5人での帰り道
いつもと同じような笑顔のようなものを3人には見せながら
澪はなんだかいつもと違うような感じで私の左隣を歩いていた
「どうしたんだよ」ってさ、
いつものおちゃらけた感じの私で澪に声をかけられたらよかったんだけど
3人とわかれて2人になってから
伏し目がちに歩く澪を見ていたら、どうしても言葉が繋げなくて
黙って帰ったんだ、2人で。かかとから伸びる2人分の影においかけっこされながらさ
澪ともわかれて、1人で自分の家についた後も
澪の表情が頭から離れなくって
なんだか身体の内側とか、ひざの中のほうがムズムズしてきていても立ってもいられなくて
とりあえず日課にしているようにスティックを構えて
スネア代わりに叩いている雑誌をももの上においた
「雑誌はスネアと違って跳ね返りが少ないからいい練習になるらしいぞ」って
そういう風に私に教えてくれたのは、澪だった
いや、中学生の頃だから、まだ「澪ちゃん」か・・・
教えてもらってさっそくためしてみた
1日目ではよくわからなかったけど
何日か続けていくと、
叩いている衝撃で紙がしだいに柔らかくなっていくのがわかった
目にみえて効果がでているように見えるのは私の性格に合っていた
澪がそういうのまで見越して教えてくれたのかはわからないけど
三日坊主にもならずに私はせっせとそれから雑誌をスネア代わりに叩いた
まだスネアを中古ですら買えていなかったけど、
そういう基礎練習は澪に教えてもらって段々レパートリーが増えていった
「りっちゃん、この雑誌のここにリズムの取り方かいてあったから見てみたらいいよ」
「り、りっちゃ・・・、りつ、♪の長さ、それ間違ってないか?」
「りつ、見てみてくれよ!!これ!!かっこいいよなぁ~~!この人みたいに私も弾けるようになるかな?な?」
そのまま雑誌をスティックで叩くと雑誌の表紙が次第にボロボロになってくから
いつからか、澪のアドバイス通りビニールテープを貼るようになった
こうするともっとスティックで叩いたときに跳ね返りが少なくなって
手首が強化されるような気がするようでしないようで、
・・・でもこの練習をしたあとに叩いたときのスネアの反動といったらすごいんだよな、これが
みおちゃん
みお
澪
私たちは、身体的な成長とともにいつのまにかどんどん人間的に距離が近くなって
精神的な距離も、名前の呼び方の変化と比例して縮まっていたように思ってた
少なくとも、私は
自分の部屋で1人でいるのに寂しいと思うようになったのはいつからだろう
私の場合、その質問は
「暗闇がいつから怖いものだって知ってた?」
っていう途方もないような疑問となんら大差ないように思う
澪と仲良くなるにつれて、遠慮がちな澪をよくこの部屋に強引に連れてきた
5年くらいはずっと、借りてきた猫みたいにこの部屋のそこらへんに座ってたのに
いつからだろうか、あれは
もう思い出せないくらいに、この部屋は澪の居場所として当たり前になっていたんだろうな
私がなにもいってないのにベッドの上に寝転んだり、
私に軽く声かけただけで漫画をあさったり、人が読んでる最中の雑誌を閉じて棚に直したり
そうやって何年もかけてここは澪の居場所になって
私にとってもここに澪がいることで、ようやく私の居場所が完成したものって思うようになっていてさ
ずっとおんなじものを共有して、おそろいの思い出を2人でそれぞれの心に映しあって
私の姿は私の記憶の中には映っていないけど、
でも、澪の記憶の中にいつだって私がきっと映っていてさ
同じように、澪の記憶に澪の姿はないけど
きっと私の姿ばかりが同じ景色の中で映っているんだ
そういうものなんだ、澪といるってことは
田井中律と、
秋山澪がいるっていうことはそういうものなんだ
2人でいて初めて風景と思い出が完成する
足りない部分を補ってる
人はそれを依存っていうかもしれないけど
ばかいえ、澪のどこが私に依存してるっていうんだ
よくみてみろよ、澪のどこが私を追い求めてるっていうんだ
いいことを教えてやるよ、こういうの、「私が澪に依存してる」っていうんだぜ
どうしようもないだろ?自分でもわかってるよ、そういうの
でも
澪がさみしい顔してるだけで、私もとってもかなしい気持ちになるんだ
澪がかなしそうな顔してるだけで、「そんな顔すんなよ」って言いたくなるんだ
本当はそういう風にむやみやたらに人を励ますのってよくないかもしれないけどさ
やめられないんだ、澪のかなしい顔は見たくないんだもん、この私が
私のエゴばっか
見つつ、見られつつのシーソーゲームだなんていうけどさ、
私はいっつも見てるだけだよ
その横顔を、私を見て安心したように微笑む澪の笑顔を
そういうの、
他の人といるときはふつーにその人の表情が変わるのを楽しいと思えるのに
澪の場合だけは、内心私はヒヤヒヤしてるしドキドキもしてる
どこかでいつも顔色をうかがっている
こういうの、なんていうか知ってる?
