わたしは公園のベンチに座っていた。
長い年月をかけてさび、汚れたこの黄色いベンチの上に。
どこか遠くから声が聞こえた。まるで誰かを呼んでいるみたいだ。
結局、わたしはどこにたどりついたのだろう。
まあ、今となってはどっちも同じこと。
ただ――あの頃、たしかにわたしはあの場所にいたんだ
【A】
律「缶けりしよーぜー」
澪「え?」
唯「いいねいいねー」
紬「いいわいいわー(缶けりって何かしら)」
梓「皆さん今は部活の時間です」
澪「そうだそうだー」
律「まあまあ、たまにはいいじゃん」
梓「たまにじゃないじゃないですか」
唯「じゃないじゃない」
梓「しかもなんで缶けり」
律「なんか懐かしくなっちゃってさ」
梓「いきなりですね」
律「まあな」
唯「よーし、じゃあ行こー」
というわけでわたしたちは学校の近くの公園に行った。何人かの子どもたちが無邪気にあたりを走り回っていた。彼らに自らの少女時代を重ねてみようとするが、何一つ思い出せることはなかった。昨日の夜は何を食べたんだっけ。
律先輩が缶コーラを一気飲みしてげっぷをした。
律「よしっムギもルールはわかったか?」
紬「うん、ばっちりよ」
律「じゃあ、鬼決めじゃんけん…ぽいっ」
三回あいこの後、律先輩が鬼に決まった。
唯「本物の鬼になっちゃわないよう気をつけてよ、りっちゃん」
律「わかってるってー」
澪「じゃあ蹴るぞー」
助走をつけて澪先輩が缶を蹴り損なった。
澪「いったあー」
律「ぷっ……澪見っけ缶ふーんだ」
澪「」
律「どんまい」
澪「……うるさい」
とりあえずトンネルの形をした遊具にわたしは隠れた。
ぬっと影が現れてもう見つかっちゃったかあと思ったけど、それは唯先輩だった。
梓「驚かせないでくださいよ」
唯「ごめんごめんー入ってもいい?」
梓「いいですよ」
わたしは腰を少しずらしスペースをつくった。
唯先輩がはいるとかなり狭かった。お互いの体がちょっとだけへこんだ。トンネルの入り口から秋風が吹き抜けて、くたびれた音がした。
唯「さむいねー」
そう言って唯先輩はさらに体をよせてきたけど、悪い気はしなかった。
梓「こんなとこじゃすぐ見つかっちゃいますよ」
唯「へーきへーき」
梓「その自信は」
唯「作戦があるんだよー。鬼がきたらあずにゃんは道路側から、わたしは自販機側から逃げて挟み撃ちだよっ」
梓「意味あるんですか、それ?」
唯「意味なんか考えちゃダメだよー」
梓「はあー」
予想に反してなかなか律先輩はなかなか現れなかった。聞こえてきた声でムギ先輩が捕まってしまったのがわかった。
唯「あずにゃん変なこと聞いていいかな?」
梓「ダメです」
唯「なんでさ!?」
梓「変なことですから」
唯「あずにゃんって毎日が幸せ?」
梓「……それはどういう…」
唯「うーん……毎日が楽しくて夢みたいってこと」
梓「夢みたいかどうかはわかんないですけど……楽しいですよ」
唯「そっか」
梓「軽音部に入る前の思い出なんてほとんどなかったんですけど、今はとっても充実してます」
そう言ってから軽音部に入ってからの日々を巻き戻そうとしたけど、なぜか脳ミソがきゃべつみたいになった気がして、考えるのをやめてしまった。
唯「ねえあずにゃん、今まで日々が夢だったらどうする?」
梓「え?」
唯「……ううん、なんでもない」
ちょっと沈黙。
律先輩はまだここを見つけられていないのだろうか。簡単なとこほど見落としやすいってことかな。
唯「そうだっ、あずにゃんはどこか行きたいところある?」
梓「えと…たとえば?」
唯「どこでもいいんだよっ……オーロラを見に行きたいとかさ、シロクマに会いに行きたいとかー」
梓「そうですね……あ、夜の海に行きたいです」
唯「夜の海かあー」
梓「唯先輩は行ったことあります?」
唯「ないよーどんな感じなのかな?」
梓「さあ…でも、イメージだとちょっと寒くて、きれいな月があって、くらげがいたりしてって感じですかね」
唯「ふむふむ」
そんなことをだらだらと話していたら、トンネルの向こう側でにゅっとのびる影が映った。
秋の夕暮れだと影法師が長くのびる。
梓「律先輩がきましたよ」
唯「よーし、じゃあせーのでいくよ」
唯「せーのっ」
わたしはトンネルを飛び出した。
逆の方向から唯先輩が出てきたのも見えた。不意をつかれた律先輩は遅れをとったようだ。
唯先輩の作戦通りわたしは道路に出た。
普段走ることが少ないから、どうしても疲れて、注意力が散漫になる。
つまり、原因は運動不足なのかあ。
