困らせてやろう。

 私は、明日の期待に胸ふくらませ、あたたかい夢の中へと飛び込んだ。


 終



最終更新:2011年08月13日 22:28