彼女と私は小学生のときからの付き合いだ。
付き合いと言っても、別にそういう付き合っているっていうことではない。
ずっと一緒にいるっていう意味だ。
本当に、澪とはずっと一緒にいる。小学校も中学も同じだったし、高校も同じだ。
不思議な縁である。
小学生のころ、彼女を初めて見たときからわかっていたことだけど
澪は、きれいだった。
いや、小学生のころのそれは「かわいい」という言葉に100%表せられるものだった。
それが中学生になり「かわいい」30%、
「美人」「きれい」が70%を占めるような姿かたちになり、
周囲の澪への見方も少しずつ変わっていく。
澪が「かわいい」から仲良くなりたい女の子。
澪が「かわいい」から話がしたい男の子。
澪が「きれい」だから次第に妬むようになっていった女子ども。
澪が「きれい」だから付き合いたくて下心まる見えで声をかけてくる男子ども。
澪は澪で、愛想笑いをしつつ、
それでも、そんなやつらすら無下にできない性格で、
私ならいい加減にブチキレてビンタの一発でもかましてやろうかっていうそんな状況でも
相手のことを考えて、先のことを考えて、黙っていつもそういうものに耐えている。
普段気軽に声をかけてくるそいつらほど、
澪の内面のメルヘンチックさを知ると、
とたんに掌を返したように澪のことを腐った生ゴミをみるような目で見たり、
もしくは、雨の中でびしょ濡れな野良的なものを見てしまったかのように慈愛を含んだ、
だけど、化粧が濃いぶっさいくな顔で澪をその眼に映す。
私は助けたりなんかしないで、そんな彼ら/彼女らと澪とのやり取りを黙って見ていた。
そして、聞こえてくる澪の作り笑いに嫌気がさすと、
机に頬杖をつき、窓の外を見るフリをするのが日課のようなものだった。
そういう風に他の誰かといるときの澪を、私は全くかわいいと思えない。
他の誰かといることへの嫉妬も少しはあったのかもしれないけど、
でも、確かにそれだけではなかった。
なんとなく感じ取れてしまう、他人の、澪に対する欲が澪を汚しているようで
、澪の本来の美しさを汚しているようで、とにかく嫌だった。
そんなことを思いながら空を見上げるために見た窓に映るのは、
そいつらよりももっと仏頂面し、
抱えた欲望をその仮面の下にひた隠しにしている私の顔なんだから笑ってしまう。
中学2年の秋ぐらいから、私と澪の関係は変わった。
あの日、澪は私の部屋にいきなり入ってきて
いきなり泣き出した。無表情でだ。
なにがなんだかよくわからない私は
「どうしたんだよ~」「なにがあったんだよ」と、
とにかくそこらへんに散らばってる慰めの日常用語を手当たりしだい澪に言った。
でも、澪は泣き続けるばかりだ。
どうしようもなくなった私は、
秋にふさわしい色合いの、まだ替えたばっかりの新品のカーペットの上に
力なくしゃがみこむ澪を抱きしめた。
その頃には、たしか私よりも澪のほうが身長は高くなっていたけど、
澪が「この色は律に似合っていいよ」と言って
一緒に選んでくれたカーペットの上にペタリと座りこんでいるものだから
身長さなんて、たいした問題にはならなかった。
むしろ、問題はそのときの私の行動だった。
私がぎゅっと、澪を抱きしめると
それまで無言で涙をながすばかりだった澪が
ぽろぽろと言葉をこぼし始めた。
抱きしめた澪は、ただただ、やわらかかった。
澪「・・・つ・・・・り・・・りつ・・・」
律「ん・・・なんだよ。ここにいるよ?どうしたんだよ?澪」
澪「り、、つ・・・・り、つ・・・りつぅうう・・・」
それでも「りつ」としか言わない澪に、私はどうしていいのかわからなくて
澪を抱きしめる腕にもっと力を入れた。
もう澪のどこを抱きしめているのかわからないくらいにぎゅっと力をいれた。
日々の、私のよくわからないところで傷ついてしまったのかもしれない
思わずして、落としてしまってもう二度と元には戻らない
ひび割れをしてしまった卵のような澪をそっと、だけど、しっかりと抱きしめたつもりだった。
それがきっといけなかった。
そのとき、澪の顔は私の胸のあたりにずっとうずめられていたままだった。
その行動がこれからも尾をひくことだなんて露知らず。
私は、澪がこんなに泣くほど一体なにがあったのか、を考えて、よくわからなくて諦めて、
そして、澪がこんなに泣くことがあったときに頼ってくれたのが私であったことに
ものすごく優越感を覚えていた。
あの澪が!!私を頼ってる!!
いつも私のこと「ばか律」って言って頭叩いてくるあの澪が!!
最近おしりがもっちりして、でるとこ出てきていい身体つきをしたあの澪が!!
