「まず最初に」

 できるだけ冷静に、自分を分析するように。
 唯先輩の目をまっすぐに見つめて。
 お互い向き合って話を始めた。

「新歓ライブです。
 親がジャズバンドをしているもので、
 音楽に触れる機会はたくさんあります」

 唯先輩は真面目に聞いてくれている。
 馴染みのないことでも理解しようというふうに。

 もっとも、『あずにゃんが話すから』なんて理由だったら、
 それはそれで唯先輩らしいな、と思うけど。

「なんていうか――、
 感動って言葉じゃ足りないけど……、感動したんです」

 少し恥ずかしくなって、うつむいて視線を落とす。

 視線を戻すと、唯先輩は指先で唇をなぞっていた。

「もちろん、他のバンドだって素晴らしいですよ。
 でも、技術とかじゃないんです。
 この人たちと演奏したいなって思ったから――」

 今でも思い出せる、新歓ライブの光景を。
 ステージ上の四人、ライトに照らされ演奏をする。
 みんな輝いて、本当にキラキラして、言葉じゃ言い表せないくらい。

「――唯先輩を見てたら引き込まれる感じだったんです。
 あとで憂に聞いたんですけど。
 私、つま先立ちで見てたらしいです」

 そのときから唯先輩が好きだったのかもしれない。

「――と、まあ。これが一つ目の理由です」

 やっぱり、説明より感情が優先している。

「次に」

 しっかり分析できているだろうか。
 わからないけど説明を続けた。

 唯先輩は首をかしげながら、それでも聞いてくれている。

「唯先輩にはギャップがあります、普段と演奏してるときの」

「うんうん」

「普段は……、だらしないです。悪いですけど」

 でも、たまにドキッとするようなことも言う。
 そんなところも好きになった理由だ。

「演奏になっても、間違えることがあります」

「そっ、それを言われたら……言い返せないよ。
 あずにゃん、本当にわたしのこと好きなの?」

 好きなのは間違いない、それを今分析している。

「でも、やるときは本当にやりますよ。
 特にステージに立ったときなんてすごいです」

 もし唯先輩が普段からしっかりしていたら。
 きっと理想の姿なんだろうけど、
 それを好きになるかは別の話だと思う。

 唯先輩は舌なめずりをしながら聞いている。
 なにか企んでいるような仕草で。

 かまわず言葉を発する。

「それから」

「まだ続くの?」

「やっぱり……抱きつかれたら、
 うれしかったんです」

 過剰ともいえるコミュニケーション、
 でも不快に思わなかった。
 私はそういうの苦手なほうなのに。
 それが唯先輩の魅力なのかもしれない。

「いつも『やめてください』って言ってたんですけどね」

 なんだか恥ずかしくなって、正面に向き直り本音を言う。

「まんざらでも……なかったんです」

 唯先輩が初めてだった、こんなに私のことを好いてくれる人は。
 私の『好き』とは違うんだろう、でも。

「唯先輩、私……」

 彼女のほうを向こうとしたとき、
 唇の右横、頬とのあいだに、やわらかくて濡れたものが押しつけられた。

「んっ……?」

 思わず声が出て、あたたかさの正体に気づいたとき、
 私は冷静でいられなくなった。

「なっ! なにするんですかっ!」

 自分でも驚くほどの声が出て、
 唯先輩は猫に引っかかれたみたいに後ずさった。

 声の振動が空気中を伝わり、
 窓ガラスを揺らしたようにさえ思える。

「なにって、ほっぺにチューだけど。
 あずにゃんいきなり振り向くから……、
 唇にしちゃうとこだったよ?」

「そんな問題じゃないです!
 い、いい、いきなり……キスするなんて!」

 口づけをされた、唯先輩に。
 唇のすぐ横、頬とのあいだに。

「そっか、あずにゃんは唇がよかったんだね。次からは――」

「なんでそんなに軽いんですか!」

「だってあずにゃん、むずかしい話するんだもん。