私は知ってるよ、こういう気持ちってさ
―――恋っていうんだろ?
練習が終わってからも自分の部屋なのに居心地の悪さというか、
身体の内側と、ひざの中のほうがムズムズはまだとれていなくて
こういうときは身体を動かすのが一番なのかなって思ったから
うっすら心配してくれる母親の声をおしきって
私は自転車で夜の町に繰り出したんだ
自転車のシャカシャカした音を聞きながら
やっぱり考えてしまうのは澪のこと
今はまだ一緒にいられるけど
高校を卒業して、大学に入ったら
きっと、澪にも彼氏とかそういうものが出来るんだろう
そういう風に恋愛をして、知り合った男に身も心も捧げてしまうんだろう
それが悪いことだなんていわない
っていうか、全くそれは悪いことなんかじゃない
むしろ一般的で、とても普通のことだ・・・そう、とても常識的で、実に当たり前で
周りのみんながそうするように澪もきっとそういう風に女として男と向き合っていくんだろうな
ぶっ壊れてしまえばいいのに、こんな私、全部、
そう、全部だ
私のものにならないなら、いっそ澪だって壊れてしまえばいい
そこまで考えてハッとした
信号はちょうど赤になって、
すぐ近くを自動車がものすごい勢いで通り過ぎていった
ブレーキを握る手にグッと力をいれる
深く深呼吸を何回もして、肺に新しい空気をむりやりに詰め込んだ
そういう自分勝手な考えを自分が考え付いてしまっただなんて
いくら無意識の意識の流れの行き止まりの八方塞だったからって
認めたくなかった
いつから私は、自分の思い通りに物事がいかないからって
周りのことを、自分のことを、
そして澪のことすら簡単にないがしろにしてしまえるようになったんだろう
カチューシャをはずして、形ついた前髪をくしゃくしゃにした
私以外のものになりたかった
せめて、今この時間だけは
自転車をこいで、ただ1人、なにものでもないものになりたかった
くだらないこの町の夜の風景に、溶け込みたかった
そうしたら、出来そうな気がしたんだ
こんなにひ弱な私にだって、澪のためにしてあげられること
1つでもいいから見つけて、毎日笑わせて、いつか、
いまは顔も知りえない、でもいつか必ず出会うであろう澪の男に、澪を渡すこと
どうせ、どちらに転んでも私と澪は一緒には居られないんだし
―――ふと、思ったことが私の脳に電撃のようなものを走らせた
そうだな、それはいい考えだ
いつもは考え付かなかったけど、今とてもいいことを考えた、
そうだ、そうしてみよう、一種の願掛けだ
私の気持ちが本物かどうか
私は本当に澪のことが好きなのかどうか
澪のことを本気で思っているなら、なんでもしてあげられるのかどうか
そんなことを思っていると信号が青に変わって
私は再び自転車をこぎ始める
あるい程度がむしゃらにこいでいると、目の前に坂があらわれた
そこまで急な坂なわけじゃないけど、立ちこぎをしないと登るのは難しいくらいの坂
私はまだ一度もその坂を立ちこぎですら登り切ったことがなかった
道路に沿って植わってる金木犀の匂いがたちこめる
口の中につばが貯まっていく感じがする
ムードなんてあったもんじゃない
私は女だ、それを疑ったことなんて今まで一度もない
もちろん、澪だって女だ、2人とももうどうしようもないほど女だ
ばっかみたいな反抗期も思春期も通り過ぎた秋の風の中に消えた
どうせ、どちらに転んでも私と澪は一緒には居られないんだ
だったら、この坂を登り切ったら、澪に告白しよう
そして、フラれよう
「友達のままでいような」とか言って、澪は笑うんだろうか
それとも、私のために「ごめんな」とか言いながら泣いてくれるんだろうか