そう思った瞬間、私のなかに変な感情がわいてしまった。
澪が「かわいい」のでもなく「きれい」でもない。
私はそのとき初めて、澪を「愛おしい」と思ってしまった。
自分の澪に対する初めての感情、「愛おしい」というものを
私はそのときどう自分の中で受け取ればいいのかわからなくて、ただただうろたえてあわてた。
澪はあいもかわらず「りつ、りつ」と私の名前を呼びながら泣き続けるばかりだったし
私は私で、その部屋の状況と、顔のすぐ近くにある澪の頭から匂ってくる
最近はやりのいちごの香りのするシャンプーのにおいに
ただただ酔ってわけがわからなくなって、つられて泣き出してしまった。
そして、
記憶が正しければ秋の初めごろ、澪のお気に入りの色のカーペットを敷いた私の部屋で、
2人は座ったままキスをした。
澪のくちびるは私が思っていた以上にやわらかくて、まるで、摘みたての桃のようだった。
2人はそのまま泣きつかれて、触るとしっとりと肌にはりついてくる、
それでいて優しいカーペットの上でお互いを抱きしめながら
私の母親が「律!!あんた電気つけっぱなしで寝るんじゃない」と私の部屋に押し入って
まるでこの世の汚いものでも見たかのような顔をして眠る私と澪にびっくりするまでぐっすり眠った。
泣き止んだ澪に話を聞くと、ただ単に生理を迎えただけのことで、
そのことで私がひょうしぬけをするのは、そのはじめてのキスからわずか6時間後のことである。
「好き」だという言葉もなく、
お互いを思いやるだなんて、そんな余裕もなにもなかった一方通行だらけのキスから
私と澪の関係ははじまり、
その日から、澪はなにか悩みを抱え込みそれが爆発寸前にまで胸の中で膨らんでしまうと
私の部屋にくるようになった。
これはいけない。こういう感情は女の子である澪に向けてはいけない。
わかってる。なんとなくわかってる。国語と算数の違いくらいわかってる。
うそ。
正直、ほんとのところなんて全然わかってない。
自分たちがしていることがどれほど悪いことなのか、よくわからなかった。
私は澪が好きで、というか、ものすごく愛おしくて。
後々訊いてみたら澪もちゃんと私のことをそういう気持ちでいてくれていて。
2人でいれたら、2人は幸せなのに、
澪と友達以上の関係でいることは、私たちの周りの人たちを不幸せにするらしかった。
周りのことを考えるだなんて妙に大人ぶったことをして
気持ちを押しとどめて、澪を嫌いになろうとしたこともあった。
だけど、自分の中で押さえ込もうとすればするほど
その実をほおばろうとして、桃の皮をむいたときに
むやみやたらに果汁がしたたり落ちるように、私の澪への気持ちは膨らむばっかりで、
そして、私からムシされたことで通常以上に泣き私の胸に顔をうずめてくる澪を
抱きしめる回数が増えるだけだった。
私は一人で自分の部屋のベッドに横たわり、雑誌を読んでいる。
トントントン
と、階段を登ってくる独特のリズムが聴こえてきて
私は「またか」と思う。
この「またか」は、嫌悪感やめんどくさいとかいった気持ちは一切含まない。
ただ、なんとなく「あぁ、またか」と思うんだ。
それは嬉しくもあり、そして悲しくもあることだから。
「またか」と思いつつ、雑誌からは目をそらさない。あたかも平然を装う。
そして
コンコン
と2回のドアノックの後で
澪「律、いるのか?」
澪の優しいくも切羽詰った声がする。
律「おう、はいっていいぞ~」
極力明るく聴こえるように私がそう言うと
ガチャっという音がして、高校の制服から私服に着替えた澪が部屋に入ってくる。
私は、といえば、学校から帰って着替えもせずに
そのまま制服でベッドの上にねっころがって雑誌を読んでいるというのに。
私が入室の許可をするまで澪は絶対に私の部屋に入ってこない。
なぜか、と前に訊いたときに
澪「・・・律にも人に知られたくないものってあるのかなって思って」
という、とってもメルヘンチックで、かつ思春期まっさかりなコメントをいただいた。
その前日に澪が母親にメルヘンチックな日記を見られていたことを
私が知るのは、その質問を澪にした3日後のことである。
澪が部屋に入ってくると、それまで私の部屋であったはずの空間の色が変わったような感じがする。
私は自分の部屋であるはずなのに妙に居心地の悪さを感じながら、
それでも澪が私の部屋に来ることが嬉しくて
気恥ずかしさと、変なあせった気持ちがまぜこぜのまま、
だけどそれを澪に気づかれたくなくて、いたって平然と雑誌を読んでいるフリをする。
私が澪に一瞥もくれずに雑誌を読み続けていると
澪は無言でベッドの上に乗ってきて、無言で私の横に、私と同じようにねっころがる。
