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澪「……ん」

ふと目を覚ましたら、何かに反射した光が天井の一部を不規則に照らしていた。
ゆらゆらと揺れるそれを眺めているうちに、意識がはっきりとしてくる。

澪「あ、洗濯物……」

思いのほか日が傾いていることに気がついて、首をひねって窓の外を見る。
秋風に揺れる洗濯物の向こうで、空がオレンジ色に染まり始めていた。

上半身を起こしたら、胸の上にあった文庫本がばさりと床に落ちた。
ベッドから降りて網戸を開け、サンダルを引っ掛けてベランダに出る。

取り込もうと掴んだ長袖Tシャツはまだ陽の暖かさを残していて、
何気なく袖口を鼻先に寄せて、目を閉じてゆっくりと吸い込んでみる。

 「いい匂いする?」

突然聞こえた声に、はっと顔を上げてベランダの外を見る。

澪「……」

律「よっ! 久し振り」

澪「……りつ」

律「おう、りっちゃんだぞ」

日に焼けたせいか、前に会ったときより少し精悍な顔つきに見える。
マンション前の歩道からこちらを見上げて、律は軽く手を上げてニカッと笑った。

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律「金木犀の匂いがする。もうそんな季節なんだな」

澪「いつ帰ってきたの?」

律「今日の昼前に成田に着いた」

使い込んだバックパックを床に下ろして、律もその横にどかりと座る。

澪「何か飲む?」

律「あ、うん。お茶かジュースがあったら嬉しい。……あー、あと」

澪「うん?」

律「ちょっと、お腹すいちゃったかなーって」

てへ、とおどけた律に溜息を吐いてみせてから、
キッチンに行って冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックと薄紫色の箱を取り出した。
トレイにグラス2つとチョコレートを載せて、律の待つ部屋に戻る。

澪「とりあえずこれ食べてて。あとで食材買いに行って、ご飯作ってあげるから」

律「おお、いただきまーす。……ん、これうまっ! どこのチョコ?」

澪「ムギからのお土産。会社の近くのお菓子屋さんが作ってるんだって」

律「ムギに会ったのか?」

澪「先週ね。出張でこっちに戻ってきたときに」

律「そっか。元気そうだった?」

澪「うん。仕事もがんばってるみたいだったよ」

そうこたえると、律はもう一度そっかと言って、オレンジジュースをひとくち飲んだ。

澪「部屋にはまだ帰ってないの?」

律「あー、いや、帰ったことは帰ったんだけどさ」

私の問いに律は少し口籠って、うっすらと苦笑いを浮かべる。

澪「なにかあったの?」

律「んー。帰ってみたら、私の部屋に梓が居候してた」

澪「梓が?」

律「梓が。思ってたより元気だったよ、あいつ」

澪「……そっか」

律「梓な、唯のバックバンドに参加するらしいぞ」

澪「あ、うん。こないだ唯から聞いたよ」

律「そか。……それでまあ、収入がまだほとんどないから、それでな」


スタジオミュージシャンを経て独立した梓が
一時期仕事をやめて実家に戻っていたことは唯から伝え聞いていた。

やめた原因も分からず、
連絡しても返事をよこさない梓にみんなやきもきしていたけれど、
やっぱりというか、あの子の心を開いたのは唯だった。

澪「そっか。梓が元気そうでよかったよ」

律「うん。そんでまあ、それならってことでさ」

澪「うん?」

律「梓に、私が出てくから住んじゃえばいいじゃんって言っちゃった」

澪「え」

ぽかん、と口を開けてしまった。律はニヘラと笑って頬を掻いている。

律「どーせ1年の半分は家にいないし、二人が一緒に住むほうが何かと便利だろうし」

澪「だからってそんな軽く決めて……」

律「もともと私の荷物も微々たるもんだし、問題ないよ」

澪「いや、そうじゃなくて、律」

律「ん?」

澪「残りの半分は……こっちにいる時はどうするんだよ」

律「ぬ……」

まるで今気付きましたといわんばかりに、律がぎゅっと眉を寄せた。
最初から分かっていたくせに、とツッコミを入れるのはやめておいて、
わざとらしく難しい顔をして唸る彼女の、次の言葉を待つ。