向こう側からやってくるヘッドライトの光に目を細めながら、わたしが考えていたいたのはそんなことだった。
目の前がぐにゃりとした。
誰かが遠くで叫んでいた。
これでおわりなんていやだよ――そう思った。
【Y】
おわりました。
お仕事が。
唯「ふあーつかれた」
わたしはひとつ欠伸をして、この部屋を後にしました。柔らかそうなベッドの上にあずにゃんが寝ているのが見えました。
廊下に出ると和ちゃんがいました。
わたしの仕事が終わる頃を見計らってやってきたのでしょう。
和「今日はどうだったの?」
唯「ばっちりだよっ」
和「嘘でしょ」
唯「えへへ」
和「脳波に乱れがあったわ」
唯「ちょっとミスしちゃった」
和「はあーしっかりしなさいよ。素人じゃないんだから」
唯「す、すいません」
和「まあいいわ……わたしがなんとかしてみるから」
唯「面目ないです」
和「それで今日はどんな物語にしたの?」
唯「缶けりするお話だよ」
和「ふうん独特ね……じゃあご苦労様」
そう言ってわたしの肩を叩くと、和ちゃんは歩いてどこかへ行きました。
わたしは仕事場から外に出ました。
遠慮なく吹き付けてくる風が冷たいです。いくつかの路地を曲がって大通りに出たけれど、人の姿を見ることはできませんでした。ほとんどの人は夢の中にいます。
あたりはもう真っ暗だったけど、街灯があるので怖くはないです。
家に帰る間中、わたしは自分のミスについて考えていました。どうやら、わたしはそういうことをくよくよ気にするタイプみたいです。
わたしの仕事はお話をつくることです。
けれど作家とか漫画家とかいうことではなくて、夢を見せるお仕事です。
いつからかはもう忘れてしまいましたが、人々は現実の問題に疲れはててしまいました。それで夢の中で暮らすことのできる機械を作りました。
ただひとつ問題があって夢を見続けるには楽しいものでないとダメです。
だって、嫌な夢からは誰もが覚めたいと思うはずです。
そこでわたしたち(わたし以外にもこの仕事をしている人はいます)の出番です。
わたしは人の夢に入り込んでその夢を楽しくするのです。
大好きな歌をハミングしながら歩けば、家にはすぐつきます。
玄関をあけて中に入りました。
がちゃりという音が聞こえたのか、憂が出迎えてくれました。
憂「おかえりー」
唯「ただいまー」
憂「ご飯できてるよ、食べる?」
唯「うん、今日はなにー」
憂「ハンバーグだよ」
唯「やったあ」
食卓には憂の手料理がきれいに並べられてありました。やわらかい匂いが鼻をくすぐります。
いただきますのあいさつをして、わたしはハンバーグに手をつけました。おいしい!
憂「そういえばね」
唯「うん」
憂「船がきてるらしいよー」
唯「船?」
憂「うん、なんでも近くの港に寄ってるらしいんだよ」
唯「ふうん、めずらしいね」
憂「ねー」
唯「ねえねえ」
憂「うん?」
唯「その船ってどこから来たの?」
憂「さあ?」
唯「いいなあ~」
憂「そうかな」
唯「うん、一度はのってみたいよー」
船が連れていってくれる海の向こうの国をわたしは想像しました。
無学なわたしにはその国がどうなっているのかわかりませんが、きっと素晴らしいところだと思いました。
【A】
日曜日。
わたしは公園のベンチに座って唯先輩を待っていた。
遊びにいこうと誘ってきたのは唯先輩のほうなのに、集合時間に遅れるのはひどいと思った。
だけどまあ唯先輩だから仕方ないか、いやたまにはびしっと言ってやろう、でもあの顔を見たら許しちゃうんだろうなあ、なんて考えているうちに唯先輩がやって来た。
唯「あずにゃんごめーん待った?」
梓「……少しだけ」
唯「えへへ、すいません」
梓「別におこってないですよ」
唯「よかったあ」
唯先輩は心からほっとしたような顔した。このゆるんだ顔に安心を覚えるようになったのはいつからだっけ。
梓「そういえば、この公園に来ること多いですよね」
唯「そうだっけ?」
梓「そう言われると自信はないですけど」
唯「ここはわたしとあずにゃんの運命の場所だねっ」
梓「あんまりおおげさにするのって好きじゃないです」
唯「じゃあ、因縁の場所でいいやー」
梓「一気にマイナスになりましたね」
唯「あずにゃんわがままー」
梓「うっさいです」
梓「それでどこに行きます?」
唯「さあ」
梓「はあ」
唯「ああ」
梓「にゃあ」
唯「わあ」
梓「っていいですから、こういうの」
唯「ちぇっー」
これといってお互いに行きたいところもなかったので、フラりフラりと町を散策することにした。