・・・失敗したら、この金木犀の匂いをかぐたびに口の中につばが貯まるどころじゃないな
妙な高揚感に笑いがこみ上げてくる
今までのことを走馬灯のように思い出しながら
誰にも応援されないまま私は敗北の決まっている出来レースのスタートを切った
帰りの道は
足がフラフラで、ペダルをこぐのもあやうかったけど
かろうじて自転車には乗ってますって感じのペースでノロノロと亀のような私が
前髪を揺らしていた
さーて、このままのテンションで電話でもしちゃいますか、愛しの澪ちゃんに
と思ってポケットからケータイを取り出すやいなや
ケータイの着信音が私以外誰もいない道に鳴り響く
その音のやかましさと「え??な、なんでこの時間に??」っていう驚きで一杯になりながら
震える手でなんとか私は通話ボタンを押した
なぁ澪、たとえばこんな夢、いっしょにわらわないか?
その夢の中でさ、
ある人は一生懸命自転車をこぐんだ、ばかみたいに本当に一生懸命に
途中でお気に入りのカチューシャを落としたことにも気づかないでさ
視界にぶらつく前髪がうぜーな、とか思いながらそれでも
自分で決めたお願い事をどうしてもかなえたくってさ
心の中ではぐちゃぐちゃと言い訳めいたことをぬかしてるけど
本当は誰にも渡したくなんてないから、必死で自転車をこぐんだ
ばかみたいだろ?いや、実際、ばかなんだけどさ
でも、そいつは本当に真剣なんだ
真剣すぎて自分でもなにやってるんだろうって途中で思って
ある人のことを思いながら、坂の途中で泣き出すんだよ
自転車を必死にそれでもこぐのをやめないで
見苦しいから、やめりゃいいのにな、もう意地でさ、やめれないんだよな
ああいうのって
だってさ、一回も登りきったことのなかった坂の途中まできたんだ
やめられるわけがないんだ
途中で諦められるわけがないんだよ
坂をのぼりきったときにさ、これまたひどいんだ
一生懸命からだは空気を欲してるからめっちゃくちゃ呼吸を繰り返すんだけど
もう、ぜんぶ金木犀の香りで埋め尽くされた感じになんのね
空気ってか、金木犀の匂いを吸ってるって気分だったね、あれは!
もう出したくもないのに、口の中がつばで溢れかえっちゃって・・・おかしいだろ?
・・・って、え??み、澪・・・?
もしかして・・・泣いてる・・・の・・・か!?
・・・・
・・・
・・
・
わかったよ、澪
いまから行くから、まっててな
あと・・・、その・・・私も好きだ
震える指で通話ボタンを押して、耳からケータイを離す
自分でも耳が赤いのが嫌というほど理解できた
心臓がさっき坂を登ったときと同じように鼓動を打つけど
鼓動を打つ理由はまったくさっきと違っていた
嬉しさと顔のほてりと同時に、妙には冴えていく
夢のようにふわふわしていたものが
私の身体の形に添って私に寄り添ってくるように思えた
こんなことってあるもんなんだな
ありきたりな言葉でしかまだこの気持ちは言葉に出来ないけど、
とりあえず、今はぼけーっとこんな道の真ん中に突っ立ってないで
澪に会いに行こう
なぁ澪、たとえばこんな夢、やっぱりいっしょにわらわないか
いまもし澪が泣いていたって、この夢の話を聞いたらきっと笑うと思うんだ
私の好きな声で笑ってくれると思うんだ
それだけで、きっと私も笑顔になれるから
ブレーキの音がしたのか、澪がすぐに窓から顔をだす
照れくさくてどんな顔をしていいのかわからなかった私に澪は言った
「りつ、だいすきだ」
泣きながら、でも幸せそうにそう言ってくれる澪の顔に
なんだか私は無性に泣けてしまった
おわり
最終更新:2011年10月19日 19:07