 だから『チューしちゃえ』って、ね」

「どうしてそこでキスするんですか!」

 思わず立ち上がり、私は部室をうろうろしだした。
 恥ずかしくて唯先輩から離れようとして。

 歩きまわると顔に空気が当たり、濡れたところがより意識される。
 唇のすぐ横、頬とのあいだ。

 それがうれしくてつい口元がゆるんでしまう。
 見られないように、そっと手で唇を隠した。

「あずにゃんや」

「……はい」

 私は振り向き、口元がゆるまないようにしていた。

「たぶん『好き』ってそんなんじゃないと思うよ」

 私はベンチのほうに向かい、唯先輩のそばに寄った。
 近くに立って話を聞くために。

「私にはよくわかりません。
 唯先輩に『教えて欲しい』って言われたけど、
 私自身よくわかってないんです」

「じゃあ、二人で探してみない?」

 まるで落し物を探すみたいに話を持ちかける。
 落し物どころか、まだ手に入れたこともない。

「探すって、物じゃないんですから……」

「たぶん、一人じゃ見つからないと思うんだ」

 ベンチに座った彼女は、いつもと違う目線を寄こす。
 演奏するときの真剣な目でもなく、後輩をかわいがる目でもない。
 なにかを期待するような目で見つめてくる。

「だから、あずにゃん。二人で、ね?」

 二人で『好き』を探す、か。
 この人らしいというか、なんというか。

「私でよければ」

 そう答えて、お互い顔を見合わせ微笑んだ。

 唯先輩の左隣に腰をおろし、体をそっと寄せる。
 もう遠慮はしない。
 ムギ先輩は、『恋をしたら素直になれるのかもね』と言っていた。
 そういうことにして、私は唯先輩に体重を預けた。

「唯先輩」

「なあに?」

「週末になったら買い物へ行きませんか?
 楽器店で唯先輩が好きそうなピックを見つけたんです」

「それはデートのおさそい……ってことでいい?」

「はい」

 唯先輩は「楽しみだね」と言って、私の頭をなでてくれた。
 子ども扱いされたと思ったけど、もうそんなことで怒ったりはしない。

「楽器店だけじゃなくて、他にも行きたいところはあるんです」

「あずにゃんにまかせるよ」

 私たちは口を閉じ、同じ目線で部室を見つめる。
 唯先輩に寄り添い、「それにしてもみなさん遅いですね」と入り口を眺めた。

「ねえ、あずにゃん。二人で先に練習しない?」

 思いもよらない台詞が出た。
 唯先輩から練習しようだなんて。
 でも、思いもよらないというのがこの人らしいと、そう感じる。

「――いえ、もうちょっとこのままで」

 練習をしたくないわけじゃない。
 ただ、寄り添う時間と天秤にかけると、練習のほうが浮いたというだけ。

 せっかくだから浸っていたい、その気持ちに従うことにした。

「うん」

 そう答えた唯先輩の声に、残念そうな色は混じっていない。

「あずにゃん」

「はい?」

「呼んでみただけ」

「なんですか、それ」

 今までと同じ呼び方だけど、なぜか愛おしく感じる。
 そう思えるのは、特別な関係になったからかもしれない。

 だから意味も無く同じことを繰り返したくなる。

「ゆいせんぱい」

「うん?」

「呼んでみただけです」

「そんなあずにゃんもかわいいよ」

 唯先輩は私のほうに振り向き、笑顔を向ける。
 私もそれに答え、笑顔を返した。

 お互い見合わせて、唯先輩は明るく声を出す。

「見つかったらいいね、『好き』って気持ちの正体」

「いいね、じゃなくて。見つけるんです」

 唯先輩は力強く「うん!」と答える。
 私は「二人で」とつけ足し、彼女の肩に頭を乗せた。

 そっと目を閉じ、週末のデートを想像してみる。
 自然と笑顔になり、告白してよかったなと、心から思える。

 願い事を唱えるように、もうひとことつぶやいた。

「一緒に」


 おわり



最終更新:2011年10月30日 20:22