ドアのほうを向いて横になればいいのに、私のほうを見てねっころがるもんだから
澪の視線が、やたらと横顔にくすぐったい。
しばらくはそうやって、澪は私の横顔を見つめ続けて、私は雑誌に目を泳がせる。
最終的にはそのくすぐったさに私が耐え切れなくなって、
ようやく雑誌を閉じて澪のほうへ身体の向きを変えると、
それを待っていたかのように澪は私の胸元あたりにぐっと顔を押し当ててくる。
あまりにも顔を強く胸に押し当ててくるものだから、
この胸の奥のほうから私をギシギシと軋めかせているものの原因が
澪なのか、それともやっぱり私自身なのかわからなくなるほどだった。
それくらい強い力で澪は私のささやかな胸にグイグイと顔をうずめてきていた。
きっと、このときの力が強かったせいで私の胸は澪ほど、
というか一般的なものほどの膨らみをもつことがなかったのだと私はたまに言い聞かせている。
全部、澪のせいだ。
そう、全部、澪のせいなんだ
。
澪がこんな風に私の顔に胸をうずめてくるのも、
私がこんな風に胸が小さいままなのも、
澪がこんな風にしか自分の気持ちをコントロールできなくなったのも、
私がこんな風にしか澪のことを助けることもできなくなったのも、
きっと、廻りまわって全部は、澪が愛おしいから悪いんだ。
何回もそう思ったけど、それは口にしない。
きっと、口にすることはないように思う。
それから私たちは、重たいんだか軽いんだか、遠慮がいるのかいらないのか
そんなことがもうどうでもよくなってしまった沈黙のなかに
澪が満足するまで、2人でベッドの上に向かいあってねっころがる。
私はたまに飽きて、澪のサラサラしたきれいな髪を触ったり、
「私の心臓の音、澪にモロばれなんだろうな~」とか
「それを聴いて澪はなに思ってんのかな~」とか考えたりする。
私自身がそんな澪に悲しくなってしまったときは、澪の背中に手を回して
澪のことをぎゅっと抱きしめてる。
飽きてもないし寂しくもない。
だけど、澪のことを抱きしめてる。そういう日だってある。
抱きしめているつもりが、本当はこっちが救われているのかもしれないな、とか
よくわけのわからない悟りを私が開きはじめたころ
澪が私の胸から顔を引き剥がして、一気に現実に引き戻される。
そう、「引き剥がす」という表現が最適なくらいにうずめてくる日だってあるんだ。
うずもり方の度合いは澪の気持ちと比例しているように思えた。
澪が顔をあげて、私を見上げる。
澪の瞳に私の顔が映ったのを見て、
私の存在意義がこの部屋に再び戻ってくるのを感じてからようやく、
私は「澪」と心ぼそくその名前を呼んだ。
澪「・・・ん・・・りつ・・・」
律「今日はどうしたんだ?」
澪「今日はね・・・あのね・・・りつ・・・」
そうして澪はその日にあったことをつらつらと、自分のペースでつぶやき始める。
私は否定も肯定もしないで「そうなんだ」とか「へ~」とか他愛もない相槌しかできないまま
澪の言葉を訊きながら、その尻をなでる。
時に、強く、たまにその表面をなでるだけ。
私が好き勝手に澪のその柔らかな、桃のような尻を撫で回す間、
澪が感じて、変に色っぽい声を出す日もあれば、何事もないようにつぶやき続ける日もある。
中学2年の秋ぐらい、あの、澪の好きな、私によく似合っている色のカーペットを敷いた床の上で
2人で眠りについたとき、
私はどうやら澪のお尻をなでながら寝ていたようだった。
澪は澪で、私の胸に顔をうずめなければ満たされなくなったようだが、
私は私で、澪の尻に手を這わせなければ満たされなくなった。
高校生になって、それは日常の当たり前のような2人のルーティンワークのようなものになり、
高校2年生の春、澪が「今度はこの色にしようよ」と言って、
2人で選んだ新しいカーペットのやわらかい桃色に包まれながら
それまでのその2人の行為が、一線を越えるようなオイタアソビに発展するまで
澪が胸に顔をうずめたあと、
澪の話を訊きながら、今度は私が清らかな気持ちで澪の尻をなで続けた。
あの日は2人の関係を変えた。
それを人は依存と呼ぶかもしれないけど、私は幸せで、きっと澪も幸せだ。
だって、それはとってもやわらかくて、
私をクラクラにさせちゃうくらい甘い甘い桃のような香りを放っているんだから。
愛おしいほど切ないひびきで澪が「りつ」と私の名前を呼び
私が澪の尻をなでて、その後にまた2人でベッドの上でこっそり飛び跳ねることになるのは
澪が私の部屋のドアをノックした5時間後のことである。
トントントン
律「・・・」
コンコン
律「あいてるぞー、澪」
澪「うん、入るぞ、律」
おわり
最終更新:2011年09月11日 23:32