それを言葉にはしなかったけど、変わらないのが唯先輩の長所なのかなぁ、なんて漠然と思ったりして。

……そうだ、何があってもこの人は変わらない。私の知る唯先輩はそういう人だ。
良くも悪くもマイペース。歩く速度は人並み以下だけど、いつも同じところを向いている。いつも前だけを向いている。
いつも大切なものだけをちゃんと見つめて、いつも自分が正しいと思うことをする。
いつも自分にとっての最善を迷いなく選んで、掴み取ってしまう人なんだ。

そんな人が、私を嫌わないと言っている。いつでも私の味方でいてくれると言っている。
それはつまり、私を嫌わないということが、唯先輩にとって大切なことであって。
私は、私の考えとは真逆に、ある程度は好かれていて。

少し考えればわかることだった。この人は、嘘をつかない――とは決して言えないが、上手な嘘をつけるほど器用でもない。
妄信していた時期の私ならともかく、付き合いの長い周囲の人にも隠せるほどの嘘は決して吐けない。悪意のある嘘も吐けない。だから好かれる。
私も、妄信するのをやめた私も、そういうところは素直に好感を持っていたのではなかったか。誰よりも信用できる相手だと、心を許していたのではなかったか。


つまり、結局は私が馬鹿だったんだ。
唯先輩を疑った、信じ切れなかった私が、勝手に空回りした一人相撲。

バスの中でのあの言葉も、私に対する不信感じゃなくて、この人は本当にただ自分を責めていただけで。
気を遣われた自分を、本当に情けなく思っていたからで。

それでも、そんな気持ちを抱えながらも、私を支えようとしてくれて。

梓「……唯先輩」

唯「……なぁに?」

そんなあたたかい人の言葉に、気持ちに、応えたい。素直にそう思えた。

梓「……一つだけ、聞いてもいいですか?」

唯「……いいよ」

質問は一つでいい。今はまだ、他の言葉を、想いを紡ぐ時じゃない。

梓「……私は、軽音部に居ていいんですか?」

このままの私で、少なくとも表面上は大きな変化なんて何もない、素の私が軽音部に居ていいのか。
そこまで深い意味があることを、唯先輩が理解してくれるかはわからない。でも私の知る唯先輩なら、どちらでも同じ答えを返してくれる。
……私の信じる唯先輩なら、きっとこう言う。


  「……ダメな理由なんて、どこにも無いよ」


……振り返った先には、いつもと変わらぬ笑顔が一つ、輝いている。



――帰りの電車の中、唯先輩に一つ、図々しいお願いをしてみる。

梓「……唯先輩、そのネックレス、少しの間だけ私に預からせてくれませんか?」

唯「ん? なんで? 少しってどのくらい?」

梓「えーと……私が高校を卒業するまで」

唯「ええっ!? 長いよ!? あ、でもお金出したのあずにゃんだし、偉そうなことは言えないか…」

梓「あ、いえ、そのあたりは気にしないでください。唯先輩にあげたんですから、それは唯先輩の物ですよ、既に」

唯「じゃあ……なんでか聞かせてくれる?」

梓「えっと、ですね。うまく言えないんですが……この三日間のことを忘れないため、とか…」

唯「……よくわかんない。確かに思い出になるようなモノはこれくらいだけど…」

梓「いえ、もう一つ……これもあります」

首に巻いていた鈴を外し、唯先輩に差し出す。

梓「ネックレスを預からせていただく代わりに、これを預かっていて欲しいんです」

唯「……やっぱり、気に入らなかった?」

梓「そんなことありません。高校を卒業したら絶対返してもらいます。それまで頑張るために…預かっていて欲しいんです」

唯「人質みたいだね!」

実に的を射たことを言う。唯先輩が卒業した後に走らなければいけない私にとっては、この鈴はセリヌンティウスだ。
一方、唯先輩のネックレスを預かろうとしたのは、単に私が預けるだけだと唯先輩を勘違いさせて傷つけてしまわないかな、と思ったからなのだけど、

唯「そういうことなら、私もこの子を預けるよ。その子に恥ずかしくないように私も頑張るからね」

と、結果的にお互いに同じ理由を抱えて預けることになったので良しとしよう。

唯先輩に鈴を渡し、ネックレスを受け取り、少し微笑んで、前を向く。前だけを見つめる。

唯「……頑張ろうね、あずにゃん」

梓「……はい」


――前だけを、ずっと見つめて。



紬「――二人とも、おかえり!」

電車を降りると、ムギ先輩もいつもの笑みで迎えてくれた。ちなみに何故ここにいるのかと言うと、

唯『今から帰ります!』

紬『じゃあお迎えするね!』

という電話のやり取りが電車に乗る直前に行われていたから。それだけ。
唯先輩と同時に「ただいま」と言うと、「仲良しね」と笑われる。素でこんなことを言えるこの人も唯先輩に似た天然っぽい一面があるとつくづく思う。あくまで一面だけど。

