番外編「とある1日」
時計はやっと2時を回った頃だろうか。
間接照明だけをつけたこの部屋は、息が白く濁るのが見える。
そんな部屋に1人、ベッドの隅でじっとしている。
桜舞う入学式から数ヶ月、季節は冬になった。
わたしは相変わらず、律と共に生活をしている。
不意にキーッという、自転車のブレーキを握る音が外から聞こえた。
…律が帰ってくる。
階段を上がる足音に耳を澄ます。
その音が止んで、鍵を開ける音が聞こえる。
わたしはゆるむ口元を戻し、目を閉じた。
広めのリビングと寝室だけのこの部屋。
2人で住むには少し狭いけど、窮屈でもない。
わたしは本屋、彼女は居酒屋でバイト。
互いに過度な干渉もしないが、休みは極力一緒に過ごす。
そんないい距離感で、少しリズムの違う生活を送っている。
今日も彼女の帰宅は深夜。
わたしが先にベッドに入ることが多い。
薄暗いこの部屋のドアが開いて、彼女がベッドに近づいてきた。
わたしは目を閉じて、寝たフリをする。
不意にベッドが少し沈んで、唇に柔らかい感触がした。
律「…みーお、起きてんだろ」
澪「…何でバレた」
律「バレるも何も…ちゅーした瞬間、にやけてんじゃん」
澪「うるさい」
律「はは、可愛い奴め」
この瞬間がたまらなく好き。
起きているとキスしてくれないから、たまに寝たフリをする。
でも、大抵バレてしまうんだ。
澪「…おかえり、今日は早かったな」
律「うん、閉店前に客全員帰ってさ」
澪「お腹は?何か軽く作ろうか?」
律「いいよ、明日1限あるんだろ?」
澪「そのくらい平気だ」
律「シャワー浴びて日記書いたら寝るからさ、澪はベッド暖めてて」
澪「うん、わかった」
彼女が部屋を出て、わたしは壁の方に体を向ける。
今も彼女は日記を付けている。
自身の日記、それに加えてわたしとの交換日記。
あれからも日記を読みたがるわたしに、彼女が提案してくれた。
~~~
※
澪「律、日記読ませて」
律「嫌です」
澪「前は自分から読ませたくせに…」
律「…その話はやめてくれよ」
澪「律のけち」
律「澪の日記読ませてくれるならいいぞ?」
澪「わたし付けてないから」
律「付ければいいじゃん」
澪「読ませるために?嫌だ」
律「だろ?読ませるために付けるもんじゃないんだって」
澪「前は読ませたくせに…」
律「だーかーらー!」
澪「ふん、バカ律」
律「…じゃあさ、お互い読ませるために日記付けるか?」
澪「…交換日記?」
律「そう、それなら時間合わなくてもお互い何してたかわかるじゃん?」
澪「続くかな?」
律「わたしは中学から続いてるぞー?」
澪「…そうだな、今日バイト前に買ってくる!」
律「おう、頼んだ」
澪「どんなのがいい?」
律「普通の大学ノートでいいんじゃね?」
澪「可愛くない」
律「じゃあうさちゃんとかくまちゃん以外」
澪「ねこちゃん?」
律「…まあ何でもいいけどさ」
澪「律見て!買ってきた!」
律「おお、澪にしてはマトモ」
澪「でね、シール貼ろう」
律「うわーメルヘンなシールばっかり…」
澪「文字シールも買った!」
律「じゃあまずお互いの名前だな」
~~~
※
2人並んで、シンプルな表紙にシールを貼った。
『みお & りつ こうかんにっき』
その日記もそろそろ、2冊目に入ろうとしている。
浴室から、シャワーが床を打つ音が止んだ。
しばらくすると、今度はキッチンの方から何かの音がする。
…やっぱりお腹空いてたんだな。
今日はわたしも閉店までバイト先に居たから、何も作ってない。
コンビ二のサラダと、インスタントのスープで済ませてしまった。
何か作ってあげてれば良かった。
ため息をつくと、また息が白く濁った。
律が戻ってどのくらい経っただろう。
少し眠いけど、まだ寝たくない。
寝室のドアが再び開いて、律が入ってきた。
首だけそちらに向け、彼女を迎えた。
律「まだ起きてんの?早く寝ろよー」
澪「なかなか寝付けないんだよ」
律「あー音立ててたしな、ごめん」
澪「ううん、そうじゃない」
律「1人で寂しかった?」
澪「…そんなとこ」
律「澪ちゃんは甘えんぼさんですわねー」
澪「うるさいです」
律「はいはい、電気消すぞー」
澪「ん、ありがと」
律「澪の足冷たいな、暖房つけるか?」
澪「ううん、律がいると温まるから」
律「何かエロいな、その発言」
澪「バカ律」