律「まあ……。しゃーないから、しばらくは実家のお世話になるかな」

澪「……」

律「ここよりバイトの時給がちょい安いのがネックだけど、まあなんとかなるっしょ」

なんでもないと言いたげに笑うと、律はチョコをつまんでぽいと口に放り込んだ。
コロコロと口の中で転がしながら、澪の部屋は相変わらず片付いてんなぁ、と
私の視線から逃れるように部屋を見回す。

澪「……あ、読んだよ、コラム」

律「おー、どだった?」

澪「ん、面白かったよ。誰かへの手紙っていうやりかた、いいと思う」

暗唱できるほどに何度も読んだ、律からの手紙をまた思い出す。

律「……そか。よかった」

澪「……。ねえ、律」

律「んー?」

澪「うちに来なよ」

律「……」

澪「ここに住めばいいよ」

一緒に暮らして、また、花を咲かせようよ。
心の中で、私はそう言葉を続けた。

……やっぱりメルヘンは私の専売特許みたいだよ、ムギ。

律はゆっくりとこちらを向いて、やけに神妙な面持ちで私と視線を合わせた。
2、3度瞬きをして、静かに息を吐く。

律「……そんな、軽く言って」

澪「もともと荷物も微々たるもんなんだろ? 問題ないよ」

律「いや、そうじゃなくて、澪」

澪「ん?」

律「……あー、えと……」

そこまで言って、律はぎゅっと唇を閉じた。
けれどこらえきれず、ぷは、と息を吐き出すと肩を揺らして笑った。

律「私が言ったこと真似すんなよ、ばーか」

澪「お前もな」

律「なあ、澪」

澪「うん?」

律「また付き合おっか、私たち」


……結局私は心の内で思うばかりで、きちんと言葉にしてくれるのは律なんだな。


付き合って、もとに戻って、また付き合う。


誰もが複雑に絡まり合いながら日々を生きているのに、
律の言葉を繋いでみると、やっぱり私たちは呆れるほどにシンプルだ。

そう思いながらちょっと笑って、うん、と頷いた。

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澪「もう、外で何か食べようか」

軽く身支度を整えて、玄関に向かいながら律に提案した。
ドアの前でしゃがみ込んでトレッキングシューズの紐を結んでいる律が顔を上げる。

律「え……、でも」

澪「そんなにお腹鳴らしてたら、うちに帰って作るまで待たせられないよ」

にやりと笑ってみせたら、律は失敗を見られた子供みたいに頭を掻いた。

澪「ねえ律」

律の隣でスニーカーを履きながら、彼女の名を呼ぶ。

律「んー?」

澪「あのコラム、追伸の部分さ」

律「ん」

澪「あれ、私宛?」

律は少し眉を上げて、それからちょっと笑って、さあどうかな、とこたえた。
紐を結び終えて立ち上がって、踵をトントンと鳴らす。

澪「うぬぼれてるかな」

律「さあ? どうだろう」

狭い玄関で並んで立って、私よりも少し低い位置に律の笑顔が咲いた。
みお、と、律の唇が私の名前に合わせて動く。

私の肩に律の右手が乗って、顔が近づく。
同じ方向に顔を傾けてしまって、ちょっと顔を引いて、揃って照れ笑いする。


彼女からもらったやさしいくちづけは、
ホワイトチョコの甘い味と、かすかにラベンダーの香りがした。


***



  追伸:

  この綺麗な風景を見ていたら、何故か君のことを思い出しました。
  マチュピチュの話をしたことなんてあったっけ?

  日本に帰ったら、今回の旅の話をお土産にして会いに行きます。
  その時は美味しいご飯を食べさせて下さい。





おしまい



最終更新:2011年10月06日 20:55