紬「どうだった? ウワサの旅館は」

唯「私は普通に楽しかった…けど…」

梓「……ええ、まぁ、いろいろありました」

タダで行けたのだから文句を言うのはいけないとわかっているんだけど……
でも、結果的には丸く収まったのだからいいかな、と思う。

結局、二つの意味でタダより高いものはない、という言葉の重みを知った三日間だった。
タダだからと調子に乗ると痛い目を見る、という意味でもあるし。
値段を付けることのできない、信頼という感情が何より尊いと思い知ったし。

タダって唯とも書くよね、なんてギャグじゃないですよ、残念ながら。

唯「あ、でもねでもね、山の幸はすっごく美味しかったよ!」

梓「そうですね。露天風呂も山の澄んだ空気が美味しくていい感じでした」

唯「外見はオンボロだったけどね……」

梓「それは言っちゃ失礼ですよ……」

ともすれば引き当てたムギ先輩に失礼じゃないですか……と言おうとしたが、そこでムギ先輩が割って入ってきて。

紬「……ちょ、ちょっと待って、二人とも」

梓「はい?」

紬「……あの、旅館の名前……覚えてる?」

唯「? うん、CMしてるあの旅館でしょ? え~っと……」

肝心の名前が出てこない唯先輩に代わって私が告げるけど、ムギ先輩の表情は晴れない。

梓「……どうかしたんですか?」

紬「……変ねぇ。そこ、海の近くにあるはずなんだけど……」

唯「へ?」

梓「へ?」

紬「駅からバスで30分くらいの海沿いにある旅館…のはず。ほら見て」

ムギ先輩の差し出した携帯電話の画面には、私達が行った旅館と同じ名前と、海と、小奇麗な外見の旅館が写っていた。
ん? いや、ちょっと待って、この看板の名前……

梓「……ねぇ、唯先輩。これ、私達が泊まったところと漢字が違いません?」

唯「あ! ホントだ! 同音異義語だ!」

梓「異議って……意味は無いでしょう、旅館の名前に。それより、これは……」

……えっと、どういうこと?

紬「……二人はまったく別の旅館に泊まってきちゃった?」

梓「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。仮にそうだとしても何も言われませんでしたし……ねぇ唯先輩?」

唯「う、うん……チケットもちゃんと受け取ってくれたし……」

紬「……あのね、言いにくいんだけど、どっちにしても……そのあたりに他の旅館は無いの」

唯「えっ……」

梓「そんな……まさか……」

だったら私達は……どこに居たというんだろう?

考えても答えは出なくて、それ故にどんどん怖くなってくる。
けれど、あそこで過ごした日々は本当だ。ポケットにもちゃんと唯先輩のネックレスはある。生憎、旅館に行った証拠にはならないけれど……

梓「っ、そうだ、何か証拠になるような物は持ってないんですか!?」

唯「……何も…無いよね。お土産も外のお土産屋さんで買ったし…パンフとかも見かけなかったし……」

紬「旅館なのにパンフレットとか地図とか置いてなかったの?」

梓「……言われてみれば……」

唯「変、だよね……あんなオンボロでお客さんがあんなに入ってたのも……」

梓「あんなにお客さんが入るはずがないという事は……あんなに従業員さんを雇えるはずもない、ということですし…」

他にもいろいろ不審な点はあったような気もするけど、それは、結局……
……えっと、どういうことなの、本当に。

まさか、全部……幻?
いや、まさかそんな、馬鹿げたことがあるわけが……

でも他に納得のいく説明なんて出来ない。いや幻と言われても納得なんて到底できないけど。
さすがにこんな現象には前向きな唯先輩も頭のいいムギ先輩も答えなんて出せないはず――


唯「あ、ムギちゃんこれお土産ー」

紬「まぁ、ありがとう!」


梓「って二人とも! もうちょっと気にしてくださいよ!!」

唯「えー、だって~」

紬「悩んでも答えは出そうにないし~」


唯「ね~♪」
紬「ね~♪」


梓「………」

いや。いやいや。ちょっと待ってくださいよ。さすがにそれはダメでしょう。
怖いし意味わからないし、そのままにしておいていい事例じゃないでしょう、絶対。


っていうかなんでそんなに能天気なんですか。危機感とか無いんですか。
特に唯先輩は、全く覚えてないのだろうけどいろいろあって、まぁ私もいろいろ醜態晒したからそこは覚えてなくてよかったんですけど、ってそうじゃなくて。
本当に、本当に心配したのに。
心配で、不安で、しょうがなかったのに。
なのにこの人は、そんな私の気持ちをわかってるのかわかってないのか、さっぱりわからなくて。
なんか、ちょっと悔しくて。

ええと。
それで。
なんだっけ。

ああ、もう、とりあえず――



梓「――そんなんじゃダメですーっ!!!」



「「うわーっ、キレた!!!」」





おわりんこ



最終更新:2011年09月23日 21:52