駅を通りすぎ長い坂道を越え並木道を抜け商店街に入った。
ここも昔は活気があったらしいが、デパートや大型店なんかが建ちはじめた今では閑古鳥が鳴いていた。
唯「なんか最近鬼がでてるらしいよー」
梓「鬼って桃太郎にやられたあの鬼ですか?」
唯「うん」
梓「それは怖いですねー」
唯「信じてないでしょ」
梓「…まあ」
唯「ほんとなんだよー」
梓「鬼に会うとどうなるんですか?」
唯「なんかね、呪われるらしい」
梓「うわー」
唯「なにさっ?」
梓「いえ、だっておかしいですよ。鬼の呪いなんて」
唯「鬼といると夢からでられなくなるらしいよー」
梓「眉唾物ですね」
唯「どーでもいいけど眉につばつけるってすごく変だよね」
梓「ほんとにどうでもよかった」
唯「えへへ」
商店街のほとんどの店が扉を閉める中、営業を続けている店があったのでわたしたちはそこに行った。
その店はたい焼き屋だった。
店の奥のほうから甘い匂いがただよってきた。
『おいしいたい焼き』という昇り旗があがっている。
唯「わあ、おいしそう!」
匂いに引かれてたい焼き屋に向かっていった唯先輩に「犬ですかっ」というツッコミをいれて、わたしもその後に続いた。
店で二人分のたい焼きを買った。
クリームがないことに唯先輩は文句を言っていたが、あんこ派のわたしに問題はなかった。しかも、つぶあんだったしね。
唯「はい、あずにゃんの」
受け取ったたい焼きはまだ暖かくて手のひらにしるしを残していった。
たい焼きの姿をふと見るとなんだか不恰好だった。
わたしの記憶にあるたい焼きとはずいぶん違う。
まあ記憶なんてあいまいなものだけど。
唯「うーん甘いっ、あまあまだ」
梓「さっきまでクリームがいいってあんなに言ってたじゃないですか……あ、おいしい」
唯「それとこれとは別だよっ」
梓「なんだかなあ」
閑静な商店街をわたしたちはただ歩いていた。
まるで世界に二人しかいないみたいだという比喩が浮かんだけど、それは前からやってきた自転車をこぐおばさんによって台無しになった。
なんだか前にもこんなことがあったような気がした。デシャヴという感じ。
唯先輩は空を神妙な表情で眺めていた。
不意に寒気がして後ろを振り返ったけど、鬼がいるなんてことはなかった。
【Y】
わたしの仕事は朝がはやいです。
とはいっても仕事は寝ながらなので昼と夜が逆になります。
だから朝は憂に頼らず自分でしたくをするのです。
仕事場につくと早速わたしはあずにゃんのところに向かいます。
あずにゃんの安らかな顔(なんか死んじゃってるみたいですけど、そんなことはないですもちろん) を見ると、今日も頑張ろうって気になります。
あずにゃんの眠るベッドにはいくつかの機械がつながっています。和ちゃんが言うにはそれこそが夢を見せる機械なのだそうです。
その後わたしは和ちゃんのいる部屋に行って、今から夢の中に入るということを報告します。
この部屋はどこもかしこも真っ白で気が滅入りそうになっちゃいます。
唯「おはよー」
和「おはよう唯」
唯「ねえねえ、この部屋、模様替えしたらどうかな?」
和「いいのよ、別に住んでるわけじゃないし」
唯「むぅー」
和「とっとと仕事に行きなさい」
唯「はーい」
和「あ、そうだ。仕事の後にちょっとここに寄ってくれないかしら?」
唯「いいけど、どうしたの?」
和「なんか上から連絡あるみたい」
唯「ふうん、じゃあバイバイー」
和「またね」
そうしてやっとわたしはあずにゃんがいる部屋に戻り、仕事ができます。
別にそんなに仕事がしたいわけじゃないんだけどねー。
ベッドに横たわるあずにゃんに今日もよろしくと声をかけ、わたしはカプセルみたいな機械に入ります。
ここから夢の中に行くことができるのです。
時々、人から(といっても和ちゃんと憂の二人だけど)夢をつくるのってどんな感じなのか尋ねられることがありますが、残念ながらうまく答えることができませんでした。
それはたぶん自転車の乗り方みたいに、説明不可能なものなんじゃないかって思います。
その真っ白なカプセルの中の真っ黒な暗闇のなかで、わたしは今日のお話について考えます。
最近はちょっとネタが減ってきて同じことを使い回しちゃうこともあるけど、できるだけそれは避けたいのです。
両手で極めて個人的なおまもりを持って目を閉じます。
ゆっくり世界がねじれてきて一回転した後、わたしはあずにゃんの夢の中に溶けています。
最終更新:2011年10月12日 00:13