律「はいはい、温めてあげるからなー」
後ろから優しく腕を回してくれる。
シャワーを浴びたばかりの体温は、本当に温かかった。
澪「はー、温かい」
律「落ち着く?」
澪「うん、すっごく」
律「じゃあ澪、こっち向いて」
澪「えーやだ」
律「何でだよー」
澪「ちゅーされるもん」
律「さっきにやけてたくせに~、どの口が言う?」
澪「この口だ」
律「そんな口にちゅーしてやる!」
上半身を起こし、顔をこちらにやろうとする。
すると彼女は勢い良く、壁に額をぶつけた。
律「…いってー!」
澪「今すごい音した!ゴンッ!て!」
律「笑い事じゃねーよ、マジ痛い」
澪「撫でてあげる、痛いの飛んでけー」
律「そんなんじゃ治んねー」
澪「どうしたら治る?」
律「澪がちゅーしてくれたら治るかも」
澪「はいはい」
澪「…治った?」
律「バッチリ!」
澪「それは良かった」
律「いい夢見れそうです」
澪「じゃあ寝るか」
律「うん、手貸して」
澪「冷たいだろ?」
律「握ってれば温まるよ」
澪「そうだな」
律「任せなさい」
澪「お願いします」
律「じゃあ、おやすみ」
澪「…おやすみ」
彼女の手が、わたしの手に熱を移す。
握った手が離れないように、
そう意識していると、寝ているのか起きているのかわからなくなる。
まだ真っ暗なこの部屋で、目覚ましがけたたましく鳴った。
その音に反応し、彼女は寝返りを打つ。
わたしは思いっきり伸びをして、アラームを止めた。
律「ん…おはよ」
澪「ごめんごめん、まだ寝れるよ」
律「うん…もうちょっと寝る」
澪「うん、おやすみ」
そう言って、頭を撫でる。
布団をかけ直してあげると、彼女は幸せそうに目を閉じた。
「澪は寝相が悪いから」
そんなことない、とは思っているけど、
彼女がそう言うから、わたしはいつも壁側で寝ている。
彼女を踏まないよう慎重に跨いで、セミダブルのベッドを出た。
顔を洗ってリビングに行くと、テーブルには交換日記。
…そして、朝食。
夜に作っていたのはこれだったようだ。
○月○日 律
今日は唯と講義で一緒になった!
今度鍋でもやろうって話になってさ。
うち呼んでいいよな?ムギと梓と5人で!
ってそんなを話してたら、教授に見つかって出て行けって言われた…
おとなしくその場を去った2人だったとさ。
りっちゃん、ちょっとだけ反省しています。
学校出た後はブラブラ買い物した。
いいフォトフレーム見つけたから買ったんだ。
アルバムから1枚写真抜いたけど、おこるなよ?
テレビのよこに飾ったから見といて。
バイトはいつもどおり。
よっぱらいに絡まれるのもなれたもんだ。
もう忘年会の予約がチラホラ入って、ちょっとこわいけどな…。
つかれたけど、やっぱみおの顔見ると生き返るな。
そんな愛するみおに、簡単だけど朝ごはん作ってみた。
温めるとよりいっそうおいしくお召し上がりいただけます。
りっちゃんの愛情たっぷりだから、心して食べるように!
冷ぞう庫にヨーグルトとサラダもあるからなー。
じゃあ、いってらっしゃい。
テレビの横…確認してみると、確かに目新しいフォトフレーム。
近づいてみると、2人の写真が入れられている。
部室での、『結婚式』の写真だった。
心なしか、2人とも今より幼い。
写真の苦手なわたしが、思いっきり笑顔で写った写真だ。
それを見た今のわたしもきっと、写真と同じこの笑顔なんだろう。
彼女も飛びっきりの笑顔で、一番彼女らしい表情だ。
冷蔵庫からヨーグルトとサラダを取り出す。
テーブルに置かれたフレンチトーストの横に並べてみる。
「朝からこんなに食べきれないぞ?」
笑顔のまま、1人そう呟いた。
急いで身支度を終え、後は家を出るだけだ。
玄関すぐの寝室のドアを開ける。
まだ寝息を立てている彼女に近づく。
澪「朝ごはんありがと、おいしかったよ」
律「…」
澪「…いってきます」
いってきます、のキスはわたしから。
ただいま、のキスは彼女から。
この家では寝ていることが多い2人。
それが自然に出来た、わたしたちの決まりだった。
寝室のドアノブに手を掛けたとき、ベッドの方を振り返る。
彼女の口元がゆるんでる。
…寝たフリ。
ああやって冷やかすくせに、彼女も一緒なんだ。
そんな彼女を見届けて、少し大きな声で言ってみた。
「幸せだな、わたし」
最終更新:2011年10月15日 23:44